すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

夢物語の終幕

2008-06-27 18:12:28 | ひとりごと

結婚式を終えた。
たくさんの懐かしい人にあえて、とてもうれしかった。
いろんな人の祝福を受けて、感激した。

そして、「非日常の夢物語なんだな、結婚式というのは」
とも思った。
独身の友人たちが、後からくれたメールや手紙には、
「結婚願望はなかったけれど自分も結婚したくなった」
「幸せそうで、やっと心から祝福できた」
といった温かい文章が踊った。
夢物語はもちろん、悪くない。
その夢物語に酔った時間をもてることも、
多分人生のなかで大切なことだから。

ただ夢物語は、現実とは違う。
現実の物語は、夢のようにどこかからふってわいてくるものでなくて、
自分が紡いでいくしかないもの。
誰もが私に向かって言う「幸せ」という結婚とワンセットで使われるキーワードも、
現実に戻れば、その意味はあいまいになる。

生まれた土地を離れた。
人とかかわる大好きな仕事を離れた。
仕事ばかりの生活をしてきた私が、人の妻になり家庭に入った。
夫以外知っている人のいない場所で、
次はどこへいくのだろう、
私はどうなっていくのだろう、
と考える時間が多いのは、
いわゆる「幸せ」なこととはいえないかもしれない。
でも、いわゆる「幸せ」と言えないことのなかにこそ、
私は自分の選択を見る。

結婚して、いろんなものが手から抜け落ちた。
後悔はないけれど、確かにその事実は大きい。
そんななか実感するのは、
私は「幸せになるため」ではなく、
「前に進むために」結婚したのだということ。
前に進むために、まるで何かから卒業するみたいに、
私はここへ来た。
この選択が、私の前進の仕方だったということだ。

人は前に進むようにできている。
今が楽しくても、最高だと思っていても、
ずっとそのままではいられないことも心のどこかで知っている。
前進した先に、わかりやすい幸せがあるかどうかは、わからない。
わからないけれど、ともかく前に進む。
休むことも、振り返ることも、環境が変わるということも、
結局は前に進むことなのだ。

結婚式、新婚旅行が終わると、
その余韻に浸ることもないまま、夫には大量の仕事が待っていた。
夢物語は、終わった。
そうして、また、日常のいろんなことが通り過ぎていく。
この中に幸せを見出せる力をもつこと、
その幸せを大事に育んでいけること、
そして、そんな幸せを本当の幸せだと心から実感できる生き方を
していかなければ。

自分が知らないことを知っている人は、語らない

2008-06-11 18:01:21 | 世の中のこと

ニュースを見れば、どのチャンネルも秋葉原通り魔事件。
事件直後の映像やインタビューの点綴。
そして加害者の両親の会見の模様まで出てきた。

どこの局も似たり寄ったりだが、共通しているのは、伝える内容が<センセーショナル>である点に力が注がれていること。

そして、締めくくりにニュースのコメンテーターや、どこぞの専門家がいかめしい顔で出てきて、一刀両断する。

いったい誰に向けられたメッセージなのだろう、と思ってしまう。こんな陰惨な映像と事件現場にいた人たちのコメントを、まっとうな大人が何時間も何回も見たいと思うのだろうか。

もう、うんざりしてくる。
気持ち悪くなってくる。
事実を伝えるのが本分といいながら、ひたすらセンセーショナルに走り、知らないことを知っているように伝えるニュース。

前の仕事の周辺にいた、心の専門家とよばれる人たちだったら、なんというだろう、と思いはせてみた。わかりきったことを言う人の顔を思い浮かばない。

「どうしてこんなことが起こるんだろうね」
「信じられないことだね」
「痛ましいことだね」
「心の病を持っていたり、彼と似たよう境遇にある人たちが、偏見の目にさらされないようにしたいね」

おそらくは、そんな言葉が聞かれたと思う。

幸いなことに、私が一緒に仕事をさせていただいた方たちは、心や精神疾患について、一般の人たちに比べればはるかに知識は多かったが、でも、知らないことをさも知っているかのように、語らない謙虚さがあったと思う。

今回の事件は簡単に語れない。簡単に語れるならば、は今の世の中にこんなすさんだ事件がこれほどたくさん起きていないはずだから。

食い止める方法、どうしていたらよかったのか・・・、
そんな難しいテーマを、短いニュースの中で、すぐ次の事件を追いかける人たちに、語ってほしくない。