「一九五〇年代に政治演説研究をしていた英文学部所属の学者たちが始めたのがコミュニケーション学部の前身になったレトリック学部よ。古(いにしえ)の哲人たちは『思索』と『批評』の両方をしていたのに、いつのまにか批評は哲学者の仕事ではなくなった。英文学部を飛び出した学者たちは文学という虚構の言説の批評に不満を持って、現実世界の言説の批評を目指してコミュニケーション学を発祥させた。アリストテレスの『レトリカ』は単なる美辞麗句を弄することを教えた本じゃない。いかなる場合にも可能な説得の手段を見つける能力を教える本よ。さらにプラトン以前に雄弁術を教えたソフィストと呼ばれた哲学者たちに始まる二千三百年の伝統を持つ学問、それがコミュニケーション学なの」
マウスピークスは、コーヒーを口にした。
「この後はくわしい説明を要しない。中西部の農家の子どもたち向けの対人コミュニケーションから、第二次大戦後に必要とされた異文化コミュニケーションを経て、メディア時代に発展したマス・コミュニケーション、次々とコミュニケーション学が取り扱う内容は膨らんでいった。医師と患者の関係を取り扱う医療コミュニケーション、陪審員制度を分析する法律コミュニケーションも始まった。あなた方は思うかもしれない。医療コミュニケーションを知らなくても医療は医学部で勉強できるんじゃないか。法律コミュニケーションを知らなくても法科大学院で法律は勉強できるんじゃないか。でも違うの。知識やシステムとして政治や医療を研究するんじゃない。コミュニケーションによってわたしたちが共同的に認識する意味が作り出される。コミュニケーション学の研究対象は辞書に載っているような単なる情報伝達じゃない。結論に達するまでには、どんな議論と葛藤があったのか、どのように世論が形成され対立して変容するのかというダイナミックなプロセスが研究対象なの。科学技術の進歩についていけなくなった市民社会が近年のコミュニケーション学の隆盛の背景にあるのは間違いないわ。何か質問は?」
誰の手も上がらない。
「オーケー、これ以上話を聞きたいなら、午後二時から三時まで二階のゲストルームにいるわ。解散!」
多くの学生は煙にまかれたと感じたが、ナオミにはそうではなかった。
完全に理解できた自信はないが、心の琴線に触れた何かがあった。マウスピークスの説が正しいならばコミュニケーション学者こそ現代の哲学者ではないか。
「現代の哲学者」。
このフレーズが気に入って、何度も繰り返してみた。コミュニケーション学こそ人間をもっと知りたいと思っているマーメイドにぴったりではないか。
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