Chef's Note

『シェフの落書きノート』

「ごちそうさま」「ありがとう」

2005-11-01 | 自由 気ままな独り言
初めてシェフになって約1年後。
その頃、僕は、湘南の葉山にあるお店でシェフをしていました。

そして、ようやくお店も軌道に乗り始めた頃。
僕がまだ30歳を迎える前の事。

随分と昔の話になりますね。

*-*-*-*-*

夏の葉山に通り雨が降り出した。
アスファルトをたたく雨は次第に強くなっていた。

お店のガラスの扉がゆっくりと開いて…
ずぶ濡れの少女が店内へ入ってきました。

どうやら、雨の中を歩いてきたらしい…

店の奥さんが彼女に気付いて声をかけました。
「どうしたの?雨の中…ひとりで来たの?」

少女は眼をキラキラさせて大きくうなずいて…。

「ケーキ ください…」
そう言って、小さな手を差し伸べました。
その可愛らしい手には、四つに畳んだ千円札…。

バスタオルをアルバイトの女の子に持って来させ
ずぶ濡れになった少女をふきながら…

「ケーキを買いに来たんだ…。はい、ケーキはこっち… どれがいいか選んでね」

少女はケーキのショーウィンドウに顔をくっつけそうになる位まで近づけて…
僕が作ったケーキをひとつづつみていました。

ケーキ屋さんのケーキのような華やかな飾りつけも無いシンプルでオーソドックスなケーキ。

眼も笑顔もキラキラと輝いている。

彼女が選んだケーキを包み…
丁寧に箱に入れ、ラッピングして
彼女に手渡すと…

大切そうにその箱を両手でかかえました。

僕は、その光景をかたわらでみていました。

嬉しかった。

恐らく家をでてから、夕立がザーッと降り始めたのでしょう…。
家に引き返すわけでもなく、一目散に走って…
この店のケーキを千円札を握りしめて買いに来てくれたのでしょう。

そうこうするうちに…
お母さんが傘をさして迎えに来ました。

「どうも、すいません… この子ったら雨の中を…」

その頃になると夕立もやみ薄日がさしてきました。

彼女は、ケーキの箱を大事そうに抱えながら…
お母さんに手をひかれて帰っていきました。

今でも僕は、悩んだり迷ったりしている時にそのときの事を思い出すことがあります。

あのキラキラしたとした笑顔と瞳…
もう、今ではあの子も大人になっていると思います。
…あの時のことは、たぶん忘れてしまっているかもしれませんね。

でも、あの時のあの光景が何故か今でも僕の心に残っているんです。

そして、それを思い出す時。
不思議と迷いはなくなり、心にほのかな光がさしてくるような気がします。

お客様の「ごちそうさま」そして「ありがとう」

もしかしたら…この言葉とあの笑顔にふれることがなかったなら…
いつしか僕は、キッチンから遠ざかっていたかもしれません。

「ごちそうさま…」
「ありがとう」

僕は今日もキッチンに足を運びます。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。