あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

人間の成人。。。神の成人。。。仕込む。。魂心を澄ますために。。

2022年11月15日 06時22分32秒 | 思った事

「この先は寄せた道具を見分けして 仕込む模様を急ぐばかりや」

とおふでさきにある。

親神様は、子数の年限を待ちわびて、月日の社の教祖に入り込まれた。

そして、魂のいんねんある人々を、庄屋敷へ引き寄せて、仕込みをされた。

それまでは、人間を育てる上に、医者薬、拝み祈祷や易判断などなどを教えて、難儀苦しむのを助けて来た。

これは「修理や肥に医者薬を」と言われるところである。

また、世界にほこりが立つ時には、とその難病を和らげる上に、薬草を教えて風呂に入るようにと教えられたことも正文遺韻に記されていることから、その場しのぎのものとして教えられて来たと言える。

親神様がこの世の表に現れてから、今日までまだ、医者も薬も要らない陽気づくめの世の中にはなっていない。

反対に「おさづけでたすからから、医者はいらない」と言った人々に、「医者の手余り神が助ける」と、「まずは医者に掛かって、それでも治らないという場合に、治ったならばそれが神の不思議だ」と、政府からの弾圧があった時に示された。

この事で、医者薬とおさづけなどによる助けの併用が一般的に言われるようになった。

これを今思案すると、本来は何といっても、「心の切り替えが重要なのだが、その心の切り替えを考えずに、身上を助かる事だけに思いが行き、傲慢になっている人々への警鐘」と思える。

現在では、その切り替えるべき心自体がままならないのである。

そして現在は、そのままならない事を承知で、薬の世話になり、薬の助けを借りて辛さをしのいで、心を変える道があると私は思っている。

 また「いんねんならば通らにゃならん」と言われるごとく、前生の通り返しで見せられる身上や事情があり、それは「ただただ詫びて、親神様の導きに感謝して、その返しが済む」ことを願う「たんのう」しかないのである。

 

親神様は、身上や事情を大難は小難にと親心でして下さっている。

また、それが現れる事を、先延ばしにして下さっている。

しかし、心澄ます上にも、前生の借りは必ず返さねばならない。

人間はみな平等なので、悲しませたらそのかやしは、必ず悲しませた者にしなければ平等にはならないのである。これが天の帳面の話の根本であると思う。

そして、こと道具衆として見定めた人々には、その身上事情が次々と現れてくる。

一般の人々ならば、前生へと持ち越すはずの物さえも、早く良い道具としたいがために。。。

この事を理解した時、なるほどと思った。

 

先日「赤きもの・白きもの・黒きもの」について、ある方のコメントに思うところを少しだけ書いた。

赤き者は、教祖の如く、心澄み切り親神様のお心が映り、先の見える人。

黒き者は、自分の思いばかりでほこりを積み重ねて、先が全く見えない人。

白き者はその間にあり、心を澄ます努力をすれば、赤き者にもなれ、我が身思案に陥れば黒き者にもなるものである。

この「赤き者・白き者・黒きもの」はおさしづに出てくる。

生まれ出たら、すべての人は前生の記憶はなく、白紙なのである。

それが周囲の環境、自分の持ちこした性分から、様々な事を思い、赤へも黒へも行くのである。

 

この赤き者になり、先がわかる事で、他の人々を陽気ぐらしへと導いて行く事が出来るのである。

その様にしたいと思ったのが、お屋敷に寄せられた道具衆、人足やしろと言われた人々だと思うのだが、そうした人々も、親神様の思い通りにはならなかった。

その代表が、秀司様であろう。

そしてこれらの道具衆は、元はじまりの時の道具衆の神様の魂である。

つまり、親神様が神様を仕込んでいるともいえるだろう。

神様の魂ならば教祖や本席様のように、親神様のお言葉が聞こえても良いだろうに。。と思った時に、

神様の魂を、人間世界に生まれさせて、教祖とは違い、神の言葉が聞こえない普通の人間にして見たらどうなるのかという試しをしたとも思えるのである。

また、教祖の同様に、親神様のお言葉が聞こえた「こかん」様は、親神様の思召し通りにされずに、出直されている。

そうした中に、先日かんろについて書いたように、甘露台を建ててカンロを授けて不思議を現し、人々の心を変えるという計画から、人間の心を澄ますことを先にするというように計画を変えられたのは、そうした試しからであろうとも思うのである。

 

では、立教以来、人間の心は澄んで来た、成人して来たのだろうか?と考える。

今、世界中が混乱する時である。
この混乱という事、世界が変わるという事から、立教以来の日本の歴史を考える時、私は親神様のお導きによって、段々と澄んできている。
澄んだ考えが出来る人間が増えてきているように感じられる。
 
それは、
天保9年に立教し、不思議な助けが現れ始めて明治の開国となる。
明治の開国により、日本の常識が変わった。
ここに江戸時代にはなかった観念が日本にもたらされた。
 
科学、医学など多くの人々が学ぶようになり、平等の意識が高まって来た。
そして、物を中心とした幸せをそれぞれが求めるようになった。
 
そして大和の国などの小さな国から、日本というひと回り大きな国となった。
明治になり、日本中に親神様の不思議が現れて、日本にほぼ天理教の名が広まった。
すると日本は中国、満州、韓国、台湾などなど広い地域へと広がり、親神様の神名も日本以上に広まった。
天理教は政府から弾圧を受けて、教えそのままを伝える事はできなかったが、不思議な助けは世界へと広がり、神名が広まったのである。
 
すると、昭和の時代になり、日本が戦争に負けて日本の常識がまた変わった。
これまで弾圧されていた宗教が、守られるようになったのである。
 
経済的に裕福になり、親神様が肥のさづけを渡して、百姓をたすけて豊作を約束したいと言われていた事が、化学肥料や農機具の開発によって、豊作の日本ともなって行った。
 
すると、今度は素晴らしい日本という意識が海外へと広まり、それと共に、これまで以上に、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなどなど、天理教の名が次々と広まる事になる。
 
そして今回の大節。。
物が豊かになっても、人々の心は違ってきた。
神様の教えを求めて、人のためにと尽くす人々、心を自ら澄まそうとする人々と、宗教などを利用して我さえ良くばと、人の命をも何とも思わぬ人々との差が世界中で出て来たのである。
 
こうした節を通して、人間の考え方を見ると、神名が広がると共に、自分中心の考え方から、人を思いやる考え方は、多くの人々へと徐々に変わって来たのである。その最たるものが、地球の環境を守ろう。人の命を大切に、戦争を無くそうという動きである。
そしてまた、「働くという事は、ハタハタを楽にさせるから働くという」との教祖のお言葉が、一般で使われるようになってきているのである。
 
ところが、このような善の動きを利用して悪事を働く者達がおり、それによって、いつまでたっても戦争が終わらない。
地球規模で終らない。
ウソや洗脳で人びとを操り、しまいには、原子爆弾などで地球自体を破壊するまでになってきているのである。
 
日本で言えば、江戸時代、徳川幕府を倒す人々が日本にはおらず、海外の力があって徳川が倒れたのと同じである。
 
そうなって来た時、次は宇宙かとも思えるのである。
 
「あらあら広まったら人間の成人分かるやろう」とのお言葉から思案して、こんな考えが出て来たのである。
 
 
人間というものは、比べるものがなければ、自覚が出来ない。困ったことに合わねば、考えない。
陽気ぐらし、陽気づくめを実現するための、心作りの切りなし普請が進められている。
 
 
教祖が現身を隠される前、真柱様と後2人に対して、3人に任せおくとして、法に沿う応法の道を許されたのである。
 
これを天理教の事だけではなく、教祖のひながたが万人に対するひながたであり、試しであることを思うと、現在の世界が法律に基づいて動き、その法律を我がの都合の良いように変えようとする動きとが重なるのである。
 
いくら法律だからと、守ろうとする心があっても、良い法律が出来ていなければ何にもならないのである。
 
さらには、地球上には様々な文化、民族、宗教習慣があり、それぞれによって考え方が異なるのである。それを結びつけるための法律についても、知恵をつける時かもしれない。
 
すべての事は、一つひとつ、人間の魂を澄ますために。。。
そして新たな知恵を授けるために。。。
親神様がお導き下さっていると思える。
 
 
思うがままに。。。
 
コメント
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