goo blog サービス終了のお知らせ 

ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

ありゃりゃサンポ、移転のお知らせ

2025年04月22日 | 日記B
当ブログははてなブログに移転しました。

新ブログのURLはhttps://timessemibold.hatenablog.com/です。
2011年3月の東日本震災の直後にスタートして今日まで14年間、
たくさんの方にご覧いただき、本当にありがとうございました。

店主敬白。ぺこり。
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はてなブログへの引っ越し②

2025年04月21日 | 日記B

はてなブログへの画像データの移行は24時間経過後で1,094枚。ようやく全体の3%を越えました。30%じゃなくて3%。
計算すると1枚のアップに45秒もかかっていることになります。これを36,000枚。いつ終わるのか見当もつきません。
単に画像のコピーだけでなく、その画像がリンクされているblog本文の画像URLの書き換えを同時進行しているようなので時間もかかるんでしょう。

ちなみにこの画像移動はgooサーバ→はてなサーバで直接やっていて私のPCを経由していないので普段の作業にはまったく影響ありません。
gooブログは11月で全サービスを終了するので、引っ越し作業をぎりぎりまで後回しにしたら画像の移行が間に合わない人も出てくるのかも。



はてなのfotolifeという画像アルバムにどんどん増えて行きます。自分でも久しぶりに見る画像がほとんどで意外と見ていて楽しい。
こうやってまとめられると私の写真ってけっこうおしゃれな写真が多く見えます。意識高い系の女優のインスタのトップページみたい。

新しいブログのレイアウトなどいろいろ試行錯誤しているのですが、思っていたより「一般人」にはレイアウト自由度が低い。
gooはカラム数を決めてから配置するパーツをドラッグ&ドロップで組み上げて、最後に色合いやテイストを選びました。
はてなはすでに用意されている30種ほどのデザインから選んでほぼ終わり。できることが「一般人」には少ないのです。

しかし、逆にcssを理解してプログラムを書ける開発者寄りの人にとってはめちゃくちゃ自由度が高い。
書体から細かな行間設定までそれこそなんでもできるように見えます。「一般人」にはできないことがその筋の人にはできる。
それができる人たちが作ったデザインが大量に用意されていて一般人が無料でそれを使うこともできます。

ブログデザインにそれほどこだわりはないのですが、困っているのは今までの大きさで写真が見せられないことです。
ありゃりゃサンポは左右1,024pixeサイズで画像をアップしていました。これは私が使っているモニターで左右28cmあります。
もちろん見ている人の環境で表示される大きさは変わるので、28cmというサイズに対して意味はありません。
今はほとんどの人がスマホで見ているでしょうからその場合は左右8cm未満で見ている訳ですし。
でも、見ている人はどうでもよくて、私がでかいサイズで日記を残したい。はてなではそれが今のところできていません。



用意されているデザインで写真が一番大きいのでこんな感じ。
これで写真の左右は18cmに見えます。gooブログの2/3か。本当はこのくらいが見やすいのかもな。スクロール回数も少なく済むし。



こんな感じのデザインもあって、これだと左右は24cmです。
この大きさなら妥協してもいいかなと思うのですが残念なことにこれは1カラム。サイドバーがありません。
最新記事やコメント、カテゴリーなんかが記事の一番下にあります。それはヤだなあ。

ということで、左右24cm(うちのPCで880pixce相当l)で2カラム(サイドバーは左側)というデザインが欲しい。
誰か有料でもいいから作ってくれないかな。てなことを考え中です。

とはいえ。こういうことをgooでいくら書いてもどうせ消えてしまうのだな。
gooブログでの更新はこれを最後にしてちょっと早いけど明日からははてなに書くことにします。

はてなブログのURLはhttps://timessemibold.hatenablog.com/です。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
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はてなブログへの引っ越し①

2025年04月20日 | 日記B
gooブログのデータをMT形式のファイルで保存。朝6時から、「はてな」のインポート画面からアップロードを始めました。
昨日のブログで残り時間をざっくり計算して30時間と予測しました。結果、どうだったでしょうか。

マスキングテープを小さく切って数時間ごとに棒グラフの先端に貼り付けました。
1時間経ってもまったく動いていないように見えても2時間後にはごくわずかに進んでいて、固まっているのではないと分かって安心します。

17日の6時から始めて、この写真を撮ったのが18日の18時。13時を示すシールから5時間後ですが2mmも進まなかった。
終了したのはその4時間半後の22時30分でした。アップロードにかかった総時間は41時間半でした。いや、長かった。

新たに作成したはてなブログを開いてみると見事にブログが再現されていました。うれしかった。


この後、画像データの移転があるということだったので、この段階のはてなブログは文字だけで写真が見られないのかと思っていました。
でも、元々のgooの画像リンクはそのまま生きているのでちゃんと写真も表示されるのでした。なるほど。



今朝から画像の移行を始めました。と言っても「移行する」ボタンを押したら後は見ているだけなんですが。
スタートしてから7時間過ぎた現在、487枚がはてなの画像サーバ「fotolife」に写りました。
7時間かけて487枚。総枚数は36,204枚。計算上は520時間で移行が終了するはずです。約3週間か。
ただし、はてなにはアップできる画像データは一か月で3GB以内というしばりがあります。
画像データの総量は9GBですから、1/3進んだところで一度止まって、5月になったらまた再開して1/3でまた止まってということになりそうです。

5月5日追記。実際にはブログ移行に際しては一か月3GBの制限は適用されませんでした。
一日にアップする枚数も日によってまちまちでしたが、結果的には36,000枚の写真の移行は10日間ほどで終了しました。


とは言えブログを見る人にはその画像がgooにあるかはてなにあるかは全く関係ないことです。
なのでこれ以上gooで書き続けても後でまた移行させる手間が増えるだけなので、頃合いを見てはてなで書き始めるつもりです。

写真が小さいレイアウトの変更など設定がいろいろあるので来週のどこかでかな。
そのうちここでお知らせします。

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goo blog終了

2025年04月19日 | 日記B


4月14日に発表されたgoo blog終了のお知らせ。あまりに突然だったのでそれなりにショックを受けました。
とは言えまったく想定していなかった出来事と言うわけではありません。

2002年に書き始めたドリコムブログ、2004年からのOCNブログ「ブログ人」、2006年からRさんと共著のGDOブログと
過去に関わったブログは次々とサービスを終了して、その都度引っ越しを余儀なくされてきました。
ここ1,2年でも老舗のブログサービスが終了したというニュースは目にしていました。
正直、こんなオワコンにgooはよくここまで粘ったなと言う気がします。

「アメーバ」か「はてなブログ」かどっちかの移転先も用意されているのでなるべく早く移転するよう準備をしています。
半年後に消滅すると決まっている場所にこれ以上文字を書いてもしようがない。

アメーバはレイアウトの関係で写真を大きく見られないのではてな一択でした。
とりあえずブログの標準フォーマットとされているMT形式でのテキスト保存は完了。
はてなブログの開設もして、保存したブログのテキストをアップロードしているのですが、進行状況を示すステータスバーがまったく動かない。
これはもう固まっているんだろうか。。。。

ダウンロードできたのは文字だけで画像含まず。それがzipで圧縮されて7,607KBでした。思っていたより少ない。
zipを解凍するとMT形式のtxtデータになって21,598KBになりました。けっこうtxtデータの圧縮率って高いんですね。
2011年3月のブログ開設以来、14年間で書いたブログは約5,000本でした。一日1本、ほぼ日数通りです。
21,598KBのうちHTMLタグと画像リンク情報などが30%含まれていると仮定すると、純粋に打った文字の分は21,598KBの70%で15,000KB。
15,000KBをブログ数の5,000で割ると1本あたり平均で3KB。日本語1文字は2byteなので文字数にすると3,000KB÷2=1,500文字ということになります。
つまり400字詰め原稿用紙約4枚の原稿を14年間書き続けたということです。1円にもならないのに(笑)
よほど好きでないとできないことです。自分でも呆れました。
ちなみにここまで今日ここまで書いた文字数が1,000文字くらいです。

というところで、アップロードのステータスバーを見るとさっきセロテープで印をつけた位置から30分で1mmくらい進んでいる。
固まっているわけではなかったのか。
ステータスバーの完了位置まであと6cmくらいあるから仮に30分で1mm進むとして60×30分で1,800分!!!
終了までに30時間かかるという計算です。やばすぎ。
とりあえずパソコンが途中でスリープしないよう設定をスリープなしに変えました。
今午前9時だから計算通りだと30時間後は明日の午後3時。無事に終わってくれと祈るばかりです。

20MBのテキストのアップロードで30時間ということですが、画像は全部で44,000枚で9GBあります。
私が生きているうちに移行が終るのか心配になってきました。
これを移行するのにはどれくらいかかるのか。なんか計算する気にもなりません。

goo仲間のReeさんやtakakoさんはどうすんのかな。
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2025年の桜終了

2025年04月17日 | 日記B

三重ツアーから戻った翌朝。桜の花びらはほとんどアスファルトの上に落ちていました。これはこれでちょっといい眺め。
これだけ満遍なく巻き散らかされていてもいつの間にかきれいに片付いているのが不思議です。

自転車で大塚方面へ。茗荷谷の教育の森公園。上と下とでピンクと緑に分かれました。
桜の花はなぜ日当たりの良い上の方ではなくて日陰になっている地面に近い方から咲くのでしょうか。
地面に近い場所の方が太陽の輻射熱で空気が暖められて、風通しの良い木の梢の方より温度が高いからです。というやりとりをごく最近テレビで聞いた気がします。

播磨坂も終了。今年は恒例の桜定点観測がほとんどできませんでした。

小石川植物園向かいの簸川神社前だけやたらと満開でした。これはソメイヨシノではない別の品種なのかな?

ま、いずれにしても2025年の桜は終了です。今年見た桜の主な所をまとめて見ました。

世の中はどんどん好ましくない方向に向かっていますが、前期高齢者目前の身に何ができるでもなし。明るいことだけ考えて花をたくさん見ましょう。
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靖国神社の開花宣言

2025年03月25日 | 日記B

飯田橋で会社の後輩二人とランチをした後で腹ごなしに一人で靖国神社に来ました。

神門のあたりで妙に中がざわついているような気がしたのですが、能楽堂の前がこの人だかり。
すぐに状況を理解しました。アレです、気象庁の開花宣言。

こちらが靖国神社の有名な標本木。こんな風に玉砂利に囲われていた記憶があまりないです。いつから?

テレビ各局も来ています。ピンクのスタジャンの人は「加藤さん、事件です!」で有名になった阿部さん。
娘の阿部桃子さんがRさんが見ているゴルフの番組に時々出ているのを見ます。

無事に開花宣言が出るとみんなで拍手をします。発表した気象庁の人が囲み取材。
テレビで毎年見る風景ですが、生で見るのは初めてです。いいタイミングで来たものだ。こんなに大勢の人がいるとは知らなんだ。

裏の神池の畔ではこんなに咲いていましたが、これはソメイヨシノではないんだろうな。
ということで桜シーズンいよいよ本番です。がんばるぞー。
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ずれずれなるままに

2025年03月19日 | 日記B

渋谷駅でバスの出発を待っていると横をカートが通過していきました。
毎日何回もやってるんで別に珍しくもない風景なんですが、これを見るたびになんか「負けたんだな」という気になってしまいます。
何が何に負けたのかうまく説明はできないんですが。これを規制できない国になっちゃったんだなって感じ。
電動キックボードも同じ。一度試してみましたがあれは車道を走るには危険すぎる。

実家近くのミモザが満開。満開というか爆発した瞬間のような。
この部屋のマンガ本棚には大島弓子の「ミモザ館でつかまえて」がまだありますが、これを読んでいた10代の頃には「ミモザ」が何なのか知らなかったです。

例の青テープペタペタの新築アパートは、もう青テープも取り払われていました。
テープの場所にあったそんなの誰も気にしないよレベルの黒い小さな染みもすべてなくなったよう。ニッポン品質が守られたようです。めでたしめでたし。
最近SNSでやたら目に入って来るのが、注文住宅の建設途中のあまりにもひどい施工の数々。
施主の人が「これって許容範囲なのかそれとも許せないレベルの施工なのか」を判断したくて写真を次々にアップしているんですが。
中には神経質すぎるんじゃ?というのもありますがほとんどの物は今の作業者のレベルってここまでひどいんだと目を覆いたくなるようなものです。
私が見て来た、少なくとも平成までの日本の施工レベルでは考えられないような不細工な仕上がり。
すぐにパワハラ、モラハラと言われてベテランが昔のように新人を指導できなくなった今なら当然の結果なのかもな。

「1979年男子高校生の部屋」おしゃレトロと評されたあの四畳半は46年経って今はこんな状態です。
母もこの部屋は特に使っていません。昔、昭和10年くらい?だったらまかない付きで学生に間借りとかさせたのかもな。日当たり良好です。
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愛知野菜の作り手、上京

2025年03月11日 | 日記B
この日、Rさんはゴルフ友だちとの十数人でのコンペの予定でした。が、残念ながら悪天候で中止に。
コンペには遠く愛知県からも参加予定の友人がいました。わが家にかれこれ12年前から定期的に野菜を送ってくれるありがたい方です。
ゴルフコンペは中止になったのですが、上野で暮らしている息子さんにも会うということで予定通り上京することに。
お土産に採れたての野菜も持ってきてくれるということで、東京駅周辺で会うことになりました。

中央線東京駅ホーム。このホームで乗り降りした記憶がほとんどありません。こんなにも駅舎に近かったのかとびっくり。
調べてみたら1995年に北陸新幹線のホームを新しく作る際に、それまで一番端にあった中央線ホームがこの場所に押し出されたそうです。
以前あった駅舎と中央線ホームの隙間ではスペースが足りず、京浜東北線の上空に半分乗っかる形で上空へも移動しました。
なので、東京駅の中で最も高い位置にあるのも中央線ホームです。調べて知ったことは全部書いておきたいタイプ。

ホームの一番先端にはなぞの通路がありました。関係者以外立ち入り禁止。

丸の内南口。

待ち合わせはなるべく駅から近くてすぐにお昼ご飯が食べられるようにKITTEにしました。
劣化の早すぎる木材で最近叩かれまくっている隈研吾設計のリフォームですが、この空間づくりは評価に値します。かこいい。

5階の宮崎料理の万作で待ち合わせ。あちらも夫婦でいらしているので4人です。私は地鶏の親子丼を食べました。
過去に食べた宮崎地鶏焼きというと、めちゃくちゃ固くて噛み切れない印象でしたが、さすがにこのお店のは柔らかかった。
宮崎の人が食べたらこんなのは宮崎地鶏じゃないって言うのかも知れません。

食後にテラスに出て東京駅をバックに記念写真。冷たい風雨が身体に強く当たっていましたが記念写真がんばりました。

天気が良ければ都内をあれこれご案内しても良かったのですが、悪天候だったので階下の東京大学博物館、インターメディアテクへ。
けっこう楽し気に見てくれていましたが、後で聞いたら私たちと別れた後で国立博物館にも行ったんだそうです。博物館好きだったか!

ここ2年くらいお目にかかったこともないような立派なブロッコリー2玉と菜花、愛知県一宮産のハチミツなどいただきました。
野菜をもらうだけの関係ですがそれが13年も続いているのはすごい。豊かな食生活の源になっています。ありがとう。
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1979年男子高校生の部屋

2025年03月08日 | 日記B
昨日のブログで使った「1978年の高校3年生男子の部屋」。写っている物を解説します。


①東山魁夷の絵のプリント
②世田谷のボロ市で買って来た警報機のベル。鳴りません。
③書棚の一番上にはコーヒーやワイン。メニューも作ってあって遊びに来た友人に飲むものを選ばせていました。奥に電気ポットもあり。
④北極が中心になっている世界地図。
⑤ルーズリーフにマジックで「ALWAYS YOUR FAURT」と書かれた紙。自分で書いて貼った。何を考えていたかは不明。FAURTはFAULTのスペルミス。
⑥布製のバイオリン型クッション。付き合っていた彼女の手作り。
⑦操舵輪のデザインの温度計。ボロ市で買った。
⑧操舵輪のデザインの鏡。ボロ市で買った。当時操舵輪=かっこいいだったのかも。
⑨PUMAの通学バッグ。マジソンスクエアガーデン全盛期の1972年頃に人とは違うものがいいと思って買った。
⑩「カモメのジョナサン」の広告の切り抜き。1974年に五木寛之の訳で爆発的にヒットした。
⑪北海道のアイヌ土産の小さなポシェット。彼女土産。タバコを入れて首からぶら下げていた。当時の都立高校生男子の喫煙率は推定40%くらいか。
⑫SONYのラジカセCF-1980。愛称はstudio1980。映画「PERFECT DAYS」に登場して驚いた話はこちら
⑬手動の鉛筆削り器。すでにシャーペンの時代で使われることはなかったと思う。
⑭デスクライト。小学生の頃から使っていた水色のZライトが壊れて買い替えた。
⑮鉄道100周年の記念グッズ。缶でできて貯金箱になっていた。ボロ市で買った。
⑯有孔ボード。小さい穴が空いたボードに各種の金具のフックや小物入れをレイアウトできる。小学生の頃から使用していた。
⑰タバコの空き箱。右がマルボロで左がASTOR。他に吸っていたのはTALK、CABINなど。私が吸うタバコはなぜか短期で発売中止になった。
⑱実験用アルコールランプ。火遊び用。室内で空き缶に入れた紙を燃やしたりもしていた。馬鹿だ。
⑲身長に応じて高さを変えられるデスクは碑文谷のダイエーで買った。

ついでにもう1枚。1979年の男子高校生(18歳)の部屋。同じ部屋でデスクの反対側はこうなっていました。

4畳半の和室の押し入れの前に古いソファベッド。ベッドと襖の間のスペースが楽器置き場になっていました。
①チェロの弓
②青山のVAN99ホールでの骨董市で買った手書きのイラスト入りのウクレレ
③母にもらった三味線
④マンドリン。出所不明。
⑤コントラバス。世田谷区の広報紙に「コントラバスとベビーベッドを交換してください」という投稿があった。
ベビーベッドはないんですがコントラバスが欲しいんですと申し込んで3千円で譲り受けた。その後神奈川県の高校のブラバンに寄贈。
⑥高校オケの有志で結成していた弦楽合奏団の全メンバー11人の似顔絵が書かれたイラスト。
 メンバーの中にいたマンガ研究会の人に書いてもらった。残念ながら原画は紛失。白黒のコピーが1枚だけ残っている。
⑦兄が幼少期に使っていた分数バイオリン(子供用の小さなバイオリン)その1
⑧兄の分数バイオリンその2
⑨中一の頃「ギターが欲しい」といったら親が勝手に買ってきたクラシックギター。欲しいのはこれじゃないと大泣き
⑩高校の管弦楽部入部後から大学1年の秋まで使ったSUZUKIのチェロ
⑪中学の友人からもらったエレキギター。
⑫上の写真にも写っているバイオリンのクッション。
⑬「これじゃないクラシックギター」の後でようやく買ってもらったアコースティックギター。
 ギャラガーという高級なアコギの日本版コピーモデル。
⑭室内に観葉植物を飾るのが流行り始めた頃。シダやポトスを育てていました。

こうして見ると当時の高校生にしてはずいぶんたくさんの楽器を持っていました。
といっても数万円以上出して新品を買ったのはチェロとアコギだけで、それ以外は二束三文の骨董品か、いただきものです。
それでも楽器が並んでいる部屋というのには今も変わりません。(ただし楽器自体はかなり高級化した)
ろくに弾けもしないのに持っているだけでそこそこ満足してしまうというタイプなんでしょうか。
5年ほど前にガラクタ楽器で埋め尽くされた兄の部屋のことをブログに書きましたが、こうして見るとどうやら血筋のようです。



【3月9日追記】
コメントでデスク周りの写真を「そのままタワレコの広告に使えそうなくらいおしゃれ」と言われたので試しにタワーレコード風に作って見ました。
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老人ホーム見学

2025年03月05日 | 日記B

母に付き合って、実家の近所に今月中旬にオープンする新しい介護付き老人ホームの見学に行きました。いい天気。

小学生の頃から元日には必ず初詣に来ていた観音様の真向かい。
電柱の左に見えている屋根は小田原の代官屋敷から移築した建物。2012年に銅屋根に吹き替えた時の金ピカぶりがブログ記事に残っています。

左は施設を案内してくれた方。とても感じがよく年寄りの扱いにもスムースでした。後で名刺を見たら肩書に「お客様相談センター」と書かれていました。道理で。
広い廊下はシックな色合いと木目調でまとめられています。床はふかふかの絨毯が敷かれています。ほとんどリゾートホテルと変わりません。

1Fのダイニング。ダイニングは4か所あります。89人収容の施設で4か所もあればかなりゆとりある食事ができそうです。
幸いなことに母が90を越えてもバリバリ元気で自立した生活を送っているので、老人ホームについて調べる機会もなく現在に至っていました。
なのでテレビなどで見てイメージしていたホームと目の前の風景がかなり違っていて驚きました。結局この後最後まで驚き続けて終わることになります。

1Fダイニング。オープン間近で最後の仕上げ工事が行われていました。

32㎡の居室。一番多く用意されている22㎡の部屋の次に広いタイプ。同じ広さでもお風呂があったりなかったり選択肢はいろいろです。
プロが仕上げてるのでインテリアも完璧。私が住みたいくらいです。

3階のベランダからの眺め。頂上に雲がかかってしまいましたが富士山が裾の方まではっきり見えています。
タワーマンションから見えるなら不思議ではありませんが、たかだか3階のベランダから富士山が見えるとは元地元民としても驚きました。

44㎡の居室。このくらいになると二人でも充分暮らせそうです。
ちなみにこの上の75㎡、85㎡という部屋もあります。最大は105㎡というとんでもない広い部屋もあってそこだと最初に1億2500万という入居金が必要です。

老人ホームは学芸大学付属高校の敷地の一部に建っています。期限付きで私企業に貸しだす賃貸料で厳しくなっている大学経営の一助にするという事業計画です。
さきほどの富士山側と反対側には高校のサッカー場と野球場が広がっています。こちらが東側になります。西と東、どっちがいいかは難しい所。

お風呂は一人用のバスルームが何か所かあって必要があれば介助を受けながら個別に入浴します。お湯は一人が終ればすぐに入れ替えるんだそうです。もったいな。

5階のダイニングは夜はバーカウンターもあるラウンジになります。270度の眺望があって都心を一望できました。

1階のラウンジは4層の吹き抜けになっていてアーチストが製作した照明がぶら下がっています。

機能訓練室も兼ねる1階ラウンジ。

今時の老人ホームはこんなことになっているのかと驚きながら見学を終了。建築視点で見てもかなり楽しかったです。
すでに親の介護を経験済みの友人に写真を見せたらまあまあ高級な部類なんだそうです。やっぱそうか。

今現在自立生活ができていてそれを楽しんでいる母が介護付きのホームに移る必然性はありません。
元気なうちから入っておいてもっと弱った時に備えるという考えで、若くして入居する人もいますが、母の場合はQOLが低下するだけのような気がします。今は。
2年前から腰痛で自由に動けなくなりつつありますが、それでもこの通り、今はまだ電動自転車を乗りこなして自分で買い物もできています。
老人ホームもなかなか快適そうだと分かった所で、もうちょっとこのまま様子を見ることになりそうです。
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青テープに見るニッポン品質

2025年02月28日 | 日記B

実家近くに建設中だった住宅がいよいよ完成間近のようです。
元は大きな邸宅だったところでした。更地になった後で立てられた建築計画を見ると用途として「2階建て長屋」と書かれていて少し驚いたことを覚えています。

「長屋」というとまず思い浮かぶのが下町の路地の中によくあるこんな住宅。その次に京都とか金沢の古都などで見る古い町並みの風景です。

現代の建築基準法では長屋とは「1つの建物の中に複数の住戸が作られている集合住宅」のことです。
アパート、マンションなどいわゆる「共同住宅」と違うのは、共有されるのが外壁のみ。
エントランスや廊下、階段は独立していて他の住人と共有することはありません。共用スペースを通らずに、道路に面した玄関から住戸に直接出入りします。

昨年末の浦安散歩の途中でこんな住宅を見ましたが、これなども玄関は独立しているので分類では長屋ということになります。
マンションを立てづらい不整形な土地にも柔軟に建てられたり各種の法的な制限がゆるいことから2000年代以降、かなり増えているそうです。
近年はデザイナーズ長屋と呼ばれるおしゃれな建物が多いということです。

長屋の話が長引きましたが、書きたかったのはそこではないです。

実家近くの完成間際のデザイナーズ長屋ですが、近づいてみると青のテープがあちこちにペタペタ貼られています。

近づいてみると青テープの先端近くに小さな黒い染みのような何かがあります。

このくらい拡大すると見えるかな。テープの先にある赤い丸の中央に何か黒いものがある。

たぶんですけど、これはおそらく完成前の検査で指摘されている修正箇所なんだと思います。
工事を発注した会社の検査担当がやってきて壁一面を舐めるように眺めてこの黒い点々を見咎めてそこに青テープを貼る。
施工業者は完成までのこのテープの箇所を修正しなければならないということです。

正直「なんだかなー」と思いました。この1ミリ2ミリの黒い点は瑕疵とされなければならないものなんでしょうか。
どうせ住み始めて一か月もすれば、前を走る車の土跳ねや、鳩の糞などのもっと目立ついろんな汚れがつくことは避けられない。外壁だもの。みつを。
そしてこの黒い点はだれの責任ということになるんでしょうか。
施工中にできた黒点なら施工業者の責任だし、外壁材製造中にできたものなら建材メーカーの責任です。その区別はつくのかな。

日本の品質基準は他国と比べて相当に厳しいというのはよく言われています。
そのおかげで満足度の高い暮らしができているのも事実です。曇りひとつない美しい仕上がりで故障の少ない日本製品を誇りに思います。
ただこの無数に貼られた青テープを見ていて、こういう過剰に神経質なところが生産性を悪くして、結果国際的な競争力を失ってきたのかな、とも考えます。
とは言え、品質基準を下げればまた違う形で競争力は失われる。ちょうどいいバランスを探り続けるしかないわけです。
2位でいいと思ったら2位にはなれなというのも現実です。

自分も長年製造業で働いていて完成した商品を毎月のように「検品」されていました。
細かすぎたり理不尽な指摘にストレスを感じることも多々ありました。
製造業に関わらずサービス業だって同じです。なんだってそうか。当たり前のことをぐだぐだ書いてしまったな。
青テープの壁の前に立っていたらなんか少し切なくなってしまって、何か言わずにいられなくなりました。
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小金井公園・梅見る少女じゃいられない

2025年02月24日 | 日記B

久しぶり小金井公園。小金井に来た目的は二つ。五日市街道の未踏部分(小金井公園下の2km)を塗り潰すことと、小金井公園での梅見でした。

小金井公園の中はまだ歩いていない園路がたくさんあるので過去に通った道筋をよけながら園内に新しいGPSの軌跡を引いて行きます。
こういうのがけっこうめんどくさい。でもせっかく歩いても過去の道筋と重なっていると損をした気分になるのでやらねばなりません。

公園の北端、東西の中央にあるふたつ池。数年前に見に行った石神井川上流端の50mほど東にあって石神井川の水源の一つです。
あまり一般の人が来ない北のはずれで柵に囲まれていて近づけないふたつ池。実は深さ30cmほどに設計されたコンクリート製の人工池です。
この南にある「いこいの広場」の地下には見えない貯水池があって大雨の際に雨水が石神井川に流入しない役割がありますが、ふたつ池もその調節機構の一部です。

石神井川上流端。2021年の「石神井川を往く・上流端へ(2)」の時以来です。

小金井公園と小金井カントリークラブとの境界の道。

金網の間からゴルフ場を覗く。

江戸東京たてもの園を池越しに覗く。

梅林はその掘割のような池の南側にありました。

白梅。

蝋梅。

桜は有名ですが、梅林も思っていたより充実していてとても良かったです。

小石川後楽園では見られないような大きな梅も。

蕾はピンクなのに開いて来るとピンクから白に変わるようなグラデーションがきれいなやつ。

梅も充分見て「桜町遊歩道」という立て札があった園の外の小径で小金井街道の方へ歩く。
公園側の2階に小窓が8つも並んでいるおうち。いい景色が見えるんだろうな。ひょっとすると2階ではなく吹き抜けになったリビングの高窓かも知れません。うらやましい。

小金井橋の前から小金井街道の未踏破部分1.5kmを塗りつぶしました。
五日市街道を往く・完結編」で踏破したはずが実は歩いていなかった部分です。これで本当に五日市街道完結。

駅で何か食べる予定でしたが途中のファミマでおにぎりとファミチキを買って、再び正門から小金井公園の中に戻ってきました。やっぱり今日は外ランチでしょ。

帰りは「梶野通り」で東小金井駅へ。行く時にも見た仙川の最上流部。「仙川を往く」の時には三鷹駅の南付近で挫折しましたが小金井までしっかり続いています。
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2025年の新宿野村ビルで1978年と1990年

2025年02月21日 | 日記B

新宿野村ビルで飲み会がありました。

現在、西新宿も合わせて30~40本ほどの高層ビルが立ち並ぶ新宿副都心部ですが、私が新宿駅近くの高校に通い始めた1976年時点では僅か4本があるだけでした。
京王プラザホテル(1971)、新宿住友ビル(1974)、KDD国際通信センター(現 KDDIビル)(1974)、新宿三井ビル(1974)。これだけです。
1976年の高2の時に安田火災海上本社ビル(現損保ビル)、翌1978年6月にこちらの野村ビルが竣工しました。

ここからは非常に不確かな50年前の記憶に基づく記述ですが。野村ビルの49階に喫茶店があって部活のない学校帰りに時々お茶を飲みに行きました。
お店の名前はポンテベッキオ。
もちろんコーヒーなんかどうでもよくて、当時の彼女や管弦楽部の後輩を連れて、当時では珍しい上空から眺める新宿を見せびらかしに行ったのです。

50年前もポンテベッキオの窓側の席からこんな感じの夕日を見ました。だからお店があったのは現在展望台になっているビルの西側だったはずです。
目の前に邪魔をする新宿アイランドタワー(1995)もなかったので本当に遠く三浦半島方面まで空は続いていたかも知れません。知らんけど。

新宿辺りはけっこう頻繁に徘徊していますが、ビルの中に入ることは滅多にありません。
宴会の30分前にビルに入って50階の展望台から青春時代に見た夕日を確認しました。ちょっと胸きゅんでした。

宴会は野村ビルの地下1階のお店で。こちらもとても懐かしい集まりで、1990年当時同じ時期に子供が生まれてとても濃密に仲良くしていたご近所の2家族との再会でした。
私は4年後に離婚したのでその後その家族と会うことはなく、実に35年ぶりの再会でしたが集まって2分であの頃の空気感に戻って楽しい時間を過ごしました。
当時の自分の記憶がほとんどないので目の前で繰り広げられる昔ばなしが自分のこととは思えない話ばかりで可笑しくて仕方ない。
そんな懐かしさダブルパンチの新宿野村ビルの夜でした。

1980年の新宿副都心。絵葉書の写真。さっき書いた4本に加えて新宿センタービルとセンチュリーハイアットが増えています。でも都庁周辺はまだ空き地。

GoogoleMAPで見る新宿副都心。上の写真となるべく同じ角度になるように調整しました。
まだ小田急百貨店が見えますが数年後には全く様変わりするので、この写真もすぐに「2025年当時の古い写真」に変わります。
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ウメサク渋谷川

2025年02月16日 | 日記B

予約していた本を取りに東板橋図書館へ。バス通りの紅白の梅が満開でした。
この前の日に井の頭公園の梅林に行った時は2割も開いてなくてがっかりだったのに。
品種が違うんでしょうね。

ブログに第九のことがアップされた夜の第九の練習。
今日は並木橋の近くの渋谷区の施設でやりました。
新しい指揮者がたくさん歌わせてくれて、覚えられるし全体に活気も出て来たのですが、唯一の問題が立っている時間が長い。
毎日1時間以上は歩いていて平気なんですがその場所にじっと立っているのはかなしんどいです。
腰にいてぎゅっとひっぱると骨盤がしゅっとして楽になると通販番組でよく見るやつ。欲しくなります。
渋谷駅の新南口からの明治通り沿いはここ数年で飲食店が増えました。センター街や公園通りは遊びつくしたような外国人がわんさかいます。
歩きにくいなと思ったら1本裏に入ると渋谷川沿いに遊歩道が整備されています。
ちょっと臭い川と高層ビルの灯と古いビルの裏の顔といろんなものが同時に見えておススメの都会の景色です。
渋谷リバーストリートという名前だそうです。だっさ。
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私のDAISO、大曽ストアー@大山

2025年02月13日 | 日記B
野菜が高くて苦悩する日々を送っていますが、それをかなり軽減して解決してくれそうなお店を見つけました。

大山が誇るハッピーロード商店街の大曽ストアーさん。
ハッピーロードの中でもかなり遠い方であと100mで川越街道側の出口といった場所です。メタルな人に人気のアライ精肉店の真向かい。

昭和の市場の雰囲気を残しつつ、清潔で通路にも余裕のあるレイアウト。平日の昼下がりで空いている店内。

八百屋スペースの奥には右手にお肉屋さん、左手に魚屋さんという鉄壁の布陣。ここ一軒で食材は完結します。
お肉屋さんではグラム65円の鳥の挽き肉やグラム108年のサムギョプサル用豚バラ肉を買いましたがどちらも良かったです。
魚屋さんではきれいなイサキがあったので下処理をお願いしたら「今、刺身作り始めちゃったからダメ」と言われました。まあ仕方ない。

人参、ジャガイモ、玉ねぎのクリーンナップがどれも一袋150円ほど。スナップエンドウ128円。芽キャベツ200円でした。
近所のスーパーで買うのの3~5割引きのイメージです。肉じゃがやサラダを作りましたが品質もスーパーのより上に感じました。
うちから2kmくらいの場所なので手間ではあるのですが、「目的を持った散歩」として今後今後活用していきたいです。
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