すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

禅語をひとつ、ふたつ

2005-04-14 23:56:27 | ひとりごと

しばらく前に、NHKのクローズアップ現代で去年なくなった、
作家の水上勉さんの晩年にスポットを当てる番組をやっていた。

大作家といえど、老いと迫り来る死に向き合ったときは、
その他大勢の人々となんら変わらない。
恐怖にさいなまれ、焦燥と苛立ちに突き上げられる日々。

そんな中で、水上さんは、
禅語の「而今」という言葉にであう。

而今は、今を生きる、と言う意味だとか。
過去を思えば、今の自分は惨めでしかなく、
未来を思えば、あるのはただ死の恐怖。

ただ、今を精一杯生きる。
何万語の言葉を生み、何万行の文章を書き、
あまたの言葉の海を紆余曲折しながら泳いできた作家が、
最後に、「而今―今を生きる」という、
あまりにもシンプルなメッセージにたどりつき、
救われたというのが、とても興味深かった。

そんなわけ?で、
本当に単純でお馬鹿なわたしは、
図書館までいくと、宗教の棚にいって、
禅語関連の本を物色しはじめた。

どれどれと二、三冊手にとって見てみると、
結構いい言葉に出会えた。
個人的に気に入ったのは、

「両忘」
 二元的、白黒どちらかと考えることをやめる
「黙」
 黙っていても伝わらないことがある 黙っていなければ伝わらないこともある
「本来無一物」
 心を曇らせているのは自分の妄想。もともとそこには、何もないのだから。などなど。

自己啓発本をはじめ、
いろんな機会に散々聞かされてきたようなものだけれど、
こうして漢字の表記に出会うと、
「而今」もそうだけれど、心にスーッと入ってくるから不思議だ。

「~しなさい」「~しよう」といった押しつけがまさがなくて、
ただ、そこにずしりとある感じ。
静謐で、でも言葉に力強さがある。
ただし、言葉が心に入ってきたといっても、
今はその表面に惹かれているだけのような気もするので、
深く、深く、かみ締めて、
自分の人生にしっかりと織り込んで行きたい。

それにしても・・・。
家の宗派も禅宗ではないし、信仰があるいわけでもないのに、
禅語に心惹かれてしまうなんてわたしも、年をとったのだなぁ、
と複雑な心境だったりもする今日この頃。