すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

あなたを信じていたからなの。

2014-09-16 20:35:00 | ひとりごと
かつての職場で援助した人のなかに、救急車の常連さんがいました。

気性が激しい彼女には、境界型人格障害の診断名がついていました。

母親とケンカしたとき
体調がわるいとき
センター(私の職場)でトラブルがあったとき

とにかく感情が高ぶると、彼女はセンターまでの道路や駅で倒れました。ヒステリー症状なのか、意図的なものかは判然としません。

ある時、センターの前で倒れ救急車が来ると、彼女は私やセンターの所長にかかりつけ病院までの同行を強く求めます。

所長の判断で同行は断り、彼女は病院に一人で搬送されました。

病院ではいつものようにすぐに帰され、そのままセンターにやってきて、

「どうして一緒に乗ってくれなかったんですか!」


とものすごい剣幕で泣きわめきます。

煮えたぎる感情をぶつけてくる彼女に、かけるべき言葉が探せません。落ち着いた時の彼女は比較的ものわかりがいいのですが、こうなると何を言っても火に油を注ぐことになりそうです。

私が、その勢いに気圧されているそばで、所長が淡々と優しい口調で言いました。

「それはね、◯◯さん。あなたを信じていたからなの。あなたは一人でもきちんと対応できる人だと、大丈夫だと信じていたからよ」


彼女の顔から険しさが消え、いつもの素直で恥じらいの表情が浮かびました。彼女の火のような感情は、一瞬で消火されました。

センターの都合や規則を理由に挙げたら、ああはいかなかったでしょう。


信じてもらえるということ。


それは、とてつもなく、人を安心させることなんですね。その体験の積み重ねが、自己信頼を育むのだな、と痛感しました。

人を信じることに二の足を踏む時、私はこの時の事を思い出しています。

ちなみに、息子に時々「信じてるよ」というフレーズを使ってますが、今のところ全くピンときてないようですσ(^_^;)

どっちでもいいや。

2014-09-16 10:14:09 | My メソッド
敬老の日に実家の母に電話して、息子に何か気の利いたことを言わせること。

誘いベタの私が、忙しい友だち2人をランチに誘うこと。



多くの人にとっては、なんてことないことなのだと思いますが、私には少し負担なことです。
普段使わない自分を振り絞る必要があります。

勇気、みたいなもの。

出てくる結果を見るのが、変な話、怖いんですよね。

微妙な雰囲気になったらどうしよう。
本当は断りたいのに無理させたらどうしよう。

なあんて具合です。

何を怖がってるんだ、って話ですよね。
でも、これが私なんです。
私の弱点なんですよね。

どんな結果でもいいや、と少し力を抜くと、勇気がフッと突然湧いて来ます。

で、実践。
エイヤっな感じです。

結果は、欲しくないものではなく、ありがたいものでした。まあ、欲しくないものが来ても、大丈夫だった気がします。

もう、どっちでもいいや。

勇気が湧いたとき、すでにそんな心境だったから。

どっちでもいいや。


最強です。