TBSの一連の亀田一家報道に抗議の電話を入れたが、その対応の悪さに驚いたとある読者から連絡を頂いた。
そこで、先ほど私も抗議の電話をTBSに入れてみた。すると、交換手は「スポーツ局にはおつなぎできません。視聴者センターで承ります」と言う。最近、マスコミ各社のほとんどは、関係部署に電話をつながなくなっているが、こんな時には担当者が直接、説明をするべきではないかと抗議した。
粘ってみても、交換手も頑として聞きいれず、私は、まあ、それでもいいかと電話を視聴者センターにつなぐことを了解した。
待つこと15分。しかし、ようやく出てきた相手は、視聴者センターではなくスポーツ局の人間だと言う。ナンダ、だったら最初からそう言ってくれよと思ったが言葉を呑んだ。
声の感じではまだ若いスタッフにTBSのこれまでの報道についての疑問を述べ、説明を求めると、驚く内容の答えが返ってきた。
「こちらは、TV局として中継をしただけですから‥」と、まるでTBSには責任がないかのような発言をしてきたのだ。
これが、今回のことで殺到する苦情に対処するためにTBSを代表する立場の社員が言うことか。私は仰天すると共に、抗議の声を上げた。そうすると、その社員は、自分の発言がまずいと気付いたようで、「それは私見ですから」と何度も繰り返した。
彼がいくら発言を撤回しようとも許せなかった私は、責任ある立場にある者との話し合いを求めた。だが、そのスタッフは、つなげませんの一点張り。
埒が明かないので私は、「話をさせてもらえないのなら自分のルートで幹部に話をしますがそれでもいいですか」と相手に聞いた。
相手は肯定も否定もしなかった。
すぐに私は幹部の一人の携帯に電話を入れた。かつては、結構純粋で好人物だった男だけに、“まもともな”答えが聞かれるのではと期待した。だが、その期待もあえなく裏切られた。会話は、開き直りにも似た釈明に終始したものであった。
誰にでも、どの組織でも間違いはある。肝心なのは、過ちを犯した後の対応だ。かつて、このTV局は、オーム事件でとんでもない裏切り行為に及び、筑紫哲也さんをして「TBSは死んだ」と言わしめた。そして、「根本的な建て直し」を誓った。
だが、あれから約15年。今回のことを通して見えてくるのは、死んだままの姿のTBSだ。
そこで、先ほど私も抗議の電話をTBSに入れてみた。すると、交換手は「スポーツ局にはおつなぎできません。視聴者センターで承ります」と言う。最近、マスコミ各社のほとんどは、関係部署に電話をつながなくなっているが、こんな時には担当者が直接、説明をするべきではないかと抗議した。
粘ってみても、交換手も頑として聞きいれず、私は、まあ、それでもいいかと電話を視聴者センターにつなぐことを了解した。
待つこと15分。しかし、ようやく出てきた相手は、視聴者センターではなくスポーツ局の人間だと言う。ナンダ、だったら最初からそう言ってくれよと思ったが言葉を呑んだ。
声の感じではまだ若いスタッフにTBSのこれまでの報道についての疑問を述べ、説明を求めると、驚く内容の答えが返ってきた。
「こちらは、TV局として中継をしただけですから‥」と、まるでTBSには責任がないかのような発言をしてきたのだ。
これが、今回のことで殺到する苦情に対処するためにTBSを代表する立場の社員が言うことか。私は仰天すると共に、抗議の声を上げた。そうすると、その社員は、自分の発言がまずいと気付いたようで、「それは私見ですから」と何度も繰り返した。
彼がいくら発言を撤回しようとも許せなかった私は、責任ある立場にある者との話し合いを求めた。だが、そのスタッフは、つなげませんの一点張り。
埒が明かないので私は、「話をさせてもらえないのなら自分のルートで幹部に話をしますがそれでもいいですか」と相手に聞いた。
相手は肯定も否定もしなかった。
すぐに私は幹部の一人の携帯に電話を入れた。かつては、結構純粋で好人物だった男だけに、“まもともな”答えが聞かれるのではと期待した。だが、その期待もあえなく裏切られた。会話は、開き直りにも似た釈明に終始したものであった。
誰にでも、どの組織でも間違いはある。肝心なのは、過ちを犯した後の対応だ。かつて、このTV局は、オーム事件でとんでもない裏切り行為に及び、筑紫哲也さんをして「TBSは死んだ」と言わしめた。そして、「根本的な建て直し」を誓った。
だが、あれから約15年。今回のことを通して見えてくるのは、死んだままの姿のTBSだ。