すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

必要な出会い。

2010-09-20 22:20:13 | ひとりごと


「必要な時に必要な人はやってくる。」

昔、友だちが私への手紙の中に書いてくれた一文。
精神世界にちょっと傾倒していて、とってもセンシティブな友だちが好きそうなフレーズだな、
と思った。

でも、これって真実だな、と最近思う。

もちろん、いつもプラスの意味だとは限らない。
心に何らかの問題を抱えていれば、それを直面化させるような人がやってくることが多い。
そっちの実感は、20代の頃たくさんしたけど、
辛い体験につながる出会いだったから、
「必要な時に必要な人はやってくる」なんて悠長には思えなかった。

それと、昔は、出会いと言えば、異性との出会いに置き換えることが多かったけれど、
今は、どちらかというと同じ女性同士の出会いに置き換えることが多い。

今、最も身近な出会いは、ママ友という不思議な呼称の知り合いたちとのもの。
別に無理して作る必要なないし、必要がない人もいるだろうけど、
私には、いろんな意味で必要。同じ境遇で奮闘している仲間がいないと、
子育てなんて孤独すぎてやってられない。
でも、たぶん、私の中に無意識のうちにママ友の条件が出来上がっている。
その条件にはまらない人を意識して排除していなくても、
縁ができないから不思議た。


今、3人のママ友がいる。
求めて求めて、やっとできたという感じでできた友だちではない。

全部ではないけれど、似ている部分がある。
付き合い方のペースが合う。
マイペースであまりぶれない。
それと、
自分に足りないものを持っている。

その人たちは、
初回ある場所で出会って、その時は、メールアドレスなんかも交換せず、
「あぁ、あの人いい感じのひとだったなぁ。また会えるといいなぁ。」
と私が感じる人たちだった。

そうすると、時を待たずに、またその人たちと再会する機会ができるのだ。
再会した時には、打ち解けて会話も弾むし、連絡先も交換したりする。

1人目、2人目のママ友がそんな感じだったから、
3人目のときには、思うようになった。
あぁ、待ってればいいんだな、と。
そしたら、本当にまたひょんなところで再会した。

どの出会いも、私の人生を変えてしまうような激しいものではない。
たぶん、今の私にはそんな出会いは必要ないのだろう。
でも、激しくなくても、
彼女たちは、私を安らがせ、時には落ち込ませ、時には成長させてくれる人たち。
別に子育てという共通テーマがなくても、
十分に仲良くなれた人たちだ。


ところで、
「必要な時に必要な人はやってくる」と書いてくれた友人とは、
最近、少し距離ができた。
若かった頃にたくさんのものを共有した大切な友人であるけれど、
今は、お互い必要とするものを、それぞれ持ってないってことかもしれない。
また、いつか出会えるといいな、と思う。