夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

一枚の写真から

2015年06月08日 08時55分29秒 | 渓流釣り
 釣りは自然を理解するのにはもってこいのアイテムだと思います。沢山の魚が釣りたいと思ったり大物を釣りたいと考えた場合、どうしても自然を知ってそれを理解する必要があるからです。やたら滅多ら竿を出しても偶然に希望する釣りになることもあるでしょうが、その確立は限りなく0だと思います。加えて釣りは確立ですから数学的・物理的な知識も必要になります。
 
 『自然』の反対語は『人工』です。要は人の手が入っていない物が『自然』です。で、上の写真を見てください。先週の木曜日に僕が釣った今年の初アマゴの写真です。この中に自然がどれだけ写っているでしょう?多分青空だけだと思います。○○公園から竿を出して釣った8寸のアマゴです。ひどいアマゴでしょ?朱点もオレンジ色だし、側線の下にも平気であるし・・・何よりもパーマークがブタの足跡、もしくは染色体みたいでしょ。ひどい放流物です。釣れてもがっかりするだけの魚です。公園ですから芝生も立ち木も人が植えたものです。写真には写っていませんが、休憩所なんかもあって休むにはいい場所です。でも自然ってこんな薄っぺらなものではないのです。
 アマゴが棲むような人が少ない場所にどうしてこんな公園を作ったのでしょう?自然は自然のままに保存できなかったのでしょうか?人は安易に自然を壊し過ぎだと思います。我々は何万年・何億年という年月を経て作り上げられて来た自然を安易に壊しています。ISが世界遺産を破壊しているとNEWSされていますが、我々が安易に壊している自然はそれ以上の歴史を持っていますし、絶対に人が作ることが出来ない物です。世界遺産はユネスコが歴史的価値のある遺跡や建築物等を守ろうと打ち出して決めただけの物です。要は一部の人がその価値を査定して決めているだけのことです。でも、よく考えてみれば総ての自然は自然の造詣であり、それを素晴らしいと感じられる心が欠落しているように感じることがあります。勿論ISがしていることはとんでもないことだと思いますが、我々がやっていることもそれ相応かそれ以上の悪事と思えてならないのです。
 自然は時々我々に牙を向けます。そしてそれを阻止するために様々な対応策を取ります。すると今度はそれがいつの日か仇となって返って来るのです。自然の前に人間はあまりにも無力です。『自然保護』なんて上目線の言葉以外の何物でもありません。保護されているのは人間の方なのです。当方が住んでいる地域でも『荒川太郎右衛門地区自然再生事業』なんていうのをやっているようですが、このお題だけでも可笑しくて笑っちゃいますよね!人が手を加えたら自然じゃなくなっちゃうのに人が自然を再生させるって?この事業をやっている関東地方整備局荒川上流河川事務所河川環境課の牛窪徹って人は自然というものをまったく知らない人か?ただの馬鹿か?のどちらか(もしかしたら両方?)であることを暴露してしまっているのはいい例だと思います。
 一旦壊した自然は元には戻せません。でも、我々人間が手を加えずに何万年、何億年が経てばまた限りなく自然に近づくことは確かです。ですから、まずは(自然は)壊さないこと。そしてすでに壊してしまった場所はただ手を付けずに何万年か何億年かを待つこと以外に方法はありません。
 こんなことを上の一枚の写真から感じてしまいました。

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