すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

弱点。

2015-04-30 08:53:25 | 日記・できごと
自分の弱点。

焦る。
落ち込む。
すぐに結果を欲しがる。
キャパを超えると投げ出したくなる。
誰かのせいにしたがる。
責めたくなる。
他人の評価を気にする。
体力がない。
いい人ぶる。
自分のペースが崩れると苛立つ。

そうだった。私は、こんな人間だったよな。弱点を克服しようとしたら、変わろうと努力したら、それがすべて帳消しになる、とでも思ってたのかな。

弱点は、普段は顔を出さないけれど、追い込まれると、ニョキっと顔を出す。

それで、あたし、全然変わってないな、と、余計に傷つく。

弱点は、なくならない、のかもしれない。

その程度の心持ちで、自分の弱点と生きていくのがいいのかもしれない。

やみくもに変わろうとするのはやめよう。変わらない自分に失望せず、ほんの少しの成長を喜ぼう。

そして、何事にも、一呼吸おこう。


河合隼雄さんの『こころの処方箋』を久しぶりに読んで、救われた。

【自分について考えるにしろ、他人について考えるにしろ、人間というものは、基本的なところでほとんど変わらないことを知っていると、それはそれとして、相当程度にまでそれを補償したり、カバーしたりしながら、そこから豊かさや楽しさを引き出してこられるものと思われる。】








村上春樹に癒されて。

2015-04-15 22:21:43 | 日記・できごと
村上春樹氏のブログを読むのが日課になっている。

『村上さんのところ』



最近は毎朝、スマホで一番最初に開く。

特効薬的アドバイスもないけれど、とにかく心地いい。真ん中に貫かれた硬い芯の周りにやわらかいものが覆われている、その感じがしみじみいいのだ。

ブログといっても、読者から送られた質問・相談メールに丁寧に返信するという体裁の期間限定のもの。毎日少しずつ更新されていて、5月上旬まで続くそうな。

十代の頃に読んだ『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』以来、氏の小説は読んでいない。

自意識が強い作品は、ヒリヒリするような読後感だったな。若者文学だと決めつけていたし、氏も相当にエキセントリックな人だと決めつけていたけれど、これを読むとね、いい意味でこの文豪のイメージを覆される。

訥々と淡々とした語り口と、非常に常識的な感じ。そして、回答がどこかユニークでウィットに富んでいて、しかも誠実で暖かい。

すごい人、一流の人というのは、どの分野の人でも、こういう普通っぽさの要素を大事にしてる気がする。いかにも、ではない、そのギャップがずるい。

何年かぶりに小説も読んでみようかな。



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心理学系の本を読むときの作法。

2015-04-10 20:34:18 | My メソッド
「ブレない人は成功する」
「他人の目を気にしない人は好かれる」
「自分中心の人はうまくいく」

こんな風に、「◯◯な人は◯◯」「◯◯するだけで絶対うまく行く」というタイトルのついた本をよく見かけます。

心理学系や自己啓発系の本に多いですよね。

紋切り型の、白と黒をはっきりさせた視点、言い回しが、迷いがちな心には、頼もしく、心地よい。困難な事態の突破口を開く特効薬になることもあります。

求心力を失ったチームに、「俺について来い!」タイプのオレ様リーダーがやってきて、チームの活力が吹き返す時の感じに似ているかもしれません。

私も、気持ちの揺れが小さくない人間なので、下がり気味の時や、ドン底から上向きになりそうな時に、こういうタイプの本を読みたくなります。そして、その都度、助けられたりもしました。

ただ、こうした本は、すぐに効果が無くなることもあるんですよね。熱してすぐ冷める、みたいな。恋愛もそうですが、即効性のあるもの、極端なものは得てしてそういう結果を背負うものかもしれません。

こうした本を読んで実践しようという時には、ある種の作法みたいなものが必要かな、と思います。

本の中に登場する、自分がこれまで選ばなかったやり方、知らなかった生き方は、新鮮で刺激的。実践してすぐに効果があると、当たり前ですが「ハマり」ます。

それで、例えば、周りの人を、ハマった本の内容に合わせて、あの人はブレない人だ、とか、あの人は周囲に嫌われるのが怖くない芯の強い人だ、とか、あの人は他人のことばかり気にしてる他者中心の人だ、なんてカテゴライズしてしまうことも少なくありません。

それで、多くの場合、ある地点に行くんですよ。私が、まさにそうなんですけどね。

この通りの人って本当にいる?


本に沿って自分が勝手にカテゴライズした人たちが、最初は本の通りの人として、自分が思い込んだ人物像として生きているように見えたのに、実際にはそうでない部分が見えてくる。

深く付き合えば、人にはいろんな面があることがわかるし、その都度、「あれ?」という疑問符が増えてきます。

仕事面ではブレないのに、家族の問題にはブレまくり。

嫌われても平気なタフな人だと思っていたのに、慎重な面があったりクヨクヨすることも。

被害妄想の強い人だと思っていたのに、ママ友付き合いは意外に無難にこなしている。

と、こんな感じ。

結果、本の効果を享受できなくなって、ハマった状態から、「ああいう類の本はやっぱりね」と十把一からげにして断罪するようにも。

ここまできたら仕切り直しが必要になります。

本に書かれている「ブレない人」の条件をすべて満たす人はいない。

他人を気にしない人というのも、程度の問題。

◯◯な人なんていない。◯◯の傾向の強い人がいるだけ。

◯◯するだけではうまく行く、というのは「当面は」という前提なのかもしれない。

この考え方を自分に根付かせるためにはやっぱり「じっくり」取り組むことが大切。

「絶対」とか「うまくいく」「こんな人は」といった断定調は差し引いて捉えよう。


こんな風にハマっていた本から距離が取れると、その本を客観的に評価できて、自分に合った取り入れ方ができるようになります。

「即効性」と「断定調」の2つは、心理学系や自己啓発系の本の専売特許です。

最初は、この魅力的な2つのパワーを十分に浴びて、効果が薄れたら、この2つは忘れて自分に必要な本質だけ抽出する。

これがこの手の本を読む時の作法かな、って思います。




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感謝しかない。

2015-04-03 17:32:11 | 日記・できごと
婦人科系の持病で、少しお腹を切る手術を受けた。

局所麻酔の効きが悪く手術中も痛みが襲って来るし、麻酔が切れた後の激痛のおかげで、その夜は一睡もできなかった。

日帰りで簡単な手術だと思っていたから、術後の予想を超えた痛みと体力の低下に気持ちがやさぐれた。

咳やくしゃみをすると激痛か走るので、それらを我慢するだけでも一苦労だった。

もう、お腹を切る手術は絶対に嫌だと思った。


それから一週間たって、今日抜糸だった。痛みは残っているけれど、「あー、終わった」と思って力が抜けた。ほっとしたのだ。


そして、病院から帰るバスの中で、突然感謝の気持ちが溢れて、涙が止まらなくなった。


傷が目立たないようにと丁寧に手術をしてくれて、不安や心配にきちんと向き合ってくれた若手女医のY先生、ありがとう。

手術の時、麻酔が切れて痛みに打ち震えた私の掌を温かい掌で握りしめてくれた手術室の看護師さん、ありがとう。

この病気を見つけて大きい病院にすぐさま紹介してくれた町医者のH先生、ありがとう。

仕事が忙しい時なのに、動けない私に代わってご飯を作ってくれたり、洗濯してくれたり、買い物してくれたダンナさん、ありがとう。

春休みでどこにも遊びに連れて行ってあげてないのに、文句もいわず、術後の母の隣で静かに遊んでくれていた息子、ありがとう。

通院の時に息子を預かってくれた優しい近所のママ友さんと娘ちゃん、ありがとう。

家事ができないだろうからと夕飯のおかずを届けてくれたママ友さん、ありがとう。

メールやラインで優しい言葉でいたわってくれた友達、お母さん、お義母さん、ありがとう。


気づいたら、ありがとうがいっぱいだ。


手術は辛かったけど、面倒で大変なことだったけど、周りの人たちから、こんなにもたくさんの愛情をもらったよ。

手術は、私に「感謝の気持ち」という最高のギフトを授けてくれたんだ。

やっぱり、もちろん、もう手術はいやだけど、こんな風に、人生の中で時々起きる「いやだなー」って思う事って、もしかして、誰かに、何かにこうして感謝するために起きるのかもしれないな、って思えたりもする。


いつかやってくる死の際で、こんな風に溢れる感謝の気持ちを抱いて、この世を去ることができたらいいな。

それが、私の、ささやか、かつ壮大な夢だな。



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