ついうっかりものを言ってしまった、エイヤッとものごとを決めてしまった、そのあとで、言った言葉や決めたことがらに縛られて、動きがとれなくなることがある。
これが政治をつかさどる人の場合は、当人を縛るのでなく、人々の口をふさぎ、動きを鈍らせることになるから始末が悪い。
しかも、本当は縛られるような話でもことがらでもないのに、言ったやったで皆が迷惑と、縄目の宣伝だけが広がり固まってしまうこともある。
生活環境があまりにも自由であり過ぎると、ときには縛られたい願望が芽を吹く。
その願望が共有され、自縛気風が強まると、人々の動きが鈍くなり、それが民意の現れと、グズな政治屋たちに行動しない口実を提供することになる。
迷惑をこうむるのは、当事者の次世代次々世代、その迷惑が、しばられる対象が溶けてなくなっていて、気にして見ているのは縛っているつもりの縄だけというでは、いかにもばかげた話ではないか。