すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

その人が本当に言いたいこと。

2014-12-08 13:44:00 | 日記・できごと
最近、仕事やら何やらバタバタしてしまい、ブログの更新がとどこおっていました。

そんなさなか、自分のトラウマ?恐れ?を刺激する出来事に遭遇し、果てしないエネルギーを注ぎ、やっと軟着陸したところです。

今日は、その出来事についてすこし脚色して書きたいと思います。(なので、前回の記事の続きはまた後日)

photo by pakutaso.com


仕事の関係で、面識のないBさんから速達で長文の手紙を受け取りました。内容は私の仕事のパートナーAさんの仕事ぶりについての非難。BさんはAさんの仕事の前任者です。

Bさんは、私にそのAさんを「なんとか説得して仕事のやり方を変えさせるべき」「あなたの考えが聞きたい」とパートナーとしての責任を追及しています。丁寧な言葉遣いではありますが、私は恐怖を感じました。

Aさんは、自由な心の持ち主で、制限のない、安心、大丈夫ベースで生きている人。仕事も自由な発想で進め、誰にダメだしされても全くぶれないタイプです。いつも、楽しそうに、他人を上手に巻きこみながら仕事をしています。

私は、Aさんの考え方に共感しているので彼女のやり方を全面支持する姿勢を鮮明にしています。

Bさんについての知識はほとんどありませんが、Aさんを非難する手紙の文面を見たところ、Aさんとは真逆のタイプなのでしょう。

人間関係の構図はこんな感じですが、私が恐怖を感じたのは、内容よりも、速達の手紙のその「長さ」、「面識のない人間に手紙」を送りつけるという行為、【疑問】【不安】という「マイナスな言葉」がたくさん散りばめられた、そのなんともいえない、切迫した雰囲気です。

言うことを聞かないと、何かされる?

そんな感じを私に抱かせる何かがあったのです。

Aさんに話したら、あっけらかんと「大丈夫だよ。私という人間を知らないんだなぁって思ったけどね。あなたは、何もしなくても大丈夫よ」と、ほとんど反応せず。

えっ?それだけ?

この雰囲気にほとんど反応しない人と、反応する私。

何が違うんだろう。

Aさんは、人の悪意とか、闇とか、そんなものをハナから受け取らない。だから、Bさんは矛先を変えたのかな。

それを受け取る私に。そう、私は、受け取る。私は人の悪意や闇、特に傷ついている人の心の叫びを受信するのです。

なぜ、受信するのかというと、そういう気持ちをわかってあげよう、わかってあげなくてはと、過剰に思ってしまうから。

援助職の落とし穴でもあるでしょう。仕事を通して、そうした叫びをたくさん、たくさん受信しつづけてきた私が、私生活でもそれをやってしまう。思えば仕事だけでもなく、私の周りの友達には、特に傷ついている人も多かった。そして、彼女たちの力になりたいと思い、一緒に悩んできました。

おそらく私も、なんらかの傷を、悪意を、闇を、人よりも余分に抱えてきた人間なのかもしれません。でも、「もう、それをやめよう」とここ数年は、意図的に違う自分に舵を切ってきたのです。

でも舵を切りすぎた?だから、相手に過剰反応する?あなたは間違っている、と私も相手に無意識で言っている?

ここまできてようやく、これは私の問題でもあると気づいたのです。

逆に舵を切った時、私は、かつての自分を排除したのかもしれない。相手の声を聞いて、聞きすぎて、苦しんだ自分を。そして、もしかして、そうした相手の叫び声すら排除しようとしてしまったのかもしれない。

かつての自分も、自分とは違うタイプの相手も排除しなくていいんだと決めて、もう一度Bさんの手紙を読み直しました。

自然と恐怖が消えて、BさんがAさんの批判を通して言いたい、本当の声が、素直に聞こえました。

お願いだから、私のやり方を認めて欲しい。
お願いだから、私の頑張りを見て欲しい。
お願いだから、私の苦しさをわかってほしい。
お願い、お願い、お願いだから。


そんな、悲痛な叫び声でした。


そして、私の中からは、こんな声が聞こえました。


わかりました。
あなたのやり方、あなたの頑張り、あなたの苦しさは、わかりました。
ただ、わたしは、あなたと同じではないのです。
それだけはお伝えします。
あなたはあなたでいい、わたしはわたしでいい。
わたしはそう思っています。




最初は返事を書くことも躊躇しましたが、その叫び声を受信した人間の務めとして、この思いを、全く違う表現のなかに込めて、短い文章の手紙を返信しました。

送ってみたら、やっと排除した自分の一部が戻ってきたようで、少し気持ちが楽になりました。

相手には、届いたのか、届いてないのか。

それは、もう、どちらでもいいや。



かつて、多くの人が私に言いました。

もう生きていても仕方ない。死にたいんです。

手首を切らないと、辛い気持ちをやり過ごせないんです。

あの人のこと、殺してやりたいくらい嫌いなんです。



身の毛もよだつような言葉を、かつての私は、援助者として「なんとかしてあげたい」という緊張のスタンスで聞いていました。今の私なら、相手が本当に言いたいことをただ「わかったよ」と、もう少し落ち着いた気持ちで聞ける気がします。






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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私のこと? (MIKO)
2014-12-08 18:52:01
いつも、どトライクな記事過ぎて。
今回も思わずコメントしてしまいました。
同じようなトラウマがあります。母との関係です。いつも話を全身全霊で聞き過ぎて、苦しくなって自滅。母の感情のゴミ箱になってる。
わたしも最近、
母は母、私は私
と心で唱えることで、上手く受け流すことができつつあります。

仰る通り。全ての悩みの元は、自分にありますよね。こう考えたらイイのになぁとはわかっていても、どうしても考えられない。誰か私の潜在意識やら何やらすべて書き換えて~!私はどこからやり直せばいいの?と思ってしまいます。でも、そんな認識あるだけいいのかな。
また、更新楽しみにしてます。
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Unknown (にぎお)
2014-12-08 21:59:10
心屋さんのブログから飛んできてから,落ち着いた,てらいのない文章に好感をもって読んでます。
今回の出来事,私も怖く感じると思いました。よくそこからぐるりとまた舵をきれたなぁと感心です。私なら,怖い怖いと無視しつつ,無視したことで何かされるんじゃ…と怯え続けたかも。
Aさんが返信を受け止めて落ち着かれると良いですね。
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Unknown (せいこ)
2014-12-09 09:27:50
を毎日楽しみにしています\(^o^)/

私の心境の先を行く先輩のような…。

私は、今ちょうど、色々なものを受け取ってしまう時です。本当はいらないのに、重いものばかり集めてしまい、自己嫌悪になります。本当はそん自分によっていたりもして厄介です。

でも、一念発起して、舵を取りたいと決めました。

ことは
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Unknown (せいこ)
2014-12-09 09:31:51
途中で送ってしまいました。

舵を切るのは怖いけど、もう今やるしかないタイミングです。

家族に甘えて悪態をつくのではなく、家族に愛されているのを感じて、「笑って」行こうと思います。来年からブログを始めようと思います。
いろいろありますが、本音が書いてあるこのブログが大好きです。これからも応援しています。頑張ってください!!
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Re:私のこと? (ayase_9)
2014-12-09 11:38:51
MIKOさん
どストライクでした?
あなたはあなた、わたしはわたし。巻きこまれそうになったら、私も唱えてみます。
ありがとうございます(*^_^*)
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Re:Unknown (ayase_9)
2014-12-09 11:43:08
にぎおさん
私も一緒!まだ、ちょっとコワイです。でも、大丈夫。万一、またコワイのが来たら今度はもう「コワイからやめて!」です。最初から、この手を使わなかったのは、私の優しさ?弱さ?どっちもかな。コメント、ありがとうございました(*^_^*)
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Re:Unknown (ayase_9)
2014-12-09 11:47:50
せいこさん
コメントありがとうございます(*^_^*)舵を切るときなんですね!頑張って!
本気の勇気が欲しい時は、グレーな私より、白黒系の心屋さんの今日のブログ「タブーに挑戦」の方が、背中を押されるかもですね。
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ネクストステージ (さくさく)
2014-12-09 15:58:31
心屋さんのブログからジャンプしてきて以来、毎日チェックしています。

この出来事、ネクストステージに行った対応かなーと思いました。
手紙の深層、裏を読み解けたんだと思いました。
心が伝わるといいですね。
あ、どちらもOKなのかもしれませんね。

このブログに影響されて、私もブログ始めました。以前の私なら、ありえない挑戦です。

ブログすごく共感できるのです。更新楽しみです。

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Re:ネクストステージ (ayase_9)
2014-12-10 08:22:21
さくさくさん
コメントありがとうございます(*^_^*)
ブログ、ぜひ訪問したいです!私のブログがきっかけになったのなら、嬉しい限り。

ネクストステージだといいなぁ、ホントに(^_^;)
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ありがとうございました (せいこ)
2014-12-11 17:14:26
心やさんのブログ、読みました!
こちらも痛かった!ありがとうございました。
私は保育士をしています。自分では、バリバリやっている人の気持ちが分かる「いい先生」のつもりでした。でも、四年前息子が発達障害だと三歳児検診で引っかかり、その後病院に行って診断されてから、大きく何かが崩れました。
「人と違っていい」なんてきれいごといっていたけど、本当はみんなと一緒じゃないと怖くてたまらなかった。だから息子を「みんなと同じ」にしたくて、叩いたり暴言を吐いたりしました。「出来る保育士」としての自分の像が壊れるのも怖かった。あがいて叩いて、病院に行って。今、来年の復帰前にさいごのあがきをしています。
色々遠回りしたけど、結局、息子は息子で私ではなく、障害だって治せるわけではない。それを受け止めて、でも前を向いて幸せを感じて生きていくのが私が母として出来ることかなと、今思っています。ノビタタイプのめがねのてっちゃん。大切な私の息子です。そのことをきづかせてくださり、ありがとうございました。今までタブーだと思っていた、べろべろに甘やかすを実施してみようと思います、!自立に向けて焦って、オシリをたたくのではなく。
これからも、ブログを楽しみにしています(^_^)v
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