猿田彦神社から古市参宮街道を北に丘陵の尾根を約1.5km。家康の孫の千姫を弔う為に建てられた寂照寺の山門を通り過ぎた最初の角を曲がると麻吉旅館が見えてきます。

駐車場の奥の古めかしい2階建ての木造旅館。一見するとそんな感じですが、この奥の傾斜地に沿って7つほどの建物がややこしく連結されて一つの旅館を形成しています。

朝から厚い雲がかかっていましたが、ここに着く直前に青空が見えました。向かい側の桜も満開で旅館に到着した時点でかなりテンションが上がっていました。

2階建てに見える棟の南側に第一の玄関がありました。玄関の左に有形登録文化財の銅のプレートが飾られています。
ダミアンがコメントに書いたリンク先の写真で、2005年に
サンディーのご一行様がフラ奉納の後で麻吉旅館に上がり込んだのは正にこの玄関からのようでした。

玄関前から細い階段道がうねりながら続いています。一段下がった所に第二の階段があります。私たちはこちらの階段から出入りしました。

途中をすっ飛ばして一番下まで下りました。切妻の下の「麻吉」のでかい看板。写真を撮っている私のすぐ後ろの伊勢自動車道と県道を走る車に存在をアピールしているのか。

建物のちょっとしたでっぱりにスマホを置いてタイマーで記念写真を撮る。

古い木造家屋、階段、石垣、渡り廊下と好きなものばかり。

建物は一見繋がっているように見えますが、実際には別々に建てられたいくつかの建物が廊下で連結されているだけの場所がいくつもあります。
ここなども屋根の下の扉の上の隙間から建物の向こう側が透けて見えています。

第二玄関前から第一玄関を見上げる。どういう角度で撮ってもそれなりにJRのパンフレットで使えそうな写真ができあがります。
伊勢神宮参拝は、外宮を参拝してから内宮を参拝するのが習わしでした。江戸時代には外宮から内宮へ向かう道は今日歩いた伊勢古市参宮街道が唯一の道でした。
街道筋は伊勢参りをする人々で賑わい芝居なども盛んで文化の中心地でした。全盛期には70以上の宿がありましたが残っているのは麻吉旅館だけです。
伊勢参宮資料館の年表には「嘉永4年(1851)料理旅館麻吉創業」と書かれていますが、それより45年前の1806年に書かれた東海道中膝栗毛に麻吉の名前は既に登場しています。
現在の建物が建てられた時期なども宿の人に聞いても「江戸末期」程度のことで実際はよく分かっていないというのが正しい答えのようでした。

第二の玄関から中に入って目の前の階段を下ります。

階段と言うより梯子に近いような角度で気をつけないと頭をぶつけます。降りた先には第三の玄関がありました。
右手の扉からこちらに向かって床面が傾斜しているのが分かります。普通に家を建てて床が傾斜することはありません。
このような場所が館内にいくつも見られましたが、その部分が別々に建っていた建物を無理やり連結している場所です。

第三の玄関の場所に古い竈が残っています。このことからここが麻吉旅館の最初の場所ではないかという話もありました。

私たちの部屋は第三の玄関から急な階段でもうひとつ下がり、中途半端な傾斜のある廊下を進んだ先でさらに3段下がった先の引き戸を開けた先にありました。
引き戸の先は風呂やトイレ、押し入れのある板の間でその奥の障子を開けるとやっと部屋だったのですが、なんと障子のすぐ先もさらに階段がありました。
まさに江戸のスキップフロア。こんな面白い旅館は初めてです。

部屋は12畳くらいの角部屋で
窓から桜も見える質素で落ち着いた部屋でした。天井が傾斜していたので一応その範囲では最上階のようです。

館内を探索中。こちらは一番上の建物の第一の玄関の内側。

その上の宴会場に上がるための階段と下足箱。下足箱の手前にまた短い階段があって別の建物(浴室棟?)と連結されているようです。
夕食の時、宿の人に平面図、断面図、写真集、その他大学の研究室などの調査チームが入った時の資料などの存在を訪ねたのですが一切ないようです。
有形登録文化財でも意外とないものはないのかな。

お風呂は部屋ごとの貸し切りです。ステンレスの1枚板から打ち出した浴槽でした。この大きさはまずないらしい。水道水ですが快適なお風呂です。

翌朝、朝食を食べに渡り廊下で食堂へ。画面中央に見えているのが竈の間の第三の扉。

宴会棟を横から見る。

下界を見下ろすと屋根がもつれている。スケールはだいぶ違うのですが高知城の天守最上階から黒鉄門を見下ろした風景に似ていて素晴らしい。
建物の向こうに伊勢自動車道がちらっと見えますが、あれがほんのわずか違う計画だったら高速道路のために壊されていたかも知れません。

竃のフロアから客室とは違う方向に麻吉歴史館という名の資料室があって古い什器や美術品を大量に展示してあります。
その資料室が面積は広くないのですが上下に3層にも亘っています。
麻吉旅館は崖造りの建物ということになっています。間違いではないのですが、構造を別にする複数の建物を連結しているのでこれを純粋に五層の崖造り建築とは言い難い。
一般的な崖造りの場合、床を支えている柱や貫が外からむき出しですが、ここでは壁と床を張って使えるようにしているようです。
倉庫や女中部屋として使われていた床下部分を現在は資料展示に使っているのかなと想像しました。

少なくとも大正7年以前に撮影されたと推測される麻吉旅館全景。本当にびっくりするくらい変わっていません。
伊勢地方の古い絵ハガキやパンフレットを大量に収集している
「いにしえの伊勢」http://inisienoise.net/index.htmlサイトより引用。
玄関からの経路と屋根の形から、私たちが泊ったのはおそらく赤い矢印の部屋ではないかと思われます。

同じく「いにしえの伊勢」サイトより。
ご家族で運営されているようにお見受けしましたが、どうかこのまま貴重な建物を残していただけるようお願いします。また泊まりに行きます。

五十鈴川からタクシーで南回りに赤福に行って、猿田彦神社から伊勢街道で麻吉旅館。翌朝北周りで駅に戻るというルートでした。