夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

皮肉

2013年10月05日 08時15分40秒 | タナゴ釣り
 最近はてんから(渓流釣りの伝統的な釣り方)が面白くて熱中している管理人ですが、タナゴ釣りの楽しさも忘れられない僕は合間を縫ってタナゴ釣りにも出かけています。で、遅ればせながら今回はタナゴ釣りです。
 今年の8月下旬です。この時期はアカヒレタビラがいい色を出しているはずと睨んでアカヒレタビラを狙いに。しかし、カネヒラばかりでアカヒレタビラは少々でした。
 カネヒラは確かに大きくて綺麗で素晴らしいタナゴ族ですが、これが釣れた場所は本来の棲息圏からはかなり離れています。在来種が大好物な僕ですからいくらこういう魚が釣れても感動がありません。小さくてもたとえ綺麗でなくても、在来種であれば大昔からその場所に住んで厳しい生活環境を乗り越えて生きてきた魚ですから、そんな魚が釣れて来たときにはそれなりの感動があるのは当たり前です。
 そもそもカネヒラは琵琶湖のアユの放流に混ざって日本中に移入されたと言われていますが(確かにそれもあるのでしょうが)、この場所は放流した人が特定されていると聞いております。つまりは一部のマニアによるゲリラ放流ってやつです。カネヒラは大きくなるタナゴ族ですから当然ながら大食漢です。閉鎖されたある環境化でいままで一生懸命に世代交代を繰り返して来た他の小さなタナゴ族には死活問題となるような大きな環境変化であることは容易に想像できます。カネヒラの美しさに感動し、近所の川にもそういう綺麗な魚を泳がせたい(もしくは釣りたい)と夢見る気持ちは分からないわけではありません。それどころかとても大切な心だと思います。しかし、タナゴだって我々と同じ一つの命です。勝手に見知らぬ場所に放たれて・・・もし自分がされたらどうでしょう?まるで北朝鮮の拉致と同じことじゃないですか。
 小さな生き物を愛しむ心はとても大切な心です。しかしその一つの行動(放流)がどのような結果になるかはすでに判っていることです。カネヒラなどはまだ放流といっても規模が小さいですが、アユやヘラブナの放流は大規模ですからそれによる環境破壊(生態系の破壊)は計り知れません。しかしながらこういう自然破壊によって一部の人が幸せを感じ、人生に華を添えることが出来ている現実もあるわけで・・・皮肉なものです。
 釣り・・・それは自然と融合する楽しみです。放流などという人為的行為の元に行われるものではないと思うのですが違うでしょうか?
 大自然の中でその自然の一部と戯れることに幸せを感じられたら素敵なのに。。。と強く感じる釣行でした。

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