先日参加した趣味仲間とのランチの席で、不倫?をテーマにしたドラマが話題になっていました。(私は、見てないので内容知りません(^_^;)
不倫する主人公に共感して毎回涙するという知人が、
「寂しいから、不倫に走るんだよ。そういう気持ちになるのわかるよ」
とポツリ。銀行員の夫と2人暮らしで、その夫は重度の仕事中毒なんだとか。
その側で、別の1人が
「えー、不倫したいなんて考えたこともない。土日になると子どもとパパの取り合いだよ」
となんとも爽やかに言いのけます。その言い方が、ちっとも嫌味じゃない。
対照的な二人、どちらもタイプは違えど素敵な女性です。
ただ、私が感じる、手触りというか、感覚というか、で比べると、
明らかに、
前者は、重い。
後者は、軽い。
辛い思いをしたから重くなった、とか、いいダンナさんを選んだから軽いとも言えますが、ダンナ選びの段階で、すでに彼女たちの、重い、軽いは決まっているように思えます。
夫婦関係に悩む別の友人は、こんな風に言ったりします。
かまってくれない、
大切にしてもらえない、
どうでもいいと思われてる、
言ってもムダ、
何度か言ったけどダメ、
もう諦めた、
といいながら、
夫への恨みつらみを言い出すと止まらない。彼女もやっぱり、感覚的に重い。
趣味仲間の彼女も、友人も、きっと夫と何回かやりあった。傷つけあった。でも何も変わらなかった。だから、諦めた。諦めたことにした。
彼女たちの根っこにあるのは、
自分は愛されていない
自分は大事にされていない
という、とてつもなく悲しい実感です。相手とやりあえばやりあうほど、その思いが強くなる。
昔読んだ、精神科医 斎藤学先生(アダルトチルドレンで有名な方です)のブログにいいことが書かれていたのを思い出して必死に探しました。(2005年11月25日 恋人にしがみついてしまう)の相談です。
ここに書いてあることって、彼女たちの重さにつながる気がします。
「あたしは愛されて当たり前」と思っている人は、軽々と人を愛せる。まとわりつかれた相手は重く感じない。
彼女たちは、最初からその思い込みが弱くて、「愛されていない証拠」を積みあげて相手を責める。責められた相手は怒るか心を閉ざす。
夫婦でやりあった時に、夫は言ったかもしれない。
今は仕事にエネルギーを注ぎたいだけ
四六時中ベタベタするのは好きではないだけ
君を愛してない、とは、一言も言われてないのに、
愛していたら仕事よりも自分を優先するはず、
愛していたらセックスレスになんて絶対ならないはず、
という自分の価値観を握りしめて、相手の声が聞こえかったのかもしれません。
夫側も、確かにもう少し踏みこんでもいいかもしれませんよね。キチンと向き合うことをしないで、妻を腫れ物扱いしている。
うちの場合は、反対かも。
夫が、重かった、時期がありました。
「かまってくれない」オーラを出されたり、「嫌いになった理由」を聞かれたりすると本気でげんなりした。罪悪感を感じさせる夫がますますうっとおしいと感じることもありました。
私は、一人でいるのも好きなだけ。
ベタベタするのがうっとおしい時があるだけ。
でも、嫌いなわけでもないし、他に好きな人がいるわけでもない。
とは、なかなか素直には言えませんでしたね。だから、私も悪かったんです。
最近夫は軽くいいます。冗談交じりに。
「もう、嫌われてもいいことにした。自分が好きならいいやって」
まだ、少し重いけど前よりだいぶマシです(^_^;)
斎藤先生は、
「自分は愛されて当たり前」に、根拠なんてないといいます。
根拠がないことを信じるのは難しいけれど、「思い込む」ことはできそうですよね。
「自分は愛されて当たり前」。この言葉が夫婦の関係を変えてくれるおまじないになるかもしれません。
不倫する主人公に共感して毎回涙するという知人が、
「寂しいから、不倫に走るんだよ。そういう気持ちになるのわかるよ」
とポツリ。銀行員の夫と2人暮らしで、その夫は重度の仕事中毒なんだとか。
その側で、別の1人が
「えー、不倫したいなんて考えたこともない。土日になると子どもとパパの取り合いだよ」
となんとも爽やかに言いのけます。その言い方が、ちっとも嫌味じゃない。
対照的な二人、どちらもタイプは違えど素敵な女性です。
ただ、私が感じる、手触りというか、感覚というか、で比べると、
明らかに、
前者は、重い。
後者は、軽い。
辛い思いをしたから重くなった、とか、いいダンナさんを選んだから軽いとも言えますが、ダンナ選びの段階で、すでに彼女たちの、重い、軽いは決まっているように思えます。
夫婦関係に悩む別の友人は、こんな風に言ったりします。
かまってくれない、
大切にしてもらえない、
どうでもいいと思われてる、
言ってもムダ、
何度か言ったけどダメ、
もう諦めた、
といいながら、
夫への恨みつらみを言い出すと止まらない。彼女もやっぱり、感覚的に重い。
趣味仲間の彼女も、友人も、きっと夫と何回かやりあった。傷つけあった。でも何も変わらなかった。だから、諦めた。諦めたことにした。
彼女たちの根っこにあるのは、
自分は愛されていない
自分は大事にされていない
という、とてつもなく悲しい実感です。相手とやりあえばやりあうほど、その思いが強くなる。
昔読んだ、精神科医 斎藤学先生(アダルトチルドレンで有名な方です)のブログにいいことが書かれていたのを思い出して必死に探しました。(2005年11月25日 恋人にしがみついてしまう)の相談です。
ここに書いてあることって、彼女たちの重さにつながる気がします。
「あたしは愛されて当たり前」と思っている人は、軽々と人を愛せる。まとわりつかれた相手は重く感じない。
彼女たちは、最初からその思い込みが弱くて、「愛されていない証拠」を積みあげて相手を責める。責められた相手は怒るか心を閉ざす。
夫婦でやりあった時に、夫は言ったかもしれない。
今は仕事にエネルギーを注ぎたいだけ
四六時中ベタベタするのは好きではないだけ
君を愛してない、とは、一言も言われてないのに、
愛していたら仕事よりも自分を優先するはず、
愛していたらセックスレスになんて絶対ならないはず、
という自分の価値観を握りしめて、相手の声が聞こえかったのかもしれません。
夫側も、確かにもう少し踏みこんでもいいかもしれませんよね。キチンと向き合うことをしないで、妻を腫れ物扱いしている。
うちの場合は、反対かも。
夫が、重かった、時期がありました。
「かまってくれない」オーラを出されたり、「嫌いになった理由」を聞かれたりすると本気でげんなりした。罪悪感を感じさせる夫がますますうっとおしいと感じることもありました。
私は、一人でいるのも好きなだけ。
ベタベタするのがうっとおしい時があるだけ。
でも、嫌いなわけでもないし、他に好きな人がいるわけでもない。
とは、なかなか素直には言えませんでしたね。だから、私も悪かったんです。
最近夫は軽くいいます。冗談交じりに。
「もう、嫌われてもいいことにした。自分が好きならいいやって」
まだ、少し重いけど前よりだいぶマシです(^_^;)
斎藤先生は、
「自分は愛されて当たり前」に、根拠なんてないといいます。
根拠がないことを信じるのは難しいけれど、「思い込む」ことはできそうですよね。
「自分は愛されて当たり前」。この言葉が夫婦の関係を変えてくれるおまじないになるかもしれません。