ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

金山城跡

2024年03月08日 | たびたび旅

金山城跡には太田駅の観光案内所で自転車(1日300円)をレンタルして城下の谷津にある隈研吾設計のガイダンス施設から登りました。簡単です。
金山一帯はハイキングコースが整備されているので時間と体力があればもっと麓の高山神社、もしくは大光院の背後から尾根歩きをしていく人も多いようです。

ガイダンス施設の裏から山道に入って10分も登れば最初の東屋から展望が開けます。麓に広がっているのはスバルの工場。

100mほど登った先に翁駐車場と展望台があって、その先に金山城跡の石碑があります。

西矢倉台西堀切手前の分岐。

堀切の底に石畳が敷かれています。ガイドマップではこの先で西矢倉台に登り返せるはずでしたが降りてみたらロープが張られて行き止まりでした。

堅掘の石垣。戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はないという従来の定説が金山城の発掘調査で覆されてしまいました。
ということは金山城だけが関東の山城の中で突然変異みたいな存在なのかな。

金山城には大きな水場が2か所あります。こちらは月の池。
谷斜面からの漂流水や浸透水が溜まることで池ができるそうですが、周囲で最も標高の高いこの場所にこれほど大きな水たまりがあるって信じられません。

大手虎口。1994年から行われた復元工事で蘇った石垣が幾重にも重なって迫力があります。どんな状態から復元したのかはこちらのパンフレットに少し写真がありました。
雨水を集めてまとめて月の池に送る排水溝も見事です。それにしてもこの復元ってどこまで信じていいのかと不安になるくらいの見事な石垣です。

突き当りで左右に分かれます。大きな木が石垣を破壊するのではと心配になります。

南曲輪からの眺望は関東の冨士見百景に選出されています。

そしてもう一つの日の池。金山城が築城される以前からこの場所にあって雨乞いなどを行う神聖な場所でした。パイロンのある所に昔の石敷が残っています。

金山城実城下にある推定樹齢が800年の大ケヤキ。

山頂部には明治8年に建立された新田義貞を祀る新田神社があります。

新田神社の裏に一部だけ残る現存石垣。説明する物件のこれだけ真正面に看板を立てなくてもいいと思うのですが。写真撮りにくいです。

山頂から見えるのはやっぱりスバルの大工場。

金山城の石垣には間詰石に河原で拾うような丸い石が使われているのが珍しく、特徴であるとガイダンス施設に説明がありました。

帰り道も堀切を見ながら。
歴史に疎いのでこの城の戦略的な意味や攻防の遍歴について思いを馳せることができないのは残念ですが、それでも一見の価値はありました。
以前見た八王子城址と似ている部分も多くありましたが、時代的には100年ほど早いようです。
他に手近なところで総石垣の遺構が見られるところはないかと探していたら小田原に石垣山城というのがありました。ああ、あの一夜城か。そのうち行ってみようかな。
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