・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

酔言池:19 亡国のイージー 

2020年02月14日 | つぶやきの壺焼

20年前に書かれた亡国のイージスという読物があります。
イージスは、知恵、芸術、工芸、戦略を司り、あらゆる邪悪・災厄を追い払う能力を持つ女神アテナが使っていた防具の呼び名です。
イージスと呼ばれる防空システムも、工作員によって悪用されれば亡国の防具と化すという話です。

イージスは、カナ1文字違いでイージーを連想させます。
イージー、何かにつけて動かず楽なほうを採ることをまず考える、危機も運よく通り過ぎてくれればああよかったですぐに忘れ去る、これが生活習慣になれば、苦より楽を選ぶイージー性は、静かにゆっくり強靭さを増していきます。

とりあえず不都合でも、あえて日常と異なる策を選ぶ決断には、苦を伴います。
苦悩を避けながらゆっくり事を運び、成り行きに期待をかける、こういうイージー性が政治組織に住み着けば、それが亡国の遠因になります。

日本がゆっくり静かに衰退していく、それをじっと待っている、気の長い国がすぐ隣にあることを忘れてはなりません。

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酔言池:18 ダメダメ思考

2020年02月13日 | つぶやきの壺焼

ダメダメ思考で法や規則の解釈をはじめると、何でもしないですませる方向に頭が働きます。

どんなことでも手続き書類にして決済責任者の判を押させないと、ものごとは実行できないものと思い込んでいる閣僚がいる内閣は、ダメダメ思考型組織の標本になります。

ダメダメ思考型組織は、一時のためらいで後に大量の仕事を残します。
ひと言の命令で防ぎ止めることのできたウイルス保持者の訪日を許したばっかりに、日常は目立たない検疫という仕事を、ダイヤモンド・プリンセスでは大膨張させてしまいました。

ダメダメ思考型組織では、即決の必要な平時と危機の区別さえも、現象の変化を入念に確かめながらゆるゆると行われます。
危機というのは、訪れた瞬間のことで、後から考えるものではありませんから、その組織には事実上危機は到来しないものになってしまいます。

これは、憲法という仮名の付けられたお経を唱えながら、起きないことを祈っていれば戦争は起きないという、アリガタヤ平和主義と、どこか通ずるところがありそうです。

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酔言池:17 デジタル誤信

2020年02月12日 | つぶやきの壺焼

パソコンの使い方がよくわからずに、数表をWordで作って電卓で集計計算をしている人を、まだときどき見かけます。

コンピューターの計算が信用できることを証明しなければと、わざわざ手計算で検算をして、その経緯を設計検討書と名付けた紙の記録に残し、工事実施稟議書に添付するという、落語のネタになりそうなことをマジメにやっていたという話もあります。

コンピューターの計算を疑う人がいなくなると、計算がコンピューターで行われていれば、そのシステムが丸ごと信用できると思ってしまう誤信の落とし穴ができます。

コンピューターの動かし方も人が決めるもの、人の手が入れば間違いも起きるものという、ごく当たり前のことが忘れられたり、疑ってはならない領域のように思われたりでは、怪しさが巣食いやすくなります。

集計結果が、国の運命に大きく影響するようなだいじな選挙では、集計された数値だけに人々の意識が集中してしまうことは、あるところだけしかはっきり見えない度違いのコンタクトレンズに依存しているようなもので、はなはだ危険です。
そこにどう人の手が及んでいるのか、システム全体の監視点検審査をすることを忘れてしまってはならないでしょう。

違法かどうかだけを見ている選挙管理では、管理の仕事を半分しかしてないことになります。

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酔言池:16 肝心情報

2020年02月11日 | つぶやきの壺焼

世界中が未経験だったコロナウイルスを積み込んでしまった豪華客船ダイヤモンド・プリンセスが、1月20日に横浜港を出発したとき、中国人乗客は何人乗っていたのでしょうか。

1月はじめには中国から米国へ発病情報が届いていたそうですから、その2週間も後に中国人を乗船させたのは大きな手抜かりだったと言わなければなりません。

こんな対処の仕方では、ウイルス侵入を水際で食い止めるどころか、すでに感染していたかもしれないウイルスを、あちこちばらまいたり、放出したりしていたことになるではありませんか。

いまの報道機構では、情報の内容が危険度の判断に必要なことになると、こんなふうに知りたいことが知らされず、調べてないのか、隠しているのかさえわかりません。

乗客2,666名および乗員1,045名、合計3,711名が乗船していたという船の大きさがわかる情報だけでなく、どんな人が乗っていたのか、そこが知りたいところです。
国別に何人ぐらいのことは肝心情報で、個人情報とは言えませんから。

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酔言池:15 地名

2020年02月10日 | つぶやきの壺焼

ひらがな表記の公式地名をときどき見かけます。
漢字では間違いやすいのでひらがなにしたというのが、その理由づけでしょう。

漢字では間違って読みそうな地名を、難読地名と呼ぶ人もいます。

昔からある地名の多くは、場所の特定のために人々の間で交わされていた音声が元なので、表記されている漢字はみな当て字と言ってよいでしょう。

音で表される地名を知っていれば、その通りに読めるのです。
難読地名と呼ばれても、それは難しい文字の読みにくさとはちょっと違った読みにくさ、つまり難読とは言いにくいような気もします。

近ごろはやりの女性名を難読と言ったら、多分「あら、知らないの」と言われるでしょう。

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酔言池:14 通天願望

2020年02月09日 | つぶやきの壺焼

一念天に通ず」ということわざがあります。
棒ほど願って針ほど叶う」というのもあります。

二つのことわざは、逆の意味を持っています。
ものごとの一つひとつが、どちらに当てはまるかは、時と場合によります。
時次第で結果が逆転し、場違いになることもあります。

ものごとの一つひとつが、どう起きるかを考えるとき、確率という見方をします。
確率は、ものごとの一つひとつには存在しません。
確率は、繰り返されることがどうなるかという考え方ですから、ある予想を立てるとき、過去に似たようなことの結果がどうであったか、それが判断に役立ちます。

過去に二度も似たようなことが起き、結果が良くなければ、三度目の正直を期待して今度こそなどと考えるのは、ばくちに負けの込んだ追い詰められた時の頭の働きでしかありません。
頭は働いているつもりでも、まともな働きではなくなっています。

政治は、個人事業ではありません。
国の名誉と国民の生活が懸かっていないと思うのかと聞けば、政治家は皆そんなことはないと言うでしょう。
ところが、口ではそう言いながら、することは逆になっているのに気付かないこともあります。
政治の場には、逆行に気付かせない空気が漂うという、始末の悪い状態が続くこともあります。
皆が揃って煙に巻かれているのです。

永田町の大きな建物に、いま不足しているのは、強力な換気装置です。

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酔言池:13 道具

2020年02月08日 | つぶやきの壺焼

SNSが広く行き渡っても、それを利用できない人はまだ大勢います。
スマホは持っても、どうでもよいおしゃべりと、写真のやりとりぐらいにしか使わない人も多いでしょう。

マラソンでは、2時間の壁が破られました。
新型の靴が記録更新を助けたそうです。

優れものの道具は次々に現れ、そのたびに人間にできることが増えたり進んだりします。
しかし、その恩恵に浴するのは買った人のうちごくわずかでしょう。
それでも、優れた道具はたくさん売れます。
優れた道具を持てば、思い通りに事が運んだり良い成績を収めることができたりするだろうという願望のおかげです。

道具の神は、人間の願望でした。

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酔言池:12 言いなり 

2020年02月07日 | つぶやきの壺焼

テレビや新聞は、今世紀になって社会での役割が大きく変わりました。
テレビはお楽しみ用、新聞はお楽しみテレビ番組の選定がおもな用途になりました。
それ以外には、ちょっと知って置こうかぐらいの世の中の話題さぐり程度にしか使えません。
息をして、ものを食べているだけの人が、だいじなお得意様になっているからです。

テレビや新聞は、伝えなければならないことを伝えるためにあるものと、多くの人々に信じられてきました。
それがいつの間にか、報道事業にお金を出す人のためにあるものに変わってしまいました。

お金を出す人のためであれば、間違っていることも平気で知らせます。
本当のこと肝心なことでも、お金を出す人から、知られては都合が悪いからやめておけと言われればその通りにします。
なぜそういうことになってしまったのか、多分言いなりがいちばん楽だからでしょう。

楽であることと楽しむこと、同じ文字なら同じことと思ってしまうのも、言いなり地蔵のいたずらでしょうか。
楽に浸っていれば、楽なことしかできなくなります。
ごく一部を除いて、テレビや新聞の事業は、長生きはできても、言いなりが邪魔になって、いま世の中の役には立っていません。

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酔言池:11 実験場

2020年02月05日 | つぶやきの壺焼

実験の成功には、最適の時と場が必要です。

対象が人間の場合は、時の選択が大きくものを言います。
さあやるぞと掛け声をかければ、人々の気持は変わるでしょう。
そのことが好都合な実験とそうでない実験があります。

平然、泰然の装いが得意な民族と、できない民族があることは事実でしょう。
しかし、興奮、熱情、恐怖、慟哭を見せても、それが心理の実態なのか、装いが得意なのかはわかりません。
装いを含めての状態表現が、実験の手助けをすることもあるでしょう。

ともあれ、平然、泰然を保ってもらえれば、心理実験の目的に合いやすいということはありそうです。

日本はこういう実験の対象に向いているのか、何十年に一度は大実験を仕掛けられます。
武漢ウイルスの大実験でも、旅客受け入れ警戒の甘い日本は、好個な実験対象にされています。

こういう大実験の場合、実験項目は、病気の直接の影響だけではありません。
その民族が、どこまで平然、泰然を装い得るか、それもおそらく観察項目に入っているでしょう。
観察ではなく偵察なのかもしれません。

実験期間の後半に、大実験の首謀者が直接観察に来るという計画も組み込まれ、時期の調整まで行われています。
過去に例のない反省の素振りまでして見せ、実験対象の心証を緩めて、平然、泰然を持続させようという工夫もされてもいます。

とにかく図に乗らせないよう、こちらは平然、泰然のどんでん返しをいつやるか、これだけはしっかり密な計画を立てておかなければなりません。
何もかも実験台だけで終わるという片務被害や、無用の難儀を背負い込まないように、それが政治家の仕事です。

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酔言池:10 大陸の津波

2020年02月04日 | つぶやきの壺焼

津波は海からやって来ます。

海の向こうには、大陸があります。
その大陸からも、津波が押し寄せます。

病を背負った客人です。

武漢肺炎という病、これは数と広がり、対策不明が脅威です。
もうひとつの病は、覇権症候群の一種、独裁病です。
一見友好実質征服という、超長期潜伏性をもった難病です。

病には、見ているだけ、避けているだけでは、うち勝つことができません。
とにかく打てる手を出し惜しみせずに打ち、遮り切らなければなりません。

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酔言池:9 法治で放置

2020年02月03日 | つぶやきの壺焼

状況が対処を求めるとき、法がそれを妨げることがあります。

法が妨げないことがらは、対処というほどのこともなく、当たり前に自然に片付きます。
人々がそれぞれの生活を安心して続けられるための法が、当たり前の行いの邪魔になるというのはおかしな話です。

法治国家という呼ばれる国は、その呼び名からはしっかりしているように聞こえますが、呼び名だけでは実態はわかりません。

その国の政治が、法にすがるしか方法を持たない場合も、法治国家と呼ばれるでしょう。
そこでは、法にすがりながら何をするかではなく、何もしないで問題を放置し、その責任を法の存在に転嫁しているのです。
その国の政治、行政の仕事をする人は、今持っている法を盾にとって、手を出さずに体面を保つことをまず考えます。
国外に出て仕事をする人は、何か事が起きた時にも、自国の法のおかげで最善の方法を取ることが許されず、一歩手を引いた中途半端な対処しかできずに、かえって危険な状態にさらされなければならないという、苦労を重ね続けることになります。

さて、日本は何々国家に分類されるのでしょうか。

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酔言池:8 意地

2020年02月02日 | つぶやきの壺焼

意地っ張りは意志の固さの表れ、時と場合によってはだいじなことです。
この時と場合は、意地を張る人が選ぶので、はた迷惑なこともあります。

ひと口にはた迷惑と言っても、その「はた」の裾野の広さが問題です。
権力を握っている人が、その権力の及ぶ範囲がすべて自分の「はた」と思い始めると大変です。
それが無意識の場合、気付かせる力を持った人がいなければ、そこには無限の不幸が訪れることになります。

困ったことに、意地は個人の感情で、はたは公の場であるということです。
一つのことを、層の違うところで一方が張り一方が被るという構図になるので、どこかで安定するわけがありません。

公の場が国全体であったらどうでしょう。
張り通した一個人の意地が、国体を放り投げることにもなりかねません。

もっとも始末の悪いのは、決まっていることだからという、利不利は考慮外で実行最優先の、権力者の偏奇な信念です。
それにとらわれて、何十年か先の国の姿が自分の思うように必ずなっているという、自縄自縛に陥っている状態です。
梅の花が落ちる前、桜を待たずに縄をほどくことを急がねばなりません。

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酔言池:7 多層多面 

2020年02月01日 | つぶやきの壺焼

ものごとを一つの方向からだけではなく、多面的に見なさいとよく言われます。
多層的に見なさいとは、あまり言われません。

観光客がどかどか押し寄せれば、食・宿・交通・遊・土産にかかわるおカネが入ってきます。
出ていくものは、美しい風景、温暖な気候、善良な生活習慣などの好い評判です。

日本では、観光の情報として伝えられるのは、おもに見た目と数のことで、表に現れない別の層のことはあまり伝えられません。
入ってくるもの、持ち込まれるものには、悪習、病気など、決してありがたくないものが付いてきます。
観光という申告の言葉だけで名目が出来上がれば、別の目的のことがあっても入国が許されます。
世界中を震撼させるような伝染病が間近に迫ってきても、自由と人権の幟旗が、即断即決の対策を妨げます。
「正常化の偏見」という便利で厄介な心理現象が、自分の身の回りはだれよりもどこよりも安全と思わせます。
個人の命運の場合には、あきらめが通用しても、国の命運を「正常化の偏見」に委ねるわけにはいきません。

国政を預かった人たちは、自分の一生や、なんとか格好をつけて保っている名声という心の層を、緊急時には仮眠させておく芸ができなければなりません。
いよいよになってお役目返上ぐらいのことでは済まされないのです。

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