すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

夫の隠し事と再生の道。

2011-02-26 11:00:08 | ひとりごと

去年の暮れ、
結婚以来、夫が私に隠し続けていた、あることがバレた。
その兆候は、具体的事実においても、私の心の「ザワザワ感」の中にも、
結婚以来ずっとあったのだけれど、
彼はその事実を隠すために、嘘に嘘を塗りかさねた。
私はその嘘を、半信半疑でやり過ごしてきた。
あらゆる意味において、それが明るみになるのに、
機が熟していなかったといってもいいのかもしれない。

「離婚されるのが怖かった」
「これまでの結婚生活が無駄だったと思われるのがつらかった」

夫の、言い訳だ。
素直な吐露であるだけに、彼の致命的な弱さを思い知らされた。

世の中に、隠し通せることはあるかもしれない。
それが、正真正銘、相手と自分のためになることであれば。
でも、そんな崇高な隠し事は、そうざらにあるものではない。
隠していることに、罪悪感が潜んでいれば、バレるのが定石だ。

機が熟す。
今回のことは、うん、この言葉しかない。
彼の告白という形ではなかったけれど、
ユング心理学でいうところの共時性とでもいうべきタイミングで、私は彼の隠し事を知らされた。
いろんな意味で、二人が夫婦として、子どもを育てる親として、ひとりの人間として、
お互いが向き合う、というよりも、
お互いが自分自身と向き合う時期、
人生のターニングポイントに立たされた時期に重なった。

もちろん、隠し事がさらされてからは地獄の日々だったけれど。
この2カ月間、お互いがそれぞれの理由で悶絶し、這い上がるすべを探した。

ただ、彼の方が客観的にも明瞭だ。
彼がするべきことは、具体的に行動すること、解決に着手することしかない。

私は・・・・、私はどうすべきか、いや、どうしたいのかを、
具体的にすることがないなかで、見出していかなくてはならない。
私が自分のためにできたことは、
日々、自分の気持ちを素直に自分に告白していくことによって、
自分と格闘し、自分を勇気づけることだった。
そして、私は、自分の中にある強さの芽、を見つけた。

この頃になって、やっとすがすがしい感じが自分に萌してきた。
まだ脆くはあるけれど、でも性急でない形で手に入れた、この感じ。
夫の心や隠し事を以前ほど忖度しない自分に開放感も覚えた。
夫の心の中はわからない。
今は、説明を求めたい気分でもないし、
本人も、自分自身をつかめていないのだと思う。
彼を責めて、謝罪させて、改心させて、、、と、
とにかく彼をどうにかすること、そのことにしがみついていた自分に嫌気がさした。
しがみつく感じが薄らいだら、自分が楽になった。

夫は夫のことをしっかりやればいい。
究極的には、夫がそれをやってもやらなくても私には関係のないことだ。
実質的には多少影響は被るけれど、
でも、
自分のしたことの責任は自分でとる、
自分がまいた種は自分で刈り取る、
の原点に立ち返れば、
私は、彼の動向を手を出さずに見つめていくしかない。
もちろん協力できるところはするけれど、
でも、彼がしたことの責任の主体はあくまで彼なのだ。
それよりも、
私は私のことをしっかるやる。それが一番大切なこと。
私は、自分の中に見出した強さの芽を、
しなやかに、丁寧に育てていくことに力を注ごうと、思い至った。
それが、きっと私自身の再生の道だ。