悪者は、どういうときに仕立てられるのか。
化けものは別として、人間の場合産まれた途端に悪者という人はいないから、いつかどこかで悪者にされることになる。
ともすれば暗くなる空気を、少しでも明るくしようと放ったギャグが通じない場合、明るくという善意のもとの行為が、たちまち悪事に転換させられてしまうことがある。
悪事には謝れ、謝るのは悪者だからと、そうなれば狙われた人は蟻地獄。
新聞雑誌の記事は、暗く悪いことのほうが読者の目を引きやすいから、記事を作るデスクたちは、ものごとを悪く悪くと記者たちにけしかける。
「これも仕事」という自分への言い訳カードが、記者たちをむりやり奮い立たせる。
ある一つのことを誰かが捉えれば、我も我もと蝿がたかるように押し掛ける。
記事作りには、何か悪く思われることを探し、ネタを捕まえればしめたこれだと繰り返し攻め立てる。
これはもうストーカー行為ではないか。
各社が特落ちをおそれてとにかくワイワイ集まれば、そこに集団ストーカーという奇妙な協力体が出来上がる。
この仕立屋の作るのはとにかく悪者でしかない。
メディアはこぞって悪者仕立業になっていく。
こんなことが、子々孫々に伝えるべきまともな情報社会であるのか。