虚言は、発信者の論理で作られる、目的を持った作品です。
見破られたときへの対処方法、自己責任への覚悟を、それぞれに持って発信されます。
そうでないただの嘘は、ギャグであったり、妄言であったりします。
虚言作家は、類が友を呼び、N町には群をなしています。
群は大小さまざまで、小さな群が大きな群のなかに溶け込んでいることもあります。
そこでの虚言の目的は、多くの場合、作家としての地位の保全が大きな割合を占めます。
発信の仕方には、地位の保全が考えめぐらされています。
虚言の論理に組み入れにくい、国の未来のこと、国民生活の将来のことは、ほとんど埒外に置かれます。
こういう虚言作家の地位保全に力を貸す奇妙な寛容に、暗くて辛い自己責任を感じている人はどのくらいいるのでしょうか。