夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

片貝の花火

2017年09月12日 08時50分58秒 | 旅行
 勤務医をしていた時、患者さんから花火の素晴らしさを教えていただき、それまで何とも思っていなかった「花火」という物が大好きになりました。特に大型の花火の打ち上げる瞬間の筒を出る時の音、そして天に登った花火が華開くときの体を突き抜ける炸裂音、そして同時に眼の奥に刺さる閃光は他のものでは味わえない迫力があります。
 10年余り前、当時の僕は長岡の花火が日本で一番と聞いていたのでいつか家族を連れて見に行きたいと思っていました。状況がまったく分からない僕ですので、いきなり家族を連れて行って不評を得たくありません。そこで、その頃の新潟の釣り仲間だった阿部正氏(故人)に長岡の花火大会の花火について、釣りに行ったついでに彼のお店を訪ねて聞いたことが今回の旅の始まりでした。彼の話によると「好みですからどれが一番と言うことはないと思います。ただ、僕は長岡より小千谷の花火が好きです。」「小千谷の花火は奉納が基本ですので、他の花火とは一線を画しています。一つの花火を上げるに至った奉納者の一言が添えられて打ち上げられます。いいですよ!長岡もいいですが、小千谷の花火も是非一度ご覧下さい。」と教えてくれたのです。この時初めて小千谷の花火のことを知りました。彼が言う小千谷の花火とは『片貝の花火大会』と言われているものです。当時の僕は彼にお世話になりっぱなしだったので、近い将来小千谷に花火を見に行くときには是非彼を招待して見に行こうと決めていたのです。しかし、その翌年彼は不幸にもこの世を去りました。普段はほとんど連絡を取り合わない間柄でしたが、何故か重要案件に関しては彼が絡んでくるので、回数は少ないですが、彼との絆はかなり太いものがあると感じていました。たまたまその一週間ほど前に彼から電話を頂いて相談されたのですが、僕にはどうしようもない事柄でしたので話題を逸らそうとしました。ですが、妙にそこに固執してきたので「解らないことにアドバイスをしても少しもアドバイスにはならない。それどころかいい加減なアドバイスは結果を悪くする事すらあります。」と話を切ってしまいました。後になって思えば、あの時親身になって話に乗ってあげればこんな最悪な結果にはならなかったのではないかと後悔するばかり。友達からは「考え過ぎだよ」って言われますが、僕にはどうしてもそう思えてならなかったのです。
 この一件から僕は新潟から遠ざかりました。嫌な想いが頭をもたげてくるからです。しかし、小千谷(片貝)の花火を忘れた事はありませんでした。彼との悲しみが消えるまでは無理して行く必用もないので僕の中で新潟の渓流は遠くなってしまったのです。そして10年以上の月日が経った2019年。とうとう片貝を訪れました。毎年今年は行ってみようか?と思っていたのですが、思う度に阿部氏のあの時のにこやかな顔が思い出され、なかなか一歩が踏み出せなかったのです。しかし、今年は2月に愛犬が旅立ち、3月に母が他界し、そして6月には釣り仲間が。こんな最悪の年ですからやけくそになっていたのが幸いして行けたのかもしれません。
 暑い中、午後の15時くらいから妻と良さそうな場所に行って花火が始まるのを待ちました。ちなみに花火が始まるのは19時半ですから4時間半前から場所を確保していたことになります。朝、一応場所の確認で来た時に、すでに数十人の人が陣取り合戦をしていたので、早目に来なくてはならないと思っていたのですが、せっかくこんな遠くまで来たのですから、もう一ヶ所行ってみたい場所があったのです。それは山本五十六記念館です。僕の叔父は第二次世界大戦の時に志願兵として入軍し、霞ヶ浦で訓練を受け、知覧で散る予定だったのですが、過去スレにあるようにこの世の出来事とは思えないようなことまでして生き残って帰った人です。当時は生きて帰るのは恥とされていましたから、戦後の叔父は“非国民”のレッテルを貼られて随分苦労したことを聞いています。そんな事から叔父やその妹である僕の母から山本五十六の話は随分聞かされていました。第二次世界大戦中、とにかく凄い軍人(勿論良い意味で)がいたと。ただ、日本って北朝鮮みたいに時間が経つとどんどん美化されてしまうので、真実の人物像がかすれていることが多々あります。僕が叔父や母から聞いて認識している山本五十六と言う人と、本当の山本五十六が同じ人格なのかどうか?という、つまり、事の真偽を知るためにも、母が他界した今だからこそ一度行ってみたい所だったのです。結果から言わせて貰うと、僕が求める資料はなく、正直言いまして資料不足。でも、その数少ない展示品には母や叔父から聞かされていた事の片鱗が随所に散りばめられていました。部下に優しく、物事を冷静に判断できる人であったことは確かのようです。
 早々にこの記念館を離れた僕らは、早目の食事を摂って良い場所を確保しに行く必要がありました。来る前の想像では17時か18時くらいから陣取りすればいいくらいの気持ちでいたのですが、朝見に行ったら9時半頃にはすでに陣取り合戦が始まっていましたので、うかうかしていられません。ただ、必要以上に早く行っても時間がもったいな過ぎるので、少しタナゴ探しもしようと道具類を持って行ったのです。片貝の花火はとにかく大きいのを打ち上げるのが特徴です。普通の花火大会で尺玉(花火の玉の直径が尺)といえばかなりの大型になりますがここでは当たり前のサイズ。最大では四尺という世界最大の花火を打ち上げる(四尺玉が上がるのは、世界でもここ片貝と埼玉の鴻巣だけ)ので有名な花火大会なのです。いい場所が取れなくて少々離れても見えるはずと楽観的に考えていたのです。しかし、食事処を探した僕らを待ち受けていたのは大混雑でした。どこの店も並んでいて、店員さんもてんやわんや。聞くと1時間くらいの待ちになると。こんな店が続出でした。みんな花火を見に来た観光客のようです。だとしたら相当の覚悟を持って臨まないと、遥か遠くから見るだけになってしまいます。僕は思い切って大移動をしてある小さなお店を見つけて入りました。頼んだのは勿論へぎそばです。「へぎ」とは木の皮を剥いで作った入れ物に入れていたので(木の皮を)「剥ぐ」が「へぐ」となり、それが由来で「へぎ」となったらしいです。そばにはフノリという海草がつなぎとして入れられているので少々緑っぽい色をしています。見た目は新そばみたいです。過去に食したことがあり、とても美味しいのを知っていた僕は、今日の昼食に期待していたのですが、この店のへぎそばは大きく期待外れでした。サイドメニューで妻が栃尾のあぶらげ(油揚げ)を頼んだので、それを一つ頂いたのですが、こちらはとても美味しかった。つまり、買って来て出しているものは美味しいということは、ただ単にここの料理人の腕に問題があることが判りました。
 美味しくない昼食でお腹いっぱいになった僕らは早速目をつけていたタナゴポイントに向かいました。・・・・・が・・・・。餌を持ってくるのを忘れてました。僕は天気で釣り物を変えますので、いつでもすぐに行けるように硬いのや柔らかい物を揃えて、冷凍庫には20~30本の黄身練りが凍っています。そして、ご当地の状況を想像してその中から良さそうな物を持って行くのです。しかし、今朝は妻が寝坊をしました。僕は起きていたので起こしても良かったのですが、寝起きがいい彼女がこうして起きてこないのは、普段の仕事や家事で疲れているに違いないと思って起こしませんでした。どうしてもやらなきゃいかんということでもありませんから。彼女が起きて来た時にはすでにこちらは用意万端(餌以外は)。餌はこの時期は暑くなると腐るので(卵の黄身が主成分ですから)出かける直前に冷凍庫から持ち出すのが常でした。しかし、起きてきた彼女は大慌て。なんだか僕がそれに同調してしまったのが原因のようです。ことの理由はどうであれ、餌がなくては釣りになりません。タナゴ探しは諦めました。どうしてもやらなきゃならない事でもありませんから。きっと母や友、そして愛犬が僕に今日は釣りをするなと言っているのでしょう。何もやることがなくなった僕らは、仕方がないので早過ぎるとは思いながらも花火見物の陣取りに向かいました。
 打ち上げ会場に近付くと人がいっぱい。車で走るのが難しいくらい。しかし、その隙間を縫って僕らはあらかじめ眼を付けておいた良さそうな場所を目指します。片貝の花火大会は片貝にある浅原神社のお祭り(片貝まつり)の一環としての大会ですから要はお祭りなのです。出店もいっぱい軒を並べて山車も出て、相撲大会なども開催されていました。人出が多いので、あちこちにおまわりさんや警備員が居て車の進入を阻止しています。しかし僕らの車は何故かスルーしてくれるので、思ったより打ち上げ場所に近い所に陣取れました。新潟といえば寒い地域と思いますが、当日はとても暑い日でした。それでも、みんな早くから来て舗装道路にはガムテープを貼って囲って、舗装以外の場所にはレジャーシートやブルーシートを広げて陣取って・・・時間が来るのを待っています。みんな車で来れられないので、直射日光の下で真っ赤な顔して汗を拭っています。見た感じ、みんな地元の人のように思えました。そんな所に僕らはノコノコと車で入っていって陣取ったので少々気まずい感じです。こちらはクーラーが効いた車内でTV見てその時を待っている状態ですから、あまりにも他の待っている人たちとの差があり過ぎます。大変申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、普段寝坊しない妻が寝坊するほど疲れているのを考えると、ここは仕方がありません。いい調子で過ごしていたらガソリンがなくなっていることに気が付きました。妻もコンビニに行きたいと。折角陣取った場所ですが、一時撤退です。ガソリンスタンド探しに少々手間取りましたが、ガソリンも入れ、コンビニで軽食および夕食を買い揃えて再び人ごみに突入しました。交通整理のお巡りさんもやはり僕らの進入は許してくれて(僕らは地元住民に見えるのでしょうか?)再び新たな場所に陣取りました。そこは普通は車が入らない(入れない?)泥の斜面です。一応道のようにはなっているのですが、道ではありません。先ほどの場所より泥質で斜面なので足場は悪いですが、花火は良く見えそうです。雨が降る予報はないので、大丈夫でしょう。でも、他の人たちが近くを通るたび不思議そうな顔してジロジロ見ていきます。オフロード車でもない車がどうやってここに来たのか?解らないようでした。そんな場所ではありますが再びクーラーが効いた車内でTVを見て時間を潰しました。僕はあまり寝ていなかったので仮眠を取らせていただきました。妻はずっと起きていたようです。そして徐々に太陽が傾き、山の稜線より下がるといよいよ闇の気配が漂ってきます。花火は暗ければ暗いほど美しく見えますので街灯がないこの場所はとてもいい感じです。しかも花火の打ち上げ場所に向かって後から柔らかな風が吹いています。花火は風下だと自らが発した煙が邪魔して次の花火が綺麗に見えないのです。どうやら僕が選んだロケーションはバッチリのようです。完全に暗くなると大変なので、まだ陽があるうちに三脚を立てたりして撮影の準備もしておきました。そしてコンビニで買ってきた夕飯を車の中で頂き用意は完璧です。世間が暗くなってくるとTVの光で僕らの顔が照らされるので、恥ずかしいので切りました。二人で色々な事をおしゃべりしながら時間を潰していると、19時半が近付き、いよいよ始まるというアナウンスが。でも、焦る必要はありません。大本命は22時に上がる四尺玉ですから。それが上がる前に構図合わせなどを終えておけばいいだけです。どこの花火大会でも同じで、最初は小さな花火から始まりますからそれで様々な設定を済ませて大本命をきっちり押さえられるようにできればいいだけです。
 ここの花火は奉納ですから、奉納者がどんな気持ちでこの花火を上げるのか?のアナウンスがあります。「新たな命を授かりました」・・・ドーーンってな具合です。「お母さん、お父さんと合えましたか?」などという寂しいものから「結婚してください」といってハート型の花火が上がったり。中には上尾市民からの奉納も。。。日本中の色々な人が様々な想いを込めて打ち上げるのです。ただ単に打ち上げて“綺麗”ってやってる花火と違って、奉納者の心情が垣間見られる素晴らしい花火です。(故)阿部氏が言っていた通り・・・感動しました。陣取った位置はアナウンスもよく聞こえて最高な場所でした。しかし、いかんせん近距離過ぎて大きな花火はカメラを広角側にしても入りきらず、レンズの選択を後悔しました。こんな近くに来られると思っていなかったのでどちらかというと望遠系のレンズしか持って来なかったのです。しかも陽が落ちた山あいは急に気温を下げ、三脚に備えたカメラが夜露で濡れてビショビショに。日常生活防水ではありますが壊れそうなほど濡れてます。レンズもすぐに曇ってしまって。地面もビシャビシャになっていて滑るようになりました。これだと花火が終わって帰る際、普通に出ようとしてもタイヤがスリップして。ここを脱出するのは難しそうです。まぁ、周りには沢山人がいますので、その際はみんなに頼んで押してもらえばいいだけです。気が付けばかなり寒くなっていました。事前の調べでそういう事が書いてあったWebを見ていたので用意はして来ています。妻も着ると言って二人で上着を羽織って再び観戦。尺玉を惜しげもなくバンバン上げるこの大会は迫力満点です。そして後半に突入。いよいよ三尺玉の登場です。それを奉納した人はなんと、僕らが今朝見てきた山本五十六関連の人とその後援会(多分)。アナウンスの後、サイレンがなって・・・全身を貫く炸裂音と共に、真っ暗な夜空に見事に大輪の華を咲かせました(
https://www.youtube.com/watch?v=LRgxylyqR-0)。そして22時が来て待望の四尺玉を打ち上げるアナウンスが。あちこちから歓声が上がっています。先ほどの三尺玉でも物凄い音だったのに、四尺となったら鼓膜が破けるんじゃないかと少々の恐怖さえ感じます。そして軽快な打ち上げ音と共に火玉が空高く舞い上がって行きました。そして数発の軽い破裂音があって、いくつかの小さな花が咲いて・・・(間があったので)・・・あれっ?もう終わり?と思った瞬間。ドッカーーーンと。地響きのようなトルクフルな音とともにパンパンパンと小さな色とりどりの華が夜空に開きました。どよめきの後、歓声と拍手が湧き上がり四尺玉の打ち上げは大成功でした。奉納したのは地元民、つまりは片貝の住民たちです。遠くから山あいの普段は静かな村に何万という人が訪れ、この地元住民が奉納した花火を見て感動し、訪れた何万人の心がそれぞれの想いを抱いて帰って行く。そのトリがこの四尺玉です。とても感動しました。人口○千人程度の村にその何倍もの人が訪れればそれなりの問題もあるでしょう。以前紹介したすすき川の花火大会も周辺住民からの苦情で数年開催されなかった時があります。人を感動させることはとても難しいことです。たとえ相手が一人だって感動させることは難しいです。それをこの村の村民は少人数でも一致団結して何万人もの人を感動させ、心を潤してしまうのです。凄いことだと思いませんか?訪れた観客の中にはゴミを放置したりする族もいるでしょう。それでもこうして人を感動させ続けていることの素晴らしさに感動しました。
 いつか機会があったら、地元住民へのお礼としての一発を奉納したいと思ってしまうくらいです。これからも是非頑張って打ち上げ続けてくれることを願いながら帰路に付きました。

 この花火大会を見たことがない人には是非一度見に行って頂きたいです。二日間をかけて何人もの奉納者が様々な心を託して打ち上げる花火に、きっと皆様の心と重なる花火があります。その花火はあなたの心と共に天高く華開き、それがまた誰かの心を感動させているはずです。

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