いま決められていることが、万事に最上であるというのは、人々に大きくかぶさっている薄手の妄信であると思っています。
決めごとの役割は、過去を裁くこと、今を選ぶこと、未来を望むことでしょう。
この3段階は、重要性から言えば、うしろから順ということになるものと考えます。
決めごとの代表は法律ですが、今の法律の使われ方は、重要性の逆順になっている気がします。
何か事が起こると、法律に照らしてどうであったか、人としてひどい仕打ちも法に違反してなければ許されるという珍解釈がしばしば見られます。
ちょっと怪しげなことも、法に触れないからやっちまえという判断がときどき用いられます。
ところが、いちばんだいじな未来のことでも、法が邪魔をしていれば顔をそむけ、法を何とかしなければという話はなかなかしたがりません。
人間のすることは、自然の法則に従って、放っておけば悪いほうにずるずると滑り込んでいきますから、法律は絶えず監視され、必要なことを改めていかなければなりません。
法律が人を監視してくれるというのも妄信のひとつですが、法律は人がそれを監視していなければならないものであるということに、多くの人は顔をそむけます。
ここで二つ挙げた妄信のことは、早ければ今年中にも、日本中の人に問いかけのあるだいじなことがらにかかわっています。
何のことなのかは、バカ騒ぎのTVにかじりつき、大売り出しのチラシだけを毎日眺めていたのではわかりません。
まず、何のことかを考えて自分でカギを開けなければ見つからないでしょう。