科学・技術が政治に引きずられるのはなぜか。
生活がかかっているからという理由を否定できる力を、世の人が持たないからである。
何、生活?それなら私が面倒を見る。そう言ってのける人が増えてくれば、引きずり現象は弱まっていく。
財力のある人は、科学・技術を育てようという心など持とうとしない。
そうし難いような制度を、そうされると具合の悪い人たちが作ってしまうからである。
都合に合わせてルールをたびたび変えてしまうオリンピックのやり方にどこか似ている。
人を育て難い制度とは税制である。カネが動けば必ず税金が付いて回るように、世の中は仕組まれている。
カネを出した方も、受け取った方も何だかだと理由が付いて課税されるようになっている。
税を取り上げることが法律で守られているから始末が悪い。
世の中のためにと思ってカネを動かしても、うっかり手続きをしそこなえば罪人にされてしまう。
周到に構えたつもりでも、罪状を見つけ出し罪人を作り上げるのを仕事にしているプロにはかなわない。八方に眼が届くからどこかで尻尾をつかまれる。
課税制度と司法制度、そのあたりに科学・技術が世のために伸びない成長抑制剤が仕込まれているような気がする。
それぞれの都合を起点にするあてがい扶持の科学・技術では、壮大な付加価値はなかなか生み出しにくい。