すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

堂々と。

2016-02-28 11:28:00 | ひとりごと
最近、心がけているのは、

堂々と、

ということ。

余計な罪悪感がある時、
気持ちが及び腰になっている時

は、

背筋を伸ばして、
深呼吸して、

行動を変えてみる。

そしたら、気持ちも追いついてくる。


堂々と帰ろう。
堂々と断わろう。
堂々と話しかけよう。
堂々とお願いしよう。


タイミングを図りながら、
えいやーって、
堂々と、振る舞おう。



堂々と。

他人を意識した傲慢さや尊大さ、とは違う。

むしろ、

自分に対して、堂々と。

これは、気持ちと行動のあり方の中で、
自分が自分を許しているという、
最良の状態を言うのだと思う。



気持ち良さって、こんな感じ。

2016-02-27 08:36:58 | ひとりごと
朝の通勤時、
駅までの10分間と
電車を降りてから職場までの10分間は、

私のマインドフルネスタイム。


呼吸の観察、
左右の足の裏が地面に触れる感触、
バイク、電車、誰かの話し声などの外界の音、
そして、気分と身体、

順番にゆっくりと意識を這わせていく。

うまく行く日もあれば、
心配事や考え事に絡め取られて、意識が逸れてばかりのときもある。


昨日の朝は、それがとてもうまく行った。

心と身体が調和していて、
焦りも、不安も、
身体の重さも、違和感もなかった。

私の全体が、シーンとしていた。



ああ、気持ちいいな、



と思った。

高揚感とは違い、リラックスして緩んでいるのとも少し違う。

意識ははっきりしていて、意欲的で、自然体で、穏やか。

不思議と、微笑みが生まれて、
家族や親しい人たちへの愛しさや、感謝が、沸いてくる、

そんな感じだった。



🔹🔹🔹


宇宙の波動は7.5ヘルツで、
脳波の状態がそれに一番近いのが、赤ちゃんなのだと、何かで読んだことがある。

この世界を信頼し、あるがままの自分を全肯定している赤ちゃん。

この時の私も、きっと、この赤ちゃんに近い状態だったんだろうと思っている。

この世界、この宇宙に調和している状態というのは、こういう気持ち良さなんだな、と理解した。


🔹🔹🔹



この気持ち良さを基準に生きていけたら、
どんなに素晴らしいだろう。


瞑想やマインドフルネスでいることは、
それを助けてくれる大切なもの。

でも、一番大事なことは、別なところにあると思う。




自分を許しつづけること。


つまるところはこれなのだ。

エネルギーが低下していた私だからこそ、
その状態を許し続けた私だからこそ、
わかった。


自分に許され、自分に愛され、自分に守られている、

そんな、私という世界は、

赤ちゃんのように、愛らしく、柔らかく、生き生きとした、気持ち良さを生む。




どんな自分も許し続けること。



私の気持ち良さは、ここから生まれる。
他人への愛、感謝も、ここから生まれる。

きっと、ここからしか、生まれないよね。



自責の逆は、他責じゃない。

2016-02-24 23:05:16 | ひとりごと
春本番近し、ですね。

夕方延長保育に預けている息子を幼稚園に迎えに行くときの空の明るいことといったら。

冬がグングン遠のいていくのを感じます。

鼻もムズムズしてきたし。
それと、もう一つの徴候も。

去年も、こんなの書いてますが、今年も、先日のPMSあたりから、そのまま春先の不調に突入しました。



なあんにもやりたくないです。


おまけに、

肩が重いです。
立ちくらみがします。
テニスボールが見えなくなります。


そして、なにより、

自責に偏ります。


すでに、毎年の恒例行事のようなものなのに、「普段の私」から逸れるのがやっぱり恐ろしくて 、このまま自分はダメになってしまうかも、なんて妄想してジタバタします。

ジタバタする間に、知らず知らずに、意識が自責に向かいます。

それに気づくのが、

普段はなんでもない、
誰かの言葉が自分を責めているように感じる。
結果的に、その誰かを責める意識が高まる。


という現象に、ことごとく遭遇するからなんです。

自責 → 他責 →自責 →他責

を、時に静かに、時に激しく繰り返してるんですね。

この、エネルギーの消耗ッぷりたら、ハンパないです。

自責も、そして、他責も、果てしなくエネルギーを使う。

不調でエネルギーが足りてないのに、自分も他人も責めて、さらに減らす。最悪です。


昨日、そこに気づいて、どうしたらよいか考えました。


まず、

1 休む。寝る。横になる。

2 仕事も家事も、とにかく最低限。

3 意識を自分に集中させる。他者を意識から極力消す。


この3つを自分に課す。許す。
つまり、徹底的にマイペース。

昨日と今日、これを意識したら、肩が軽くなってエネルギーが少し戻りました。

で、あと、大事なのが、


自責をやめる

です。

自責をともなう思考・感情が出てきたら、観察して、味わって、「私ができなくても、誰かがやるでしょ」といった言葉を、自分に穏やかに掛け続けます。

ここで、他責はダメなんですね。そこに向かうと、結局自責に戻ってしまう。

自責をやめるということは、つまり自責の逆は、他責に向かうということではないんですね。

自責の逆は、自責をやめる。それだけです。


自責をやめるだけなら、エネルギーは減らないんですよ。

ちょっと、抽象的なんですが、この発見が今の私には大きくて。


今日は、省エネ稼働しながら、自責をやめたら、誰からも責められませんでした。そして、誰かを責めたくなる気持ちも全く起こりませんでした。


🔸🔸🔸

季節のリズムで減ったエネルギーは、また日が経てば戻ってきます。だからこんな時期は、自責に傾かないように気をつけていさえすれば、どうってことないはずです。


あと、「春先の不調」という表現も、そもそもよくないですね。すでに、私のジャッジが入っている。

エネルギーが低下している。ただ、それだけなんですから、そのように過ごせばいいってことです。


しばらくは、低空飛行の自分が、いかに心地よく過ごせるか、を試行錯誤してみます。

難しい妻。

2016-02-20 18:24:07 | ひとりごと
夫は、私のことを、

難しい人、

と言います。

簡単な人と言われるよりは、まだいいかな、とは思いますが、その言い方がね、なんか、独特なんですよ。

薄ら笑い?ドヤ顔?みたいな感じを漂わせている。

まあ、私は、自分でも、

難しい人かな

とは思うときもあります。

でも、社会的には「いい人」系ですし、私よりも難しい人なんて、周りにゴマンといるしね。


職場でも、妻がいかに大変な人かを語る人が結構います。自分が強い妻にいかに虐げられてるとかもね。

難しい妻、
大変な妻、
強い妻


私だけじゃないんだなぁ。結構いるんですよね。いや、むしろこっちが主流?!

でも、夫諸君、その表情に悲壮感はないし、なんだかんだ言って、幸せそうじゃん、って思います。


でね、
うちの夫の薄ら笑いの意味がわかりましたよ。


難しい人を妻にしている男。

それは、情けないからでも、弱いからでもなくて、つまり器の大きい男だから可能なんだ、と言うのが、彼の無意識の中にあるんでしょうね。実際に私が難しいかどうか、は問題じゃない。彼にとって難しいかどうか、が大事なんです。

うちの夫のような男たちは、自分が威張ることではなくて、妻を威張らせることに、自分の価値を置いている。そこにこそ、「男の甲斐性」がある、と。

いや、これは、多分無自覚ですけどね。でも、そんな気がしてならない。

だから、そんな、めっちゃハードルの高い妻がですよ、基本、幸せそうにしている。自分の器の中で好きなようにしている。

これは、すごい手柄なわけですよ。彼らのようなタイプの夫にはね。

彼らを幸せにするには、良妻賢母なんかになっちゃダメなんですよ。そんなことしたら、彼らは面目を失う。

彼らの望み通り、私たちは、好きなことをしながら、ありのまま、難しく、大変で、かつ、幸せでいたらいいんですよね。 時々、忘れた頃に、ちょっとだけ褒めたりもして。


ホントかな? 笑

恐るべし、PMS。

2016-02-18 14:48:20 | My メソッド
みなさんは、PMSに悩まされていますか?

PMSとは、月経前症候群。排卵日以降から、生理が始まる前までに出現する、心と体の不調の総称。

女性ホルモンの変動によって引き起こされると言われ、PMSと言ったら、女性なら誰でもピンとくるくらい、今ではかなり市民権を得ています。

私、実は、このPMSがよくわからなかったんです。吹き出物ができたり、下っ腹が重くなったり、生理前特有の体の症状はありましたが、心の変化は強く自覚できなかった。

排卵前や生理が始まっても不調な時は不調だし、特に異変もなく生理に突入なんてこともありましたしね。曖昧でした。

でも、これも、自分を観察するのが習慣になっている影響なのか、最近は、このPMS、つまり自分の身体の中での女性ホルモンの影響をハッキリと感じます。

気分の質が、ガラッと変わるのがわかります。無理やり、気分を悪くさせられたような感じとでもいいましょうか。思考の影響を受けていないのに、なんでだろう、気分悪いな、とカレンダーを見て、納得します。

恐るべし、PMSです。


イライラ イライラ イライラ

今、その真っ只中にいる私、いやぁ、この字を見ているだけでイライラしちゃいますが、この時期は気分のベースがイライラなんです。

呼吸の観察で、落ち着く場合もありますが、なかなか上手くいかない時もあります。


でも、人間、悲しいかな、気分がイライラするとその原因をわざわざ探しにいきます。PMSという自覚がないと、もう必死に探します。自覚あっても、やっぱり探しますけどね 笑。

息子が帰宅後、全然片付けをしない。
夫が、金欠、金欠、うるさい。

あいつの、ここが、こうだから、イライラするんだ!

(いや、違う違う。それ、彼らにとっては、いつものこと。)

こうなると、私は大概、確信犯的に夫に八つ当たりしますが、夫はほぼ無抵抗で、何を言っても「ごめんなさい」で応じます。

すると、ある時、その「ごめんなさい」に笑えてきます。私のしつこい攻撃に、夫はわざとなのか、本心なのか、「重ね重ねごめんなさい」とかメールを送ってきます。腹の底から笑いが込み上げてきて、それで、何かが抜けます。

これは、誰のせいでもない、

女性ホルモンのせいだーー!


って、腑に落ちます。

まあ、夫には毎月毎月酷かもしれませんが、仕方ない。一緒に嵐が過ぎるのを待ってもらうしかない。男のアンタ、女性ホルモンの恐ろしさを知らないアンタ、これくらいら付き合いなさいよねーって感じです。


ここでやってはダメなのは、自分に対する原因探し。

私が、ちゃんと躾けてないから息子がダメなんだ。
私が、お金にシビアだから、夫が卑屈なんだ。
私、PMSのせいにして、イライラを正当化して、なんて最低なんだ。

これやると、最悪。これをやることが最低。PMSを、どんどん、こじらせます。

PMSのせいにしていいんです。それは、私の本質とは全く関係ないんですから。

PMSも、思考や感情と一緒なんですよね。来たら、諦めて、流すしかないんです。

(あれー、なんかちょっと、言い訳っぽいかしら。まっ、いいや 笑)



プラスの感情も、溜め込まない。

2016-02-17 21:50:28 | My メソッド
感情についての話になると、ついついマイナス感情ばかりを思い浮かべますが、今日は、プラスの感情について。

プラスの感情って気持ちいいですよね。

喜び、楽しさ、達成感、陶酔感、ワクワク感。

ずっと浸っていたくなる。手放したくなくなる。もっともっと、味わいたくなる。

でも、

感情は、感じて、流す

が基本。

これは、プラスの感情も例外ではないと思います。

マイナス感情を溜め込むと、それがやっかいなことを引き起こすように、

プラスの感情も、溜め込むと、変容して、プラスではなくなります。


このへん、アスリートは、よく証明してくれます。


大好きなテニスの錦織選手が、一昨年のグランドスラムの一つ、全米オープンで王者ジョコビッチを準決勝で破った日の夜、自分の中で起きたことを話しています。


「昨日の夜は、気持ちが高ぶるのを抑えられなかった。嬉しさと緊張で胸が苦しくなったり、寝つけなかったりもした…」

(「錦織圭リターンゲーム」内田暁著より)



結局、彼はすぐそこにあった優勝を逃します。普段は勝ち越していたチリッチに、あっけなくストレート負けを喫する。

彼がジョコビッチに勝って経験した未知のプラス感情は、想像を絶する興奮を引き起こしたのだと思います。そして、流して、冷静に次の試合に備えるには、あまりに大きすぎたプラス感情だったのかもしれません。

🔹🔹🔹

錦織選手に、大きな緊張と重圧を強いたように、プラスの感情は、流せないままだと、過度のプレッシャーはもちろん、恐怖、不安、傲慢、逃避、依存にも姿を変えるんですよね。


それから、マイナス感情ばかりで生きてきた人が、初めて大きなプラス感情を味わったりすると、そこにすがりつきたくなったりもします。

失いたくない、失うのが怖い、もう2度と味わえないかもしれない、絶対に手放してはいけない、そんな強烈な渇望感や恐怖に変容しやすいのです。

そして、姿を変えた古いプラス感情をいつまでも手放さないから、次のプラス感情もやってこれない、というジレンマが起きます。


感じて、流して、感じて、流して。

プラス感情も、恐れないで、手放していくのが大切です。そうしたらまだ必ずやってきますから、その都度、何度でも味わえばいいんですよね。

罪悪感の減らし方。その2。

2016-02-15 22:32:48 | My メソッド
前回の続き。

前回は、お勉強チックになりましたが、今回は体験談風に。

私は、もともと「罪悪感が強いタイプ」と告白しましたが、なぜ、それがわかったのかというと、

相手や第三者が自分と同じことをやっても気にならないのに、自分がやるとどうもダメ、つまり、罪悪感を感じることが多いことに気づいたからです。


たとえば、

相手のメールの返信が遅くて不安にはなっても怒りとかはないのに、自分がそれをやると罪悪感。

集団の井戸端会議で、先に帰る人がいても気にならないのに、自分がやるときはうっすら罪悪感。

一緒にランチをしていた友だちが時間を気にし始めて時計を触ったりしたら、こちらが申し訳なく思うのに、自分がそんなことをしたら、かなりの罪悪感。

終業時間にサクッと帰る人には何とも思わないのに、自分が帰るときは気配を消して帰りたくなるほど、つまりこれも罪悪感。

数えあげたら、キリがありません。

第三者がやっても腹の立つ場合もあるでしょうが、全体的には、こんな傾向でした。

こういう人、通称、いい人、です。

🔹🔹🔹

この、「いい人」で生きることが、私の中で限界だったのでしょうね。

ある時、罪悪感の少ない人たちに目が行きました。彼女のような人とか、ママ友にもいたし、職場の同僚のにもいたんです。 自分を責めないし、「いい人」でもない人種が。

メールの返信はそっけないし、他人の子どもをあんまり褒めないし、自分の都合でサクッと帰るし、病気になると遠慮なく休むし、頼み事も結構軽くするし、やりたい事はすぐに手を挙げるし。自由でマイペースで、無理がない。

こういう人たちを、「カッコイイー。あんな風になりたいなぁ♡」って思ったんですよね。

カッコイイと思うんだけど、こういうタイプが、親友にはいなくて。というのも、波長が違いすぎて、居心地悪いんですわ。

でも、彼女たちの考え方、価値観は、少し話しただけでも、知人レベルでも、何となくわかるようになってきました。

🔹🔹🔹

それで、私の、罪悪感を減らす方法につながるんですが、

罪悪感を感じる出来事に遭遇したときに、まずはその感情を見つめることで、
少し自分と罪悪感との距離を置いて、

それで、ひたすら、

彼女だったら、この出来事をどんな風にとらえるだろう。どんな行動を取るだろう

と、彼女たちの思考→行動を想像するんです。

育児ならママ友◯さん、仕事なら同僚の△さん、みたいに実際に思い浮かべます。

そして、まるで◯さん△さんになったかのように、まずは行動をしてみるんです。ここが一番勇気の要るところ。

たとえば、簡単な場面ですと、終業時間が来たら、コソコソするのではなく、元気よく、当たり前のことをしているまででーす、という意識で「お先に失礼します!」と帰ります。

△さんなら、間違いなくそうしますから。

この後、何を感じるのかがポイントです。怖い、はあるとしても、ほかの感情・気分です。意外に平気なのか、満足感か、喜びか。そのプラスの実感の分だけ、罪悪感が減っていきます。

そのうち、実感が自分に馴染んできて、△さんのイメージを借りなくても済むようになってきて、罪悪感は、自分を困らせるレベルの分量ではなくなります。

不思議と、周りの反応も変わってきます。もちろん、プラスの意味に。

🔸🔸🔸

私は、こうして行動・体験→実感の繰り返しをやってきて、自分の中の罪悪感を減らしてきました。

ただし、罪悪感はゼロにはなりません。◯さんや、△さんのようにもなれません。そんなこと、目指していませんが。トレーニング効果のある場面と、あんまり効果のない場面もあります。揺り戻しも必ずあります。

そうなんです。実は、簡単に罪悪感は減らせないんですよ。ごめんなさい。

でもね、ここからが一番大事。

一つ言えるのは、罪悪感がそんなに嫌いじゃなくなりました。

あー、来た来た、また来たー、ってちょっと茶化しながら罪悪感をお出迎えしたりね。

こんな時にこんな風に罪悪感を持たなくてもいいのに、私ってば、いじらしいなとか自愛の気持ちが生まれたり。

これは、◯さんや△さんにはわからない感覚だろうな、とか思うと誇らしくなったりね。

罪悪感を目の前に置くとね、私とそいつは一つじゃないし、私が罪悪感じゃない、というのがわかるんですよ。

でね、そうやって罪悪感をごまかしたり、押しこめたり、避けたり嫌ったりしないとね、やつら段々悪さをしなくなるんです。

現れたら、しばらくいて消える。

そんな風になってくれるんです。

トレーニングしながらも、ここの視点を忘れずにいることが、最も大切で、効果的な「罪悪感の減らし方」かもしれないです。

🔹🔹🔹

尻切れ感満載ですが、
もし、参考になったらぜひやっみてくださいね。

許してやるよ、私の方が幸せだし。

2016-02-15 19:51:37 | ひとりごと
罪悪感の減らし方の続きは、また次回。

今日は、別のテーマで。

🔸🔸🔸

とある方の書いたブログに、面白い話がありました。

その方、友だちと集まってイヤな思いをした日には、帰って何をやるかといえば、それは、通帳を見るんだそうです。

それで、気持ちがおさまるのだとか。

お金持ちの奥様で、通帳にはたくさんの数字が並んでいるのかな。

こういうのゲスいっていうのかなぁ。笑

でも、大笑いました。それに、これ、自分をケアするという点で素晴らしい、とも思いました。

つまるところ、

「右の頬を打たれたら、
左の頬も差し出しなさい」


も、同じなんじゃないかと。

相手よりも、

お金があるから、
優しいから、
愛を知っているから、
人間ができてるから、
器が大きいから、
人気があるから、
美人だから、
頭がいいから、
運がいいから、
大切に育てられたから、
ハンディキャップに負けないから
自力で這い上がったから、
悟ってるから、


だから、余裕を持って、相手を受け入れたり、流したり、無罪放免にしてやるよってことですもん。右だけじゃなくて、左も殴っていいよ、なんて、相当に余裕の発言ですよ。

つまり、相手よりも、
自分が自分にとって大切なポイントにおいて、
優位だから、大きいから、勝ってるから、少なくとも、自分はそう信じて疑わないからできることです。

その逆はありえないでしょ?
お金のない人がお金持ちに寄付します?
素人が専門家にアドバイスします?
悟ってない人が悟っている人に道を説きます?

聖書のような美しい表現で納得するか、ゲスい表現が腑に落ちるかなんですよね。

中身が同じなら、ゲスい表現の方が効くこともあります。私は、かなしいかな、こっち派だ!

🔸🔸🔸

私、今日、イヤなことがありました。自分に非のないことで、ある人に感情的に怒鳴られました。

腹は立つけど、何かの機会に言い返してやろうとも思うけれど、心の中でこう叫んだら一気に、その人のことや、今日のイヤなことがどうでもよくなりました。



許してやるよ!私の方が幸せだし。



それが、事実かどうかはわかりませんが。笑
私は、そう思ってます。

そのためにも、そう、人を許せる人間でいるためにも、私は私の機嫌をとり、私は私を大切に扱い、私は私を幸せにしなくっちゃと思うのですよ。

これからも、ずっと。

罪悪感の減らし方。その1

2016-02-14 10:02:49 | My メソッド
罪悪感は、とてもやっかいな感情です。

嬉しい、悲しいのようにシンプルなものではなくて、なかなか自覚しずらい上に、違う感情に姿を変えやすいのが特徴。

感じるのが耐え難い不快な感情なので、そんな風に無意識の処理が行われるのでしょう。

罪悪感とは、言うなれば、

「私は悪い人間である」
「私は罪を犯している」


と自動思考して、発生している感情ですからね。

そんな客観的事実はないのに、あるいは何らかの失敗の事実はあっても、その責任をはるかにこえる分量で、自分が自分を、悪い、罪人だ、と思い込んでいるのです。

そんな感情、蓋をしたくなるのも無理はありません。でも蓋をしても消えるわけもなく、見ないふりをした感情は心の奥底に沈みこんでいきます。自分は罪深い人間だ、という信念の強化に力を貸すだけです。

罪悪感は、とっさに、その罪悪感を抱かせた他者への怒りにも姿を変えます。

たとえば、日常のこんな一場面。夫に「あれ、今日は冷蔵庫にビールないね」と言われて、突然怒り出す妻。「あたしは、あんたの召使いじゃないっ!」。

これは、ビールを買い忘れた、という妻の罪悪感から発生しています。罪悪感がなければ、「そう?じゃあ明日買っとくよ」とか「えー、もう飲んじゃったのー」で終わり。

でも、そんな風に流せないのは、最初に自分が自分を無意識に責めているから、夫が自分を責めているように感じて、感じたくもない罪悪感を感じさせた夫に怒りをぶつけてしまうのです。

罪悪感を貯めこむよりは怒りとして小出しできる方が健全とも言えますが、怒りの発生元が罪悪感であるという気づきがないと、不毛なコミニュケーションエラーは解消されないままになります。

🔸🔸🔸

罪悪感は、心の専門家と呼ばれる人たちの多くが「不要」「役に立たない」「問題解決を遅らせるだけ」と看破します。

罪悪感の強い人は、最初は、この解釈すら受け入れられないかもしれません。

でも、その感情が自分にも周りにももたらした結果についてつぶさに思いを馳せれば、見えてくるものがありやす。

罪悪感は、ひたすら自分からエネルギーを奪い、身動きを取れなくさせたり、罪悪感を埋め合わせる行動に駆り立てたりして、自分らしさを奪います。

周りに甘えや強い依存を生んだり、被害者や加害者を作ったりします。自分の責任を放棄する人を引き寄せたりします。

罪悪感は、罪悪感を感じさせて、他人をコントロールしたい人にだけ有用です。

例えば、ブラック企業。アルバイト社員ですら、簡単に辞めさせてもらえないという事例を聞いたことがあります。会社に迷惑をかけている、とか、自分は非常識だ、と思わされる言葉をなげかけられ、実際に自分を責めて身動きがとれなくまります。

これはまさに罪悪感の植え付けです。

元々罪悪感の強い人は、企業が悪い、という発想がなかなかできません。発想はあっても、「でも、私も悪いんだ」と自分の罪悪に比重を置きます。

このしくみを見ると、罪悪感が、真の反省を促したり、物事をよい方向に向かわせたり、人を幸せにする感情では決してないことがわかります。


つまり、罪悪感って幻想なんです。物語なんです。そこに、罪悪感に見合うだけの罪も悪も存在しないのに、

私、この人に悪いことをしてる。
私、みんなに迷惑をかけている。


と自動的に思い込んでしまう、

脳内だけの事実です。



🔸🔸🔸

ここからは、
罪悪感を減らしたいと感じる方に。

罪悪感を減らすためには、まずは、このやっかいな感情から逃げ回らないことです。

そして、感じないための行動(例えば誰かの機嫌をとるなど)をする前に、怒りの感情に変える前に、しっかりと感じることがスタートです。

罪悪感を察知したときに、それを充分に感じて、その感情に「罪悪感」としっかりラベルを貼る必要があります。

自分の中から罪悪感を取り出して、自分と罪悪感との間に距離を置く感覚です。罪悪感、その存在を日に当てることです。

罪悪感を感じる事は、決して気持ちのよいものではありませんが、自分が意識的にその感情を迎えにいくことで、「私は、罪悪感を恐れていない」と、自分自身にアピールできます。

それだけでも、罪悪感をある程度手放すことができます。罪悪感を解放してやると、楽になった分だけ、そもそもこの罪悪感は必要ないのでは、という小さな気づき、疑問、認知の変化をもたらすこともあります。

罪悪感を直視しなければ、こうした変化は、起こりようがありません。

🔸🔸🔸

さらなるトレーニングは、行動→実感、この蓄積に尽きます。

詳しくは、また、次回♡


罪悪感の少ない人が世の中を変える。

2016-02-13 07:54:02 | My メソッド
罪悪感の少ない人が世の中を変える、としみじみ思う。

罪悪感の少ない人といえば、あの人。

かつての職場で一緒に働いた同僚。仔猫みたいな愛くるしい容貌で、よく笑う人だった。冗談も毒舌も上司の悪口も、舌をペロっと出しながら、言いたい放題。悔しいけれど、全然嫌味じゃないのだ。

彼女が入社してしばらくして、突然始業時間が30分遅くなった。

家庭の事情で、彼女は始業時間に出社が間に合わないために、上司にかけあった。一人だけ特別扱いはできないから、と会社の始業時間も変わったのだ。

別に、彼女が物凄く優秀だったわけではないし、押しが強いわけでもないし、その会社が柔軟な社風だったわけでもないし、上司が物分りのいい風でもなかった。

「いっそのこと、みなさんも30分遅くしたらどうでしょ」

ケラケラ笑いながら、彼女は上司に言ったのだ。なんとなく、まあそれもいいか、という感じて彼女の意見が採用された。

その時は、表現を知らなかったけれど、彼女みたいな人を、罪悪感のない人というのだと、今ならわかる。

🔹🔹🔹

罪悪感がない人は、思ったことをそのまんま平気で口に出す。自分の希望を悪びれずに告げる。他の人にはタブーな事もシレッとさりげなく触れる。

で、その希望通りに事が運ばれていく。

なぜかって、それは、みんなが言えないこと、言わないことの中に、実は大切な事が詰まっているからだ。

逆に、実はどっちでもいいことだったりするから、声をあげたもの勝ちのところがあったりもする。

罪悪感のない人は、自分のためにそれをやり、結果として、周りの人にも恩恵をもたらす。

もちろん、うまくいかないこともあるけれど、それはそれでスルーする。

一度上手くいかないからって、気にしない。自分を引っ込めたりしない。反省はしても後悔は滅多にしない。また、何かあれば、自分の思ったことを口に出していく。

そして、どうしても自分と折り合えない環境ならば、さっさと去っていく。

その屈託のなさ、正義のヒーロー、ヒロインぶらないところが、なぜか不思議と周りを惹きつける。安心させる。

こんな例を、彼女に限らず、何人もの罪悪感のない人がやってのけるのを見てきた。

何人もの、と言っても、たくさんはいない。罪悪感がなくて、しかも嫌われない人というのは、希少価値だからね。

まあ、それでも嫌う人は嫌うだろうけど。でも、そんなことにもいちいちめげないのが、彼女らの専売特許だ。

🔹🔹🔹

私は、罪悪感をたくさん抱えてきたタイプの人間だ。

だから、彼女らのような真似はとても出来なかった。自分のために無邪気に動くことも苦手だった。こんな人には、とてもなれない、と思っていた。

あれから随分時間が経ち、相変わらず罪悪感はある。でも、その分量は格段に減った。世の中を変えるほどに変貌はできていないと思うけれど、少なくとも自分のために行動することはできるようになった。

その、経験から言えば、罪悪感って減らせるよ、って思っている。

純正の彼女らのようにはなれなくても、トレーニングすれば、減らせる。体験を重ねれば、減らせる。本当にそうなのだ。やるか、やらないか、だけなのだ。

🔸🔸🔸

どうすれば罪悪感を減らせるか、という部分については、また次回以降にぼちぼち。おいおい。