ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

八王子城址

2019年06月28日 | おとなの遠足
八王子市にある八王子城址に行きました。

アクセスは中央快速か京王線で高尾駅へ。そこからバスで6分の霊園前下車。このバス停です。トンネルの壁に大々的に八王子城の地図と説明が書いてありました。

バス停からほぼ平坦な道を15分くらい歩くと「八王子城址ガイダンス施設」があります。新しい立派な建物です。ここで展示やVTRで下調べとトイレ。

すぐに八王子神社の一の鳥居があってここから山道に入ります。

八王子城は標高446mの深沢山(城山・八王子城山とも)の山頂に本丸を構えた山城です。時間にして30分少々ではありますがそれなりの登山気分を味わえる尾根道です。

九合目あたりで絶景が開けるところがあります。これを見るためにも先ほどの分かれ道の写真では「旧道(左側)」を選択してください。

見晴らしからきつめの九十九折を経て「山頂」の石碑がある平地に到着。山小屋みたいなのがありましたが、これが八王子神社。全国にいくつかありますがこの場所が由来。

見えていた外側の建物は本殿を風雪から守るための素屋根でした。

八王子神社から右手の階段を5分ほど登ったところが本丸があったとされる場所です。なんて小さな。
八王子城は天正8(1590)年秀吉の小田原征伐で前田利家・上杉景勝らの軍勢により多数の犠牲者を出して落城します。後に「八王子城の悲劇」と呼ばれる激戦でした。
城主であった北条氏照は1万の精鋭と共に小田原におり、八王子城は僅かに500の兵と2500の農民・女子供が守っていたそうですが、秀吉の命により全滅。

深沢山を元の道で降りて、今度は城山川の対岸の古道を通ってご主殿跡へ。見てている橋は曳橋。当時はこんなに立派な橋ではなく、敵来襲時にすぐに落とせる簡素な橋でした。

虎口。発掘されて出た石を使って極力忠実に復元を図ったものです。一段の高さが40cm近くあり登るのが楽ではありません。当時の小柄な人たちはどうやって歩いていたのか。

ご主殿跡。本丸は、見張り以外の人はおらず、氏照たちはこちらで暮らしていました。落城後400年以上埋もれるに任されていたため保存状況は良好だったようです。

客殿の床部分などが復元されていました。排水施設や回遊式の庭園なども完備した居心地の良さそうなご主殿跡でした。

ご主殿跡の少し奥側にあるご主殿の滝。2列2段の滝が豊かで清冽。落城の際に氏照の妻子がこの滝に身を投げたという言い伝えがありますが、自決するには小さすぎます。

滝のところでしばらく涼んでから、曳橋の下をくぐって戻ります。

鳥の写真を撮ろうとしている団体がいました。ターゲットを聞くと、特にないけどキビタキとか、とのこと。

最後はまた20分歩いて霊園前のバス停から高尾駅へ。駅近くのお鮨屋さんで天丼を食べて帰りました。
城も歴史もさっぱり分からないのですが、こうして城跡に行って少し調べているといろいろな過去の断片記憶が繋がります。
例えば八王子城が落とされる頃に行田では忍城が水攻めされていたんだとか、八王子城の前には同じ前田・上杉の軍が鉢形城を落としていたんだとか。
何も分からないなりに関東近郊を彷徨っていると徐々に歴史が見えてきたりします。こういうのを10代の頃に興味を持っていればなあと今更遅いんですが。。。
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2 コメント

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Bさん (moto)
2019-06-28 13:33:49
いやいや、全然遅くないと思います。
もちろん、10代にしてその魅力に取りつかれてしまったら、きっとそれを職業とすることになったのかもしれませんが。
私はいつもBさんのブログを読んで、普通の場所にいろんな出来事があったんだなぁと気づかされます。
私も遅くならないうちに、もっと行動を起こさなくては!

八王子城址、いろいろ重いですね。
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motoさん (B)
2019-06-28 19:05:57
そうですよね。
いつでも自分ができること、やりたいことをやればいい。
早いとか遅いとかたわ言でした。ありがとう。

八王子城以外は、降伏してきたら迎え入れるって雰囲気だったのに
八王子城だけはちょっと違ったみたいです。合掌。
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