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小千谷の喫茶店

2005-02-08 01:07:17 | Weblog
 小千谷に行っていた土曜日夕方の事。帰りの電車に乗ろうと、極楽寺のご住職に送っていただきJR上越線の駅に行くと、「運転を見合わせております」との掲示。困っていると、そこに「中越元気村」代表の草島氏から電話が入った。
 草島氏と会うことになり、彼が来るまでの時間をつぶそうと駅前の喫茶店に入った。実はこの喫茶店、昨年4月に講演会でこの地を訪れた際、待ち合わせに使わせてもらっていた。12月に小千谷を訪れた際には「臨時休業」の札がかかっており、近所の人の話では、地震発生の日から休業したままとのことで何か気にかかっていたのだ。
 店に入ると、他に客はいなくて寝癖なのか流行の「ぼさぼさヘアスタイル」なのか見分けの付かぬ髪形の店主が、力のこもらない「いらっしゃい」で迎えてくれた。
 前回少し話す機会があったこともあり、時候の挨拶をした後、「最近のご商売はいかがですか」と話を振ってみた。店主にはそれが気に入らなかったようで、「いかがですかと言われても」とこちらがオオッとのけぞるような返事をしてきた。恐らく、「見れば分かるだろう」と言いたかったのかもしれない。
 気の弱い私は彼を怒らせてしまったかと、この前来た時の印象を交えながら「なごやかトーク」を展開した。
 警戒心がとけたか、店主はしばらくすると最初の強張った表情から一転、饒舌に状況を話し始めた。彼の両親が母屋で旅館をしていたこと。大分前に旅館は廃業したこと。そして、喫茶店経営だけでは生活できず、店主は午前4時から9時まで工場に働きに出ていることなど、衰退する地方都市の悲哀とも思える現実を語ってくれた。
 恐らく「小千谷ちじみ」が重宝された時代は、駅周辺は繁盛していたに違いない。中でも駅前の一等地にある旅館は、昭和2,30年代まで「駅前旅館」として街を訪れる商人に愛用されていたのであろう。ところが、今はその面影もないほどの廃れようだ。地震はさらに追い討ちを掛けるかのように駅前商店街に打撃を与えた。
 話に熱が入った店主はその内、前に発行された「小千谷新聞」などを奥から持ち出してきて色々話してくれた。話が佳境に入ったところで草島氏が現れた。横目に見る店主の表情に一抹の寂しさが感じられた。
 私が喫茶店にいた時間、土曜日の夕刻と言うのに他に客は一人も現れず、電話も鳴らなかった。