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気ままな毎日を綴ります。

麒麟の旅

2020-10-19 | 京都行き
GoToを使って、1泊2日の旅を楽しんできました。
旅は道連れ気心知れた同い年の4人。去年の鎌倉以来1年ぶりです。

行先は車で2時間、「麒麟が来る」の明智光秀ゆかりの滋賀県大津市坂本。
比叡山焼き討ちの後、近江を拝領した光秀は、坂本に城を築きこの地の発展に力を注いだそうです。諸説ありますが、焼き討ちは光秀が先頭に立ったそうです。今でさえこの規模。財力と人力があれば僧兵が権力を持つのもうなづける。

行く先々に「麒麟が来る」桔梗の旗がたなびいてました。地元の力の入れようが伝わって来ます。滋賀県下ゆかりの地4か所で「光秀展」を開催中です。

お昼は。享保から300年続く蕎麦屋「鶴㐂蕎麦」へ。延暦寺御用達。
さすが老舗ですね少し行列で満席でした。期待を裏切らないお蕎麦でしたよ。

坂本ケーブル下に車を置いて散策。木々の中を川のせせらぎを聞きながら下って行くと、苔むした石仏や天皇の石塔。落ち着いた佇まいです。歴史が感じられます。
この辺りは「里坊」と言って比叡山で修業を終えた僧侶の隠居寺が70以上もある。小さな坊がたくさんあるのにも驚く。いかに比叡山が大きな寺かという事ですね。
中でも格式の高いのが「滋賀院門跡」。光秀伝説の有る天海和尚が開いた寺です。
天海は家康の側近で、107歳まで生きたそうだ。天海は生き延びた光秀ではないかと・・・。天海の廟所慈眼堂が近くにありました。天海の廟がここにあるのも何かの因縁。

森の中にあるのが日吉大社。全国山王神社の総本山でお猿が守護神。山門の四隅をユーモラスなお猿(棟持ち猿)が支えていました。ご苦労さん。可愛いですね。西宮・東宮とある大きな神社です。紅葉の名所。以前、紅葉の時に次男の案内で夫と三人で来ました。それは見事な紅葉でしたよ。春には7基の神輿が出る山王祭りがあります。

西教寺は光秀の菩提寺。明智一族、妻煕子の墓がありました。光秀も共に祀られています。
光秀辞世の句が。順逆不二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元
坊のひとつ禅明坊では「明智光秀展」が開催中。エピソードや資料が展示。ドラマが面白くなってきたところなのでしっかり読みました。左馬之助の湖水渡り、煕子の水疱瘡、山崎合戦、坂本城の最後等々。
「麒麟が来る」で使われた衣裳も展示。ドラマでお馴染みの光秀の若草色の着物や煕子のピンクの着物。光秀(長谷川博己の等身大パネル)と記念写真も♪
日吉大社以外、どこも人は少なかったです。

坂本は小高い丘。歩いているといろんなところから琵琶湖が見渡せました。


忘れてはいけないのが穴太衆(あのうしゅう)の石垣。優秀な石工集団です。自然石を巧みに組み合わせた技法で崩れず美しい。寺はもとより民家や学校、いたるところでこの美しい石垣が見られました。坂本の町の落ち着いた雰囲気はこの石垣があるかもしれませんね。ほれ込んだ信長が安土城にも取り入れたそうです。



山越えして京の町へ。
夕方京都ブライトンホテル着。ここは部屋が広くてスタッフの教育が行き届いていて気持ちがいい。京都の定宿と決めています。

夕食は歩いて10分のフレンチレストランで。
おりしもMさんのお誕生日。乾杯~おめでとうございます♪ ここも私たちだけ。9月末に営業を再開したばかりだそうです。目の前が大文字。送り火の時は予約が取れないとか。
同志社オリジナルDOSHISYA BEER すっきりした苦み。4人の為に数人のスタッフ。何だか申し訳ないけれどゆっくり食事を楽しませていただきました。贅沢な時間でした。夜の町をそぞろ歩き。大学があるからでしょうか若者が多かったです。
宿で再びかんぱい~♪ 女子会パート2。京の夜は更けてゆきました・・・。

駆け足の坂本の町でしたが、少し光秀に触れた気がします。
あっ 石積みパンとお猿最中買いそびれました。


 







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