東京の人になって、3か月が過ぎた。
道路も、スーパーの通路もせまい、
高い建物がひしめく圧迫感、満員電車、
なんでもそろうショッピングセンターが近くにない。
住み始めて間もなくは、
ああ、なんという不便な街なんだ、と毎日溜息が出た。
便利なはずの街が、
なんでもあるはずの街が、
楽しいことやわくわくすることがたくさん詰まっているはずの街が、
こんなに窮屈な街だったなんて。
子育てしてなかったら、
また違ったのかもしれないけれど。
暗澹たる気持ちで、
前住んでいた街に思いをはせ、なつかしんだ。
でも、3か月たって、この暮らし向きにも慣れてしまった。
3か月ってそういう時間なんだ。
目の前を走る電車の音も、
子連れでも気兼ねのいらないフードコートのない生活も、
当たり前になった。
我が家は、ふた部屋分くらいせまくなり、
オール電化は過去のものとなった。
まあ、暮らせないこともない。
息子が通っている体操教室のママたちの車がほとんど外車、
というのは、やっぱりカルチャーショックだったりはするけれど。
東京の中でも、
たまたまお金持ちの多い場所に住むことになってしまっただけなんだけどね。
あと、東京の人はクールなんて、勝手に思いこんでいたけれど、
それも結構偏見だった気がする。
付き合いを重ねていけば、そんなに、ものすごくは変わらない、と気づく。
親切さは洗練されていて控えめ、
その向こうにあるベールは、少し厚めかな、とは感じるけれど。
その人の「ありのまま」に触れるのは、ちょっと時間がかかりそうではあるけれど。
そうか、これが東京だったんだ。
東京の日常は、東京に住んでいる人の東京は、こういうものだったんだ。
私にとっての「東京」、というのは記号だったんだな。