あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

大型連休のおぢば。その神殿の写真を見て。。。

2020年04月30日 06時42分19秒 | 思った事

昨日4月29日から、大型連休に入った。

そして、昨日の神殿のようすを頂きました。

おぢばにいる先生からの話では、「中央のさい銭箱の前で、立っておつとめを勤めて来た。」との事でした。

昨日、この写真を見て、思わず、ファイスブックに

常に開いている正面の障子が閉まってます。
「むらかたはやくにたすけたいなれど心がわからいで」と、「黒門前に・・・」という口伝が思い浮かんで仕方がありません。
また、最後のご苦労の後、教祖が目も見えず、耳も聞こえずとなって、おつとめを急き込まれた情景が重なりました。
そして、少し良くなられて、風呂場でよろめかれて、「世界の動く印や」と言われたのです。
そして、お道も世界も変わりました。

こうした節をこれまでも何度も、乗り越えて今日まで来たのです。親神様のお働きを信じて、今は静かに見守りたいと思います。

どうか親神様、大難は小難にとお守りください。

と書いてしまった。

今回の昇殿の自粛。そこまでする必要はあるのか。と思う人も多くあると思う。

助け場所が閉まるという事。一応、記録として、本部のHPから、今回の通達を書いておく。

・・・・・・・・・・・

大型連休中の神殿、教祖殿、祖霊殿への昇殿自粛について

2020年04月26日 (日)

 現在「緊急事態宣言」のもと、全国民に対して新型コロナウイルス感染拡大の防止に向けた行動の徹底が強く要請されています。この切迫した状況に鑑み、教会本部では、人の移動を最小限にするため、4月29日から5月6日までの大型連休の期間、「朝づとめ」「夕づとめ」を除くすべての時間帯で、神殿、教祖殿、祖霊殿への昇殿をお控えいただくことにいたします。
 何卒ご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。

立教183年4月26日 天理教教会本部

 今般の判断につきましては、教信者の皆様には大変申し訳のないことであります。
 一日も早い平穏な日常への回復と、賑やかなおぢばの姿が戻ることを祈念しつつ、いまはどうか、ご理解ご協力いただきますようお願いいたします。

内統領 宮森与一郎

・・・・・・・・

教会本部の通達に加えて、内統領の言葉までそえてある事に、何とも言えない気がした。

ただ、詰所主任に当てた文書が大教会より送られてきて、それを見た時に、少しほっとした。

おびや、おまもり、御供については、受け付けて下さるというものであった。

・おびや、おまもりの取次ぎ場所は、第二御用場(8時から15時)。出入りは本部詰所から。

・また、お供えに関しては、神殿西お守所階下、並びに教祖殿お守所、本部会計。

となっていた。

私たち遠方の者は、なかなか行くことはできない。けれども、村方の人々には、運ぶことを許して下さっている。そのように感じた。

おぢばは、「来たものに喜ばさずには帰されん」の教祖のお言葉をもって、どんな人でも受け入れておられる。どんな人でも神殿に上げて、参拝をさせてもらえる。24時間である。

どんな人がとは、どれだけの悪意のある人であってもという意味である。その対応のために、境内係を作り、結界内に教服をつけた先生方を配置されている。これには、どれだけの労力、力が必要な事か。大きな親心があればこその対応である。

世間では、善悪は人が判断する。だから余計に問題が起きて来る。

人というものは、疑われると腹を立てるものである。人によってはそれは恨みとなり、ほこりをつける事となる。そのような事はさせたくない。そうした人はたすけたい。という、教祖のお心の現れとも思える。

また、南礼拝場を上がり、中央に座ると、甘露台の向こうに教祖の鏡が見える。昇殿自粛の前は、南礼拝場のみでの参拝だったが、その時でも、北礼拝場の障子は開かれて、教祖の鏡は見ることが出来た。

これは、教祖側から見れば、常に甘露台を見られるという形になるが、我々人間からすれば、親神様と教祖と二つ一つで参拝させて頂ける形になっていると、私は常に思っていた。

教祖は、親神様なのである。親神様が自ら、人間のために苦労の道中を歩まれた。人間を助けるために、こうきを作るために。

その親神様が教祖から扉を開いで出られた。それが明治20年陰暦正月26日である。

教祖はもともと「いざなみのみこと」様の魂で、人間の母親の役をされた方である。だから、親神様が入り込まれる前から、幼いうちから、人の事を母親のような心で見て、接してこられた。その最たるものが、預かり児が黒疱瘡になり、それを助けるためにいくつもの神社仏閣に願をかけ、しまいには我が子の命また自分の命までも差し上げますのでと、願った姿である。

この心を親神様は、とても讃えられて、別席の台本を作る時には、おさしづでこの事を入れるようにと指示をされるのである。

ところが、人間はそうした事は関知していない。我が事中心。親の気持ちは全く理解しようとせずに、ただただ要求ばかりをするのである。

そうした事例の一つは、雨ごいづとめであろう。

おつとめを止められている中、雨が降らずに、村方から「あまごいづとめ」を願いに出て来る。初代真柱様はそんなことをすれば、教祖に迷惑がかかると、断られるが、それでもなんとかと村方は願いに出る。ましてや「警察が来たら私たちが願い出たのだから、決して迷惑はかけません」と懇願をした。結果、親神様からのお許しが出て、あまごいづとめは行われた。そして雨が降り村人は喜んだ。ところが警察が来て、つとめ人衆の先生方は連れていかれた。警察の尋問に対して村人は「頼みはしない、知らぬ」と答えたのである。

このような話を昔話で感じていてはならないと思う。

昔は、今の県ぐらいの地域は国と呼んでいた。おぢばは大和の国である。そうした国と呼ぶ地域は広がって、今は日本が国である。

何が言いたいかというと、大和の国の時のむらかたは、庄屋敷村、豊田村など近隣の村々であろう。今の「むらかた」は、日本という国を考えたら、おぢばの近隣の県の人々といえるのではないかという事である。

今現在、世界中から日本に対して不思議だという言葉が出ている。どうして感染爆発しなかったのか。医療崩壊しなかったのか。ということである。アメリカなどよりも先に、感染者は見つかっていた。ましてや人は十分に往来していたのである。

これが私には、親神様のお守りと思えて仕方がない。親心。これをどれだけ我々は頂いているか。

今の我々は、昔の人とは違い、自由に発言が出来る。この事は、教祖の時代では考えられなかったことである。

教祖の時代は、いうなれば、今の中国と例えられると思う。

こうした自由を与えられた日本で、ましてやおふでさき、みかぐらうた、おさしづは日本語である。

この日本語をつかえる人々が、しっかりと親神様の思いを学ぶこと、研究する事。そして陽気ぐらしが出来る事。これが求められているのではないかとも思う。

研究について、おさしづを引っ張ってみたが、とても重要と思われる事ばかりに研究という言葉が使われている。とても長いおさしづばかりである。

研究するには、ばたばたとした状況ではできない。心落ち着けて調べなければならない。今自粛の時とは、そういう時ではないかとも思う。

 

長い文章を、また読みにくい文章を、最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

親神様、どうか悟りをつけて下さいませ。

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 全教一斉ひのきしんデーと。... | トップ | 研究について。1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思った事」カテゴリの最新記事