11月9日です。
神殿奉仕を終えて、仮眠をしたところです。
神殿奉仕を終えて、仮眠をしたところです。
今回の神殿奉仕では、待機時間に「正文遺韻」の理の話を読み易く書き換えて見ようと、数頁やってみた。
それをして、しばらくして、以下の文章が思い浮かんだ。
それをして、しばらくして、以下の文章が思い浮かんだ。
カンロ (甘露)。
天は大竜、くにとこたちのみこと。頭一つで口より水を吹く。
地は大蛇、おもたりのみこと。頭12で口より火を吹く。
天は水を湛えているから、青く、夜の守護によって露を授ける。
昼は地と日様のおもたりのみことのお働きで暖かく、作物に降り注いだ露は凝縮されて作物の味わい、甘味となってカンロとなる。
ゆえに、昔から旨いものを「カンロ、カンロ」という。
このカンロを、直接甘露台の上に降らして、寿命薬として授けたい。のが親神様の思い。
いちれつの心が澄み渡り、真の甘露台が建てられた事なら。。。
今は甘露台が出来てからとなっているが、はじめは甘露台をすぐさま立てて、教祖から心次第に甘露を渡したいと思われていた。
このカンロは、甘露台に降らせて、寿命薬として与えようとされたが、この寿命薬は、親神様のお心に叶わねば、身体が固くなってしまうものと言われた。
親神様のお心にそう人々が多ければ良いが、少なかった場合は、寿命薬どころか怖いものとなってしまう。
みかぐらうたの地歌を「いちれつすます かんろだい」から「いちれつすまして かんろだい」に変更させたのは、明治15年の2段までできた、かんろだいの石の没収を契機とされるが、カンロの事を考えると、この時までに、人間の心を見定めて、陽気ぐらしへの計画を変更して、人間にその思いをしっかりと印象付けるために、この事柄を起こされたように思える。
天理教では、人々に親神様から、おさづけをはじめ様々な不思議な働きを見せる手だてを渡されている。
これの効能が現れる元は、親神様のお心に叶うことが条件と言われる。
この親神様のお心に叶う心になることが、何よりも重要である。
こうした事も、おやさまのひながたに関わる史実に多く見られる。
心したいところである。
・・・・
これから用事をすませて名古屋へ戻ります。
昨夜は皆既月食でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます