すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

浜田真理子さんの誕生日。

2014-09-30 21:11:45 | 本・映画・音楽
今日は、素敵な日だ。

ツイッターで歌手の浜田真理子さんに誕生日のお祝いメッセージを送ったら、返事が来た。

感激で涙が出てしまった。

7、8年前に初めて聞いた「あなたへ」。寺島しのぶさん主演の映画「ヴァイブレーター」のエンディングソングだった。

衝撃だった。
浜田真理子さんの歌声、歌詞は、今まで聞いたどの音楽とも違ったから。

安っぽい言い方をすれば、魂にいきなり飛び込んできた歌声だった。

映画の雰囲気によくあっていたし、当時の私の、あまり幸せではない、少し破れかぶれな心情に馴染んでいたのだろう。

何枚かのアルバムを買って、「あなたへ」以外の曲にも惹かれて、その後二度ばかり名古屋と横浜のライブにも出かけた。

気さくであっけらかんと笑う人だった。軽快なMCと歌の雰囲気とのギャップもたまらなかった。

好きな歌ばかり歌ってもらって、あまりの感動で泣き通しだった。終演の頃には、心がツルんとなっていた。薄皮が剥けたみたいに。
これがカタルシスというものなんだな、としみじみ思った。

あれから結婚して、子どもを産んで、浜田真理子さんの曲をあまり聞かなくなった。浜田真理子さんだけでなく他の人の曲も聞かなくなっていた。
自分ために、じっくり音楽を聞く時間を持たなくなったってことだ。

最近、ツイッターで浜田真理子さんをフォローしてから、やっぱり、素敵な人だなぁと再確認した。

ドロドロだったり、こわーい歌詞も書く人なのに、ツイートの言葉は、MCの時と同じ、気さくであっけらかんとした感じ。毎日、元気をもらう。

今日、いただいたメッセージが嬉しくて、久しぶりに「あなたへ」を聞いた。古傷に触られるような感じがするかと思ったら、そうでもなかった。

何年経っても、いい歌で、やっぱり魂にダイレクトに響いてくる歌声だった。


また、ライブに行こう。
そう、誓う夜でした。

関心を持つということ。

2014-09-29 09:57:19 | 日記・できごと
秋晴れの週末、近所の商店街でお祭りがありました。

息子は人力車に三回も乗せてもらい、金魚すくい、スーパボールすくいも、なんと無料で楽しませてもらいました(*^^*)

太っ腹な商店街に感謝!
また、お買い物に来まーすの心境です。

金魚すくいは全滅でしたが、7匹もの金魚をおみやげにいただきました。

それで、夫と息子は帰宅してから水槽を買いにでかけ(商店街で水槽売れば儲かるのにーと思いましたが、その大らかさがいいのかも?!)、狭い部屋の一角にこんなコーナーが出来ました↓



命がやってくると、家の中が華やぎます。息子だけでなく、夫と私もなんだか嬉しい。

ついついじっと眺めてしまう私の隣で、息子は何度もエサをやりたがり、夫に怒られてます(^_^;)

お祭りでもらう金魚って、すぐに死んじゃうイメージでしたが、夫がネットで調べると、上手に育てれば10年は生きることもできるんだとか。

大切なのは、
エサと水質管理のための日々の観察。
そして、金魚への関心

関心かあ、と。

金魚かわいい、とか、
赤いのがキレイ、とか、
あっエサ食べてる、とか、
おはよう、おやすみ、とか、
きっと、そんなささいなことですよね。

関心って愛ですもんね。

金魚も、我が家に来た時から、私たち家族の関心と愛を必要とするようになるんですね。

マザーテレサの名言や「星の王子さま」のバラのお話にも通じますが、命は関心
を求めてやまない性質があるのということかな。

その反対の無関心は、命には致命的なもの。身体的虐待よりも、ニグレクトを受けた子どもの方が援助が困難、という話も聞きますが、命の性質を物語っています。

関心を持つということ。

家族になった金魚くんたちにも、実践してみます。それで、長生きしてもらおう。10年後も生きてくれる金魚くんがいたら、ほんとにステキだ。



愛されて当たり前。

2014-09-27 12:53:48 | 心理メソッド・生き方
先日参加した趣味仲間とのランチの席で、不倫?をテーマにしたドラマが話題になっていました。(私は、見てないので内容知りません(^_^;)

不倫する主人公に共感して毎回涙するという知人が、

「寂しいから、不倫に走るんだよ。そういう気持ちになるのわかるよ」


とポツリ。銀行員の夫と2人暮らしで、その夫は重度の仕事中毒なんだとか。

その側で、別の1人が

「えー、不倫したいなんて考えたこともない。土日になると子どもとパパの取り合いだよ」


となんとも爽やかに言いのけます。その言い方が、ちっとも嫌味じゃない。


対照的な二人、どちらもタイプは違えど素敵な女性です。
ただ、私が感じる、手触りというか、感覚というか、で比べると、
明らかに、
前者は、重い。
後者は、軽い。

辛い思いをしたから重くなった、とか、いいダンナさんを選んだから軽いとも言えますが、ダンナ選びの段階で、すでに彼女たちの、重い、軽いは決まっているように思えます。


夫婦関係に悩む別の友人は、こんな風に言ったりします。

かまってくれない、
大切にしてもらえない、
どうでもいいと思われてる、
言ってもムダ、
何度か言ったけどダメ、
もう諦めた、


といいながら、
夫への恨みつらみを言い出すと止まらない。彼女もやっぱり、感覚的に重い。

趣味仲間の彼女も、友人も、きっと夫と何回かやりあった。傷つけあった。でも何も変わらなかった。だから、諦めた。諦めたことにした。

彼女たちの根っこにあるのは、

自分は愛されていない
自分は大事にされていない


という、とてつもなく悲しい実感です。相手とやりあえばやりあうほど、その思いが強くなる。

昔読んだ、精神科医 斎藤学先生(アダルトチルドレンで有名な方です)のブログにいいことが書かれていたのを思い出して必死に探しました。(2005年11月25日 恋人にしがみついてしまう)の相談です。

ここに書いてあることって、彼女たちの重さにつながる気がします。

「あたしは愛されて当たり前」と思っている人は、軽々と人を愛せる。まとわりつかれた相手は重く感じない。

彼女たちは、最初からその思い込みが弱くて、「愛されていない証拠」を積みあげて相手を責める。責められた相手は怒るか心を閉ざす。

夫婦でやりあった時に、夫は言ったかもしれない。

今は仕事にエネルギーを注ぎたいだけ

四六時中ベタベタするのは好きではないだけ


君を愛してない、とは、一言も言われてないのに、

愛していたら仕事よりも自分を優先するはず、

愛していたらセックスレスになんて絶対ならないはず、


という自分の価値観を握りしめて、相手の声が聞こえかったのかもしれません。

夫側も、確かにもう少し踏みこんでもいいかもしれませんよね。キチンと向き合うことをしないで、妻を腫れ物扱いしている。

うちの場合は、反対かも。
夫が、重かった、時期がありました。

「かまってくれない」オーラを出されたり、「嫌いになった理由」を聞かれたりすると本気でげんなりした。罪悪感を感じさせる夫がますますうっとおしいと感じることもありました。

私は、一人でいるのも好きなだけ。
ベタベタするのがうっとおしい時があるだけ。
でも、嫌いなわけでもないし、他に好きな人がいるわけでもない。


とは、なかなか素直には言えませんでしたね。だから、私も悪かったんです。

最近夫は軽くいいます。冗談交じりに。

「もう、嫌われてもいいことにした。自分が好きならいいやって」

まだ、少し重いけど前よりだいぶマシです(^_^;)

斎藤先生は、
「自分は愛されて当たり前」
に、根拠なんてないといいます。

根拠がないことを信じるのは難しいけれど、「思い込む」ことはできそうですよね。

「自分は愛されて当たり前」。この言葉が夫婦の関係を変えてくれるおまじないになるかもしれません。










「生き抜くための整体」片山洋次郎を読む

2014-09-25 09:33:44 | 本・映画・音楽
『生き抜くための整体』片山洋次郎


「カラダとココロのゆるめ方」というサブタイトルに惹かれて、ついつい手に取りました。

河出書房に、「14歳の世渡り術シリーズ」というのがあるんですね。

池田晶子さんの、「14歳からの哲学」の向こうを張るものなのかしら。

なかなか面白そうな、ラインアップです。

気功を始めたので、東洋系のボディワークに興味があります。整体もやってみたいな、と思いつつ、本を読んでみるんですが、本通りに実践するのは至難の技。

本気でやりたかったら、やっぱり道場とか教室なんかに参加したほうがいいですね。まだ、本気でやりたいわけでもないみたいです。

片山洋次郎氏は、整体の世界で有名な方のようで、私はよしもとばななさんの本で知りました。

野口整体をベースに独自の整体法を広めています。「身がまま」というのが、片山氏のスタイルです。

この方の本、三冊目なんですけど、整体の実践は全然やれてません。私にとっては、まだ読みものカテなんですね。

特に強烈に印象に残った言葉とかは、ないんですが、文章全体に流れている氣みたいなものが、心地いいんです。

緊張と弛緩の波が穏やかで、熱すぎず冷めすぎず、近すぎず遠すぎず、去る者追わず、来るもの拒まず。でも真ん中にある芯はブレない、ほんのりあったかい。

ボディワークの素晴らしい人たちの書く文章って私の印象だと、こういうのが似てるんです。

特に、ではないものの、いいなあと気になった言葉を拾いあげてみました。



「今・目の前」が見えると、周りの世界は一転生き生きとする

行き詰まり=息詰まりを切り替えることは、固まった体をゆるめることにつながる

何かに直面するたびに一息つくこと、待つことは大切な要素

迷う(焦る)→ 判断する → 決断するというサイクルを、日々静かに回していくこと



全米オープンの決勝の後、錦織選手が敗因について、

優勝のプレッシャーで「ここまで硬くなったのは初めて」

と話していました。

緩んではじめて力が発揮できる、というのはスポーツ界でも常識なのですね。


最近、「ゆるむ」が気になっているのでどうも、意識がそのあたりにフォーカスされるようです(^_^;)



イチロー選手とピンクのTシャツ。

2014-09-24 17:35:05 | 心理メソッド・生き方
通りかかったGAPで、バーゲンのTシャツを購入。


濃いピンクが、なかなか素敵です。1,200円にしては、デザインも悪くない。

ジム用にでもするつもりです(*^^*)




ピンクのTシャツで、イチロー選手が去年の年末にNHK の「プロフェッショナル」という番組で話していたことを思い出しました。


薄いピンクのTシャツを着てチームメイトに「女みたい」とからかわれるような時、僕は翌日もっと濃い色のピンクを着ていく。そうすると、もう誰もなにも言わなくなる。自分はそれを知っている。

強いともいえるけれど、自分は弱いから、チクショーと思うから、そうしている。強い人だったら、聞き流せる。本当に強い人は意識しないで聞き流せる。

(詳しくは、コチラを)

ざっくりと、こんな内容です。

彼の、その「屈したくない」という負けん気が、彼の一流勝負師としての根っこなわけです。

じゃあ、彼は強いのか、弱いのか、という点はどうなのか。

チームメイトは、あきらかにイチロー選手をからかう腹があって、ピンクのTシャツを「女みたい」と言っている。彼らにとって、イチロー選手は、まだからかうことのできる相手です。

イチロー選手が、ピンクのTシャツをやめたら、確かにそれはチームメイトのからかいを受け入れたことになるから、負けになります。

でも、イチローは負けたくない人です。ピンクがコンプレックスみたいなものだとすると、彼はそれをさらに大きくして相手に見せつける、「オレはそんなものに屈っするヤツではないんだよ」、「お前らがからかえる人間ではないんだよ」と圧倒する。

チームメイトたちは、イチロー選手の予想通りぐうの音も出ない。からかった方の完敗です。

凡人からしたら、これのどこがどう弱いのだ!となるわけです。

イチローにとっての強い人がどういう人なのかは、まあわかります。

他者の評価が全く気にならないくらいに悟っている人、といったところでしょう。

確かに、そういう人はからかい甲斐もないので、からかわれる事もないでしょうね。

ただ、そこまでの人は、もう人間の域を超えてます。強いとか弱いとかの土俵にはいない人です。

どんなに自己評価の高い人でも、普通はコンプレックスを刺激されたり、明らかにからかわれれば気持ちが乱れます。

自分大好きの甥っ子ナオ君も、小さい時のケガでできた頭のハゲを友だちにからかわれて泣いて帰ってきたとか。今では私にも見せてくれますが、それでもハゲが見えないように髪型には細心の注意を払っていますよ(^^;;


イチローは、「本当に強い人」にもなれる素質の十分にある人ですが、まだ彼はそこをめざさない。好きな野球で弱さと向き合うことを選んでいる。弱い自分が苦しむことを、楽しんでいます。

あー、ため息がでるほどカッコいい(o^^o)

彼は、全部わかってやってますよね。彼には、凡人には見えないものをしっかり見えている。

それにしても、イチローの言葉にはなんとも言えない臨場感がある。彼の言葉に触れると、涙がでます。

借り物の言葉、聞きかじった言葉は使わない。

自分で経験して、納得した事しか言葉で表現しないから、純度が高い。

力強くて普遍に向かうそのオリジナリティーが、美しい。

彼は、彼にしか操れない言葉を使っているのです。


苦しみが野球人としてのモチベーションを支えてきたというイチロー。まだまだ苦しめる余裕がある間は、選手でいるといいます。

苦しみ抜いてユニフォームを脱ぐとき、彼の人生は、どこに舵を切るのでしょう。

そこで初めて、彼の魂は、彼のいうところの本当の強さ、他人の評価を気にしない強さを求めていくのでは、という気がしています。



プチマイノリティーを生きる。

2014-09-22 21:28:29 | 育児・母稼業
文学界からは錚々たる顔触れ
谷川俊太郎、村上春樹、村上龍

世界的音楽家といえば
坂本龍一

演劇会&ドラマ界のヒットメーカー
三谷幸喜

水泳界のホープ
萩野公介

若手役者の中で一際存在感を放つ
綾野剛


なんのリストかわかります?共通点は?

その道で、なんらかの賞をもらった人?

いや、もちろんもらっているんだとは思いますが。






正解は、こちら。
↓↓↓
一人っ子


わかった人はすごい、
っていうか、私と同類。

間違いなく、私と同じ、一人っ子男子のママですよね。

ですよねー*\(^o^)/*

名だたる人たちが、どうして一人っ子かを知ってるかといえば、著名人が一人っ子だと知るやいなや、自然に強烈に私の頭にインプットされてきたからです。

一人っ子は成功する!
一人っ子は素晴らしー!

とまでは言わないまでも、
こんなに素晴らしい人たちもそうなんだから、
一人っ子もいいんじゃない、
一人っ子も悪くない、
くらいには、思いたかったのかな。


子どもを生む前は、一人っ子への眼差しに、ほとんど偏見なんてありませんでした。

友だちにも一人っ子は多いし、その中にいわゆる一人っ子っぽさなんて感じたこともない。とにかく子どもの数なんて気にしたことがなかった。

そんなことを気にする世界があるなんて想像もできなかった。

でも、新米母たちの世界は違いました。

一人っ子はかわいそう。

そんな意識を、同調圧力を、あちらこちらから感じました。

「兄弟は?」「二人目は?」

の質問を交わす時のきまずさ。

兄弟ネタで盛り上がるママ集団での居心地の悪さ。

一人っ子は、一人っ子ママは、プチマイノリティなんだな、と特に子どもが集団生活に入ると思い知らされます。

本心は「子どもは一人」で決まっていたのに、他者の意識を取り入れすぎて、

「息子に兄弟を作ってあげないとかわいそう?」

「二人目を考えないのは、親の身勝手?」

「一人っ子は、ダメな子?」


とまで考えて、苦しくなったり。

いつしか、一人っ子コンプレックスの穴にはまりこんでいました。

実際には、面と向かって一人っ子批判を聞いたこともないし、一人っ子だからという理由で息子が責められた経験もないんですけどね。

むしろ、一人っ子のママから「一人っ子だから…」というフレーズ、その後に必ずマイナスが続くフレーズを飽きるほど聞いて、悲しくなったかな。私と似たような気持ちを味わったゆえの、一種の防衛機制なのでしょう。批判される前に自分で批判しとくみたいな。

かつての職場で尊敬する精神科のDr.は「偏見が強いのはむしろ当事者や家族」と言い放ちましたが、まさに同じ構図かもしれません。

煮詰まり気味だった頃に、助けになったのは、和田秀樹氏のこの本です。↓

『ひとりっ子の育て方』


一人っ子のメリットを、かなり偏って書いてあります。複数のお子さんを持つお母さんが読んだら憤慨モノかも。ただ、この偏りのおかげで、かなり救われました。

それから、だんだんと真ん中にもどってきました、私。

息子の方は、どうかというと…

ある日、家の修理に来ていたおじさんに、話しているのを聞きました。

「おじさん!ぼくね、兄弟いないんだよー」


いいでしょー、と続きそうなその響きは、なんだか自慢げというか、少なくとも彼にとっては、兄弟がいないということがマイナスでもなんでもないんだ、というのを感じとりました。

友だちも恋しがる一方で、一人でじっくり遊ぶことも好きな彼は、すでに一人っ子の素質を十分満たしているのかもしれません。

一人っ子は、別に良くも悪くもない。
まあ、子どもの数なんて、一人でも、二人でも、どっちでもいいのでは。
自分がいいのが、一番いいのでは。

今は、そんな心境になりつつあります。











「花鳥風月」のある生き方。

2014-09-21 16:19:14 | 育児・母稼業
息子とお出かけすると、目的地までの時間は、読めません。

鳩がいると近寄って、時に追いかけては逃げられます(-。-;

花があると、撮りたがり。

こんなん見つけた、と電車の中で自慢大会。

夜、窓越しに満月を見つけると、まるで世紀の大発見をしたみたいに「来て来て!」と言って私の手を引っ張ります。

石ころとか葉っぱとかお月様とか、そこに魅了されるというのが、もう私にはよくわからない世界です。

私の頭の中には、息子のこと、夫のこと、幼稚園のこと、仕事のことなんかが絶えず占領しがちで、心はそれをひたすら受け止めている。

目の前のことなんて、正直どうでもいい、なんて感じの時が少なくありません。

息子は、私に怒られても、幼稚園で友だちと喧嘩しても、つまりどんなにイヤなことがあっても、目の前に自分を魅了する現象に遭遇すると、意識がまっすぐそちらに向かう。

切り替えの天才。
そして、今を生きる天才。

子どもは、小さければ小さいほどこの才能をもっています。

日々その様を目の当たりにすると、この才能の邪魔をしたくないなあ、この才能をできるだけ消さないで大人になってもらいたいなあとつくづく思います。


養老孟司さんは、『バカの壁』の中などでも、よく言います。

人間には、花鳥風月が大切なんだと。

いじめられて自殺した子どもの遺族の手記を読んで、そこにはまるで花鳥風月が出てこない。
雨が降っていたとか、季節とかの描写がなくて、誰に何を言われたか、そんな、ひたすら人間関係で起きたことの描写しかない。
人間関係の世界が全てになったら、それがうまいかなくなった時に、追い詰められて当然かもしれない。逃げ場がないのだから。

確か、そんな内容でした。養老氏は、虫捕りがお好きなので、そちらの世界に触れることで人としての調和をとっておられます。

子どもの頃に持っていた才能を、そのまま失わなかった方なんですね。

私は、心のことに興味が向かいすぎる傾向があります。

自分の文章を自分で読んでも、あまりに人間のことばかり、心のことばかりすぎて息が詰まることも(^^;;

花鳥風月、余白、あそび、が決定的に欠けているのを自覚します。

だから、大人になっても花鳥風月を大切にできる人にとても憧れます。

散歩中に見かけた風景や情景
旬の野菜や果物
自分で育てる植物や花
じっくりと時間をかけて淹れるコーヒーの味

たとえば、そんなささいな自然を五感で味わい愛でるだけでも、違うのかもしれません。日々の生活にも、心にもホワイトスペースは生まれるのかもしれない。

ごくごく身近に、息子という師匠がいるのですから、私もおそらくはかつてもっていた、花鳥風月に馴染んだ感覚を呼び戻したい、そんな風に思うのです。






できて、できない、そしてまたできる。

2014-09-19 08:53:03 | 育児・母稼業
朝、窓を開けたままでいると、手と足の先っぽがかじかんできます。

ついこの間まで、汗ばんだ身体を生温かい風が覆っていたのに。

蝉の声も、聞かなくなりました。


↑息子が夏にハマった絵の具遊びの紙も、秋風にさらされてカラカラに乾いてます。


そんな息子君、昨日、延長保育の帰りに再び鉄棒に近寄ります。前回りの復習かな。

ひょいとジャンプしますが、
あれ、できない。

いや、今のは逆まぐれ。
さあ、次こそは。

あれ、まただめ。

その後は、何度やってもだめで、

なんで?なんで?
できたのに、
できない、できない!


と泣きじゃくります。

あまりに不機嫌になって、私に八つ当たりするので、私の機嫌も悪くなります。

それくらいで、怒んないでよ。
焦ってもだめ。
できない日もあって、またできる日もあってを繰り返して、最後にできる日ばかりになるんだよ!


投げ捨てるように言いますが、全く聞いてません。悔しい感情に占領されてます。

家に帰ってきたら、すぐに息子の機嫌は直りました。


今朝、自分にも同じことが起こります。あるプロジェクトが思うように進まない。それに苛立つ自分を発見します。

うまく行ってる!ってなった時もあったのに、それから全然進んでない。

悔しい、悔しい、なんで、なんで。
結局うまくいかないじゃん!


半ば意識的に、夫に八つ当たりしてみたり。こんな時、夫は私より人間ができてるので、反撃しません。穏やかにほおっておいてくれます。

そうです。息子と一緒です。引きずるのが長い分、私の方がタチが悪いかも。

息子の悔しい気持ち、八つ当たりしたい気持ち、やっと共感できました。

本当に、私って未熟だー(-。-;

息子に投げ捨てた言葉を、今度は自分のために拾おう。

焦ってもだめ。できない日もあって、またできる日もあってを繰り返して、最後にできる日ばかりになるんだよ!














甥っ子ナオ君の生き方2。

2014-09-18 08:45:04 | ひとりごと
空気を読まない人って、それが理由で嫌われちゃう人と、むしろ好かれちゃう人がいますが、その違いってなんですかね。

前に紹介した甥っ子ナオ君、どうやら後者です。

小学生だったお兄ちゃんがプリキュア好きなことをお兄ちゃんの友達の前でうっかりバラしちゃったり、

「オレ、学級委員になったもんね」と、校庭でVサインしながら行き交う子達にアピールしたり、

ばあばの家のアイスを妹が食べると怒るくせに自分は兄妹に内緒で勝手に冷蔵庫開けて食べてたり、


そんなことがあっても、許されちゃう。許されないことがあるなんて、考えもつかない。

空気読まないというか、自分が人からどう思われてるかを気にしない才能があります。

いや、そもそも自己評価が高いから他人からも高い評価を受けると思い込んでいる。実際は違っても、そっち側の声は例外だと思ってる。

そんな彼、野球チームのキャプテンなんですが、もうチーム1の練習嫌い。それをチームメートに隠す素振りもない。自宅に帰ってからの「自己練習」という辞書もナオ君にはありません。

ものすごく野球が上手いわけではないけれど、でもレギュラーから外されたことはないのです。お兄ちゃんが、毎日素振りの努力をもってしてもレギュラーの座は掴めなかったのに、です。

彼にとって、レギュラーは当たり前なんですよね。補欠組の子のママ達から、姉は時々やっかみの声をかけられるらしいのですが、当の子どもたちはそうでもない。ナオ君がレギュラーなのは、やっぱり当たり前だと思ってる。もちろんキャプテンなのも。

ある日の試合の時、ナオ君はいつもよりテンションが高くひときわ大きな声でチームメートに檄を飛ばします。

「声が小さいっ!声だしていこーぜ!」
「集中、集中」

姉からしたら、

「誰より練習しないお前がよーゆーわ」


で恥ずしさいっぱいだったとか。

試合のあと、あるチームメートのママが、息子くんに問います。

「ナオ君に、あんなに言われちゃってムカつかないの?」


このママは、きっとムカついてたんでしょうね(苦笑)

息子くんは答えたんだとか。

「べーつに、なんかわかんないけど、ナオに言われるとムカつくとか全然ないんだよね」


やーん、ナオ君ずるくねぇ。
私も、言われてみたい。

いつか、そのままでは通用しない時がくるさ。

なんていうこともできますが、それはナオ君みたいなあり方をやったことがない人が言うことかもしれません。やっかみ半分で。

空気を読みすぎて嫌われないように汲々としてる人からすると、まるでミラクルなナオ君の生き方です。





わたしがわたしを嫌っているとき。

2014-09-17 14:16:33 | My メソッド
つれあいがイヤになるとき
息子に腹が立つとき
焦ってつんのめるとき
言おう、言おう
やろう、やろうとするとき
誰かに軽んじられると思うとき
吸ってばかりになるとき
両肩に力が入るとき

それは、
わたしが
わたしを嫌ってるときです

焦らないと、前にでないと
なにも変えられないと
面倒なことになってしまうと
そう、思うときです

わたしが
わたしに安心できないとき

わたしが
わたしを待ってあげられないときです


わたしは
わたしを信じよう
おおらかに、ゆったりと