すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

台風の恩恵、息子と。

2016-09-21 08:12:52 | 日記・できごと
台風の朝。

暴風警報が出ていたけれど、授業は通常通りというメールが学校から来た。

息子を送り出すためにマンションのドアを開けると、強い突風にあおられた。肌寒さも感じるし、小雨もちらつく。息子を学校まで一人で30分歩かせるのは危ないかも、と咄嗟に判断して、ついて行くことにした。

小1の息子と、久しぶりに学校までの道を歩いた。傘を片手に手をつないで、給食のカレーを楽しみにしているなんて話や、今日は学校に着くのが何番目かな、なんて話をした。横断歩道には、学校の先生が立ってくれていて、息子が「4組の先生だよ」とか「教頭先生だよ」とか教えてくれた。

他愛もない話をしながら、なんとなく気持ちがほっこりして、気づくと校門の前。30分の道のりがあっと言う間に感じられた。台風で被害が出た地域の人には申し訳ないけれど、台風ありがとう、って言いたい気分になった。

手を振って息子と別れたあと、言葉を覚え始めた頃の息子の姿やしぐさが頭を掠めた。息子の最近のブームが、自分の写っているビデオを見ることで、それに、ついつい付き合って私も一緒に見てしまっているせいだ。

幼い息子の映像を見ていて、不思議な気持ちになる。

その丸っこいシルエットや、覚えたての二語文を話すおしゃまな感じが可愛くて可愛くてたまらないのだけど、「あれ、あの頃は最高にイケメンっと思ってたけど、意外にフツー?!(笑)」なんて感想もでてきたりする。過去の私には、もの凄い親バカフィルターが掛かっていたんだな。

と、俯瞰して見ることができる、その幼い息子は、もう過ぎ去った息子なんだなー、過去の私にとっての最愛の息子なんだなー、そして、私ももう過去の私でもないんだな、ということ。


それで、息子と登校しながら思ったのが、やっぱり今目の前にいる息子が最高に可愛いいな、ということ。校門のところで何度か振り返っては「お母さん、バイバーイ!」といい、普段は小生意気なことも言うようになった今の息子が、一番可愛いという実感がある。その実感のある、この今こそが一番幸せだな、ということ。


「あんな頃が一番良かったー」と、小さい子どもを見かけては過去に浸る人は多いし、その言わんとするところはわかるけれど。でも、私は、できたら感じ続けていきたい。

今の息子が一番可愛いし、一番好き、とね。それは、私が「今の私」を、「私の今」を肯定しつづけていく気がするから。






私が夫を追い詰める理由。

2016-01-30 18:59:37 | 日記・できごと
夏に転勤してきてから、夫の慢性的な激務ぶりが続いています。部署的にまあ想像の範疇でしたが、それにしても段々エスカレートしてる。

特に、年末年始以降、ひどい。

年末年始の休み1日
連日午前様
増えてきた休日出勤


結果的に、夫は、

睡眠不足(私も。待ってたことはないけれど、やっぱり熟睡できない)
体調不良
増える仕事や職場での愚痴


まあ、ここまでなら多少目をつぶりますが、黙っていられないレベルに到達しました。
それは、

家族サービスの減少
家事を分担できない
子どもと遊ぶ時間がない


つまり、私への多大な影響です。
私が、我慢したり、余分に労力を使ったりが増えてきた。

つまり、私自身から発する、

もう、これ以上我慢したくないっ!

の声が盛大に出始めたのです。

こんな状況でも、夫が担っている家事や子育て貢献度は一般より高めでしょうし、私の我慢度もちっともマックスではないのですが、でも、昨日、

「明日も、仕事が少しあるんだけど…」

と言いにくそうに言う夫に、

速攻で、キレました。キレつつも冷静な自分。このタイミングを逃したらダメ、と勝負にでる自分。

はあ?もう、いい加減にしてよっ!
最近、来週はちゃんと休む、とか言いながら毎週毎週休日出勤してるじゃんかっ。
家のことちゃんとやってよ!息子と遊んでよっ!
なんで、あたしがあんたのやらない分までやらなきゃなんないのーっ!


顔が引きつる夫、一瞬、間があって、

「じゃあ、今日徹夜しても明日は休みとる」

とポツリ。

あったりまえだー。

こういう時に、こんな私でも、自動思考が動きます。ちなみに、自動思考は本音ではありません。これまでの私に刷り込まれた、いわゆる常識の声ってやつです。

こういう時は仕事に協力してあげるべきかな
家事の負担を減らしてあげるべきかな
子どもとの時間を睡眠に充てさせるべきかな
私たちの為に働いてくれてるんだしな

とね。ただ、この自動思考に従うことのデメリットを、私は経験上も感覚的にもわかっています。だから、ザワザワ、モヤモヤを感じながらも、そこに屈しないように、本音を引っ込めないように、自分を立て直します。

私は、私の感覚を信じてよい。
我慢は、我慢の連鎖につながる。


私が黙って我慢を押し殺したら、夫を献身的に支えようと変な遠慮したら、先は見えてるんですよね。

夫も我慢を我慢と認識しないまま仕事に明け暮れ心身の悪化、私は我慢や怒りを溜め込みやがて大噴火。息子にも飛び火。

🔸🔸🔸

ある時、この我が家の状況を職場の男性リーダーに雑談ついでに話したら、

「ご主人、職場で上からも下からもプレッシャーかけられて、奥さんにまで厳しいこと言われたら逃げ場ないよー」

なんて、冗談混じりに言われました。それで、逆に気づいたんです。

こういう、あまりにバランスを欠いてる時は、逃げ場を与えちゃダメなんだって。とことん追い詰めて、限界まで行かないと、本人はなあんにも変えようとしない。今、何が起きているのかを考えようとしない。気付けない。

例えば、
無駄を省くこと、他の人に仕事を任せること、ダメなやつとか勝手なやつとか思われても仕方がない開き直ること、今のおかしな頑張り方が昇進とは必ずしもつながらないこと、会社のためにもならないこと、とかね。

それに、現状を変えることに勇気を出せない言い訳に、

「妻子のため、生活のために働いてるから」

なんて、夫に思いこませちゃいかんのです。私や息子も思い込まされちゃいかんのです。自分が勇気を出せないかわりに、1番大切な家族に我慢を強いちゃう奴に夫をさせちゃだめなんです。

そんなことが、私の中で腹に落ちた時、このツイートを思い出しました。



あなたの感覚に素直になっていいんよ。正解!
そんな風に言われてるみたいで嬉しかったな。斎藤先生、毎度毎度ありがとう。

今、夫は、夕飯の支度中。すがすがしい顔で、キッチンに立ってます。

職場の事情は、ようわからん。プレッシャーも、プライドも、「うちの会社は違うから」も、知らん。ただ、私は信じるよ。私と息子に我慢を強いない方法を、夫よ、君が必死で見つけることをさ🎶



人生の後半。

2016-01-07 23:17:55 | 日記・できごと
あけましておめでとうございます♡

実家で、寝正月を過ごし、副交感神経が優位になりすぎたのか、寝ても寝ても眠い脳。頭が腐りかけ寸前で、昨日から仕事が始まり、やっと日常が戻ってきました。

実家では小学生から高校生までの甥っ子、姪っ子に囲まれて、彼らの話を聞いたり、姿を見ていて、しみじみ感じました。

今、この人たちは、人生前半の上り坂をぐんぐん登ってる頃なんだなあと。

個人面談で褒められた
テストで学年3番をとった
早稲田に行きたい
時々友だちに仲間はずれにされる
オセロで負けて悔しい


自我に目覚め、自我を強化し、自我によって至福を感じる時もあれば、自我に奈落の底に突き落とされることも。

自我が色濃くなればなるほど、他者や社会も色濃くなり、比較の中で自分の立ち位置を固めようとあがき、他者や社会の中でひときわ目立つ何者かになることを夢見る時期。

こんな、人生前半のさらに前半の方たちに、

「他人と自分を比べなさんな」

と説いたって、暖簾に腕押し。

あったりまえですね。
自我っていうのは、比較がなくちゃ、優越感や劣等感がなくちゃ、育たないわけですから。

人生の後半にいる人間に染みる言葉は、染みないんですよね、彼らには。

でも、それでいいんです。人生後半に用意される宿題の先取りは良くない。

うんうん、しっかり競争しなさい。惨めさも、悔しさも、万能感も味わいなさい。私も、そうでしたよー。

なあんて、遠い目をした叔母さんは、あれこれ口出ししないで、ただ笑って見たり聞いたりしていました。


人生の前半が、こうして、自我を築く時期だとすれば、私の方は人生の後半に差し掛かり中。自我を手放していく時期なのでしょう。

といっても、自我に目覚めていない赤ちゃんのようになる、ということではなくて、

人生の前半で捨ててしまった自分、生きられなかった自分を取り入れ、統合し、自我を超えた自己の全体性を回復する時期ということです。

年をとってまあるくなる。

というのは、そういうことですね。半円だったり角張っていた自分が広がったり、削れたりして、本来の自分=自己に戻っていくとうこと。

仏教の「さとり」に至る道も、ユングのいう個性化の過程も、河合隼雄さんの「中年クライシス」も、恐らくはそういうことではないかと思います。

やらなかったことをやってみる
誤魔化してきたことと向き合う
思考、感情の棚卸しをする
自我を超える


人生の後半は、決して人生のおまけでもなければ、退屈な時期でもないはずです。よりよい自分を完結するために与えられたかけがえのない時間。

バランスを欠いた自我に固執すれば、病気や事故、争い事などの形を取って、自我を激しくゆさぶる出来事に遭遇することだってあるかもしれません。

それは、できるだけ避けたいもの。

これまでの自分とこれから起きてくることをドンと受け入れ、いらなくなったものは手放して、補うところは補い、限りなくまあるくなっていくこと。

人生の後半は、それを意識的にやっていこうと思います。













マインドフルネス実践中。

2015-09-21 14:52:09 | 日記・できごと
目下の関心事は、2つ。
男子テニス。そして、 マインドフルネスです。

男子テニスは、今年の全豪オープン以来ですが、錦織選手を応援するだけでは飽き足らず、ついに自分でも始めることにしちゃいました。9歳の姪っ子に「◯◯ちゃんが、テニス~?」なんて意外がられるくらい、スポーツとは全く縁がなかった人生ですが、今月から、テニススクールに通っています。

多忙を極めていたこともあり、半年くらいは迷ってたんですけどね。逆に、半年たってもやりたい気持ちが弱まらなかったので、気持ちだけはかなり本物です。やりたいものは、とりあえずやるしかないです。

ここまで書いといて何ですが、今日は、テニスの話は置いておいて、マインドフルネスの方の話をしようと思います。

マインドフルネスという言葉は、私、多分、NHKのニュースで初めて聞きました。

マインドフルネス、宗教色を薄めた(あるいは削いだ)瞑想が今世界的ブームなんだとか。グーグルやインテルなど名だたる大企業でも、社員の集中力を高めるツールとして、実践されているという話です。

脳、特に脳の高次機能を担う前頭葉への好ましい効果は、科学的根拠も明らかにされており、精神医療分野でも第三の認知行動療法として、うつなどの疾患治療の活用が始まっているといいます。

もともと興味のある、脳と認知行動療法。しかも、マインドフルネスというさわやかな語感がなんかいい。がぜん興味が湧きました。

かつて、抱いていた瞑想や座禅のイメージは、どこかエキセントリックでした。興味はありましたが、「悟る」「目覚める」といったキーワードが出ると途端に気が遠くなるというか、凡人にはとても手に負えない気持ちになるものでした。

でも、マインドフルネスは、一般の人にも、宗教やスピリチャルなる世界にアレルギーがある人にも、脳科学からのお墨付きがあるので、受け入れやすいのかも知れません。

悟りや覚醒に目標を置くものではない、という点が、瞑想をとっつきやすくしてくれます。

では、何のための瞑想か?

思考を止める。
自分を客観視する。
すべてを判断せず流す。

マインドフルネスは、そのための訓練。

私は、そう解釈をしています。

自動思考→不安、という脳の回路に翻弄されることが少なくない私には、こうした訓練が役に立つはずです。おまけに既存の認知行動療法よりも手軽だし、基本一人で始められる感じも魅力的でした。

そんな訳で、情報収集と実践を始めました。


瞑想や禅、マインドフルネスのルーツであるヴィパッサナー瞑想、初期仏教に関連する本やブログを手当たり次第に読みました。こうした知識面でのお勉強は、知れば知るほど楽しくて、これからもどんどん深めていきたいと考えています。

実践面は、春先から瞑想アプリをいくつか試したり、NHKでも取り上げられていたこちらのプログラムに参加してみたりしました。

当初の意気込みだけは十分でしたが、言うは易く行うは難し。そんなに簡単ではありませんでした。1日2、3回、数十分ただじっと座って、呼吸を数えるというシンプルな行為がいかに難しいか。呼吸を数えるだけっていうのに、何というか、飽きちゃうんです。

ただ、素晴らしいものに違いない、という先取りの確信が揺るぎないのでフェイドアウトする気にはならず、いかに自分に馴染ませるか、負担なく日課にするか、が課題になりました。

そして、自分なりに試行錯誤して、半年たってようやく、朝15分、余裕があれば寝る前に5分、というスタイルの瞑想タイムが私の生活の中に定着しました。

最初は、まるで義務のようにやっていましたが、やがてやりたいもの、やるのが待ち遠しいもの、やらないと気持ち悪いものに変わりました。そうなってからは、ほぼ毎日欠かすことがありません。

精神安定剤のような効果はないですよ。インパクトのある自己啓発本を読んだ時の高揚感も全くありません。

でも、続ければ続けるほどに、自分の頭の中の無駄なおしゃべりが減っていくのがわかります。ネガティヴな思考がやってきてもニュートラルに戻るのが早くなったことも強く実感します。簡単に言うと、どんな思考も感情も抱え込まず、手放すことがうまくなった気がします。

あと、手垢のついた表現ですが、瞑想すればするほど、自分の内面が浄化されていくというか、風通しが良くなるような気がします。

こんな風に、ゆるやかな変化ですが、マインドフルネスの効果は、私にとってはすでに揺るぎないものです。だから、今日も、明日も、あさっても、ずっと続けていきます。


マインドフルネスについては、一回では書ききれないので、私の苦肉?の実践方法などは、また次の機会に詳しく書こうと思います。







飛行機が怖い。

2015-09-05 11:15:43 | 日記・できごと
20代の頃は、国内外色んな場所に旅行に出かけて、飛行機に乗りまくった。

これから旅に出るんだ~!という気分にさせてくれる空港の非日常的な雰囲気は大好きだったし、目指す地へ自分を運んでくれる飛行機に乗り込んだ時のワクワク感は格別だったっけ。

エンジン全開の飛行機が離陸する瞬間の、あのジェットコースター的な感じも、しばらくして心も身体も一緒になって浮遊する感じもたまらなかった。

そんな私が…
そんな私が…

この歳になって、まさかの「飛行機が怖い」人になってしまった。

きっかけは多分夫。この人が、かなりの飛行機嫌い。身近なところで飛行機嫌いの人なんて、初めてだった。これまで一緒に飛行機に乗った女友達は、むしろ飛行機が大好き、揺れるのもへっちゃら~の面々ばかりだったから。

たとえば新婚旅行、夫は乗り込む飛行機が小さな機材だったりすると怖いといい、離陸時には私の腕を掴んだ。空港が混雑していて着陸間際に再び機体が上向くと、私の顔を覗き込んでコレはまじヤバいかも、と真顔で焦る。気流の変化で機体が揺れると顔面蒼白になった。

最初は、面白がっていたけれど、その後飛行機に乗るたびに徐々に影響を受けたみたいだ。無意識に、できたら飛行機には乗りたくないな、と思うようになっていた。

でも、この夏引っ越しをして、帰省にも旅行にも飛行機が必須中の必須になった。もちろん新幹線という手もあるけれど、5歳児の息子と何時間も車内に缶詰めというのも、また別の恐怖。

母の恐怖をよそに、息子はお土産がもらえる飛行機が大好き

で、この夏だけで3回も飛行機に乗った。

その1回目で、「わたし、飛行機怖いんだ」とはっきりと自覚した。最初の兆候は、飛行機に乗る日が近づいてくると、そのことが頭から離れなくなってしまった、ということ。どこか身体に力が入った感じで、明らかに緊張があった。

いざ、フライトの日。空港に向かう車の中ですでに憂鬱だった。その憂鬱が恐怖に変わったのが、機材不良で修理のためにフライトが遅延となり、ゲートで待たされていた時だった。「機材の不良ってなんだろう」と不安になっていた私がふっと見上げたテレビモニターに、ある番組の紹介映像が映し出されていた。

NHKスペシャル「日航ジャンボ機墜落事故から30年」

センセーショナルな題字に重々しいナレーション。御巣鷹山に飛び散った粉々の機体、泣き叫ぶ遺族、機長のご家族のインタビュー…。

こ、こわい
なんだ、このタイミングは!
まさか、シンクロニシティ?暗示?

心臓の鼓動が一気に早くなった。この飛行機本当にマズイかもと思って、一人で縮み上がった。

どうせなら運休になってくれればいいのにと本気で願うのも虚しく、フライトの準備ができたとのアナウンス。傍には息子もいるし、湧き上がる恐怖と逃げ出したい衝動を無理やり押し込めて機内に乗り込んだ。

迎えてくれたCAさんの中に、気の強そうで運の良さそうな感じのする人がいた。とびきりの美人。なぜか「この飛行機、大丈夫かも」と根拠もなくうっすら思った。思おうとした。不幸な出来事とその人の雰囲気がマッチしない、というのがささやかなお守りになったのだ。

離陸の時と高度で揺れる時が一番駄目。手や足に力が入って、呼吸が速くなる。怖くなるとそのCAさんの姿を探して心を落ち着かせた。なんとか恐怖の時間をやり過ごし、飛行機は無事着陸した。

その日を境に、私の飛行機恐怖症は固定化した。例の日航ジャンボ機の墜落事故が発生から30年を迎えた節目の夏で、その関連ニュースや番組を頻繁に目にしたのも大きい。

帰省で次に飛行機に乗るまでの間、いてもたってもいられず、毎日毎日、暇さえあれば飛行機関連のネットサーフィンに明け暮れた。

そうしたものに触れれば触れるだけ恐怖は増幅されることは想像できたけれど、一方で恐怖症には暴露療法というのもあって、怖い対象に徐々に慣れていくことで恐怖が減る効果も知っていた。次のフライトの前に、自分がどっちに転ぶか、試してみたい気持ちもあった。いや違うな。何か決定的な安心材料を必死に探していたのだと思う。

ある日は、日航ジャンボの墜落事故の原因を調べ、それ以外の最近の国内外の事故についても検索した。

またある日は、自分が乗る予定の航空会社の安全対策、機材についても調べた。

そして、またある日は、巷で飛行機が1番安全な乗り物と言われる所以、墜落事故が起きる確率などの統計を調べた。

別の日には、飛行機が飛ぶ原理、エンジンや翼などそれぞれが果たす役割、またそうした部品が飛行中な故障したらどうなるかなどを調べた。

わかったのは、飛行機事故は、滅多に起こらないということ。もちろんゼロではないけれど、この恐怖感に見合うほど危険なものでは全然ない。たとえば、

・国内の航空会社の墜落事故は、日航ジャンボ以降30年起きていない。国内線だけで一日2,000便。一年で730,000便。つまり掛ける30年、21,900,000便で墜落事故は起きていない。

・飛行機の性能は飛躍的に上がり、あらゆるトラブルを想定した安全装置が装備されている。

・とある統計によると、墜落事故の確率は0.0009%で、無作為に選んだ飛行機に毎日乗ったとして400年に一度遭うかどうか。アメリカのが航空会社に限れば更に低くて、0.000034%で8200年に一度となる。日本は、さらに低い。

・普通の飛行機は、双発機。つまりエンジンは二つある。エンジンが一つ故障しても、安全性にはなんら問題ない。二つ故障しても、しばらくは滑空できるし、二つ故障するなんてことはほぼ起こり得ない数字。

飛行機事故に遭遇するリスクは、私が日常生活を送る中で遭遇する死をもたらすどんなリスクよりもはるかに低い。車や電車で死亡事故に遭う可能性よりも、死に至る重篤な病気にかかる可能性よりも、恐ろしい犯罪に巻きこまれる可能性よりも、ずっとずっと低いってことなんだ。

仮に夫と息子が二人で旅行に出かけるとする。心情的に電車が一番いいけれど、車か飛行機か船かどれかで移動すると言われたら、見送る側としては、断然飛行機にして欲しいと思う。

つまり、私も飛行機を安全だとわかっているのに、自分が乗るとなると理屈ぬきで恐怖に圧倒されてしまうのだ。

理屈を超える脳内のエラーが起きている。間違った条件反射、思い込みがどこかの時点で起きてしまった、ということなんだ。

とまあ、ここまで整理したけれど、やっぱり簡単ではなかった。体が勝手に反応する。怖いものは怖い。何の解決もないままに、タイムアウト。帰省の日が来て、自宅と実家を飛行機で往復した。1回目の時よりは少しだけ落ち着いて乗れた気はするけれど、やっぱりどうしても怖さは無くならなかった。

ただこの二回のフライトで気づいたことがある。私が一番不快に感じるポイントは、乗るまでの数日間と、離陸の時。強い揺れがなければ高度を飛んでいる時や、着陸までの時間は比較的平気だ。このポイントをなんとかできれば少しはましになるかも。

自宅に帰ると、図書館で予約していたこんな本が届いている。ホントは、もっと早く読みたかったのだけれど、amazonでは新品の取り扱いがなかった。


恐怖症のメカニズム、飛行機の安全性、乗務員や整備士の厳しい訓練や仕事ぶり、そして、飛行機恐怖症を克服する自己管理プログラムなどがが章立てで詳しく解説されている。

一番共感したのは、「恐怖恐怖症」。飛行機が怖いというより、飛行機に乗って怖い思いをするのではないかと考えるのが怖いという状態。まさに、乗る前数日間の私の頭の中。飛行機が安全性の高い乗り物だということ、この恐怖は自分の思考が作りだしたものだということ、がしっかり腑に落ちれば、それも和らぐのかもしれない。

あと、離陸の時のコツは、とにかく力を抜くことらしい。飛行機と優秀な乗務員と整備士を信頼して心身を委ねること。私はいつも逆をやっていた。力みまくっていた。無意識に、もう後戻りできない離陸に抗っていたんだろうな。筋肉に力が入ると身体が酸素を必要とするため呼吸は荒くなる。身体が臨戦態勢になると、今度は心の方が強く影響を受けて恐怖が高じるというわけだ。まさに腑のスパイラルだったんだ。

本を読み終えて、飛行機恐怖症は脳に書き込まれたエラーとするならば、飛行機は楽しい、飛行機は安全、という思い込みを脳に書き込むこともきっと可能なんだろなってことが納得できた。

飛行機はやっぱり怖いけど、その利便性は捨てられない。だったら、少しでもその恐怖を減らす工夫を自分なりに見つけるしかない。毎度毎度こんなに消耗してたらたまらない。

次のフライトは、年末年始の帰省時。さあ、どうなることやら。

















違和感。

2015-08-14 16:31:16 | 日記・できごと
歯医者嫌いで、深刻な虫歯に悩まされることがなかったけれど、去年、しつこい奥歯の痛みに音をあげ、とうとう近所の歯医者に出向いた。

歯医者は小学生以来だから、おそらく30年ぶり。

私の歯の詰め物の殆どが、今は使われないものになっていて、若くて優しい歯医者さんは、

「あのぉ、この素材、今は体によくないという理由で、使われてないんですが…」

と、遠慮がちにいい、
私は、歯医者が30年ぶりであることを、気まずい気持ちで告白した。

怒られたり呆れられたりするかな、と思いきや、今の歯医者さんは、全然偉そうじゃなくて、控えめで、昔の歯医者のイメージと随分違う。新鮮な驚きで、幼い頃に植え付けられた恐怖と緊張が和らいだ。

丁寧なインフォームドコンセントのあと、奥歯の虫歯と、詰め物の交換とで、週に1度は歯医者に通うことになった。そして、それは半年にも及ぶことに。

小学生の頃は、どうだったんだろう、この半年間、虫歯の治療をした後に必ずといっていいほど経験したのが、違和感だ。

痛み、噛み合わせ、しみる感じ、物を食べた時の何とも言えないヘンな感じ。

治療の度、私の意識は、この違和感に吸い込まれるように集中する。普段は全く意識に登らない歯の詰め物。口内に突如現れた新参者か、ものすごい存在感を帯びる。

あまりの不快さに次の診療を待てずに歯科医に飛びこむこともあった。すると、相変わらず優しい先生は、穏やかに言う。

「違和感は脳が感じているんですよね。慣れるまでには、二週間はかかるかもしれません」

そうか。そうなんだ。違和感って、何が感じているのかって言えば、脳が感じてる。

でも、脳は可塑性が高い。最初は強い違和感があっても、脳は徐々に慣れていって馴染んでいくんだ。

脳科学のトップランナー、池谷裕二さんの本にも、確かそんなことが書いてあった。

天地が反対に見えるメガネをかけて生活する実験をしたところ、最初は強烈な違和感があっても、脳は、なんとその状況にすら慣れて、やがては、その天地が反対の世界が前提になって、普通に生活できるようになるというものだった。

その状況に比べたら歯の違和感なんて大したことない。先生の説明通り、時間が経てば経つほどに、違和感は存在感を弱めていった。

そして、半年ぴったりで、治療は無事終わった。新参者だった詰め物たちも、全部が全部、今ではすっかり当たり前の存在として、私の口内に収まっている。


この歯の治療経験、「違和感→当たり前」の図式が、実は引っ越したばかりの私にはちょっとした心の支えというか、
お守りのようなものになっている。

だって、そりゃあ、もう、毎日違和感ばかりだから。今の私には、言葉も、食べ物も、住むところも、買い物する場所も、郵便受けの開け方も、電車の乗り方も、ホントに何もかも。

この違和感を、不快なものとして強烈に反応してこじらせるのか、脳の当たり前の反応としてやがて収まるのを静かに待つか、そして、むしろその違和感を積極的に楽しむのか…。

私は、2番目かな。少なくとも1番目は回避できている。

新しいものばかりに囲まれる毎日の中で、大中小さまざまな違和感にゴツゴツぶつかりながら、私は、やがて慣れる日を静かに待っている。どうせ、その日はやってくる、とつぶやきながら。


アサガオも、今の土地に来てから全く咲かなくなったのに、昨日やっと咲いた(*^^*)アサガオの脳も慣れたかな。笑

このアサガオを育てている人は、どんな違和感も「これ、すごーい」と楽しめる3番目の、稀有な人です。

終わりを意識するとき。

2015-06-18 12:39:14 | 日記・できごと
ブログを放置した一か月半の間に、夫の転勤が決まった。そして、夫婦ですったもんだした結果、私と息子も一緒についていくことになった。

場所は、ああ、遠いところ。行ったこともないところ。知り合いもいないところ。

時期は7月。
もう、すぐだ。

春先には、ほぼ今年は転勤なし、と聞かされていただけに、夫から告げられた時の動揺は大きかった。夫本人もまさに青天の霹靂人事で、異動を告げる声が少し震えていた。

「はっ?えっ?今何て言った?」

聞いた瞬間は驚きすぎて、驚けなかった。妙に落ち着いた私がいた。

自分の仕事の事、息子の幼稚園の事、幼稚園のPTA仕事の事、その他あれやこれやのこと。

そうしたことを、全然気持ちの準備ができていないのに、夫の内示までの短期間の間に処理しなくてはならないことを想像しただけで、もう頭が真っ白になったのだった。

けれど、人間の適応能力は大したもの。というか、多分、私という人間が、本当は転勤族にとても向くタイプの人間なのだろう。

今回の事が決まり、私自身どんどん落ち込んでいくのかと思いきや、どんどん元気に前向きになっていったのだから。

3年、4年で環境が変わっていくというのは、それも自分の意思や都合ではなく突然知らない土地に行かなくてはならないというのは、多くの人にとってはストレスだと思う。

私だってもちろんそうなんだけれど、無意識のところで、このサイクルで環境が変わることを楽しんでいる自分を感じる。

自分ではとても選択しない一大事を前に、捨てるタイミングを逃したままの生活用品はもちろん、人間関係も、仕事も、生活スタイルも、必要なものと必要でないものをよりわけていく作業に、自分を容赦なくコミットすることができるのだ。

元々、腰の重い人間で、年を重ねる毎にそれを痛感するようになったから、こうした強制執行が実はありがたいのかもしれない。


そして、今は新しい生活を思い描く楽しさよりも、今のここでの日々、ここで出会った人たちとの関係をしみじみと味わう時間が愛しい。

終わりを意識しながら自分の周りを眺めるというのは、こういう感覚なんだな、と改めて思う。死を意識した人間の潔さ、美しさは、今、ここ、に集中できるということと、日常から慣れ、惰性を排除できるということなんだなあ。

終わりが近いと思うと、雨の日の幼稚園の送り迎えも、PTAのやっかいな仕事やもめごとも、相談場面での利用者さんのいつにない長話や愚痴も、ぜんぶぜんぶかけがえのないものだと感じるから。

それと、去っていく私にいろんな人が普段は口にしない言葉を送ってくれるのも大きなギフトだ。

私のどんな部分がその人に記憶されているのか、私の行いがどんな風にその人の役に立ったのかということ。

終わりがなかったら、知ることのない言葉たちは、少しこそばゆい気持ちになるけれど、どれも温かで鮮明でキラキラしている。

こうした、小さな死と生を繰り返すみたいな感じを味わえるのが、転勤族の醍醐味なのかな。

小さな死の次に待っている、小さな生。新生活。新しく生まれるものに、多少の産みの苦しみがあることも、もちろん覚悟はしている。

今年の夏は、新しい土地でどんな暮らしを送ってるかな。

phone by pakutaso






弱点。

2015-04-30 08:53:25 | 日記・できごと
自分の弱点。

焦る。
落ち込む。
すぐに結果を欲しがる。
キャパを超えると投げ出したくなる。
誰かのせいにしたがる。
責めたくなる。
他人の評価を気にする。
体力がない。
いい人ぶる。
自分のペースが崩れると苛立つ。

そうだった。私は、こんな人間だったよな。弱点を克服しようとしたら、変わろうと努力したら、それがすべて帳消しになる、とでも思ってたのかな。

弱点は、普段は顔を出さないけれど、追い込まれると、ニョキっと顔を出す。

それで、あたし、全然変わってないな、と、余計に傷つく。

弱点は、なくならない、のかもしれない。

その程度の心持ちで、自分の弱点と生きていくのがいいのかもしれない。

やみくもに変わろうとするのはやめよう。変わらない自分に失望せず、ほんの少しの成長を喜ぼう。

そして、何事にも、一呼吸おこう。


河合隼雄さんの『こころの処方箋』を久しぶりに読んで、救われた。

【自分について考えるにしろ、他人について考えるにしろ、人間というものは、基本的なところでほとんど変わらないことを知っていると、それはそれとして、相当程度にまでそれを補償したり、カバーしたりしながら、そこから豊かさや楽しさを引き出してこられるものと思われる。】








村上春樹に癒されて。

2015-04-15 22:21:43 | 日記・できごと
村上春樹氏のブログを読むのが日課になっている。

『村上さんのところ』



最近は毎朝、スマホで一番最初に開く。

特効薬的アドバイスもないけれど、とにかく心地いい。真ん中に貫かれた硬い芯の周りにやわらかいものが覆われている、その感じがしみじみいいのだ。

ブログといっても、読者から送られた質問・相談メールに丁寧に返信するという体裁の期間限定のもの。毎日少しずつ更新されていて、5月上旬まで続くそうな。

十代の頃に読んだ『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』以来、氏の小説は読んでいない。

自意識が強い作品は、ヒリヒリするような読後感だったな。若者文学だと決めつけていたし、氏も相当にエキセントリックな人だと決めつけていたけれど、これを読むとね、いい意味でこの文豪のイメージを覆される。

訥々と淡々とした語り口と、非常に常識的な感じ。そして、回答がどこかユニークでウィットに富んでいて、しかも誠実で暖かい。

すごい人、一流の人というのは、どの分野の人でも、こういう普通っぽさの要素を大事にしてる気がする。いかにも、ではない、そのギャップがずるい。

何年かぶりに小説も読んでみようかな。



↑ポチッとお願いします。
応援していただけると、更新の励みになります。






感謝しかない。

2015-04-03 17:32:11 | 日記・できごと
婦人科系の持病で、少しお腹を切る手術を受けた。

局所麻酔の効きが悪く手術中も痛みが襲って来るし、麻酔が切れた後の激痛のおかげで、その夜は一睡もできなかった。

日帰りで簡単な手術だと思っていたから、術後の予想を超えた痛みと体力の低下に気持ちがやさぐれた。

咳やくしゃみをすると激痛か走るので、それらを我慢するだけでも一苦労だった。

もう、お腹を切る手術は絶対に嫌だと思った。


それから一週間たって、今日抜糸だった。痛みは残っているけれど、「あー、終わった」と思って力が抜けた。ほっとしたのだ。


そして、病院から帰るバスの中で、突然感謝の気持ちが溢れて、涙が止まらなくなった。


傷が目立たないようにと丁寧に手術をしてくれて、不安や心配にきちんと向き合ってくれた若手女医のY先生、ありがとう。

手術の時、麻酔が切れて痛みに打ち震えた私の掌を温かい掌で握りしめてくれた手術室の看護師さん、ありがとう。

この病気を見つけて大きい病院にすぐさま紹介してくれた町医者のH先生、ありがとう。

仕事が忙しい時なのに、動けない私に代わってご飯を作ってくれたり、洗濯してくれたり、買い物してくれたダンナさん、ありがとう。

春休みでどこにも遊びに連れて行ってあげてないのに、文句もいわず、術後の母の隣で静かに遊んでくれていた息子、ありがとう。

通院の時に息子を預かってくれた優しい近所のママ友さんと娘ちゃん、ありがとう。

家事ができないだろうからと夕飯のおかずを届けてくれたママ友さん、ありがとう。

メールやラインで優しい言葉でいたわってくれた友達、お母さん、お義母さん、ありがとう。


気づいたら、ありがとうがいっぱいだ。


手術は辛かったけど、面倒で大変なことだったけど、周りの人たちから、こんなにもたくさんの愛情をもらったよ。

手術は、私に「感謝の気持ち」という最高のギフトを授けてくれたんだ。

やっぱり、もちろん、もう手術はいやだけど、こんな風に、人生の中で時々起きる「いやだなー」って思う事って、もしかして、誰かに、何かにこうして感謝するために起きるのかもしれないな、って思えたりもする。


いつかやってくる死の際で、こんな風に溢れる感謝の気持ちを抱いて、この世を去ることができたらいいな。

それが、私の、ささやか、かつ壮大な夢だな。



↑ポチッとお願いします。
応援していただけると、更新の励みになります。