あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

11月になりました。。追記_天理教の話とは。。

2022年11月03日 21時44分18秒 | 思った事

11月になりました。

今日は、11月3日です。

昨日は、布教所の方たちとおぢばがえりしました。

久々に教会にいますので、掲示してある諭達を張り替えたり、トイレの壊れかけたスイッチを取り替えたりと、雑用をしました。

そして、三年千日とコロナになって三年が経ったことが重なり、思う事を書きたくなりました。

 

2019年の年末から、新型コロナの話題が出て、ちょうど3年が経ったことになります。

そして、このブログも2020年の2月から再開して、コロナ禍の事から思う事を書いてきました。

当初は自然災害と思ってきましたが、トランプ大統領の発言や、WHOの対応、そしてワクチンの開発、治療薬に関する情報の隠蔽などなど不審な点が次々と現れて、自然災害ではないと思うに至りました。

さらには、アメリカ大統領選挙の投票が急に跳ね上がったバイデンジャンプから、不正投票が組織的に行われていると思うようになりました。

また、そうした情報が一切日本のマスメディアには発信されないことから、日本の情報が管理されている事を知りました。

また、こうした目に見える情報のほかに、スピリチュアル関係の動画を見比べることから、世界が変わる転換期である事も、霊的な発信により事前に多くの人々に知らされている事も知りました。

 

そうした様々な現象を見ながら、「おふでさき」や「おさしづ」を読み返し、親神様は一体どのようにしたいのだろうかと思案してきました。

その中に思いいたったのは、天の理として、親神様の残念の現れる旬が必ずあるという事でした。

その旬が現れる事について、親神様はとても心配して、それを避ける方法を事前に人々に知らせて、それを悟れる人々とそうでない人々、言い換えれば善と悪の人々を見分ける時旬だという事でした。

この善と悪というのは、単純に人間の思いからの善悪ではなく、親神様の思いからの善悪であるという事です。

そして、何とか親神様のざんねんを晴らす方法はないかと思案した時、「元の理」を多くの人々に知ってもらう事だと思いました。

そこで、「元の理」を自分なりに解釈したり、小説にして見たりしました。

また「復元」を研究するグループを作り、「復元」や「ひとことはなし」などを共有して、教理を勉強してきました。

 

こうした中に、世界の人々の考えが様々であり、その考えによって物事の解釈が全く異なる事などを知る事にもなりました。

この事は、天理教として教えを知る人々についても同じで、ただ単に身上や事情の御守護を求める人、教えを求める人によって考え方が違う事も感じました。

 

そして、先日、真柱様が教祖140年祭に向けての「諭達」を出されましたが、その少し前から世界の様子が変わる感じを受け、もう教理の事を発信するのも、世界の事情を発信するのも良いかなぁと思う中、色々な用事が増えて来て、教会で教理の事を発信する時間が取れなくなり、日々の様子を発信するだけとなって来ました。

 

その中今日、教会の用事を済ませたところ、逸話編170についての投稿を見かけて、久々に調べました。

170
『天が台』
 梅谷四郎兵衞が、教祖にお聞かせ頂いた話に、
「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」
と。又、
「人詣るにより、威光増すのである。人詣るにより、守りしている人は、立ち行くのである。産土神は、人間を一に生み下ろし給いし場所である。産土の神に詣るは、恩に報ずるのである。」
「社にても寺にても、詣る所、手に譬えば、指一本ずつの如きものなり。本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり。」
「この世の台は、天が台。天のしんは、月日なり。人の身上のしんは目。身の内のしん、我が心の清水、清眼という。」
と。

この逸話を見て、意味が分かりずらいので、これについて、詳しく書かれたものは無いかと、「正文遺韻」と「先人の遺した教話1 静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛」を探しましたが、見当たりませんでした。

ところが、これを探す間に、

「先人の遺した教話1 静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛」47頁に

次のものを見つけました。

『神の話、人間の話』
神の話と人間のする話とには区域がある、なれど神の話と人間の話とごっちゃにするから訳がわからん。
※ごっちゃ=混ぜてしまう事。

という話しでありました。

これを見つけて、なるほどと思いました。

親神様の話は、人間が作られた時から現在、そして未来についての話でありますが、人間の話は今世一代の話しなのです。

いんねんの話などは、前生・前々生と生まれ変わり出変わりを信じていなければ分からない話です。

かしもの・かりものも、目に見えない神様と人間との貸し借りの話で、目に見えるものしか信じない人間では理解できない事なのです。

そして、人間の心が変わって成人する話も、神様の目から見た話で、歴史を跨いで感じる話でありますので、今現在しか見ていない人間では理解できない事なのです。

そして、親神様が教祖として残されたひながたは、親神様の思いを人間に伝えるための苦労の話ともいえます。

そして今起きている様々な事情も、神様という存在・霊なり宇宙人なりと目に見えない存在と人間との関係で考える事と、世界で起きている戦争や経済の話しとは、直接的には結びつかないのです。

だから、分りずらいのだとこの言葉を見て思ったのでした。

 

いんねんならば通らねばなりません。

これは、親神様を知り、いんねんという教えを知った人が言える事で、そうした人は冷静に物事を見て、人々の心の動きも見てそれなりの対処ができるのだろうと思えました。

そうでない人には、どの様にしたら良いか。

これが、これからの課題だと思った次第です。

 

その他にも、この本から様々な事を思いましたが、少しだけ書きました。

今日も一日ありがとうございました。

 

追記です。(3月4日、アルバイトに行く地下鉄の中にて)
昨日書いて、今、思い浮かんだので、メモとして書いています。(手直しして、ここに記しておきます。)
梅谷先生は、心学道話研究所「天輪王社」を作って、人々に神様の話を説かれていたと、53頁に書いてありました。
 
それを思うと、人間の学問と神の話を融合または、人間の学問から神の話を理解しようとしていたと考えることも出きると思えたとき、
「神の話と人間の話をごっゃにするから分からなくなる」とは、この事かと思えました。
 
今も「学問では、このように言うので」と、神様の話を正当化するような話も見受けられますが、これも同じことのように感じます。
 
学問は人々が認めなければ成立しません。人々に知恵がつき、おかしいと思うようになったら、その学問は廃れます。
現在は、地球は止まって天が動いていたという天動説が、多くの人に認められないように。
そして、魔女狩りとして、聖職者とした権力者が唱える説を盲信して、さまざまな殺戮を行ってきた歴史なども、これと似たようなものです。
 
元の神、実の神である親神様のお話しは、学問の以前の、元になる話であり、今なお陽気ぐらしが出来る人間へと導く道中の話しという認識がとても重要かと思います。

そうした時、現在世界で起きている混とんとした状況も、私たち人間が成人するための一つの節であり、この事と親神様のお話を見比べて、それぞれの心の成人を計り、新たな知恵を身につける事が重要ではないかと思えます。

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