ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

さいたま緑の森博物館から瑞穂町へ

2024年04月24日 | おとなの遠足

小手指駅前ロータリーのブロッコリーみたいな木。今日は新緑を見て回る日です。

バスで15分西へ。宮寺バス停で降りて徒歩10分。普通の住宅地の中に普通に茶畑があります。さすが狭山茶で知られる狭山丘陵の麓の町。

今日の目的地はこちら。さいたま緑の森博物館。1995年オープン。
武蔵野の雑木林や湿地、里山の景観や生き物など自然そのものを展示物とした野外博物館(フィールドミュージアム)です。

丸太造りの案内所で地図をもらって、回るコースを相談します相談します。

全部で85haもあるのでぐるっと回れば2~3時間かかります。今日は湿地を二つ経由して瑞穂町方面に抜けるコースで。

素敵な薪小屋。

細長い谷津に緩やかな棚田があったところ。

新緑の緑色の美しさは桜の花の色に匹敵するほどきれい。花見があるなら若葉飲みもあってしかるべし。

雑木林と言うのはナラやクヌギなど、人が薪などとして利用するための適宜伐採し下草を刈ることで人工的に作り出された落葉広葉樹の林のことを言います。
切られた後に切株から新しい芽が生えて(ひこばえ)、20年ほどで再び利用できる樹々に成長します。(その循環を萌芽更新と呼ぶ)
ここは2018年に萌芽更新のために伐採されたナラの林。新しい幹が6年でここまで大きくなりました。

棚田のあったところから小さな丘陵をひとつ越える。

ひとつ越えた先の低地には溜池と茶畑がありました。入間市郊外の人の暮らしと自然に繋がっている気持ちの良い野外博物館でした。

狭山茶という言葉から狭山市で生産していると思っていましたが、実際は6割以上はここ入間市で作られています。狭山市ではなく狭山丘陵のお茶でした。

お茶を加工する工場もたくさん。屋根の中央が光を取り込むために高くなっています。大きな「茶」の字もかっこいい。

狭山霊場二十六番山際観音堂。狭山三十三ヶ所観音霊場というのがあるんですが、この33か所の中に狭山市の霊場はありません。
狭山茶も狭山市は生産量で言うと第3位です。狭山丘陵でさえ狭山市はその範囲に含まれていません。狭山の名がつく有名なものが狭山市にないのはなぜ。
調べて見ると昭和29年に市制施行で狭山市が誕生する時に、市内で狭山茶を生産しているので狭山市としたそうです。生産量第3位なのにその名を使うなんて!

今回もGoogleマップの「経路」を利用して瑞穂駅に向かって歩いています。この用水路?のフタの上も地図上では普通に道として表示されています。

入間の範囲を出て東京都西多摩郡瑞穂町に入っています。同じ狭山丘陵ですがこの近くから都立公園の入り口に変わります。
都立六道山公園は4年前の狭山湖一周の時に経路として通過していました。

さいたま緑の森博物館から40分歩いて瑞穂町郷土資料館 けやき館に到着しました。(つづく)
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鎌倉春散歩② 鎌倉山から大船観音

2024年04月19日 | おとなの遠足

ちんや食堂を出て常盤口から鎌倉山に。木々の隙間から山腹のあちこちに満開の桜が見えます。
鎌倉山という具体的な山があるわけではありませんが万葉集の時代から鎌倉辺りの山の総称として鎌倉山という言葉は長く使われてきました。
昭和の初めに別荘地開発が行われた際にここを「鎌倉山」として売り出して地域が限定されるようになり、1985年に正式に鎌倉山一~四丁目という住所になりました。

鎌倉山空手道場の門。なんとさきほどチャーハンを食べたちんや食堂の先代がやっている空手道場だそうです。
ちんやの店内にある謎の置物の雰囲気が同じですし、ちんやの入り口横や店内にいくつもあった謎の象形文字と同じものが道場の門の真ん中にも描かれています。

斜面に建つ住宅を眺めながら歩くのが楽しい。この窓から見える駿河湾も良さそうです。

4年前にRさんと行った蕎麦屋の擂亭を通り過ぎて。ここまでは知っている場所でその先が初めて歩く部分です。
こちらがル・ミリュウ鎌倉山。素敵な眺めを見ながらケーキセットやアフタヌーンティやホットパイなどを食べるお店。大人気で駐車場待ちの車が並んでいました。

その少し先を入り込んだ奥にかつて「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」としてギネスにも認定されていた有名司会者の本宅。
2013年の朝の番組で女子アナのお尻を触ろうとしたところが映ったのをきっかけに全ての仕事を失いました。寛容でない時代の始まりだったかな。

鎌倉山ロータリー。昭和初期の別荘地開発はこの地から始まって徐々に山を切り開いて行きました。
中央の植栽の中に立っている石柱は関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の鳥居の柱を流用した物。

湘南モノレールは1960年代の計画時には鎌倉山を経由する予定でしたが、古くからの住民が騒音や人が集まることで閑静な住宅地が損なわれると反対運動を起こしました。
その結果、モノレールは鎌倉山をトンネルで通過。他の駅間が1kmに満たないのに鎌倉山の前後だけは2kmを越える駅間となっています。
現在そこに住む住人からすると、モノレールの駅があればどれほど便利だったか、残念な思いに満ちているようです。

ロータリーから1km歩いて西鎌倉駅。そこからモノレールで大船へ。大船は乗り換えで何度か使っていますが駅の外に出るのは初めてです。

大船観音への上り口。

最後の階段は観音様と相対しながら。

昭和4年に工事開始、昭和9年、世界恐慌による資金不足で工事中断。23年間放置。昭和32年に新たな有志の出資の下で工事再開。昭和35年4月落慶。
協力者の名前には坂倉準三や吉田五十八の名前も見られます。

裏側から胎内に入ることができます。一階部分だけで上に上がれるわけではありません。右上に登る階段は裏手の納骨堂への通路。

大船駅の東側に展開する大船仲通り商店街へ。こちらの激安店をいくつか案内してもらいました。

1階が鈴木水産という魚屋さんで2階が経営する回転寿司の豊魚。

本当にびっくりするくらい良い海産物が安かった。どれも近所のスーパーで見るより遥かに立派なのがほとんど半額以下でした。2尾820円のホウボウが半額で420円。
ブリもアジもサバもイカも安い。

野菜関係も2軒見ましたがこちらも半端なく安い。そして品種が豊富。生ものは東京まで持ち帰るのを断念しましたが野菜は買いました。
スナップエンドウ80円。菜花80円(上の写真の)、ラディッシュ68円、みつば28円。4品合計で276円。マルエツだったら菜花1個で248円ですよ。
この近所に住んだら食生活が全然違うものになりそうです。

最後に大船駅からペデストリアンデッキで繋がれたGRAND SHIPという新しい商業施設へ。この中の鎌倉山ル・ミリュウ大船でケーキセットを食べました。
鎌倉山ル・ミリュウってこの記事の4枚目の写真の小じゃれたカフェの出店です。

本日のコース。ガイドブックには載らないタイプの良いコースができたと思います。

この数年で鎌倉を歩くのも7回目。主な道もだいぶ埋まって来ました。次は由比ガ浜から逗子方面の海岸かな。あまり面白くなさそうだけど。

4品276円の夕食。スナップエンドウ茹でただけ、菜花は白和え、ラディッシュは甘酢。三つ葉は翌日の親子丼にどっさり乗せて食べました。
鰹のお刺身は地元で買ったもの。さっき大船で買えば同じ値段で倍の量だったのに悔しい。でも地元も応援せねばな。
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鎌倉春散歩① 由比ガ浜大通りと極楽寺とちんや食堂

2024年04月18日 | おとなの遠足

昨年11月の鎌倉散歩のブログで「次に鎌倉に来るのはこの桜が咲いたころにしたい」と書きましたが、珍しく計画通りになりました。
9日の嵐で東京の桜は散ってしまいましたが、東京より一週間遅い鎌倉の桜は元気に持ちこたえていました。段蔓も満開です。
なんかこの写真の人物、マンションのチラシのCGみたいに現実味がなくて面白い。

若宮大路を南に進んでJRを越えた「下馬」交差点(「しもうま」ではなくて「げば」)から長谷に向かう道が由比ガ浜大通り。
明治22年に横須賀線が開通し、由比ガ浜一帯に多くの別荘が建ちました。明治35年には江ノ電も開通し一般の人も多くこの地を訪れるようになり町は発展します。
明治の後期から大正、昭和にかけてこの界隈が栄えていた頃の近代建築が通り沿いには数多く残されています。
こちらは由比ガ浜大通りのランドマークとも言える寸松堂。鎌倉彫の彫師佐藤宗岳氏の店舗併用住宅として昭和11年に建てられました。
大きな入母屋に三層の層塔がはめ込まれたような複雑なデザイン。塔頂には相輪があって寺のようですが、窓は武者窓です。昭和の変態和風建築。

旧鎌倉銀行由比ガ浜出張所だったRC造の洋館。現在は「THE BANK」というおしゃれバーに改装されています。

戦前の建物が大量に見られる一方で、現代のデザインで建てられた新しいお店もあって近代現代どちらも楽しめる由比ガ浜大通り。

長谷の少し手前の甘縄神明宮。

急な階段を登って参拝します。この階段は海街diary 8巻の表紙になりました。

長谷寺の前は平日の9時台でも観光客が多い。山腹の桜も見事に咲いているようですが門の写真だけ撮って戻ります。

由比ガ浜海岸。きらきら。

前回も歩いた極楽寺切り通し。星の井の上の桜。

成就院参道から見る由比ガ浜。アジサイ寺として知られていたこの場所ですが、2016年に大半のアジサイを宮城県南三陸町に寄贈したため現在はほとんど残っていません。
その代わりに宮城県の県花である萩の苗が植えられてその成長が待たれています。

極楽寺駅の桜。

極楽寺参道。ここの花は前日の嵐でかなり散ってしまいました。でもピンクの参道はきれい。

同じ枝に一重と八重の桜が咲く「桐ケ谷」という品種。七分咲くらいでとてもきれいでしたが、八重の花は見つかりませんでした。

極楽寺から北側は山です。その谷筋に沿ってわずかに住宅が並ぶ細い道がいくつかあります。
海街diaryの香田家は極楽寺駅から歩いていく住宅地のどこかの架空の場所ですが、マンガに登場する実在する場所を見ると稲村ケ崎方面ではなく山側だと考えられます。
8巻p.25でチカが寝ていた地蔵堂もそのひとつ。駅から500mも山の方向に入ったこの場所はそちら方向に自宅があるという以外で来る理由がありません。

地蔵堂からさらに奥へ入った場所(極楽寺4丁目)はこんな感じ。
マンガの香田家の前の道はもっと細くて石が敷かれていますので全然似ていません。場所設定はこの辺りですが、家周りの風景は別の場所を使っているようです。

山の方に歩いて来たもうひとつの目的。極楽寺駅から大仏切り通しへ山を越えて行けるように書かれた地図と、道が途中で途切れている地図があって確認したかった。
打越トンネルという小さな隧道で無事に越えられました。

打越トンネルの先は住所が笛田に変わります。

バス通りまで出てから大仏切り通しへ。前回の鎌倉散歩で大仏ハイキングコースを歩いたのですが、最後の分岐で肝心の切り通しに出ないでバス道に降りてしまいました。
それがなんとなく気にかかっていたのでちょっとだけ山中に入ったのですが、前日の大雨で途中がぬかるんでいて大変でした。でもまあ目的は達成。

常盤口の信号のちょっとさきにあるちんや食堂。

以前通りかかった時にインパクトのあり過ぎる外観が気になってずっと行きたいと思っていた中華料理店です。ここで近くに住む友人と待ち合わせ。

内部も外観に負けないすごいお店でした。徒歩圏内に40年近く住んでいる友人も一度も入ったことがないそうです。

ネットで評判の炒飯と餃子、サンマーメンを食べました。すごく美味しい。満足しました。
お腹も膨れたところで先に進みます。今日の散歩は6時間半コースですごく長かったのです。後編につづく。
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星空観賞バスツアー

2024年02月15日 | おとなの遠足
2月の3連休が予定なしになったので何か面白いことはないかと探していたら、日帰りの星空観賞バスツアーがあったので申し込みました。
それから出発日まで10日間、晴れと曇りを行き来する天気予報を気にしながら暮らしましたが当日にはには全面的に晴れ!という予報になって一安心。

新宿コクーン前を11時過ぎに出発、山梨県北杜市のサンメドウズ清里スキー場で星空を見て22時半に新宿に戻るという行程です。
まず2時間半、三連休で渋滞中の中央高速を走って甲府でほうとうを食べます。美味しいけど量が多くて最後ギブ。周囲の若い人たちは女性でもペロリでしたね。

山の中へ入ります。日本一標高が高い野辺山駅のちょっと先で車内から国立天文台野辺山の45m電波望遠鏡が見えました。

平沢峠で雪と山の景色を楽しむ。一年に一度くらいは雪が積もった所に行きたいので来られて良かった。

この辺りで行く手の山に雲がかかり始めて心配になります。

「萌木の村」という観光施設に立ち寄り。

山の斜面に山小屋風のレストランや雑貨店が並んでいるいわば郊外型のショッピングモール。

メリーゴーラウンドまでありました。

東側は青空が広がっていたのでなんとか夜まで雲がかからないで欲しいと願いつつ。

サンメドウズ清里スキー場に17時20分到着。駐車場の向こうには夕日のほんのり染まったきれいな富士山が見えました。
センターハウスのレストランで映像による星座の説明を聞いてからいよいよ出発です。

この頃すでに外はがんがん雪が降っていました(涙) 外はマイナス10度とうことで服を全て着込んでから、配られた使い捨てのカッパも着用。
ラップでくるまれた使いかけの野菜みたいになったRさん。

リフト乗り場に向かう参加者の列。これだけ雪が降っているんだから星なんか見えるはずもないと分かっていますが一縷の望みをかけて雪の中を歩きます。
この時55歳以上の参加者の脳裏には映画「八甲田山」のテーマ音楽が聞こえていました。

リフトの上から。身体の上に雪が薄く降り積もって行きます。

山頂に到着して雪の上に座ります。この後カウントダウンをしてから全ての照明が消されるとそこには十億の星空が、、、のはずだったんですが。無念。
ところが、いろいろ説明を聞いているうちに場所によって雲が薄れたようで光の強い星がちらほらと目に見えるようになって来ました。
オリオン座とか冬の大三角形とか冬のダイヤモンドとか。シリウスとかアルデバランとか。(天文無知)
満点の星空ではなかったけど、完全な敗北でもなかったことは喜ぼう。だいたい様子は分かったので、またいずれリベンジしたいと思います。

萌木の村で買ったモンゴル製のウールの靴下。あったかそう。まだ履いてない。
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鎌倉サンポ②長谷から12年目の極楽寺と17年目の腰越

2023年12月04日 | おとなの遠足
北鎌倉から一人で歩いて来ましたが、長谷駅で鎌倉在住の友人と合流。ここからは地元民のガイドで散歩します。
表通りは前回書いた通り修学旅行生で大混乱していましたが一本裏に入ればほとんど人通りがありません。

長谷寺の山の麓に源頼朝の鎌倉入り以前からひっそりとある古い神社です。元々神社の参道だったところを江ノ電が横切っています。テレビで何度か見たことありました。

鳥居の脇の踏切からトンネルから出てくる江ノ電を狙います。6月には両脇をアジサイに囲まれた江ノ電が撮影できるそうです。

鎌倉市消防団第24分団詰所。なかなか味わいのある形と風情です。

長谷駅。駅のすぐ横にある長谷食堂でお昼を食べます。

「今日はシラスの漁獲が少なかったのでシラスだけの丼はできません」と言われましたが、私はいろいろ入っているのが好きなので問題なし。
アジサイ丼定食は生しらすとネギトロが特に美味しかった。山歩きの後なので一人で生ビールもいただきました。プレミアムモルツ香るエール美味しい。

ランチの後は長谷駅の裏手の住宅街の中にある友人おすすめの内田正泰記念アートギャラリーへ。

貼り絵作家として情緒あふれる風景世界を描く内田正泰氏の作品を展示する個人ギャラリーです。永谷園の「あさげ」「ひるげ」のパッケージは内田氏の作品。
この日から「富士のうつろい」と題して富士山を描いた作品だけを集めた展示になっていました。
ギャラリーの方(ご家族?)に画材となる紙について尋ねると、主ににNTラシャなど竹尾のファインペーパーを使われているとのこと。和紙でなく洋紙でしたか!
竹尾の紙は仕事でいやというほど関わって来ましたが、あの紙がここまでデザイン・アート性の高い作品の素材となるとは驚きました。
パントーンで描いた作品、もしくはパソコンで塗るような均一の色味が大きな面積で広がるのですが、ラシャの微妙な素材感が全体に温かみと深みを加えています。

富士山の絵だけではちょっと物足りないと思っていたら、先日まで展示していた秋の風景の作品を奥から取り出して並べて見せて下さいました。ありがたい。
ブログの写真ではほとんど伝わらないのが残念ですが、デザイン性と色彩感覚と貼り絵の技術がオリジナリティの高い作品に昇華しています。好き。

長谷から極楽寺方面へ。海街diaryで、すずと風太が覆面まんじゅうを食べていた力餅家。創業300年だそうです。

極楽寺に向かう切り通し状の道。すずがランニングをしていました。極楽寺が近づいてどうしても頭が海街色になっていきます。

極楽洞。江ノ電極楽寺トンネルの極楽寺側の出口は明治40年に竣工しました。土木学会選奨土木遺産です。

赤い桜橋を渡って極楽寺へ。

本堂の前を遮る桜は北条時宗のお手植えと伝わるもの。同じ枝に一重と八重の桜が咲く「桐ケ谷」という品種です。
次に鎌倉に来るのはこの桜が咲いたころにしたい。

極楽寺駅。昨年亡くなった友人とここに並んで記念写真を撮ったことを思い出します。写真の日から12年が過ぎました。早いなあ。

極楽寺駅から江ノ電に乗りました。
鎌倉高校前駅の踏切がスラムダンクの聖地として世界から観光客が写真を撮りに来ているとニュースになっていましたが、車内から見るとこんな感じです。

江ノ島に行くのかと思ったら一つ手前の腰越で下車。ここからしばらく江ノ電が一般道の真ん中を行く路面電車になります。

この風景におぼろげに記憶がありました。2006年にダミアン先輩の案内でRさんトラジさんと4人で南町田からこの辺りまでサイクリングをして来たのでした。
2代古いブログに記事と写真が残っていました。かきや本館でしらす尽し膳を食べたようです。真の日から17年が過ぎました。早いなあ。

その先にはかの有名な「自転車ニキ」事件のカーブもありました。

店舗の中に江ノ電が埋め込まれている江ノ電もなかの扇屋さん。軒の上にはパンタグラフもあります。

モノレールの湘南江の島駅のテラスから富士山を見る。ここからモノレールに乗って友人は自宅最寄りの駅で下車。私は大船駅から湘南新宿ラインで帰りました。
ひとりで当てなく散歩するのもいいんですが、ガイド付きで思わぬマイナーな名所を見て回るのも楽しいものです。
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鎌倉サンポ①北鎌倉から長谷 大仏ハイキングコース

2023年12月03日 | おとなの遠足

紅葉が見ごろになるのを待って、秋の鎌倉を歩いて来ました。7時に家を出て8時半に北鎌倉。4年ぶり。けっこう近いのでもう少し度々訪れたいもの。
駅では遠足の小学生と一緒に下車しました。彼らが私と同じところを目指していないことを祈りつつ、最初の目的地に向かいます。

円覚寺。総門前の紅葉は7割くらいの感じでしたがこんな風に緑色が残っているのも自然の風景らしくて悪くないです。

階段下から三門を見上げる。9時開門と聞いていましたが8時半から開いていました。紅葉の季節だから?

一般の人も座禅を体験することができる居士林。
仏殿に参拝してから再び三門。遠足の子供たちも入っていましたが、古寺を見てもたぶんほとんど何も感じないはず。55年前の私もそうでした。

二つ目。円覚寺から少し歩いてアジサイ寺で知られる明月院。実は初めて拝観します。

北鎌倉の観光写真で最もよく目にする丸窓。

スマホだとこれが限界です。それまで曇っていたのにこの写真を撮る直前に雲間から光が射してきれいでした。

丸窓の写真を撮るのに並びます。平日の朝イチなのでこの程度ですが、アジサイと紅葉のピーク時には100人以上の列ができます。今日あたり大変なことになっているはず。

明月院のウサギ。名月とくればウサギということのようです。

横須賀線の踏切を渡って浄智寺へ。

こちらは参拝目的ではなくてハイキングコースの入り口がこの裏にあります。

鎌倉は名刹やグルメで人が集まりますが、駅から気軽に歩けるハイキングコースが8つほどあって魅力です。
今回は最も有名な大仏ハイキングコース。北鎌倉から長谷の大仏まで尾根伝いに4.5km歩きます。最初に浄智寺の裏の階段を15分登ればあとはほとんど平らです。

葛原丘神社の縁結び石。男石と女石の間に架けられた注連縄に五円玉を結んで良縁を願います。ちょっと見た目キモチ悪い。

ちょっとだけ脇に寄り道して源氏山に。以前、鎌倉駅からウォーキングでこの化粧坂を上って源氏山に来たことがあります。
その時のYAMAPのGPSが全く不調で軌跡が取れなかったことが今でも悔やまれます。最近はそういうこともほぼなくなりました。

2度目の大泉洋こと初代鎌倉殿こと源頼朝の像。三谷幸喜がこれを見て大泉洋だと思っても不思議のない造形です。

歩を進めていくと手作りの標識に梶原5丁目の文字が。調べて見ると梶原景時の高祖父(ひーひー爺ちゃん)がこの辺りを納めていたようです。

法律上の問題で鎌倉市と対立した後に、今年6月惜しまれつつ営業を停止した樹ガーデンが、再び営業中という看板が出ていたのでちょっと寄ってみました。
有料で庭園を開放するというようなスタイルでこの素晴らしい景観と喫茶を楽しめるようになったようです。右上に富士山が見えています。

人気のハイキングコースなのに最後は幅50cmのない細道を経て県道32号の大仏隧道の脇から地上に戻って来ました。
浄智寺の裏のハイキングコース入口からここまでちょうど一時間。途中で源氏山にも寄っていますので実質50分未満でしょうか。確かに手軽で楽しいコースです。

長谷駅に向かうとすぐにレンガ造りの建物が。昭和初期に建てられた神奈川県鎌倉加圧ポンプ所がおしゃれなビアレストランとして生まれ変わっていました。

内装もいい感じ。いつか藤沢から県道32号で歩いて来てゴール前にここでランチという組み立てをしてみましょう。

高徳院の入り口付近からかなりの混雑になっていましたが、長谷寺の信号から長谷駅の間は両方向に向かう団体がすれ違うこともできず混乱していました。
ほとんどが修学旅行か遠足の生徒たちでしたが、これは歩道を一方通行にするとか何かしないとちょっと危ないですね。
このあと長谷で友人と合流します。(つづく)
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八王子散歩 都立小宮公園のエゴノキ

2023年05月20日 | おとなの遠足

八王子駅から北に向かって歩いて行くと浅川を越えた先で目の前に丘陵が現れます。丘を登って行くと深い切り通し。切り通しの左側が都立小宮公園です。

駐車場の奥から公園の中に入って行きます。

意外に立派なサービスセンターがありました。

この丘陵は多摩川と浅川に南北から削られてできた標高160mの加住丘陵です。公園の中に大谷川の水源があって湾曲した谷津を形成しています。
園内は谷津の低地に沿うルートと、そこから放射状に高地とを結ぶルートが作られていて、それぞれの道に名前が付けられています。

今歩いているのは斜面中腹部を等高線に沿って歩く内周路の一部、「しじゅうからの小道」。白い花が道に降り積もって幻想的でした。

こんなかわいい花なんですが名前は分かりません。

大谷川の流れる湿地帯まで降りてくると木道が整備されていました。川に沿って歩く「かわせみの小道」ですがちょっと尾瀬な気分が味わえます。

公園南端に大谷弁天池。大谷川を水源とする灌漑のために掘られた溜池です。

池の周りにも先ほどの白い花がたくさん咲いていました。

「おながの小道」から「ひよどりの小道」で丘陵の上の方に戻って行くと花畑がありました。

ユーカリの木。昭和61年に開園した公園は、多摩動物公園の草食動物のための餌を栽培していました。このユーカリもコアラが食べた樹の名残です。

西側の「三段広場」からは富士山が見えました。

外周路の向こうには新し目の団地が。

再び白い花のじゅうたん。

ベンチの上に降り積もる。ちょっと怖いくらいです。

ようやくこれが「エゴノキ」という木だと知りました。この園内にはかなり多く見かけますが、今まで見た記憶がありません。

上を見るとまだまだたくさんの花が頭上にありました。これが全部落花したらどんなことになるのかな。
都市部でほとんど見かけない理由が分かる気がします。
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海老名サンポ

2023年05月01日 | おとなの遠足

人生初の海老名駅。海老名市は初めてではありません。東京の小学生にとって東名高速を使う遠足行事での最初の休憩ポイントは海老名サービスエリアでしたから。
板橋駅で埼京線を待っていたら相鉄線乗り入れ海老名行きの電車が来ました。乗り換えなしで海老名まで行けるのですがとてつもなく時間がかかるので新宿で乗り換えます。
それにしても海老名駅前の風景があまりに浮かれているので驚いてしまいました。改札を出てデッキから見る風景はどう見てもテーマパークです。

ViNA WALK。小田急が20年前に開発した「商業・業務・文化レクリエーション機能の集積」した駅前施設だそうです。
ちょっと他に類似の駅を思いつかない遊園地感。ここだけでひとネタ書けそうですがここでゆっくりしている時間はないの。

海老名は8世紀の中ごろから相模国分寺が置かれていた場所です。

正面に講堂が、右側に金堂、左側に塔を備えた法隆寺式の伽藍配置でした。こちらは五重塔の土台部分。

礎石でか。どんな柱が立っていたのでしょうか。

国分寺跡より100mほど駅に近い場所に現在の国分寺があります。

伊勢山自然公園の上に伊勢山大神宮。かなり荒れた感じでしたが4月いっぱいで別の神社に合祀されここは廃止になると階段の下に書かれていました。
そういうことなら登っておかねばなるまい。本日の階段参拝その1。

史跡逆川の碑。逆川は大化の改新の頃に海老名耕地の潅漑用と、相模国分寺建設のための資材を運搬するために目久尻川から水を引いた日本最古の運河だそうです。

スマホの地図を見ながら歩いていて次の交差点で左に曲がろうと思っていたら、曲がろうと思っていた道は遥か頭上にありました。丘陵地散歩あるあるです。

南に下って大谷神明社。本日2個目の階段参拝。

高台にがると富士山が見えます。

大谷近隣公園のくじらの噴水。

一般家庭のお庭の白い藤の花が見頃でした。

地図に「海老名芸術高速」という不思議な文字があったので気になって見に行きました。
様々なジャンルのアーティストが集い、制作を行うアトリエ付きアパートメントなんだそうです。池袋周辺に存在した池袋モンパルナスの現代版でしょうか。

もういいと思ったのにまた階段付きの神社がありました。

やっと平地に降りて来ました。なぜか禁止が漢字でスケートボードだけ英語表記なのが気になる。ちなみに正しくはskateboardで1単語です。

海老名市役所。

久しぶりの役所メシ。地下のゑびな飯店の担々麺。胡麻ペーストたっぷりで大変美味しい。市役所の食堂とは思えない美味しさでした。

線路の反対側へ。ロマンスカー。

駅の至近距離に巨大タワマン2棟。2002年に前述のViNAWALKができて、さらに2015年に今度はJR北側にららぽーとができたことで農地しかなかった駅周辺が一変しました。
新宿まで急行で50分。毎日都心に行くにはちときついですが、定年後やリモートで仕事が成立する人なら充分住めそうです。駅周辺に必要なものは全てあります。
ただ、駅の西側全てと東側400mほどは相模川の削った低地で現在でも氾濫による水害の危険がありますので、先ほどの国分寺跡くらいまで離れた方が良さそうです。

海老名市文化会館。1100席の大ホールと330席の小ホールがあります。
天気が良い日にどこに行こうかスマホを見ながらあれこれリサーチしていたら海老名市中央図書館というちょっと気になる図書館が引っかかりました。
それだけだともったいないので周辺ちょっと散歩して見ましたが、けっこう面白かったです。行けば必ず何かある。図書館の話は次回で。

本日の海老名サンポコース。これ見て知りましたが高台を歩いている時に海老名サービスエリアの真横まで行ってたんですね。知らなかった。
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鎌倉サンポ 祇園山から

2023年04月24日 | おとなの遠足

久しぶりに鎌倉に行きました。若宮大路と平行に南北に通る小町大路からスタート。若宮大路より東を歩くのは初めてです。
小町大路は鎌倉幕府の都市計画の中核である六大路のひとつ。南側は当時最大の商業地、北側は幕府高官・有力御家人の屋敷が並んでいました。現在は静かな住宅地です。

日蓮上人が多発する自然災害や疫病におびえる人々を救おうと毎日辻説法に立って法華経を説いていたのも小町大路の一角でした。現在は史跡になっています。

右手に見える山の方に入って行くとすぐに滑川にあたります。東勝寺橋から。住宅地のすぐ奥にきれいな渓谷。

三代泰時の命で建てられた東勝寺の跡地。新田義貞に攻められた14代執権北条高時が最後に逃げ込んで800人以上の一族と自害した鎌倉幕府滅亡の地として知られています。
地下に遺構群がありますが劣化しないよう埋め戻されています。合掌。

すぐその後ろに祇園山ハイキングハイキングコースの入り口の階段があります。

鎌倉駅に最も近い全長1.5kmほどのハイキングコース。高さ70mまであがります。それなりの山道ですが尾根と尾根の隙間にもびっしりと住宅があります。

ゆっくりと30分ほど南に歩いて行くと見晴らし台。材木座から稲村ケ崎まで見通せてとても気持ち良いです。

見晴らし台から下りて行くと八雲神社の境内の裏につきました。

中世から栄えていた大町付近は寺社だらけ。別願寺は大きな藤の木があったそうですが昨年本堂の建て替えに際して伐採されたそうです。残念。
背後に見える崖の上にさっき居ました。

ツツジ寺として知られる安養院。

道路に面した境内の外側もツツジでびっしり。拝観料200円也を払って入った中もきれいでした。

北条政子の墓。安養院は政子の法名です。昨年の大河で北条政子のイメージが爆上がりしたんじゃないでしょうか。

普通の住宅地の奥から元八幡への参道。

大群と共に鎌倉に入った源頼朝が源氏ゆかりの由比若宮を現在の鶴岡八幡に移しました。このことから元八幡と呼ばれています。鎌倉幕府の始まりの地でもあります。

創業84年、和菓子の大くにでおみやげを買いました。

創業70年、パンの日進堂で明日の朝食のパンを買いました。大町辺りはまあまあツウ向きな地域かも知れません。

若宮大路に戻って鎌倉市農協連即売所。通称レンバイ。農家の直売は早い時間で終わりますが、今風のおしゃれな商店がいろいろ入っています。

お昼を食べに小町通りを通過。平日の午前11時ですが人でいっぱいです。

線路を渡って今小路のアカリダイニングへ。

一度開いて骨を撮って梅干しとシソを挟んで揚げたふっわふわのアジフライ。美味。この口どけはまるでメレンゲ。ホテタ丼など他にも旨そうなものがたくさん。

本日のコース。8時8分に鎌倉について12時半の横須賀縁で帰りました。散歩は午前中に限ります。6km、9,500歩。
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桧原村 神戸岩と払沢の滝

2023年04月16日 | おとなの遠足

新緑を見に東京都で(島を除く)唯一の桧原村へ。JR五日市線の武蔵五日市駅から神戸岩入口バス停まで30分ほど。
乗り継ぎがスムースに行けば板橋から2時間15分で行けるのですが、五日市線とバスのタイミングが合わないと待ち時間が長くなり、合計で3時間以上かかります。

神戸岩(かのといわ)目指して川に沿って集落の中を進みます。川の流れを止めるように位置が置かれていて川魚が泳いでいました。釣りができるようでした。

春日神社にごあいさつ。

令和5年度の桧原村の世帯数は1,127戸。人口は2,038人。人口が6,642人でピークだった昭和20年代の世帯数は1,157戸。戸数は今と変わらないのに人口は1/3になっています。

北秋川、南秋川を水源とする村営水道がありますが、山間部では沢水を水道として利用しています。

バス停から2kmほど緩やかに登った先に神戸岩。高さ100mの2億5千万年前の地層が向かい合っていてその隙間を歩いて抜けることができます。

岩の割れ目への入り口はそっけなく置かれたこちらのハシゴから。

進行方向右側に50cmくらい幅で歩くところが切り出したあります。狭いけどチェーンもあるし、万一落ちてもちょっと痛いくらいの高さです。

距離にして100mくらい。ゴール付近で通って来た道を振り返る。岩の裂け目に見える新緑がきれいでした。

帰りはこちらのトンネルでスタート地点(ハシゴの近く)まで戻ることができます。カーブしたトンネルの中は真っ暗なのでスマホの懐中電灯が頼りです。

帰りは神戸岩入口バス停を過ぎてバスで来た道を下って行きます。第一村人発見。すれ違う郵便配達の車と軽やかにあいさつを交わすところが村の生活っぽい。

バスは1時間に1本もないので払沢の滝入口バス停まで3km歩きます。私みたいに歩く目的で来ている人はいいけど、普通の観光目的だったら車がないと無理です。
村の規模に対して大きすぎる郷土資料館。入りたかったのですが休館日でした。

桧原村ややすらぎの里。老人ホーム、診療所、保健所、児童館、村民温泉など福祉関係のあれやこれやを詰め込んだ施設です。
さっきの郷土資料館もそうですが、景気が良かった時にちょっと勢いづいてお金のかかる建物を建ててしまったんでしょうね。

40分歩いて払沢の滝入口バス停。こちらが桧原村観光のメインスポットなのでバス停も立派です。

檜原豆腐店の後ろから滝に向かいます。上の看板に「この先200m」と書いてあるのが見えたのですぐに滝があるのかと思ったらなかなかつかない。
おかしいなあと思いながら帰りにもう一度看板を見たら「駐車場までこの先200m」でした。「駐車場まで」を見落とした。

実際に距離は700mほど。10分もかからないのですが200mと思って歩くとけっこう長いです。道はウッドチップが敷かれていてふかふかの散歩道。若葉がきれい。

建物はかつて檜原郵便局舎として使われていた建物を移築して、木工製品や雑貨を販売するお店に。

払沢の滝。東京都で唯一「日本の滝百選」に選ばれています。滝は4段になっていて上の方は見えません。見えているのは3段目の落差13.7mの部分。
厳冬期は評決するそうで、その時期の方が観光客が多かったりします。

夕食で余った筍ご飯を弁当箱に詰めて持ってきていました。カフェやお蕎麦屋さんもあるのですがこの日(火曜日)はことごとくお休みだったので弁当持参でよかった。

様々な理由であらゆるお店が休業だったこの日。2人目の孫誕生はおめでとうございます。



行きには見えなかったこんな顔が帰りには見えます。

以前奥多摩駅から大岳山に登りましたが、距離滝にはこの辺りから登る方がかなり近いようです。
檜原村をベースに登山と温泉というコースを計画して見よう。
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長瀞桜2023

2023年04月03日 | おとなの遠足

起き抜けにRさんから「長瀞に行こう」と言われて1時間後には池袋から特急電車に乗っていました。

思いつくのはRさんでそれを実行可能で充実したプログラムに仕上げるのが私の役目です。池袋で入手した長瀞桜祭りのチラシを見ながらラビューの中で作戦を立てました。
西武秩父で秩父鉄道に乗り換えて長瀞のひとつ先の野上駅からスタート。

高砂橋で荒川を渡る。

10分ほど歩いて最初の目的地、法善寺のしだれ桜に到着。

樹齢100年を超える2本のしだれ桜は街の天然記念物。県道に面した庭に色鮮やかな桜がたくさん植えられています。

金石水道橋でオートキャンプ場と荒川を越える。

高砂橋から長瀞駅まで2.5m続く北桜通り。過去に長瀞で一泊した帰りに車窓から長く続く桜が見えていつかここを歩きたいと思っていました。

人も車も少なくて気持ちいい散歩道です。

長瀞駅の裏手から久しぶりの岩畳を見学。この前日に京都・保津川下りで転覆事故が起きていましたが長瀞の川下りは無事に行われていました。
映像を見ましたが穏やかな長瀞の川下りと比べると保津川のはほとんどラフティングに近い急流下りなんですね。お気の毒なことでした。

いつ見てもかわいい長瀞駅。前回が2017年だったので5年ぶりの長瀞です。

駅近くの有隣で豚みそ丼(小)の昼食。秩父方面では何度か食べている豚みそ丼ですが、ここのが圧倒的に美味しかったです。

宝登山参道の桜も満開。宝登山には今まで梅の季節に3回ほど来ていますが桜は初めて。山を背景にとてもきれいです。

宝登山神社に参拝。前に来た時は野上駅から宝登山に登ってからここに降りて来たのでした。

宝登山神社からほど近い丘陵の途中にある不動寺へ。山の斜面の境内に31種類500本の桜が植えられているのですが、品種的に盛りはもうちょっと先のようでした。

不動寺から下りる途中にある野土山、別名「桜の里」と呼ばれる2ヘクタールの桜の山が見事でした。

本当にいいタイミングで来ました。こういう場所にゴザを広げて昼寝も入れて5時間くらいのお花見をしたいです。

野土山のこの1本が2023年のTHE BEST OF 桜でした。

長瀞駅に戻ってビールを1杯飲んでから、一駅だけ秩父線乗って上長瀞駅。秩父鉄道の一日フリーきっぷがお得。

上長瀞には「埼玉県立自然の博物館」があります。これで「歴史と民族の博物館」「川の博物館」と合わせて埼玉三大博物館を制覇。
こちらも前川國男の設計でおなじみの要素が全て含まれている典型的前川造り。

コンパクトな展示ですがけっこう見られます。

自然の博物館から長瀞駅まで桜の小径が続いています。

池袋で入手した長瀞桜祭りのチラシに本日歩いたところを赤で塗ってみました。見るべきところはほとんど見た感じ。
日帰りでも充分楽しめます。
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鎌倉サンポ

2022年12月30日 | おとなの遠足

鎌倉駅。朝8時半。通勤する家族を駅まで送って来る車がたくさんいます。今日は鎌倉駅からぐるっと西回りでいろいろ見る予定。

やっぱり建築散歩。まずは駅から5分ほどの場所にある鎌倉市立御成小学校の旧講堂。昭和8年に鎌倉御用邸跡に建てられました。

平日の小学校なので見学はできませんが塀の外からこんな屋根を眺めることができます。昭和12年には来日したヘレンケラーの講演会が行われたそうです。

続いて鎌倉市役所。1969年。久米建築事務所。深い庇が作る水平線の美しい建物です。老朽化による移転計画の是非で現在もめています。

市役所の向かいに建つ鎌倉商工会議所会館。同じく1969年。設計は早稲田大学の武基雄。1階のガラスウォールから大きく張り出した2階が浮遊しているように見えます。

山を縫うような区役所通りを西へ。

建物を見るのが好きなので鎌倉のように個性的な建物が多い街ではどんどん写真が増えてしまいます。

トンネルを一つ抜けた後の谷筋を登って銭新井弁天へ。

大人になってから来るのはたぶん初めて。このトンネルは昔からあるように見えますが昭和15年頃に掘られた比較的新しい物です。軍用?

せっかく来ましたがお金を洗ったりはしませんでした。今くらいつつましく暮らせれば充分です。

銭新井弁天から一度下って登り直して佐助稲荷へ。

佐助稲荷は「海街diary」で藤井朋章が男にお金を渡している所をすずが目撃する場所です。

無数の狐様が置かれたおどろおどろしい場所なのですが、不良がこんな坂の上までわざわざ登って来てお金を受け渡したんだと思うと少し可笑しい。

大仏ハイキングコースを少し歩きたいと思っていたのですが、佐助稲荷の奥とハイキングコースが往来できるのか地図で見てもはっきりしませんでした。
結論は「行き来できる道はあるけど数年前の台風で崩れて未だに修復の予定もなく現在は通行止め」でした。(神社の人に聞きました)

再び市役所通りに降りて西へ。道沿いにある北条氏常盤亭跡。見える範囲はただの原っぱですが奥に入って行くといくつかのやぐらがあるらしい。

常盤口バス停から鎌倉山を登ります。70mほどを一気に登るのでなかなかしんどいです。

笛田公園を過ぎた先でこの30年ほど鎌倉山の住宅地で暮らしている古い友人と待ち合わせました。

七里ガ浜を見下ろす高台から。

七里ガ浜の住宅地の中の商店街にある魚の美味しいお店でお昼ご飯。鰯のつみれを大葉で挟んで揚げたのが美味しかった。

生しらすが食べられてうれしい。

鎌倉プリンスの敷地内から富士山と江ノ島が見えます。

清家清が設計した鎌倉プリンス。バンケットと宿泊棟を結ぶ斜行エレベーターなど地元の友人ならではの案内もあって面白かった。

ホテル脇から江ノ電を越えて海。

富士山と江ノ島が全景で見られる場所は少ないそうです。空気が澄んでいてくっきり見えました。

山側を振り返るとプリンスの結婚式場。ガラス窓に海面のきらめきが反射しています。

鎌倉駅方向への海沿いの道は初めて歩くところ。

暖かくてダウンはリュックに仕舞って歩きました。

ゴールは長谷駅。

今回の散歩コース(赤い線)。ピンクのルートは2020年10月に鎌倉山擂亭に行ったときの線。いい感じに鎌倉市内の塗りつぶしが広がりました。
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こどもの国

2022年11月06日 | おとなの遠足

1965年5月5日開業。東京の小学校低学年の遠足先として、高尾山などと並んで定番の場所でした。
高校時代にクラスの親睦会のような名目で行ったことがあるようなないような。。。。
そんな馴染みがあるようなないような遊園地に「鳥が見たい」というRさんのリクエストでお出かけしてきました。

まだちょいちょい不調もありますが、動ける限りは元気に暮らしている妻。

正門から入ってどんどん左の方向へ。雪印こどもの国牧場へ。

牛~。

鹿~。

うさぎ~。
そして令和の世になってもズボンはズボンと呼び決してパンツとは呼ばない、パンツと言えば下着を指す、そんな素敵な妻。

黒川紀章がデザインした休憩所「フラワーシェルター」。
の後に突然の黒川紀章が唐突な気がしますが、実はこどもの国の開園に際しては当時の気鋭の若手建築家たちが関わっていたのでした。
中でも浅田孝、大高正人、菊竹清訓、黒川紀章といったメタボリズムグループの中心的な建築家が園内の施設を手掛けました。

現存している物は僅かですが、かつては菊竹清訓が設計したこんな形の「林間学校宿泊棟」が斜面に並んでいたそうです。小学校の遠足で見たのかも。

本日のメインイベントはこちら。200羽のインコが飛び交うバードケージです。



見物している我々に翼が起こした風が当たるくらいの勢いでインコが飛び回っています。

インコを堪能して園内をぐるっと回ります。
こどもの国は終戦まで日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設でした。
戦後は米軍に接収されましたが、その後返還を受け1959年の皇太子ご成婚を記念して国と雪印乳業からの寄付でこどもの国開園に向けて整備が始まりました。
歩いていると斜面の所々に物々しい鉄製の大きな扉がありましたが、あれらが弾薬の充填や貯蔵が行われていた地下倉庫の扉だったんですね。
このトンネルも弾薬を運ぶトラックのための隧道ですし、長津田からここまで乗ってきたこどもの国線鉄道も元は軍用列車の引き込み線でした。

秋の休日に親子連れで賑わうこどもの国にそんな歴史があったことをまだ知らないでいた私たち。

白鳥湖の脇にある売店で焼きそばとおにぎりで昼食。

広場には無数のテント。

賑やかな声に誘われて入り口近くの広場に行くとアクロバットのショーが行われていました。
体操競技で使う平均台を高さ3mに上げてその上で宙返りを披露するSaikaさん。元全日本体操選手。

不安定な2本の棒の上でバランスを披露するTakuyaさん。二人合わせてアスタリスク・ノバという大道芸チームです。

1mほどの鉄パイプを徐々に延長しながら演技の高度を上げていきます。最後は7段7mまで。すごかった。
徐々に難易度が上がって行くパフォーマンスだと始めの頃に撮影した写真が最後には全部無意味になるという(笑)
Rさん念願のソフトクリームも食べられてよき休日でした。こういう所はガラガラの平日より子供の声が響く週末がいいですね。
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柏市あけぼの公園・あけぼの農業公園

2022年10月22日 | おとなの遠足

常磐線の北柏駅から柏市ウォーキングマップをみながら北東に30分歩いて「あけぼの公園」に着きました。マップでは1時間と書いてありますがそんなにはかからない。

柏市でも有数の桜の名所だそうですが、あけぼの山というくせいに平らな芝生の中に桜があるだけでこれと言って見どころがないように思われたのですが。

奥まで歩くと、この場所が下総台地と利根川流域の境界となる崖線の一部だと分かります。

斜面を下りて振り返ればあけぼの山。

利根川の周囲は広大な農地が広がっていますが、台地に近い一部分が「あけぼの山農業公園」です。10月中旬からコスモス畑が満開。
あけぼの山公園とあけぼの山農業公園は隣接していますが、前者は前者は柏市公園緑政課、後者は農政課が管理しています。ややこしいな。

とりあえずコスモス。一面のコスモス。この辺りはキバナコスモスとコスモス(センセーション)が交互に植えられています。

完全なる快晴。

2種類を混ぜて植えている地区もあります。これはこれでバラちらしみたいで華やかです。

花畑の一角には風車と池があります。春先にはチューリップが、夏にはヒマワリが。そのほか一年中様々な花が見られるようです。

時間が経つにつれて車でやってくる人が増え始めます。

絵画の額縁やドアが置かれて映える写真が写せます。

芝生の広場、売店もある休憩所も完備。

手ぶらでも楽しめるバーベキュー場もあります。施設としては農業公園の方が充実しています。

歩いて5分ほどの場所に布施弁財天があります。

享保2年(1717年)に建立された本堂。

地形図で見るとこんな場所でした。なぜか農業公園しか記載されていません。ぽつんと残った高台に弁財天があります。
コスモスウィークは11月3日までやっているそうですが、一部のコスモスは来週水曜日に刈り取られるそうです。行くならお早めに。

行きは歩いて行きましたが帰りはバスで。坂東バスで我孫子まで10分くらいです。
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岩槻散歩

2022年09月13日 | おとなの遠足
岩槻に行きました。岩槻と聞いて場所やイメージの湧く人も多くないと思いますが、東武野田線で大宮と春日部の間にある埼玉の地方都市です。
江戸時代に将軍が日光東照宮に参拝する際に、江戸城を出て本郷の本郷の東大あたりから駒込、王子、赤羽岩淵、川口、鳩ケ谷を経て幸手の手前で日光街道に入ります。
このコースが日光御成道なのですが、将軍の一行が最初に宿泊するのが岩槻宿だったので、岩槻街道という名前でも知られています。
私が頻繁にお参りしている王子神社の前の道がかつての日光御成道で、道の所々に岩槻街道という表示もあります。(ただし東京都の通り名では北本通り)

ということで、名前だけ見る岩槻街道の岩槻がどういうところなのか見たかったというのがここに来た大きな理由です。
岩槻駅は2016年に高架駅に改装されました。岩槻城のある街の駅ですので駅のデザインもかなりお城に寄せて来ています。
営団地下鉄の南北線の赤羽岩淵から埼玉高速鉄道が浦和美園まで繋がっていますが、これをあと10km延伸して岩槻まで行かせる計画が動き始めています。
もし完成すれば岩槻から乗り換えなしで東京の真ん中まで行けるので、岩槻の人にとってはけっこう重大事です。写真右に完成を願う立て看板が写っています。

駅から数分南に歩いて日光御成道に入りました。江戸時代に整備された街道ってやっぱり普通の道とは趣が異なります。この道を東に向かって岩槻城址まで行きます。

東玉大正館。大正時代に旧中井銀行岩槻支店として建てられた2階建ての洋館。国の登録有形文化財。

岩槻人形博物館。岩槻と言えば人形の町と知られています。歩いていてもあちこちに人形店が見られます。
人形博物館は想像していたよりはるかに大きく立派な施設でした。でも、今回は中には入らず。

岩槻城の鐘楼。寛文11年(1671年)の設置以来この場所で時を告げています。誰が撞いているのかと思ったら現在は自動化されているのでした。

既に岩槻城の縄張りの中に入っていて周辺には武家屋敷だった当時の道筋がそのまま残されています。

公共施設である市民プール・集会場もこのデザイン。

岩槻橋で元荒川を渡ってすぐ戻る。元荒川はその名の通り1629年に伊奈忠治が荒川瀬替えをする前まで荒川の本流であった川です。さらに500m進めば春日部市内に入ります。

左が岩槻橋。昭和16年に架けられたこちらも文化財級の古い橋ですが、歩道も取れないほどの狭さと老朽化のために現在架け替え工事が進んでいます。

元荒川沿いの遊歩道。歴史を感じさせる重厚な桜の枝ぶり。

岩槻城址公園。広大な岩槻城の大半は明治以降の開発でほとんど遺構らしき遺構が残っていません。
歩いて来た道沿いに「三の丸跡」「二の丸跡」などの標識だけがありますが完全に宅地化しています。縄張り南東端の郭の一部分のみが城址公園として西部されています。
木の下でギターを抱えてあいみょんを歌う人がいました。

岩槻城裏門。明治の廃城後、この門を保管してきた民間の有志によって寄贈されたもの。元々建っていた場所などは分からないそうです。

八つ橋。

数少ない遺構のひとつ、堀障子が発見された空堀。

城址公園を一通り歩いてから別のコースで駅に戻る。岩槻の酒、鈴木酒造。蔵を利用した資料館では販売もしているらしかったのですが開いてませんでした。

岩槻藩遷喬館。県内に残る唯一の藩校で、県指定文化財。

日光御成道に戻りました。古い商家を利用したおしゃれなMIYATAベーグルさん。プレーンと抹茶餡のを買って帰りました。美味しかったです。

大きな瀬戸物屋さんの蔵を改装したカフェ風音。ドッグカフェらしいんですがもちろん犬がいなくても入れます。

風音和食プレート。古い勉強机で美味しくいただきました。

岩槻郷土資料館。昭和5年(1930)に建てられた岩槻警察署の旧庁舎を使っています。

内部には昭和初期のアールデコ風の装飾もありました。

本日のルート。約9kmです。やっぱり宿場だったところは見どころ多くていいですね。
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