おふでさきは、教祖直筆の物をさしていわれているが、それを写したものも存在し、その正誤について、2代真柱様が、研究されて、『続ひとことはな志』に詳しく書かれている。
データベースで検索をすると、そのお歌のみが表示されて、その前後を読もうとすると、苦心をしたりする。
そんな時に、こんな一覧があるととても便利である。
私のHPは昨年閉鎖された。そして、先日、データの保存期間がこの3月までとの通知が来た。データのダウンロードの方法が書いてあり、ダウンロードした。
近年(昔からか)記憶力が良くない。その場で思いついたことを、その場で調べたい。
そして、親神様の思いは?と思案したいのである。
そうした時に、この一覧はとても役に立つ。
前後を読むことで、教祖が当時の御苦心が思い浮かんだりして、現状と重なることもしばしばである。
これも、年を重ねて、若い時との悟りの違いもとても感じる。
今、新型コロナで世界中が騒いでいる。
昨日、3月の本部月次祭には昇殿参拝できないとの情報がおぢばにいる友人から届いた。
まだ、大教会、教区からの連絡はない。
教祖が現身を隠される前に、「参拝者お断り」の張り紙を出して、警察の取り締まりを避けようとされた事と重なる。
この時の、教祖の対応、その周囲の人々の対応、そしてそのまた周囲の人々の対応。それに思いを致すのである。
人々の中には、様々な人がある。人目を縫ってお屋敷に参拝に来た人。そんならやめだと来なくなった人などである。これらの姿、行動が我々の判断の材料だと思う。
若いころはこの行動にしか目がいかなかったが、近年はその行動の裏に働いていたであろう「心」を考えるようになった。
親神様はこうした行動よりも、この「心」を受け取っていて下さる。
この「心」が種なのであり、それが結果として見えるのは20年、30年後の事である。
つまり現在の状況は、すべて20年、30年前に使った心遣いが元で、その状況になっている。大切なのは、この今の状況をどのような心でとらえて、人々へどうのような心を使うかであろう。