すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

でも、叶ってない。

2011-04-20 11:35:38 | My メソッド

深く付き合える友だちが欲しい。
バリバリできる仕事がしたい。

でも、叶っていない。だから悶々とする。自分がダメな人間に思える。

たとえばこんなこと。

欲しい、したい。
自分の欲求の正体って、実は複雑だったりする。

自分の身の丈、自分の普段の感覚にあった欲求は、自分の行動次第で満たされることが多い。努力やらなにやら、とにかく少しずつでも動いたら、自分の欲求にしたがって素直に動いたら少しずつでも手に入る。

叶っていない、としたら、それはどういう意味があるだろう。

自分の行動にブレーキをかけるものがあるってこと。

それは、自分、本当の自分、無意識の自分だ。したいのは自分なのにに、どうしてブレーキかけるのも自分なのよ。

確かに。

したい自分、欲しい自分と、もっと奥深くにいる自分がかみ合っていない。

そもそも、したい自分、欲しい自分って、誰?

それ本当に、したい?それ本当に、欲しい?

したい、欲しいって願ってるのは、自分の本心?

深く付き合える友だちがいないのは人としてまずい、って。
バリバリ仕事してる人はかっこいい、って。
自分以外の人が考えていそうだから、常識ではそうだろうから、だったら自分も・・・ってなってたりしないかな。

自分の本当は、どうだろう。
深い付き合いになる煩わしさを怖れてるのかも。
バリバリ仕事をできる体力も気力も足りないことを知っているのかも。

そうだとしたら、本当に自分が感じていることを認めてみたほうが、苦しまなくていいと思う。

自分以外の人が考えていそうなこと、っていうのも、実は自分の思い込みが強かったりするから。

深く付き合える友人がたくさんいる人も、仕事をバリバリしている人もいるにはいるけれど、それは、その人たちが、本当にそういうことを望んでいるからそうなってる。

逆にそうじゃないひとだってたくさんいる。そうじゃない人でも、素敵な人はたくさんいる。そうじゃないのに、素敵な人は、そうじゃない自分を認めている人だ。

さて、私はどうだろう。
私は、私を認める生き方をしてるかな。





歯磨きのこと。

2011-04-16 22:27:52 | 育児・母稼業

息子も1歳3カ月。

そろそろ歯のケアが必要になるので、
先日、近所の歯医者さんに歯科デビューを果たした。

私が息子を抱っこする形でリクライニングの患者用の椅子に座り、歯科衛生士さんと歯科医師の丁寧かつ優しい診察を受ける。

そこで、先生から息子の仕上げ磨きのアドバイスを受ける。

「強くしちゃだめなんです。強くやるとブラシの先が広がってしまうから。落ち葉の掃除を思い描いてください。軽く箒で掃くでしょ。あの感覚です。強くやるとかえって汚れは取れない。歯もおんなじです。軽く磨いて汚れをとるんです」

ほぉおお。知らなかった。
強い力でしないと、汚れって落ちないんじゃないんだ。

普段の息子の仕上げ磨きはもちろん、自分の歯磨きについても思いをはせた。

ちなみに、私の歯は健康で、ここ10数年、いや20年は歯科にお世話になっていない。

産後も歯のトラブルは皆無。歯医者に行ったことがないものだから、磨き方のノウハウもない。

ひたすら強く磨いて、歯ブラシがすぐにだめになって、ダメになると、歯のざらざらが残って不快な感じ。

で、すぐに歯ブラシを新調。というのを繰り返してきた。

家に帰って、息子の仕上げ磨きはもちろん、さっそく自分の歯磨きにも試してみた。

落ち葉を掃除する感じ。あくまで優しく、軽く。

あら不思議。
へたり気味の歯ブラシで、少しざらざら感が気になっていたのに、アドバイスされたように磨いてみたら、ざらざら感が全くない。舌で歯の間をなぞってみても、なんだかすっきりしている。

すごい。
やっぱり、餅は餅屋だ。

息子のおかげで、図らずも歯磨きのコツをご教授いただけた。これなら、歯ブラシは長持ちするだろうし、歯ぐきの痛みや負担もないし、一石二鳥だわ。

そんなわけで、歯磨きの時間が楽しくなった今日この頃である。