ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

祝! 放射25号線開通

2016年03月17日 | 放射25号線

真新しい道路の上を走る車の姿が。

2013年の2月から3年間にわたって見守り続けてきた新しい都道の工事が無事に終了。2016年3月13日10時にめでたく開通いたしました。
と言っても私はそのことを知ったのは翌14日の午後、打ち合わせに向かう車の中で「そういえばこの道開通したみたいですね」と言われて初めて知りました。
直接の工事関係者を除いた一般市民の中では世界で最もこの道路工事に興味を持っていた私としては忸怩たる思いもありますが、まあそんなもんか。
14日は一日雨でしたので、晴れた翌日に取り急ぎ何枚か写真を撮って来ました。


メディカルセンター下の元はただの道の途中だった場所から後楽園方面を見る。


その場所にある駐車場。鋼鈑印刷が取り壊された後で、まだ道路の姿もまったく見えない中でいきなりこの駐車場の枠が作られた時には不思議でした。

2013年の8月の風景↑。何もなかったマンション横の空き地にいきなり登場したコンクリート枠。上の今の写真と見比べてみて下さい。
こんな風に自然に歩道の一部と繋がって行くなんて想像もできませんでした。地面自体が1m以上嵩上げされたことがよく分かります。


後楽園方面に向かう車線を見ると走っている車の上半分だけが見えます。私がこの道路計画に惹かれた一番の理由である段差を持った道路の証。


反対側から段差を味わう。この段差のおかげで、上り下りそれぞれの道路と、道路わきの地面の高さが揃えられています。
このような設計でない新しい道路、たとえば山手通りの中野坂上あたりを見てみると、歩道とその横の建物の間に高低差があって
建物から歩道に出るのに小さな階段で昇り降りを強いられている場所がいくつもあります。その問題を生じないようにするための車線の高低差。優しいね。


新道の一番上、筑土八幡の交差点はずいぶんとだだっ広い五叉路になりました。今まで一度で渡れた横断歩道も二回になったりしてちょと面倒。
そもそもどの道路も直線で繋がっていないので、いったいどれが直進でどれが右左折なのかがよく分からない。


神楽坂上からの方向から見える道路標識ではこんな感じ。こちら側も元からある25号線で、右の飯田橋方面も25号線、後楽園方面へ向かう新道も25号線。
え? 道路って1本の線状のものなんだと思っていましたが、こんな風に二岐に分かれてどっちも同じ道っていう設定もあるんですね。
この写真では右方向にカーブして行くのに右を差す青信号が出ているから、後楽園方面、斜め左への新道に入るのが「直進」って扱いなのかな。

とりあえず開通おめでとうございます。工事関係者の方々お疲れ様でした。
この道ができるまでの3年間のぐだぐだな記録(昭和の建物へのメランコリー含む)はこちらの「放射25号線」カテゴリーからご覧いただけます。


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放射25号線 開通まであと一か月(か?)

2016年02月13日 | 放射25号線

平成28年2月9日の放射25号線。このカテゴリを使うのも去年の9月以来、5か月ぶりです。
工事は毎日何かしら行われていましたが、地下の電気などの配管系や周辺の整備が主体のようでそれほど見た目が大きく変わらないので日記にはなりにくい。
3年も同じ風景を見続けていて少々飽きてもいましたし。
とはいえこの3月が工事の完成ではないかという情報もありますので、ここいらで一度記事を作っておかないと「いつのまにか完成してた」ということにもなりかねません。

アスファルト舗装には白線と自転車道の青い塗装もされました。今まで舗装しては剥がすということを繰り返していましたが、これでいよいよ最終舗装なんでしょう。
脇の歩道も通行ができるようになりました。写真中央左の青い四角は道路標識です。←目白 ↑本郷 飯田橋→ みたいなのが薄っすら見えます。


筑土八幡交差点の現在。ずいぶんと面積の広い交差点になりました、五叉路です。
お昼ご飯を食べに神楽坂に行くのには(撮影位置から奥の路地に入る)どうやら横断歩道を2回渡らないといけないようで、それはちょっとめんどくさい。
わずか300メートルの短い新道ですが、これができたことによって人や車やモノの流れがいろいろと変化しそうです。
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放射25号 謎の三角地帯と日立ZW40

2015年09月18日 | 放射25号線
工事が進めば記録も進む。
放射25号カテゴリはコメントがつかないんで一見、不人気そうに思われますが実はページ単位での閲覧数はかなり多いんです。
なんせ、今Googleで「放射25号」で検索すると、東京都の公報より私のブログが先に来てしまうという。2年半飽きずに続けてきた結果です。


分断された旧道。フェンスの向こうに道の土台が出来上がっているのが見えます。
中央分離帯が左右にとおっていますのでこの先もこの場所で完成した25号線を渡って向こう側へ行くことはできません。


そもそも上の写真の中央分離帯の反対側はこれだけ道路面が下がっていますから横断歩道も作りようがないといったところ。

写真中央に停まっている小型のショベルカー、後ろ姿がなかなか格好いいですね。拡大して見ます。

いいケツしています。SFっぽい。サンダーバード2号のコンテナから出て来てもおかしくないデザインです。
日立建機のZW40 ミニホイールローダ。2008年発売。標準小売価格514万円。安いんだか高いんだか。
この情報は日立のプレスリリースで見ましたが、やっぱりプレス発表の写真も上の写真とほぼ同じ後ろ左からの写真。ケツに自信ありですね。


四角い土地に斜めの道路を作ったので余ってしまった三角の小さな土地。縁石で囲んでいますがこの先ここがどのような場所になるのかまったく不明。
将来への楽しみとして写真を残しておきます。
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放射25号 B地区とC地区の間の道路閉鎖

2015年08月27日 | 放射25号線


久しぶりの放射25号ウォッチング。最後に日記にしたのは2月ですからほぼ半年ぶりです。
最後の日記で・・・・・ということは、当分の間この道を潰すって予定はないってことですね。なーんだ。そうなのか。
と私をがっかりさせた工区Bと工区Cの間にあった道路がとうとう消滅致しました。
上の写真で言うと写真の中央に小さく見える「止まれ」標識まで続いていた道が分断されて、もう道ではなくなったということです。

道が存在していた時の写真(2015年2月)↓。

上の写真の向こう側からこっちを見ていた、と表現するために赤い矢印を入れてみましたが別になくても良かったか。


さらに近づいて見ます。右の筑土八幡から作ってきた中央分離帯と左の後楽園方向から作ってきた中央分離帯がいよいよ1本に繋がります。

とはいえ、この半年の間も一度は完成していた部分をまた壊して掘り返したり、きれいにアスファルトで舗装した道路の上に
掘り返した土を山盛り50mも積んでみたりと、ここの工事はなかなか素直に先に進んでくれません。正直ちょっと飽きてた。

なんとかこのまま一気に突き進んで開通を目指していただきたいものです。

そうだ。この道を閉鎖されると会社から駅まで行くのにちょっと遠回りになるんだよね。

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放射25号線 不要になるはずの旧道がきれいになりました

2015年02月05日 | 放射25号線

路面の舗装が完成し一度失敗してぶっ壊した中央分離帯もきれいに仕上がりました。
それぞれの工区の境界となっている以前の道を壊すのはいつか、期待を込めて待っていたのですが、


消滅するはずのこの道。薄汚れた以前の黒いアスファルト道がきれいに舗装されていました。色も鮮やかな柿渋色になって白い線もくっきりです。

・・・・・ということは、当分の間この道を潰すって予定はないってことですね。なーんだ。そうなのか。

短いとはいえ1本の道ができるのにはずいぶん時間がかかるようです。


四角い土地に斜めに道を通したので、土地の両脇に三角形の意外に大きな余剰地ができています。
この土地はどうするのかな。津久戸八幡前にあった公園を道路のために潰しているのでそれの代りの公園になるのかも知れません。
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放射25号線 下り車線も舗装しました

2015年01月14日 | 放射25号線


厚生年金病院上からの眺め。今日。

せっかく作ったのに一度ぶっ壊していた坂下側の中央分離帯も昨日コンクリートを打ってきれいになりました。
アスファルト塗装もされて、もういつでも走れそうです。
とはいえ、工事区域の間を横切る古い道がまだそのまま手つかずで生きているので開通はまだまだかな。


上の写真の下り車線が緩やかな傾斜だったあたり、こちらの昇り車線では途中でストンと下がっているのがよく分かります。
あそこを自転車で通るのが楽しみです。
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放射25号線 筑土八幡まで歩道完成~からの~一進一退

2014年12月09日 | 放射25号線

12月5日。道もない荒れ地に突然出現したアパートの前を通って築土八幡交差点まで繋がる歩道がほぼできあがりました。大したもんです。家が先にできて後からそこへ通じる道ができる。


同じ位置から右から左にカメラを振って撮った3枚の写真を繋げました。置かれていた資材や重機も除かれてあとは舗装を待つばかりに見えます。


1枚目の写真が紺色の→(1)、2枚目のパノラマが(2)の紫の円弧あたりです。

D地区の交差点との終端が予想外に幅広く拡大されていました。

これは12月2日の写真ですが、もともと公園があった場所まで道幅が拡大されています。(上の地図の緑の○のスペース)
完成したら細い道まで入れて五差路となるこの交差点、右左折や転回がかなり自由になるように大きな交差点ができそうな感じです。

この写真を撮っている時に、通りかかった老人に声をかけられたのですが、その人が言うには12月20日?あたりで開通だとか。
ホント?


最後に残っている区間の間の道が(A地区とB地区の間、B地区とC地区の間)がまだ通行ができるこんな状態です。
ここの閉鎖や舗装も含めて今月で工事が完了とは俄には信じられない情報ですが、地元の人っぽかったので実際にそういう話があったのかも知れません。

生まれて初めてつぶさに見る「街なかに道路が生まれる日記」そろそろ最終章にかかっているのかも知れません。





・・・・というような日記を先週書いて投稿予約をしていたのですが、アップする前にちょっと事件が。

厚生年金病院側から見た下り車線なんですが、今日通りかかったら完成していた中央分離帯をショベルカーで壊していました。びっくりです。

昨日まではこんな風にできあがっていた中央分離帯。

これが先週の風景なのですが、この写真の一番手前辺りから、作業員の方が立っているちょっと先くらいまででしょうか。コンクリートの部分は全部細かく割ってトラックで運び去られました。

さすがに見捨てておけなかったので近くにいた現場の人に訪ねたところ、どうやら地盤?の改良をやり直さなければならなくなったとのこと。
何かミスでもあったのかもしれません。

ついでに開通予定を尋ねたら、、、、どうやらまだまだ先のようですね。それはこのやり直しとは関係なくまだまだ先だったようです。
今年開通説はガセネタでした。やっぱな。
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段差のある道路の形が見えてきた 放射25号線

2014年11月15日 | 放射25号線

何もなかった空き地に道路の姿が見えてきました。

道路って地面を平らにして舗装すればいいのはありません。この一か月くらいの間、それほど外観に変化はなかったのですが
なんだかやたらにコンクリートでできた管みたいなものやらなんかを、地中に埋め込む作業が続いていました。水とか電気とかいろいろ埋める物があるんでしょう。

ちなみに上の写真の風景の1年9か月前はこんなんでした。(2012年2月)

もうちょっと左の位置からもうちょっと右を向いていましたが、正面にあるビルの窓の形でだいたいわかりますね。ここに右奥から左手前にどーんと道がやってきたのです。


この写真の中央が歩道になります。その右が都内方向の車線、背丈くらいの壁の向こうが早稲田方向に向かう車線です。この段差は奥の電信柱のあたりで解消されるはずです。

世の中には、後から道路を作ったせいで道路とその脇の土地の高さが違ってしまう場所がいくらでもあります。
もともと家が立ち並んでいた斜面に、後から真っ平らな道路を作ればどうしたって道路とその外側で矛盾が生まれます。山手通りの新宿から北の辺りが特にすごいです。
放射25号線の面白いところは、その高さのズレを道路とその外に負わせるのではなく、上り車線と下り車線の差をつけることで道路わきにストレスが来ないようにしたことです。
でも、下り車線側にあるのは個人の住宅ではなくて、大きな病院なのでそこまで無理をしなくてもよかったような気もするのですが、まあきっといろんな訳があるんでしょう。

確かなことは、ここでUターンは絶対にできないということですね。
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放射25号線 厚生年金病院と旧銀星寮の間の道が閉鎖

2014年10月21日 | 放射25号線

2014年10月15日 厚生年金病院と旧銀星寮の間を分けていた細い道が潰されて二つの土地が一つながりとなりました。
1年前に私が勝手に定めた土地区分によると「C地区とD地区が」繋がったということです。
これからは神楽坂に行くのにちょっと回り道をしなければなりません。



赤い線の所が路だった。

既にA地区とB地区の上り車線、下り車線は仮の舗装工事が完了。C地区は片側の上り車線だけが舗装済。
いよいよこの先の工事で工事区間のほぼ全貌が見えてきます。
この区間が上り線と下り線で最大1mの高低差があるというちょっと変わった仕上げなので今後の展開が楽しみです。


右手の小さなパワーショベルの辺りに立ち上がっている低い壁がそのまま上がり下り車線の高さの差となります。

なんとか私が定年になる前には完成しそうですね。
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放射25号線 2014年7月末までの状況

2014年08月01日 | 放射25号線
昨年11月23日以来の道路工事進捗レポートです。
夏から秋にかけてA地区とB地区の2/3程度の道路が舗装され、その後厚生年金病院裏手のC地区でも斜面に守土をして元の地表より1mほど高いところに道路ができたのですが、
工事はそこで足踏み状態になりました。(「勝手に現場区分の図」はこちら

去年の秋には2014年の春に開通予定という噂もあって、去年までは盛り上がっていたのですが進展のない現場の横を通るたびに気持ちもやや下がり中です。
とはいえ。「放射25号線」で検索してこのブログを訪れる人も依然として多いので一度2014年以降の動向を記録しておきます。


春先にになって更地のまま手つかずだったD地区に工事の動きがあり、何ができるのか期待して見ていたのですが、なんと道路脇にの位置になる場所に新しい建物ができました。
銀星寮の奥側の建物があったあたりです。道路予定地の斜めに合わせて片側雁行の形の集合住宅、、、でしょうか?


これから目の前で大工事が行われることがはっきり分かっている場所です。ここで今、新しい建物が建つってなんか不思議。まあ人にはそれぞれ事情があるんだと思います。

C地区の未舗装地帯にもようやく工事開始の動きが見えます。

B地区の最後まで駐車場があった部分も掘り起こされています。何か埋められるべき大きなコンクリートの管が準備されています。


この道はいつまで通れるのか。そして果たして2014年の年度内に麹は完了するのかしないのか。引き続き進捗状況を見守ります。
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放射25号線 舗装工事

2013年11月21日 | 放射25号線

一番神田川寄りのA地区で舗装工事が始まっていました。これはまだ下地みたいな感じですが、これだけでもかなり道っぽいです。


中央のグレーの重機がアスファルトフィニッシャ。ダンプカーからアスファルトをホッパーで受けて後方のスクリードで均一に敷均します。その後ろにロードローラーという布陣。


加熱されたアスファルトからもうもうとあがる湯気。


A地区全景。こうやってみるとこの狭い範囲だけでも立派に高低差があるんですね。この先どんどん傾斜がきつくねじれて行きます。
それにしても中央分離帯、でかいですね。

筑土八幡神社からここまで、自転車で一気に下りてくる日の事を想像してちょっとわくわくしています。

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放射25号線 工事快調です

2013年10月29日 | 放射25号線

久しぶりの放射25号線工事状況です。
これは工事の東側の端。私が鋼版印刷の解体に興味を持ったころにはすでに更地になっていた部分です。地形的にも一番低く傾斜のない部分なので
一番早く工事が進んでいるものと思われます。中央分離帯や歩道の枠のコンクリート部分も7割くらいできていて、現場には早くも歩道のブロックが積んでありました。
後はアスファルト敷いて歩道ブロックを並べれば完成と言うような状況です。思っていたより全然早い!

ええと、工事現場は長さ300mありますので工事はいくつかのブロックに分けて進んでいます。
私も写真を撮った場所や方向を文字で書くのはめんどくさいし分かりにくいので、私的に工事現場をブロック分けしました。

右からA,B,C,D区。
・A区が上の写真部分です。ここで既存の道と接合して東京ドームから本郷方面へ繋がります。
・B地区が今年の春まで鋼版印刷が在った一帯です。
・C地区は厚生年金病院の敷地だったところ。ここから神楽坂方面に向かって上りの坂道です。
・D地区は銀星寮が在ったところです。道に対してX軸向きもY軸向きも傾斜になっているという一番ややこしい地帯。
じゃあ、今後はこのABCDを使って説明していきますね。


A地区を先ほどの写真の反対側、AとBの間の道から撮影したところ。一番奥に「木造の高速道路(笑)」が見えてます。


同じ場所からB地区を眺めたところ。こちらももう地盤工事としては終わってるみたいです。


A地区とB地区の間に今は道路がありますが、ここは25号線が完成した時には「連続した道」としての機能は失います。25号線の中央分離帯でまさに「分離」されちゃうから。
上の写真に写っている計画図を見ると、新しい道路を横断できる場所はB地区の中央辺り、「車両転回路」と記されたあたりだけになるのでは。中央分離帯が切れているのはここだけだから。
そう考えるとこの道路の北側から南側に行き来する人や自転車にとってはこの新しい道によって歩くコースの変更を余儀なくされそうです。


このカテゴリーの前回、前々回の記事でこれはいったいなんだろうと悩んでいたコンクリート枠による土地の嵩上げ部分ですが、なんとコインパーキングでした。
これは道路完成後もこの場所で営業できるのか、それとも当座だけの営業なのか。そもそもなんで一段土地を高くしたのか。
いろいろと疑問は尽きませんが、こういう疑問がアハ体験みたいに解決するのが楽しみです。

C地区は盛大に盛り土をして基礎工事の前段階、終点のD地区は銀星寮解体の後は、土地全体にビニールシートを敷いて今は熟成させているところです。
ではまた次の進展ご報告まで。





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資材置き場じゃなかった

2013年08月10日 | 放射25号線
先日、日記に乗せた道路工事現場に出現した「枠的」な構造物、材料や資材の置き場所では?と想像しましたが
次の日に見たらこんなことになっていました。


枠の中にぎっしりと土が詰められて、その上面はは水平に整地されている。

これでは資材の置き場にはなりません。

じゃあなんなのか。

さっぱり分かりません。

この道路は傾斜地にスキーの斜滑降みたいな形で道が作られるので、上り方向と下り方向の車線の高さが1mも違うという
なかなかに難しい造りになるらしいのですが、この辺りは一番低い位置になります。


以前載せた画像ですがもう一度。
この枠的なものはこの図で言うと一番右側の歩道部分なのかも知れません。

またハズレかな~?

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枠的、もしくは器的な構造物

2013年08月08日 | 放射25号線
久しぶりに放射25号線の進捗状況でも。


鋼版印刷跡地の今の状況。5月6月はただの更地で特に動きはなかったのですが、7月に入ってじわじわと工事現場っぽくなりつつあります。
正直舗装道路の作り方なんてまったく知りませんので、どういう順序で工事が進むのか見当もつかないのですが、
奥の方の工事現場には「ガス、電気工事中」という立て看板がありましたので、まずは地面の下のそういうインフラ回りからやるみたいです。

右の方にちらっと見えていますが、コンクリートの構造物が出現しました。


なんなのかなー。コンクリート打ちっぱなしの枠。
特に基礎工事もなくていきなり枠だけが出現した感じでした。この上に何かさらに作って建物になるような雰囲気はありません。
完全な枠ではなく片方が開いていること、壁面の内側が斜めになって下部ほど厚みの多い形をしていることなどから想像すると
工事用の何かの資材の置き場所をまず作ったのかもしれません。土だとか石だとかを運んできてとりあえずこの場所にまとめて置いておくみたいな。


もしもそうだとすると工事の途中でこれは不要になるはずの枠ですね。
もしもそうだとすると(2回め)壊すことを前提に作った物としては、この打ちっぱなしの仕上がりはもったいないくらいきれいです。
いい仕事してますね。





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銀星寮 解体工事写真集

2013年05月29日 | 放射25号線
放射25号線工事の最後の解体は銀星寮。
こうやって打っていてもこの旅館の正しい発音を知りません。たぶん「ぎんせいりょう」なんだろうと思いますが。「ぎんぼし」?

レトロ旅館の在りし日の風景から更地になるまで、写真まとめて貼っておきます。
この旅館の横をしょっちゅう通っていたというだけで特別な思い出も何もありませんが、
世の中にはここに思い入れのある方がいらっしゃるかも知れません。
回顧録に「私の人生の出発点は銀星寮だった」とか書いちゃうどっかのエライさんとかいないかな。

では、どうぞ。

1、解体前 2013/2/22










2、解体開始 2013/4/22

玄関が壊されたので中を覗くことができました。電子ピアノとかちょっと意外でしたね。


3、2013/4/26


4、2013/4/30




5、2013/5/2




6、2013/5/10



ここでほとんど更地になってしまいました。あとは残ったコンクリートの塊をハサミのついた重機で細かくしていく地道な作業です。

7、2013/5/21




さら地化完成です。今週はほとんど人の姿を見ることもありません。

一方、鋼版印刷ですが、こちらも最後の写真から3週間経って、銀星寮とほぼ同じタイミングで更地になりました。

5月2日に「あとは瓦礫を運び出すだけ」と書いた後が意外に長かったのですが、なんとこのビルに、地下があって、
その取り壊しに時間がかかっていました。

これで、後は厚生年金病院の発掘調査のプレハブ小屋を残すのみとなりました。
発掘は終わったと聞いていたのですが、まだ人がいつもいて何かやっています。終わってないのか。

ということで、しばらくはこのネタでの更新もないような気がします。
またいつかお目にかかりましょう。「放射25号線」で検索される方、多くてびっくりです。








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