あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

「誠という事」。。「たんのう」。。「いんねん」。。正文遺韻抄より

2021年06月21日 14時27分18秒 | 正文遺韻抄

前回、「かりものの説き分け」「八つのほこりの理」について、『正文遺韻抄』を読みやすく書き換えたものを掲載した。
『信者の栞』には、「かしものかりもの」・「やっつのほこり」の次は、「誠真実」となる。

そこで、『正文遺韻抄』のお話の中から、「誠真実」に関する3点を書換えて掲載する。

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誠ということ (『正文遺韻抄』p222現代文に書換)

 誠というは、口と心と手と、この三つが揃って、真の誠という。それ、いかほど口で、誠の話をするとしても、真の誠が治まれば、行いもそれに添って、それすること、なすこと、日々常に、いかなる事も、みな誠のようになるであろう。けれども、心に誠が治まらないと、それどうもならん。
 日々のすることなすことが、口で話した事と違うから、世界から「それ、あの人は口先ばかりうまい人や、言うことだけは、誠のようだけれども」などと言って、それ話の理を用いてくれないようになる。

 そこで、口と心と手と揃って、人々より「ああ成程の方やなあ。どうも感心な人やなぁ。頼もしい人やなぁ。」と言われるだろう。真の誠で、通ろうと思えば、そこで、一つたんのうという理を心に治めて、「我はどうでも、人さえよければ、わしはもう、これで結構や。たとえ、この上どのようになろうとも、人さえ助かってくれれば、それでよい。何でも、人に助かってもらわねばならん。」という心を定めねばならん。

 

たんのう (『正文遺韻抄』p223現代文に書換)

 世の中は、同じ人間と言っても、尊き人もあれば、卑しい人もある。豊かな人もあれば難儀(11)な人もある。また難儀といっても、難儀の中の難儀(12)もあれば、不自由の中の難儀もある。それ、上を見ても切りはない。また下を見ても切りはない。これみな、前生の因縁でなること。すれば、どういうことでも、みな、銘々に下を見て、日々これで結構とたんのうするが第一。


 そこで、「それ、いかなるもたんのう、たんのうが第一。みな銘々、たんのうして、また人にもたんのうさせるよう」という。それ、つく息、引く息もあれば、聞く、聞かん、見る、見んの理を聞きわけ。人には腹を立てささぬよう。人の喜ばぬ事、人の嫌がることは、少しもしないよう。また言わないよう。あの人は良い人や。あの人の言うことは角がない。あの人のすることは、みな丸い。あの人のようでなくてはならんと、人に思われ、人に喜ばれ、世界みな、満足してくれる。これを「人にたんのうさせた」というであろう。

 

因縁(いんねん) (『正文遺韻抄』p224現代文に書換)

 因縁というは、前生ばかりを因縁というやない。悪きばかりが因縁やない。この世でも、十五才よりこの方してきたことは、良きも、悪しきも、みな因縁となる。また、前生良きことしてあれば、因縁となりて、この世で現れるか、次の世で現れるか、必ず現われんということはない。悪しきことも、その通りなれども、良き因縁は、皆一れつ喜ぶことゆえすぐと現し、すぐと返して下さる。
 されど、悪しき因縁は、でけるだけ延ばしているという。

 それ、世界中はみな、神の子どもゆえ、人間の、我が子思うも同じ事。皆可愛いばかりで、隔てないゆえに、悪きことしても、またそのうちに良きことをして、前の悪き理を埋めるかしらんと、可愛さゆえに悪のむくいは、だんだん延びる。
 そこで、良きことをして、埋め合わせをすればよいが、それに気づかず、悪に増長して、だんだん悪しきの因縁が重なり、それより、現れてくると、大層やから、どうしても、人にやっかいをかけて恩をきんならん。恩をきても、ついに返す目はなくて、恩の上に恩をき、恩が重なりて、ついには、人間にもなれず、恩報じをするために、牛、馬にまで落ちんならん。
 今までは、気の毒ながら旬が来ないゆえ、そのままにして、何事も説いて聞かして、心改めさしたことはない。

 この度は、月日の刻限が来たるから、話一条で、心改めさして、悪因縁のものを、心の与えによりて、削りてもやり、また良き因縁にもしてやるという。それ一れつは、良き因縁はすでに返してもらい、悪い因縁のみ持っているに違いないゆえに、この因縁を果たすために、誠一つを台として、人を救けにゃなろうまい。

 また一つ、前生よりの因縁は、善悪共に七層倍の、返しをするという。いかなる知者や、学者や、老人やというても、逃れるに逃れられんというのは、因縁の理、その災い三つはあるという。
 それ、火難と、水難と我が身にくる病難は、いかほど偉い、ごうてき(13)たりと言うても、逃れることはできようまい。なれど、神の話を聞き込んで、聞いた話を、噛みわけて、噛みわけたなら感心をし、感心したなら、心を入れ替え、入れ替えたなら、いつになりても違わんよう。
 それ、身に守り、身に行うて、そこで、いかなる難も皆のがれる。それ、知者や、学者や、老人や、ごうてきの者でも、逃れられん道も、たった一つの心の誠という理で、自由自在。それ、逃れるであろう。

 

【註】 「誠ということ」へ

 
(11)難儀=1:難しいこと。容易ならぬこと。2:くるしみ。なやみ。3:わずらわしいこと。面倒。迷惑。4:貧窮。貧乏。(広辞苑より)

 
(12)難儀の中の難儀=原文は「なんぎの中のなんぎ」と書かれてあり、より一層の難儀と理解する。
 「たんのう」へ 
 
(13)ごうてき【強的・豪的】=1:すばらしいさま。すてき。ごうせい。2:程度の甚だしいさま。たいへん。
ごうてき【強敵・剛敵】=つよい敵。手ごわい敵。(広辞苑より)
  いんねんへ  

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どうか、親神様の心が世界中に届きますように。。

 
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