すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

お母さんが幸せであること。

2016-10-05 14:15:51 | 育児・母稼業
何日か前に、為末大さんが、「さすが」のコメントとともに、ツイッターで紹介していた記事。

はなまる学習塾の高濱先生のインタビューです。

お母さんが幸せであること。

このところ、母親としてのあり方、というか、「私、こんなんで大丈夫?」と痛切に感じることが続いて、ある時、それが臨界点に達しました。

それで、自分の中で、一つ覚悟を決めたところにこの文章が目に飛びこんできました。

自分が感じていることのまんまが、書かれていて、釘付けになりました。



私は、

「大丈夫だよ」


という言葉
その言葉の持つ、安心のエネルギー

ただ、それだけを欲していたんだってこと、安心に浸かりたかった、リラックスしたかった、そして、それはとても当たり前のことなんだと確認できたようで、嬉しかったのです。


どれだけ具体的な解決策をアドバイスされてもそれは、私をゆるめてはくれない。根拠がない安心に包まれた「大丈夫」だけが、私の、根拠のない不安をとかしてくれる。

これはもう、理屈じゃありません。


でもね、この「大丈夫」は、実は誰が言うかが大切なんですよね。付け焼き刃だったり、同情だったり、とりあえず、というエネルギーは、本当の「大丈夫」ではないからです。

本当に、「大丈夫」という安心の世界を生きている人の言葉じゃないと、響かないんですね。


じゃあ、この安心を誰に求めるかってことです。

夫、ママ友、母親、義理の母親、学校の先生、地域の人。身近な人に一人でもいれば、超ラッキーです。

でも、記事にもあった通り、核家族が増えて、夫も長時間勤務のストレス漬け、実家が遠かったり、実家が近くても味方のはずの実母から逆に「あなた大丈夫なの?」という言葉を浴びせられる環境だったりしたら…、不安はさらに膨張しますね。

私にも、身近にそんな存在が見当たらない。いや実際にはいるんだろうけれど、それを求める手続きも面倒くさい。


それで、私が一つ決めた覚悟というのは、


ザ・許し行(ぎょう)


の決行です。

私の中に、その安心を体現して、私をまるごと許している存在を作り上げるのです。

それは、普段、思考観察や瞑想をしている時の「気づき」よりも、もっと人情味があって、力強く、饒舌です。

不安になった時は、その存在に、徹底的に許しコメントを発射してもらいます。


◯◯してもいいよ。
◯◯しなくてもいいよ。
あなたがどんなことをしようと、
たとえ世間的に悪と呼ばれるものをしようと、
あなたが何もしなくても、
たとえ世間的に善と呼ばれるものをしなくても、
そんなことはどっちでもいい。

あなたは、許されている。
誰かに嫌われても、批判されても、ダメ人間と言われても、私はあなたを嫌わない。批判しない。ダメなあなたが好きだ。

あなたが一人ぼっちになっても、見放されても、一文無しになっても、あなたはあなたで大丈夫だ。

その感情もオーケーだ。
その悪口も、その態度も、オーケーだ。
作り笑いも、嘘も、不満、愚痴もオーケーだ。
全部、全部オーケーだ。




バカみたいなんですが、これが筋トレと同じで、数をこなすと、結構効果があります。

メッセージを受け取るたびに、涙が出るんですよ。ちゃんとゆるむ。

今までは、これの逆のメッセージをたくさん受け取ってきたわけですからね。最初は、親や周りの大人から毎日のように言われ、いつしか自分が自分に言うようになっていた。苦しい時は、特にそれが強く現れている。


◯◯してはいけない
◯◯しなければならない
その感情はだめだ
人に迷惑をかけてはだめだ
ちゃんとしないとだめだ
嘘をついちゃだめだ
人の役にたつことをしなさい



母親になってからは、

ちゃんと育てなくては
うまくやらなくては
ダメな母親、悪い母親と言われないように
ダメな子ども、悪い子どもと言われないように
子どもが他人に迷惑をかけないように
子どもが叱られないように
子どもが恥をかかないように
子どもがいじめたり、いじめられたりしないように


そんな否定、義務、制限、抑圧のメッセージを、自ら無意識のうちに取り込んできたわけです。これが私を縮こませ、着実に不安の上塗りをしてきました。

つまりこの逆の積み重ねをしたら、当たり前に逆の世界を生み出していきます。


自己満足の世界ですが、でも、本来の「気づき意識」もいわゆるハイヤーセルフも神様も、善悪を超えた全肯定の世界ですからね。私が作り上げた安心の存在と変わりません。うん。多分。


正直に言うと、最初はね、つぶやきながらも、「こんなこと許していいの?」「いや、それはまずいよね」という違和感や反発心もありました。実際には、上よりももっとエグいこともつぶやいてますから。

でも、突き抜けたメッセージの方がいいんです。これはいいけどあれはダメとか、そこまでは許されないよ、とかメッセージ自体に条件をつけて、バランスを取ろうとすると、安心のエネルギーは弱まります。

心配しなくても、ゆるむと、勝手にバランスが取れるから不思議です。



この許し行の決行から、ベタに楽になりました。私は、自分の中の不安が高まると、夫依存や夫攻撃か始まりますが、それがスコーんと抜けてます。夫にとにかく聞いてほしい、安心できる事を言ってほしい、という欲求が全くない。

私は、無条件に許されている。

このシンプルなメッセージが、大きな安心パワーを生み出します。

というわけで、許し行、しばらく続けます。


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