懸念は反行動である。
「懸念している」という表明は、関心は持っているが何もしないという、反行動の表明である。
平たく言えば「わしゃ知らん」と同義だろう。
外から何かを仕掛けられ、様子を伺われているとき、態度表明によって、相手の増長ぶりは当然のように変わる。
国土の領有や国民の生存が脅かされようとしているとき、懸念の有無を伝えてみたところで、その侵略行為を制止する効果は全くない。
政府の懸念表明は、無関心ではいないと自国民に言い訳をしているだけである。
こういう懸念逃法を常道にしてしまうと、逃げることが平和維持の唯一の方法となり、人間の根源を放棄した生活態度を子々孫々に伝承していくことになる。
そんなことでよいのか。