・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

粗忽妄信:8

2018年01月21日 | つぶやきの壺焼

集まって同じことをしていると、楽しさの感じが湧いてきます。
その代表格はオリンピックという大形の集まりでしょう。
ほとんどは閏年に、そうでない年にも、4年ごとに世界中から人が集まり、競い合う楽しさを味わいます。

この、競い合うことから得られる楽しさが、ただ集まることに楽しさがあるという妄信に変わると、人が生きることに逆らうような、全く無駄な集まりになってしまうこともあります。
そちらの代表格は、何ごとによらず反対を唱え気勢だけをあげる無根拠なデモです。

集まった人々は、反対を唱えさせられるそのことの、どこにどう悪いことがあるのか考えることはしません。
集まることに意義があるという妄信に浸りきっているからです。
デモを指揮する人の何人かは、人を集めて騒ぐことを仕事にしています。
肩書きが好きな人はその人たちを活動家と呼びます。
ジャーナリストと名乗れば伝えることは何でもよいと思い込むように、活動家と名乗れば人を集めてすることは何でもよいと思い込みます。
仕事だから、という自分騙しがその思い込みを助けます。
仕事への報酬は、都合と場合に合わせて、ときには静かにだれの目にも触れない形で、書く人、動く人の手に渡ります。

このことが、一つの国に住む多くの人々の、何十年か先の生き方をすっかり変えてしまうような、相手次第では何万人もが一度に生きる場を追われ、命を奪われるようなことにつながらない保証はありません。
集まって騒げば楽しい、その妄信がもたらすものには、恐ろしーいこともあるのです。

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