せつなく朽ちた鉄扉

雑草地帯・日記部門。硬軟色々取り混ぜて、よろず話題の書き捨て場。
なおAdsenseはgooが勝手に出してるだけ。

63年前からのタイムカプセル(但し信管付き)

2008-05-18 17:59:29 | 雑談雑感
※タイトル変えました。さすがに「開けるな危険」はマズかった。(苦笑)


今日は不発弾処理でした。
無事終わったようで何より。というか1t爆弾なんて無事で済まなかったらとんでもない事になりますが。

 ■不発弾処理で1万6千人に退去命令 東京・調布
 ■東京郊外で不発弾撤去=鉄道沿線、1万6千人避難

8000世帯が避難って、ちょっとした災害ですよ。
いや普通の避難だって実際は「勧告」ですからね。最強クラスの「避難命令ホントは命令って言葉はないらしいですが)」なんでこれこそ国内最強の「災害」なのかも知れません。


しかし、この爆弾が落ちてきた理由がまた凄い。

 ■調布不発弾 墜落B29から落下 中学生が克明スケッチ (Yahoo!ニュース:毎日新聞)

体当たり迎撃って話では聞いてますけど、一応戦果あったんですね。
それにしても、あまり舵が効かないと聞く飛燕で、さらに舵が効きにくくなる高高度まで上がって、体当たりに成功して、まして生還しているとは、どういう操縦テクニックなのかと。

昔の日本人は凄かった。
同時にちょっとおかしかった。そう思います。

そんだけの技量があるなら、本来はちゃんとした高高度用迎撃機を用意してあげるべきなんですよ。

まぁ、そんな機体が無かった事は百も承知ですが。
負け戦ってのは何処でもいつでも、悲しく切ないものです。



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2 コメント

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震天制空隊調布上空高々度 (離人彷辺)
2008-05-19 03:21:43
桜井氏のサイト「飛行第244戦隊調布の空の勇士達」を参照されたい。体当たり専門に師団命令で編成された震天隊に所属し、このB29に、体当たりした沖縄県出身の古波津少尉は、落下傘で脱出、平成20年の今年、老衰で亡くなられたが、撃墜したB29が民家に落ち、そこの住人が亡くなったこと、戦後何度もその家を訪ねたが、ついに会ってもらえなかったことを、終生悩んでおられたとのことです。同サイトには、他の震天隊員の激突戦死までの日記「はがくれ日記」も掲載されているが、「体当たりが決まって、世の中のなにもかもから切り離されたような感じで、無性にさびしいが、自分は後の日本人を楽にしてやるのだ」という趣旨の一節が見られます。70年間、どこからも侵略や軽侮を受けずに日本が存続し得たのは、果たして、不戦憲法だけが守ってくれたのでしょうか?いまや、イデオロギーの時代は終わってしまった。平和であれかしと祈るのは誰も皆同じであるが、当時の若人の、こうした犠牲的精神が、今日までの外寇に対する抑止力となっていたことは否めないと思う次第であります。(もっとも、体当たり攻撃の命令者は、話が別、但し、多くの特攻隊員を送り出した後、フィリピンから逃げ帰ったとされている富永将軍も、その御子息は沖縄特攻で戦死しています。)
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まさに国家戦略の犠牲ですよ。 (ASHIKUBI(管理人))
2008-05-19 08:39:08
離人彷辺さん、コメントありがとうございます。
陸軍飛行第244戦隊のサイトを紹介頂きありがとうございました。今は読む時間が取れませんが、近いうちにじっくり読ませて頂こうと思います。

それにしても、

>体当たりが決まって、世の中のなにもかもから切り離されたような感じで、
>無性にさびしいが、自分は後の日本人を楽にしてやるのだ

この言葉が悲しくなりますね。
先の大戦、特に後半は、戦略レベルの失態から、個人の奮戦と犠牲任せで戦果を積み上げていた感じがします。


ちなみに、

>70年間、どこからも侵略や軽侮を受けずに日本が存続し得たのは、
>果たして、不戦憲法だけが守ってくれたのでしょうか?

日米安保と核の傘ですよね。
もっと言えば日本とアメリカという地政学上の特性から来た同盟による、と言うべきでしょうか。

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