すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

息子を問題児にするスキーマ。

2014-08-30 17:18:00 | 育児・母稼業
私は、息子についてある信念を持っています。

実際は、息子には関係なくて、私が勝手に持っている信念。持っていても役に立たないから捨てたい信念。

息子は、私が見ていると、友だちとトラブルになったり、仲良く遊べないことが多い、という信念。

で、実際に、そう。

私の目を通すと、息子は問題児になります。本当は、時々そうなる程度だけれど、私の実感は、「いつも」に偏りがちです。

でも、私の目がないと彼は問題児ではなくなるのです。

幼稚園でも、一時保育でも、お稽古の場でも、彼に関するトラブルも苦情もまず聞きません。

むしろ、「小さいお友達に本当に優しくしてくれます」「おっとりしてていつもニコニコしてるから、みんなから『かわいい!』って思われてますよ」と褒められる機会の方がはるかに多い。

「○○君大好き」「○○君は、『あそぼ』って言わなくても、遊んでくれるんだよ。ダメって言わないの」なんて言ってくれる友だちもいます。

心配になって、先生たちにあれこれ自分の目が捉える彼の姿を話すと、

「そうですかぁ?まあ、そういう面があったとしでも、4歳ならみんなそうですから」
「自分の子は、どうしても悪いところにばかり目が行きますよね」

と一笑に付されます。

私がいると息子に甘えが出るから、私の前だからわざと悪ぶる、ということもできるけれど、そういう面も含めて、私の目が問題を作っているんだ、私の目が息子を問題児にしてるんだ、とすでに悟りつつあります。

私の目は、息子を大らかに見守る目ではなくて、心配の目、何かやらかすんじゃないかの目になっているのだと思います。

私の目を生み出す私の信念は、簡単には変わらないだろうから、開き直って、息子が友だちと遊ぶ場面を見る機会を意識的に減らすことにしてみました。でも、もちろんゼロにはならない。

で、先日お友達の家にお呼ばれして、まさに、その信念通りのことが繰り広げられます。

息子は、友だちの家にある珍しいおもちゃに夢中になります。

そのうち、普段は仲良しの女の子が息子の頭にクッションをぶつけます。息子が反応しないと他の二人の男の子と一緒に、再びクッションを今度は一斉にぶつけました。

だんだんと、不機嫌になる息子。
なかなかやめない女の子の顔を手で遠ざけつつ、つねろうとしました。もう一人の男の子には、持っていたトミカで頭をコツンと。そしてその子が泣きわめく。息子の顔が引きつります。

お母さんたちは、
「◯◯君が嫌がることするからだよ」
「もう、クッションやめなさい」
と助け舟。

そして、私は息子を叱ります。かなり大きな声で。

お母さんたちの手前もあるし、お友達は遊びでちょっかい出してるだけだよ、それくらいのことでやり返さなくてもいいでしょ、何よりやり返すのに手を出すのは良くないよね、という気持ちから。

厳密に言うと、母親はそう思うべきだよね、っていう信念から。

一応、「クッションがイヤだったんだね」とは言ってはみるものの、息子には届きません。普段はすぐに機嫌が直るのに、この時は珍しく引きずりました。表情が固い。後から友だちと絡んで遊ぶときにも、ややぎこちない。ノリが悪い。

私も、気分が悪くなりました。この時は、息子の気持ちには向かわず、「ああ、まただ」というゲンナリ感と2人のママたちから息子を乱暴だと思われたらやだな、怖いなとまで感じました。

家に帰って冷静になってやっと、息子の気持ちと偏りのない現象が見えてきます。

息子は、そもそもイヤな事をされたんだから、イヤだと言ってもいいし、しつこくされたら、怒ってもいいんだ。

やり返し方がやりすぎな印象ではあるけれど、本当は言葉でまず言えたらいいんだけど、息子にはもしかしたら手が出てしまうくらい不快だったのかもしれない。

普段は、言葉でイヤを伝えてる事の方が多い息子。手もめったに出ません。やり返した手段の方に私が最初に焦点を当てたために、息子のイヤという気持ちは否定されてしまいました。

逆の立場だったら、私はやはり息子を責めたと思います。

たぶん、その場合は、友だちにしつこくした息子の行為がまず良くないと素直に考えられたから、それほど私の気分は悪くならなかったはず。コツンとされた程度では、仕返しに手を出した友だちを責める気持ちにもとてもならなかったでしょう。

私が、2人のお母さんに対して抱く感情は、過剰で的外れですらあります。多分。

つまり、私の目に何らかのフィルターがかかっているからこうなるのです。このフィルターは、私のもともとの性格と、ある出来事によるものだということを、実はわかってもいます。

これが、多分、私の目が息子を問題児にしてしまうからくりです。

それと、「やられてもやり返さない」とまでは思ってないけれど、「やり返す時は、手を出してはいけない」とは思っている節があります。これだって、真実ではない、と頭ではわかっています。

「手を出してはいけない」に焦点が当たると、それを現認したときに、息子の気持ちに寄り添うことができなくなります。「絶対に」が加わると、叱る以外の対処はほぼ無理。

「手は出さない方がいいけどね」
「本当に腹が立つ場合は、手がでることもあるんだね」

くらいにゆるめられたら、私の信念も徐々に崩れていくんだろうな。私も、もっと気楽に息子を見ていられるんだろうな。そんな風に、思います。




精神保健福祉士でした。

2014-08-30 11:04:11 | ひとりごと
精神保健福祉士という資格を持っています。

国家資格だけれども、知らない人の多い資格。

「精神保健福祉士です」と言わないのは、現在その仕事をしてないからというだけでなく、「精神保健福祉士です」と言ったところで、「何それ?」という人が多いことを知っているから。

社会福祉士の資格も持っているけれど、こちらの方がまた一般的な認知度は高いかしら。

まあ、そんな精神保健福祉士として、かつて8年弱仕事をしました。

精神科の病院やクリニックではなくて、NPO法人が運営する地域活動支援センター、少し前は小規模作業所と呼ばれた施設です。

そこで、統合失調症やそううつ病、てんかん、境界型人格障害、知的障害、高次脳機能障害、そして病名はついていなかったけれどおそらく発達障害の人たちの生活援助をしたり、就労支援をしたり、相談に乗ったりする、いわゆるソーシャルワーカーの仕事をしていました。

結婚してから、転勤族の夫の勤務地に合わせて住まいを転々とするなかで、今も相変わらず福祉業界には仕事や関わりを持っています。

精神保健分野の仕事を探しながらもなかなか見つからず、高齢者などを対象とする相談援助の業務に従事することが多くなりました。

非常勤、嘱託という雇用形態ばかりなので、相談援助なんて、プロっぽいものではなくて雑用の方が多いのですが。

この頃、ふっとどうして精神保健分野の仕事に就かないのかな、と思いました。経験でいえば、そちらの方が長いし現場に入ればそれなりに役に立てるとは思うのだけれど。

縁がなかったというより自分が避けている感じがします。

そして、今となっては、「もうあの世界には行きたくない」と感じが強くなってきました。

触れ合った同僚やメンバーと呼ばれる精神障害者の人たちには懐かしさもあるし、今でも会いたくなるし、元気にしていて欲しいと思う。だから、仕事の大変さとか、合わないとかの問題じゃありません。

「薬を飲んでもらうこと」「医療にかかわってもらうこと」を前提に、メンバーさんたちを援助するということにどうしても違和感を持つようになってしまいました。

多数の暴露本を出版している内海聡ドクターの過激な発言や、テレビでも活躍しているカウンセラー心屋仁之助氏のブログに触れた影響も少なからずあるけれど、やっぱり自分の中でかつて自分が精神保健福祉士として行ってきた援助のそのやり方、言動が思い出されて、じわじわとボディブローとなって私を揺るがします。

「あれって、いいことだったの?」

子育てして、歳を重ねて、違う世界を知って、私が、変わってしまったということかもしれません。

昔からの知人の中に、仕事と結婚生活からのストレスで自殺企図、幻聴、閉鎖病棟の入院、そして薬漬けの状態に陥った女性がいます。
つけられた病名は、覚えていません。

在宅での療養と通院に切り替わったとき、援助者としてではなく、友人として関わった時期があります。

「薬飲むとダメになる気がする。どう思う?再発するかな」

と言う彼女に、私は、

「薬は突然辞めない方がいい。主治医と相談して、症状が良くなれば減薬することになるんじゃないかな。薬を辞めて1年以内の間に半数以上の人が再発するデータががあるよ」

と、ずいぶんつまらないことを言いました。

教科書通りの発言。
いや、その通りに私が信じていたし、そうなっていくケースを実際に見聞きしていました。

でも、彼女は、主治医の忠告も私のアドバイスも聞かずに、自分でやめる選択をしました

「もう、戻りたくないんだ。もう病気はやめたいんだ。だから薬もやめる」

彼女は私にそう宣言しました。
私は、再発することを心配しながらも、何も言わなかった。彼女の宣言があまりに堂々てしていて、何も言えなかったのです。

あれから10年くらいたったかな。
病気と薬をやめた彼女は、結婚して子供ももうけ、資格を取って専門職の仕事にもついています。

もちろん元々の性格や考え方の癖から、結婚生活では難題が降りかかることもあるし、職場でいじめのような出来事に遭遇することも少なくありません。

でも、折れない。

カウンセリングや本やらのツールを使ったり、家族や友人に愚痴を吐き出したり、自分を見つめ直すことで、くじけそうにはなっても、折れたりはしない。

しなやかに、図太くもなった彼女に、再発の可能性は、かぎりなく遠のきました。

今となっては、あの時、薬をやめようとしたときに、私のアドバイスを受け入れてくれなくてよかったと心から思います。

彼女のような例は、稀かもしれない。
実は、稀でもないのかもしれない。本当のところはよくわかりません。

多くの精神障害の人たちにとって薬は有用だし、精神医療も精神保健福祉も重要な役割を果たしているのももちろん経験上知っています。

でも、彼女のような例を知っている私は、もう、「薬飲みましょうね」「再発しないためにも薬が必要なんですよ」という声かけが必要な援助職にはつけないな、ついてはいけないな、と感じます。

薬が要らない人がいるかもしれないのに、再発だってしないかもしれないのに、私は、そんな言葉はもう言えないし、言いたくないのです。

精神障害者の援助から遠ざかって7年がたちます。浦島太郎です、完全に。

もう、こんな私のこだわりも杞憂だったりするくらい、現場は変わっているかもしれません。そうだといいな。



夫の嫌なところ。つづき

2014-08-27 17:44:23 | ひとりごと
前回の記事について、実は自分なりに考えていることはあります。

まずは、他人の目や世間的な常識を勝手に取り入れては気持ちが不安定になる、その思考を私が極力やめる工夫をする。

まさに石原加受子氏がとなえる自分中心の世界です。

私が、その境地に行くと、夫の他人寄りのマイナス思考に反応すらしなくなって、「かわいい」とか「かわいそう」とさえ思うかも。

次は、私が、自分の嫌いなところを嫌わない。嫌わないで、認める。

できたら、いい部分に目を向ける。できてるところにもっと焦点を当てる。

私が私の嫌いなところを殊更騒ぎ立てなければ、夫の嫌いなところも騒ぎ立てなくなるはずです。

ただ、私はその部分を少しでも変えたい、楽になりたいって考えているから、自ずと焦点はあたりがち。

そして最後。
夫の嫌なところを嫌だと思う自分を認める。夫を嫌だと思う自分に罪悪感を持たない。

嫌なものは嫌だ、と開き直る。

解決なんて目指さないで、ひたすら自分を緩ませる方向を目指そうと思います。

この際、夫は脇において、私が楽になれる選択をしていこうと。

夫の嫌なところ。

2014-08-27 13:33:44 | ひとりごと
うちの夫は、優等生です。

イクメンなんて表現が陳腐なくらい子どもの面倒もよく見ます。休日は、どんなに疲れていてもフルで子どもの相手をします。

私が基本何をしていても文句を言わないし、高圧的な態度は微塵もなしい、手抜きな家事で不満言うこともないし、むしろ「おいしい」「ありがとう」を連発させます。

私が専業主婦だろうが、仕事をしようが、どっちでも協力的。

自分の両親にも優しいし、私の実家も大事にしてくれます。

稼ぎも、いい方の部類に入ると思います。

こんな夫への不満を言っても、ほとんど共感されません。ぜいたくだって思われるかもしれない。のろけ?なんて勘繰られたり、私の人間性がやり玉にあがるかもしれません。

でも、私は夫をうとましく感じることが多いのです。言動、言い方、謝り方、家事の手伝い方、子どものしかり方、すべてに不満と不快感を覚えてしまいます。

最近やけにその頻度が増えています。

その理由がわからず罪悪感に苦しんだし、今も時々はそう。だって、どう考えても、夫の方に非はありませんから。

でも、気づいた。
ついにわかってしまいました。

夫の行動や話し方、しぐさが、私を苛立たせるのは、私の中にある自分の嫌な部分がそれと同じ。私が捨て去りたい手放したいと思っている部分と同じなんだということ。

嫌われないように
文句を言われないように
ダメな夫と思われないように
悪い息子と思われないように
あほな親と思われないように
いい人じゃないと言われないように
子どもの機嫌が悪くならないように
世間に後ろ指さされないように
変わった人と言われないように
すべてを取り繕うために
予定調和を崩さないために

夫の多くの言動の動機が、そこにあるのがわかります。もちろんすべてではないけれど、私が反応してしまうくらいの分量ではあるってことです。

私も、そんな人間だな、としみじみ思います。

自覚する出来事が増えて、内省する中で少しずつ自分の中の変化は感じるけれども、私と夫はそこが似ています。

自分の嫌な部分を自覚するからこそ、私は私と嫌なところが似ている夫を、うとましく思ってしまうのです。


本音かどうかを読まない。

2014-08-24 09:06:50 | My メソッド
最近、心がけていることがあります。

他人から受け取った言葉は、そのまんま、額面通り受け取る、ということ。
まあ、「できるだけ」だけれども。

援助職の癖と、元々の性格もあって、人の言葉を、そのままでは受け取らず、裏を読んだり、深読みしてしまう傾向があります。

考えすぎて、ありもしない仮想現実を頭の中で作り出して、

「一体、どうしたらいいの?どっち?」

と不安になることもしばしば。

相手の言葉か本音か本音じゃないかは、この際関係ありません。
検証しようもないし、だったらそのまんま受け取った方が私が楽。無駄に疲弊しないですみます。

相手の本音を取り損ねて相手が不満を感じるなら、相手からなんらかのアクションがあるだろうし、なければ問題は相手のもの。

私は額面通り受け取る人、という認識を持ってもらえれば、私は周りの人から、本音を受け取る機会が増えるかもしれません。

例えば、メールで「返信不要です」とあると以前はかなり迷いました。返信したほうがいいよね、相手も本音では待ってるかも、なんて。面倒、この上ありません。

でも、今は相手の言葉そのまんまに受け取って、返信しない。返信しないことにしています。

相手の本音を探る気持ちではなくて、自分がどうしても返信したい時には返信する、かな。でも、そんなこともほとんどないけれど。

人の本音の裏を読んできた私。
もしかして今の状態は、本音の裏の裏を読んでいることだったりして。まあ、でもそこまでいくと、

「どっちかわかんなくなったから、どっちでもいいや」

と思考停止になります。でも、これが一番大事なこと。

思考を、止める。

最初は、面倒な手順でも、やがて最初から思考しなくても平気になることをめざします。




息子、初めてのお別れ。

2014-08-23 18:47:53 | 育児・母稼業
「きみはいい子」の小説を読んで思い出した、息子と、友だちのこと。

初めて自分で仲良くなった友だちとお別れしたこと。

私は、当時あまりに悲しくて日記に残しました。



H君は、息子が幼稚園の年少組になって初めてできたお友だちだ。

入園当初、戸惑いからか落ち着きなく離席することの多かった息子。
入園式から泣いてばかりで、これからやっていけるんだろうかとお母さんを心配させたH君。

母親同士が仲良しのわけでもなく、席が近いわけでもないのに、なぜが気の合った二人。先生も、不思議がるほど。

入園当初は、ちょっぴり劣等生だった二人が、お互いを通して、幼稚園に居場所をみつけ、二人打ち解けるほどに、園の生活にも馴染んでいったんだろう。

私が迎えに行くと、H君の上履きをはいた息子が出てくることがあった。

担任のベテラン先生いわく、
「どうしてだか、この二人、いつも一緒にいます。」
担任の若い先生いわく、
「お互い好きすぎて、靴まで交換しちゃいました」。

Hくんは、色が白くて、お兄ちゃんがいて、見た目はそんなにやんちゃっぽくなく、繊細そうな感じ。

でも、息子曰く
「H君がね、『○○くん、行こ行こ』って言ってくれたの」
と、誘ってくれたのは、もっぱらHくんの方だったよう。

バザーの時、ぐずりだした息子を家に帰したあと、H君が、私の目の前に現れた。
「○○君は?」
帰っちゃったよ、というと残念そう。
そして、それから何度となく私のもとに来ては、
「○○君来てたの?」「○○君は?」と尋ねてきた。

その様がかわいらくして、息子を気にかけてもらえることが、ありがたくてうれしかった。

その日を境に、幼稚園で顔を合わせると、私にも手を振ってくれるようになった。

私もH君が大好きになった。

息子の口からも、H君の名前が消えることはなかった。

そのHくんが、夏休みに、四国に引越してしまった。

お父さんの転勤が急に決まったらしく、みんなに顔を合わすことなく、さよならになってしまった。

息子もちゃんと、さようなら、ができたらよかったのになあ。

意味がわからなくても、ぎこちなくても、初めてできた、大切で大好きで、いつもいっしょにいてくれた友だちに、
きちんとした「別れ」ができたらよかったのになあ。

終園式のとき、ちゃんと遊べたのかな。

先生から、Hくんのお母さんに、
「○○君ととても仲良しだったのに、残念ですね」
との言葉があったとか。

H君のお母さんにメールで挨拶すると教えてくれた。お母さんも、
「○○君のおかげでHは幼稚園に楽しくいけるようになりました。感謝しています」
と書いてくれた。

たった三カ月のお付き合いだったけど、
H君のおかげで息子は、ちゃんとした幼稚園生になれた。自分を必要としてくれる友だちを持つことができた。

すぐに忘れちゃうんだろうけど、きっと悲しくなるくらいお互いすぐに別の友だちができちゃうんだろうけど、でも、いいよね。

何かは刻まれたはずだから。

このつかのまの時間の中で小さな体が真っ白な心が獲得したことは、二人にとって、大事なものになるはずだもんね。

H君、ありがとう。○○と仲良くしてくれて。

新しい土地で、たくさん友達作って、幼稚園生活を楽しんでね。

○○も、二学期から頑張るね。新しい友だちができるように、頑張るからね。





友だちが去ってから、私が気がかりだったのは、息子にH君みたいな仲良しの友だちが再びできるんだろうか、ということです。

実際、できなかった。今も、まだH君を超える友だちはいません。

幼稚園は好きだし、いろいろな友だちと遊ぶのは好き。一時保育でも、すぐになじむ。ただ、H君はあらわれません。

私が、気負って場を提供したり、私の友人の子供と交流させても、やっぱり同じ。

いつも息子が家に帰ると名前がひっきりなしにでてきたH君は、H君みたいな友だちはあらわれません。


この小説
を読んでふっと思いました。
母親の私をこれほど感傷的にさせた、息子と友だちの出会いが、そんなに簡単に、どこにでも転がっているはずがない。

「子どもだから」と軽く考えて、高を括っていたのかもしれません。

子どもでも、たぐいまれな出会いはあるし、簡単に代用のきかない関係があるんだってことを。





「きみはいい子」中脇初枝。

2014-08-23 18:25:27 | 本・映画・音楽
『きみはいい子』中脇初枝


初めて読む作家の本。作品集を集めたもので、ベストセラーだとか。
新聞の書評で見つけて手に入れました。

虐待とか、崩壊した家庭とか、そんな重たいテーマで始まるものだから、こちらの気分も読みながら少し身構えるけれど、ラストはどれも、希望を添えてくれる終わり方。

白でも黒でもないけれど、グレーでしかないんだけれど、でも、大きく広がった未来が見えます。

ホロホロ涙がこぼれる。

カタルシスとは違う、静かな感動。

中でも、「うそつき」が好きです。

4月1日生まれの、発育が遅くのんびり屋さんに成長した息子と、継母と暴力をふるっているであろう父親のもとで暮らす友だちの、仲良すぎー、な姿を息子の父親の視線で、優しく温かく、そして切なくつづられています。

無意識にチョキを出す息子に、パーを出し続けて、負け続ける友だち。

それを、息子に告げるでもなく、それが愛であり優しさであることも自覚していない友だち。

私にも、まだ幼いけれど、小さな息子がいるから、これでもか、これでもか、のたまらない描写やフレーズにやられまくります。

父親のラストの言葉が、圧巻。

この父も、かつて兄弟のように仲良しだった友達と、別れを経験しています。

ぼくは知っている。
たとえ別れても、二度と会わなくても、一緒にいた場所がなくなったとしても、
幸せなひとときがあった記憶が、それからの一生を支えてくれる。
どんなに不幸なことがあったとしても、その記憶が自分を救ってくれる。


何度読んでも、泣ける。



居場所、ふたたび。

2014-08-09 09:21:00 | ひとりごと
9ヶ月ぶりに書いてみようと開いたブログ。

前回のタイトルが、「居場所」でした。

これみて、笑った。私の今現在のテーマがこれだから。共時性、これ以外のキーワードが見つかりません。

成長がない?!いや、そんなことはない。むしろ逆です。

9ヶ月前は居場所についてネガティブな感じに凝り固まっていたけれど、私はあれからいろんな学んだ、考えた、失敗した、そして知りました。

居場所は、自分で作ればいい。作ってしまえばいい。

好きな場所で、好きな友だちと、好きな話をして、好きなモノを食べる。
帰りたくなったら帰る。
お開きにしたくなったらお開きにする。ルールは極力作らない。
自由で、無理やりじゃなくて、楽しい居場所。
私が好きな場所。

以前、居心地の良かった場所は、誰かが作ってくれた場所でした。もう、卒業だったのかもしれません。

これからは、私が自分の居場所を作ろう。

年を重ねたからか、自信がついたからか、そんなことを考えています。