goo blog サービス終了のお知らせ 

ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

ありゃりゃサンポ、移転のお知らせ

2025年04月22日 | 日記B
当ブログははてなブログに移転しました。

新ブログのURLはhttps://timessemibold.hatenablog.com/です。
2011年3月の東日本震災の直後にスタートして今日まで14年間、
たくさんの方にご覧いただき、本当にありがとうございました。

店主敬白。ぺこり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はてなブログへの引っ越し②

2025年04月21日 | 日記B

はてなブログへの画像データの移行は24時間経過後で1,094枚。ようやく全体の3%を越えました。30%じゃなくて3%。
計算すると1枚のアップに45秒もかかっていることになります。これを36,000枚。いつ終わるのか見当もつきません。
単に画像のコピーだけでなく、その画像がリンクされているblog本文の画像URLの書き換えを同時進行しているようなので時間もかかるんでしょう。

ちなみにこの画像移動はgooサーバ→はてなサーバで直接やっていて私のPCを経由していないので普段の作業にはまったく影響ありません。
gooブログは11月で全サービスを終了するので、引っ越し作業をぎりぎりまで後回しにしたら画像の移行が間に合わない人も出てくるのかも。



はてなのfotolifeという画像アルバムにどんどん増えて行きます。自分でも久しぶりに見る画像がほとんどで意外と見ていて楽しい。
こうやってまとめられると私の写真ってけっこうおしゃれな写真が多く見えます。意識高い系の女優のインスタのトップページみたい。

新しいブログのレイアウトなどいろいろ試行錯誤しているのですが、思っていたより「一般人」にはレイアウト自由度が低い。
gooはカラム数を決めてから配置するパーツをドラッグ&ドロップで組み上げて、最後に色合いやテイストを選びました。
はてなはすでに用意されている30種ほどのデザインから選んでほぼ終わり。できることが「一般人」には少ないのです。

しかし、逆にcssを理解してプログラムを書ける開発者寄りの人にとってはめちゃくちゃ自由度が高い。
書体から細かな行間設定までそれこそなんでもできるように見えます。「一般人」にはできないことがその筋の人にはできる。
それができる人たちが作ったデザインが大量に用意されていて一般人が無料でそれを使うこともできます。

ブログデザインにそれほどこだわりはないのですが、困っているのは今までの大きさで写真が見せられないことです。
ありゃりゃサンポは左右1,024pixeサイズで画像をアップしていました。これは私が使っているモニターで左右28cmあります。
もちろん見ている人の環境で表示される大きさは変わるので、28cmというサイズに対して意味はありません。
今はほとんどの人がスマホで見ているでしょうからその場合は左右8cm未満で見ている訳ですし。
でも、見ている人はどうでもよくて、私がでかいサイズで日記を残したい。はてなではそれが今のところできていません。



用意されているデザインで写真が一番大きいのでこんな感じ。
これで写真の左右は18cmに見えます。gooブログの2/3か。本当はこのくらいが見やすいのかもな。スクロール回数も少なく済むし。



こんな感じのデザインもあって、これだと左右は24cmです。
この大きさなら妥協してもいいかなと思うのですが残念なことにこれは1カラム。サイドバーがありません。
最新記事やコメント、カテゴリーなんかが記事の一番下にあります。それはヤだなあ。

ということで、左右24cm(うちのPCで880pixce相当l)で2カラム(サイドバーは左側)というデザインが欲しい。
誰か有料でもいいから作ってくれないかな。てなことを考え中です。

とはいえ。こういうことをgooでいくら書いてもどうせ消えてしまうのだな。
gooブログでの更新はこれを最後にしてちょっと早いけど明日からははてなに書くことにします。

はてなブログのURLはhttps://timessemibold.hatenablog.com/です。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はてなブログへの引っ越し①

2025年04月20日 | 日記B
gooブログのデータをMT形式のファイルで保存。朝6時から、「はてな」のインポート画面からアップロードを始めました。
昨日のブログで残り時間をざっくり計算して30時間と予測しました。結果、どうだったでしょうか。

マスキングテープを小さく切って数時間ごとに棒グラフの先端に貼り付けました。
1時間経ってもまったく動いていないように見えても2時間後にはごくわずかに進んでいて、固まっているのではないと分かって安心します。

17日の6時から始めて、この写真を撮ったのが18日の18時。13時を示すシールから5時間後ですが2mmも進まなかった。
終了したのはその4時間半後の22時30分でした。アップロードにかかった総時間は41時間半でした。いや、長かった。

新たに作成したはてなブログを開いてみると見事にブログが再現されていました。うれしかった。


この後、画像データの移転があるということだったので、この段階のはてなブログは文字だけで写真が見られないのかと思っていました。
でも、元々のgooの画像リンクはそのまま生きているのでちゃんと写真も表示されるのでした。なるほど。



今朝から画像の移行を始めました。と言っても「移行する」ボタンを押したら後は見ているだけなんですが。
スタートしてから7時間過ぎた現在、487枚がはてなの画像サーバ「fotolife」に写りました。
7時間かけて487枚。総枚数は36,204枚。計算上は520時間で移行が終了するはずです。約3週間か。
ただし、はてなにはアップできる画像データは一か月で3GB以内というしばりがあります。
画像データの総量は9GBですから、1/3進んだところで一度止まって、5月になったらまた再開して1/3でまた止まってということになりそうです。
とは言えブログを見る人にはその画像がgooにあるかはてなにあるかは全く関係ないことです。
なのでこれ以上gooで書き続けても後でまた移行させる手間が増えるだけなので、頃合いを見てはてなで書き始めるつもりです。

写真が小さいレイアウトの変更など設定がいろいろあるので来週のどこかでかな。
そのうちここでお知らせします。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

goo blog終了

2025年04月19日 | 日記B


4月14日に発表されたgoo blog終了のお知らせ。あまりに突然だったのでそれなりにショックを受けました。
とは言えまったく想定していなかった出来事と言うわけではありません。

2002年に書き始めたドリコムブログ、2004年からのOCNブログ「ブログ人」、2006年からRさんと共著のGDOブログと
過去に関わったブログは次々とサービスを終了して、その都度引っ越しを余儀なくされてきました。
ここ1,2年でも老舗のブログサービスが終了したというニュースは目にしていました。
正直、こんなオワコンにgooはよくここまで粘ったなと言う気がします。

「アメーバ」か「はてなブログ」かどっちかの移転先も用意されているのでなるべく早く移転するよう準備をしています。
半年後に消滅すると決まっている場所にこれ以上文字を書いてもしようがない。

アメーバはレイアウトの関係で写真を大きく見られないのではてな一択でした。
とりあえずブログの標準フォーマットとされているMT形式でのテキスト保存は完了。
はてなブログの開設もして、保存したブログのテキストをアップロードしているのですが、進行状況を示すステータスバーがまったく動かない。
これはもう固まっているんだろうか。。。。

ダウンロードできたのは文字だけで画像含まず。それがzipで圧縮されて7,607KBでした。思っていたより少ない。
zipを解凍するとMT形式のtxtデータになって21,598KBになりました。けっこうtxtデータの圧縮率って高いんですね。
2011年3月のブログ開設以来、14年間で書いたブログは約5,000本でした。一日1本、ほぼ日数通りです。
21,598KBのうちHTMLタグと画像リンク情報などが30%含まれていると仮定すると、純粋に打った文字の分は21,598KBの70%で15,000KB。
15,000KBをブログ数の5,000で割ると1本あたり平均で3KB。日本語1文字は2byteなので文字数にすると3,000KB÷2=1,500文字ということになります。
つまり400字詰め原稿用紙約4枚の原稿を14年間書き続けたということです。1円にもならないのに(笑)
よほど好きでないとできないことです。自分でも呆れました。
ちなみにここまで今日ここまで書いた文字数が1,000文字くらいです。

というところで、アップロードのステータスバーを見るとさっきセロテープで印をつけた位置から30分で1mmくらい進んでいる。
固まっているわけではなかったのか。
ステータスバーの完了位置まであと6cmくらいあるから仮に30分で1mm進むとして60×30分で1,800分!!!
終了までに30時間かかるという計算です。やばすぎ。
とりあえずパソコンが途中でスリープしないよう設定をスリープなしに変えました。
今午前9時だから計算通りだと30時間後は明日の午後3時。無事に終わってくれと祈るばかりです。

20MBのテキストのアップロードで30時間ということですが、画像は全部で44,000枚で9GBあります。
私が生きているうちに移行が終るのか心配になってきました。
これを移行するのにはどれくらいかかるのか。なんか計算する気にもなりません。

goo仲間のReeさんやtakakoさんはどうすんのかな。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋谷区ふれあい植物センター

2025年04月18日 | 建築&土木見物

高校時代の同級生とのランチが渋谷でありました。食後にもうちょっと話そうということになったので以前から気になっていた場所に案内しました。
渋谷区ふれあい植物センター。並木橋の交差点から明治通りを恵比寿方向に進んで次の交差点で右に曲がったちょっと先。清掃工場の真裏くらいです。
2005年に渋谷清掃工場の電気を使う還元施設として開園した施設を2021年暮れに一度閉園して、2023年6月にリニューアルオープンしました。

リニューアルは建物の大枠はそのままで大規模な内外装の変更です。単なる小さな植物園から気持ちの良いカフェを併設して人の集まる空間になりました。
入場料はわずか100円。支払おうとしたら60歳以上は無料でした。初回だけ住所氏名を紙に書いて申し込むと1年間有効のパスをくれます。渋谷区年寄りに甘い!

温室のアトリウム。以前は外枠に沿って階段がありましたがリニューアル後は中央に新設された円形のステージを繋ぐ形で上に上がります。
元々狭かった面積を、空中を利用することでうまく拡張した感じ。改装設計は近年おしゃれな店舗やオフィス設計で名を馳せるSUPPOSE DESIGN OFFICE

平日の午後3時過ぎ。ほとんどの席は埋まっていました。散歩系の雑誌やテレビでもよく紹介されるので知っている人は知っているようです。

上から植物を見下ろす席もいい感じ。私も初めてだったのですがここに連れて行ったことで「さすが」と私の評価も上がりました。

ボタニカルピンクレモネード650円。おされ。

最上部にキャットウォークがありますがここは平常時は歩かせてもらえません。

植物園とカフェの他にライブラリー、イベントスペース、ギャラリー、屋上ファームなどもありますので一通り見て回って下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年の桜終了

2025年04月17日 | 日記B

三重ツアーから戻った翌朝。桜の花びらはほとんどアスファルトの上に落ちていました。これはこれでちょっといい眺め。
これだけ満遍なく巻き散らかされていてもいつの間にかきれいに片付いているのが不思議です。

自転車で大塚方面へ。茗荷谷の教育の森公園。上と下とでピンクと緑に分かれました。
桜の花はなぜ日当たりの良い上の方ではなくて日陰になっている地面に近い方から咲くのでしょうか。
地面に近い場所の方が太陽の輻射熱で空気が暖められて、風通しの良い木の梢の方より温度が高いからです。というやりとりをごく最近テレビで聞いた気がします。

播磨坂も終了。今年は恒例の桜定点観測がほとんどできませんでした。

小石川植物園向かいの簸川神社前だけやたらと満開でした。これはソメイヨシノではない別の品種なのかな?

ま、いずれにしても2025年の桜は終了です。今年見た桜の主な所をまとめて見ました。

世の中はどんどん好ましくない方向に向かっていますが、前期高齢者目前の身に何ができるでもなし。明るいことだけ考えて花をたくさん見ましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

専修寺と一身田寺内町

2025年04月16日 | 建築&土木見物

15世紀の終わりから16世紀の中頃にかけて浄土真宗の寺院を中心として作られた自治都市を「寺内町」と呼び、その多くには周囲に濠が巡らされています。
ここ一身田寺内町には環濠がほぼ完全な形で残っていて、専修寺をはじめ多くの寺院や民家が往時の面影を残しています。

本山前の大通りは「寺町通り」。

寺町通りの南に並行する仲の町通りは商業地域として町の生活を支えました。道幅は寺町通りの半分くらい。現在でも菓子店や飲食店が軒を連ねています。
寺内町のボランティアガイドさんの案内で専修寺の見学開始。

東のはずれの太鼓門から境内に入ります。長屋門の上に四重の櫓と言う独特のスタイル。重要文化財。1729年に作られた太鼓が時を告げていました。

国宝の御影堂の横から。ここでも桜は満開でした。

御影堂正面。国宝指定の木造建造物として全国で5番目の大きさです。
専修寺は1580年と1545年の二度、大火で伽藍のほとんどを焼失しています。御影堂は二度目の火災の後で津藩の強力な援助により再建された物。

御影堂の前から如来堂を臨む。

御影堂と如来堂は1800年に建てられた通天橋(重要文化財)で繋がっています。

国宝、如来堂。面積は御影堂の半分ですが高さを揃えて裳階を付けて二層に見えるようにしています。快慶作の阿弥陀如来立像を本尊とし、教義上この堂が伽藍の本堂となります。
軒下は二股の扇垂木を四手先の組物で受けるという禅宗様。純和様の如来堂と禅宗様の如来堂の対比が面白い。

如来堂の中へ。ガイドさんが畳に座って懸命に説明して下さるのですが、あちこち移動していろいろな写真を撮りたい私はちょっと焦ります(笑)。

如来堂から通天橋を通って御影堂へ。映画のロケ地として使われるそうで目黒連や木村拓哉もここで撮影したそうです。

通天橋を渡って如来堂の外縁から如来堂を振り返る。壮麗な建物と桜と山々。
国宝2棟に重要文化財11棟が一か所にあるというすごい場所ですが意外なほど人が少ない。その分警備、防災も手薄に見えて少々心配になりました。

御影堂から見る山門(重文)。

御影堂内部。説明を聞くのは妻に任せて私はうろうろ。(もちろん耳では聞いてます)

最後にもう一度如来堂を振り返る。

唐門から外に。勅使門が普通に出入りできるのは珍しい。

西側から見る寺町通り。

宝暦年間(1751~1764)に書かれた高田山一身田御略繪図。基本的に現在とそれほど大きくは変わっていないことが分かります。

桜門付近から見る専修寺。周囲に高い建物がないのでこの眺めも江戸時代とそれほど違いがなさそうです。

一身田駅でガイドさんとお別れ。ここで生まれ育ち最近リタイアされたそうです。地元に尽くすこういう余生も素敵です。
一週間書き続けましたが2025三重県ツアーレポ、これで終了です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥羽市立 海の博物館

2025年04月15日 | 建築&土木見物

鳥羽水族館と鳥羽城址の桜を見た後で鳥羽湾遊覧船に乗るRさんと別れて海の博物館にやってきました。 
小さなコミュニティバスでリアスの海岸線をアップダウンしながら35分。途中で小さな漁村に寄ったりしてのんびりしたバス旅です。
バス停の目の前に二つの大きな展示棟とカフェ。下調べなしで来たので想像よりかなり規模が大きいことに驚きました。

まずは展示棟Aに。ここで入場チケットを購入。展示棟Aでは漁民の伝統~海洋汚染~海民信仰を中心に展示されています。

私が見たかったのはこちら。連続した木造の大架構で体育館のような巨大空間を柱なしで実現しました。
集成材(内部に鋼材も入っている)で作ったアーチの上にトラス状の束があって切妻屋根を支えています。切妻の棟の部分はトップライトになっています。

架構と架構を繋ぐ構造材は細いのですが壁面と屋根に隙間なく貼られた板材がその分を補っています。

片側に鉄筋コンクリートでできた部分がありますが特に架構と接続はされていません。中はシアター室でした。

コンクリートキューブの上から。建物全体としては4~5階建てくらいのイメージです。

展示室Aと斜めに向き合う形で展示室Bが建っています。

展示室Bでは伊勢、志摩の漁、海女の歴史、木造船の技術などを紹介しています。
基本的に内藤廣の設計した建築物を目的に見ていますが、時間さえあれば展示も相当面白いです。

左右の窓のない建物は一般には公開されていない重要文化財収蔵庫。左が漁具の収蔵庫。右が網と布の収蔵庫。奥が船の収蔵庫。

展示棟Aと収蔵庫の間のヤマモモの中庭。

船の収蔵庫。全国から集めた木造船100隻が収蔵されています。

連続アーチ架構による大空間と切妻屋根は展示棟ABと同じですがこちらはプレキャストコンクリートで建てられています。

こうやって一か所にまとめて長期保存しなければ間違いなく失われていた幾多の種類の木造船。

石を敷き詰めた場所は時期によっては水が溜まって池になるようですがこの時は枯れていました。

現在は鳥羽市の博物館として運営されていますが、2017年以前は漁業振興を目的として発足した東海水産科学協会という私立団体によってスタートした博物館です。
初代の海の博物館は鳥羽市小浜に原広司の設計で建てられました。運営も不慣れで収蔵品も少なかったので来館者は少なく事業としては上手く行きませんでした。
それでも失われていく技術と文化の歴史をなんとか残したいと、そこから全国的に収蔵品の収集を始めて場所を選定し、まずは1989年に研究施設と収蔵庫を完成させました。
当初の計画はここまででしたが、そこから展示棟も作ろうということになり1992年に2棟の展示棟ができました。
当然、建築費には厳しい制限があり、3つの展示棟と2つの収蔵庫、研究施設をわずか7億円の総工費で作り上げました。いかに30年前とはいえ信じがたい数字です。
日本建築学会賞はじめ多くの建築賞を受賞したこの作品は若き内藤廣を広く知らしめる出世作となりました。建築好きにとっての聖地のひとつとも言われています。

設計:内藤廣建築設計事務所 内藤廣 Design:Naito Architect & Associates
構造:S.D.G. 渡辺邦夫 Structual Engineering:S.D.G Kunio Watanabe
扉装飾:松田研一 Door Artwork:Ken-ichi Matsuda
モニュメント制作:小清水漸 Monument:Susumu Koshimizu
家具制作:須賀忍 Furniture:Shinobu Suga
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢古市 麻吉旅館

2025年04月14日 | 建築&土木見物
猿田彦神社から古市参宮街道を北に丘陵の尾根を約1.5km。家康の孫の千姫を弔う為に建てられた寂照寺の山門を通り過ぎた最初の角を曲がると麻吉旅館が見えてきます。

駐車場の奥の古めかしい2階建ての木造旅館。一見するとそんな感じですが、この奥の傾斜地に沿って7つほどの建物がややこしく連結されて一つの旅館を形成しています。

朝から厚い雲がかかっていましたが、ここに着く直前に青空が見えました。向かい側の桜も満開で旅館に到着した時点でかなりテンションが上がっていました。

2階建てに見える棟の南側に第一の玄関がありました。玄関の左に有形登録文化財の銅のプレートが飾られています。
ダミアンがコメントに書いたリンク先の写真で、2005年にサンディーのご一行様がフラ奉納の後で麻吉旅館に上がり込んだのは正にこの玄関からのようでした。

玄関前から細い階段道がうねりながら続いています。一段下がった所に第二の階段があります。私たちはこちらの階段から出入りしました。

途中をすっ飛ばして一番下まで下りました。切妻の下の「麻吉」のでかい看板。写真を撮っている私のすぐ後ろの伊勢自動車道と県道を走る車に存在をアピールしているのか。

建物のちょっとしたでっぱりにスマホを置いてタイマーで記念写真を撮る。

古い木造家屋、階段、石垣、渡り廊下と好きなものばかり。

建物は一見繋がっているように見えますが、実際には別々に建てられたいくつかの建物が廊下で連結されているだけの場所がいくつもあります。
ここなども屋根の下の扉の上の隙間から建物の向こう側が透けて見えています。

第二玄関前から第一玄関を見上げる。どういう角度で撮ってもそれなりにJRのパンフレットで使えそうな写真ができあがります。

伊勢神宮参拝は、外宮を参拝してから内宮を参拝するのが習わしでした。江戸時代には外宮から内宮へ向かう道は今日歩いた伊勢古市参宮街道が唯一の道でした。
街道筋は伊勢参りをする人々で賑わい芝居なども盛んで文化の中心地でした。全盛期には70以上の宿がありましたが残っているのは麻吉旅館だけです。
伊勢参宮資料館の年表には「嘉永4年(1851)料理旅館麻吉創業」と書かれていますが、それより45年前の1806年に書かれた東海道中膝栗毛に麻吉の名前は既に登場しています。
現在の建物が建てられた時期なども宿の人に聞いても「江戸末期」程度のことで実際はよく分かっていないというのが正しい答えのようでした。

第二の玄関から中に入って目の前の階段を下ります。

階段と言うより梯子に近いような角度で気をつけないと頭をぶつけます。降りた先には第三の玄関がありました。
右手の扉からこちらに向かって床面が傾斜しているのが分かります。普通に家を建てて床が傾斜することはありません。
このような場所が館内にいくつも見られましたが、その部分が別々に建っていた建物を無理やり連結している場所です。

第三の玄関の場所に古い竈が残っています。このことからここが麻吉旅館の最初の場所ではないかという話もありました。

私たちの部屋は第三の玄関から急な階段でもうひとつ下がり、中途半端な傾斜のある廊下を進んだ先でさらに3段下がった先の引き戸を開けた先にありました。
引き戸の先は風呂やトイレ、押し入れのある板の間でその奥の障子を開けるとやっと部屋だったのですが、なんと障子のすぐ先もさらに階段がありました。
まさに江戸のスキップフロア。こんな面白い旅館は初めてです。

部屋は12畳くらいの角部屋で窓から桜も見える質素で落ち着いた部屋でした。天井が傾斜していたので一応その範囲では最上階のようです。

館内を探索中。こちらは一番上の建物の第一の玄関の内側。

その上の宴会場に上がるための階段と下足箱。下足箱の手前にまた短い階段があって別の建物(浴室棟?)と連結されているようです。
夕食の時、宿の人に平面図、断面図、写真集、その他大学の研究室などの調査チームが入った時の資料などの存在を訪ねたのですが一切ないようです。
有形登録文化財でも意外とないものはないのかな。

お風呂は部屋ごとの貸し切りです。ステンレスの1枚板から打ち出した浴槽でした。この大きさはまずないらしい。水道水ですが快適なお風呂です。

翌朝、朝食を食べに渡り廊下で食堂へ。画面中央に見えているのが竈の間の第三の扉。

宴会棟を横から見る。

下界を見下ろすと屋根がもつれている。スケールはだいぶ違うのですが高知城の天守最上階から黒鉄門を見下ろした風景に似ていて素晴らしい。
建物の向こうに伊勢自動車道がちらっと見えますが、あれがほんのわずか違う計画だったら高速道路のために壊されていたかも知れません。

竃のフロアから客室とは違う方向に麻吉歴史館という名の資料室があって古い什器や美術品を大量に展示してあります。
その資料室が面積は広くないのですが上下に3層にも亘っています。
麻吉旅館は崖造りの建物ということになっています。間違いではないのですが、構造を別にする複数の建物を連結しているのでこれを純粋に五層の崖造り建築とは言い難い。
一般的な崖造りの場合、床を支えている柱や貫が外からむき出しですが、ここでは壁と床を張って使えるようにしているようです。
倉庫や女中部屋として使われていた床下部分を現在は資料展示に使っているのかなと想像しました。

少なくとも大正7年以前に撮影されたと推測される麻吉旅館全景。本当にびっくりするくらい変わっていません。
伊勢地方の古い絵ハガキやパンフレットを大量に収集している「いにしえの伊勢」http://inisienoise.net/index.htmlサイトより引用。
玄関からの経路と屋根の形から、私たちが泊ったのはおそらく赤い矢印の部屋ではないかと思われます。

同じく「いにしえの伊勢」サイトより。
ご家族で運営されているようにお見受けしましたが、どうかこのまま貴重な建物を残していただけるようお願いします。また泊まりに行きます。

五十鈴川からタクシーで南回りに赤福に行って、猿田彦神社から伊勢街道で麻吉旅館。翌朝北周りで駅に戻るというルートでした。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六華苑(旧諸戸清六邸)

2025年04月13日 | 建築&土木見物
ここからは三重県の建築物の大物をいくつか。

ぎゅうぎゅうのJRみえ3号から桑名に降り立ってすぐに観光案内所に観光地図をもらいに行きました。
六華苑に行くと言ったら「八間通りを寺町通のアーケードの信号で左に曲がるように」と言われました。曲がった先では諸戸庭園に繋がる堀跡で桜が満開でした。
この風景を見せたかったんですね。

突き当りに諸戸庭園。江戸の豪商、山田彦左衛門が建てた隠居所を明治になって初代諸戸清六が買い取って増築しました。
素晴らしい日本庭園がありますが春と秋の特別一般公開の時以外は門は閉ざされています。

初代清六の四男が二代目清六として父親の事業を引き継ぎ「山林王」と呼ばれるほどの成功を納めました。
二代目清六が結婚する時に父親の家の隣に建てた住居が現在の六華苑。長屋門から入って最初に見えるのが水色の洋館です。設計はジョサイア・コンドル。

人目を引く4階の塔屋はコンドルの設計図では3階建てでした。窓から揖斐川と桜並木が見たいという施主の希望で4階になりました。
窓にはまっているガラスは塔屋の外壁と同心のカーブガラスが使われています。日本では作れないガラスだったので海外に発注して取り寄せたものです。

南の庭の方に回ると水色だった洋館の外壁がベージュに変化します。

建物としてはこちらが「正面」。水色の印象は薄れてベージュ色の洋館と、それと一体化している和館が互角の立場で並びます。
前田侯爵邸や岩崎邸など洋館と和館が一緒にある邸宅はありますが普通は構造を分かつ別棟として建てられます。六華苑のように共通の壁で隔たれているのは珍しい。

和館の前から長屋門方向を見る。ここが大河ドラマ「いだてん」で使われたことは記憶に新しいです。

いだてんのワンシーン。生田斗真演じる三島弥彦の兄、三島弥太郎邸宅という設定でした。天狗の踊りやそれを見るシマちゃんがなつかしい。

芝生の南には回遊式の日本庭園が広がっています。

邸宅の中には洋館の北に建てられた内玄関棟(これは完全に別棟)から入ります。

洋館1階テラス部分の内側。

二階の洋館から和館への接続部。同じ2階でも高さが少し違います。

コンドルのこだわりが最も現れた洋館2階サンルーム。着物の女性がプロカメラマンと撮影中。成人式の後撮りだそうです。

和館の廊下。

菊と桐の花をモチーフにした釘隠し。天皇家系は菊の花が16枚ですが諸戸邸の花弁は1枚少ない15枚、と書かれた解説がありましたが数えて見たら16枚あるじゃない。

園内には全部で9つの建物がありますが時間の関係で中を見たのは3つだけでした。

鎌倉の鎌倉文学館の側にも旧諸戸邸があって2018年まで長谷子ども会館として使われていたみたいです。



洋館の玄関を横から。車寄せの屋根に手すりがありますが屋根の上に出られる扉はないのであくまでも装飾です。塔屋の曲面ガラス、この写真の方がよく分かります。

ジョサイア・コンドルが設計した建物で現存するのは
湯島岩崎邸、岩崎家玉川廟、綱町三井倶楽部、三菱一号館美術館、旧古河邸、清泉女子大島津邸、高輪開東閣、ニコライ堂、諸戸清六邸の9つです。
唯一東京以外の県にある諸戸清六邸を見られたので、残りは綱町三井倶楽部だけになりました。ここはハードルがやや高い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする