ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

宝くじドリームセンターにて

2024年07月14日 | TOKIO散歩

久しぶりの京橋。10日の都心部は33度。その前が35度、36度だったので33度で助かった~と思ってしまう。もはや完全に亜熱帯のヒトになりました。

目的地は宝くじドリーム館。宝くじについて理解と親近感を深めるための施設。ロト7などの当選番号を決める抽選もここで行われます。

入り口わきにあった「1億円の重さを体験」。生々しく札束で射幸心を煽ります(笑)

宝くじのマスコット、クーちゃん。宝くじ→クジラという発想。生地の色は金色のつもりかな。

今日の目的はこちら。4年前から習っているオカリナのお師匠さんたちのランチタイムコンサートです。

宝くじの抽選も行われるステージで昼休みのミニコンサート。45分楽しく聞きました。
オカリナのカルテットを月イチでやっているので非常に参考になります。
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昔なつかしい場所へ

2024年06月29日 | TOKIO散歩

久しぶりに春日から。6年前まで仕事でうろついていたあたりの変化を見に行きました。

久しぶりの小石川植物園。花菖蒲の終わった菖蒲田はただの草っぱらの様相。

10年以上買い続けている年間パスポート。65歳以上だと600円で買えるらしい。もう来年じゃん。ありがたいなあ。なんで無益な高齢者にそんなに優しいんだろう。

飯田橋駅前に来ました。駅前の歩道橋は純粋に道路を横断するために作られた歩道橋としては私が渡った中では23区内で2番目に長い歩道橋です。
JR飯田橋駅の前から対角線上に交番の付近まで行くのに階段含めて170mの距離があります。ちなみに現時点で最長なのは板橋区の蓮根歩道橋で最長231mあります。

かつての職場付近だったこの辺りで久々に何か食べようとして最初に向かったのが三州屋さん。お店が存続していたのはうれしいけど今はランチはやっていないようでした。

名画座ギンレイホールは2022年11月に閉館。ショーウィンドウに映画のポスターがないことを除けば昔の儘の佇まいで残っていました。

神楽坂まで来て個人的イチオシイタリアンだったアズーリさん。残念ながら12時開店で30分早すぎました。

で、結局飯田橋飯店でレバ野菜炒めを食べました。昭和50年代から最近まで50年分のサイン色紙を見ながら食べました。

一間(1.8m)の間口に4軒の店が並ぶ狭小長屋も残っていましたが、神楽坂そばもインドールももうそこにはありませんでした。

牛込門を通り過ぎて歩いていたら3人連れから本名で呼びかけられました。かつての同じ会社の人たちでしたが6年の間にパンパンに太っていて分かりませんでした。
名前を思い出そうとちょっと頑張りましたが、考えてみたら6年前から名前なんて覚えていませんでした。
今は右奥に見える黒い大きなビルに新しい営業所が2フロアあるそうです。ちょっと調べてみたら今どき風のオシャレオフィスでした。
先日、吉祥寺いぶきうどんのおしゃれオフィスのことをブログでネタにしましたが、自分がいた会社も私が辞めた後ちょっとだけそっち路線に行ったようです。時代かな。

靖国神社へ。このまえ中国人におしっこをかけられた靖国神社ですが、特に変わった様子はありませんでした。

靖国神社の九段下寄りの出口近くに早稲田通りの起点119-A標識がありました。
実際の起点は60m南の靖国通り田安門交差点なんですが、なぜか標識は九段教会前のこの場所に。

その日本基督教団九段教会。多摩美術大学の大半の校舎に関わった田淵諭の大岡山建築研究所の設計。礼拝堂も見たかったけど開いていませんでした。

九段下を過ぎて神保町へ。うなぎの今荘も健在。30年前は若手サラリーマンでもちょっとの背伸びで食べられました。
今は鰻重が3,500円。2倍以上になっている印象です。お給料は2倍にはなっていないでしょうから、相当背伸びしないと厳しいです。

すずらん通り。ほぼ全部の建物が新しくなりました。老舗の問屋の倉庫兼事務所だった古いビルがワンルームマンションに変わっています。

そんな中で中古CDのササキレコードが生き残っているのが不思議でありちょっとうれしい気もします。創業が大正14年と知ってさらに驚きました。

タイ料理の「メナムのほとり」があったビルは取り壊されていました。ボンディは健在。
5年前に「神保町今昔」というタイトルでブログを書いていましたが、読み返したら今日撮ったのと重なる写真が多かった。年寄りは繰り返すね。
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NTT技術資料館と武蔵野市散歩

2024年06月18日 | TOKIO散歩

中央線快速で武蔵境駅。

武蔵生はここから1列で歩きましょう。歩道が狭いから通学時間には大変になりそうです。
ちなみに武蔵境から北西に向かうこの道は都道123号線。以前、西調布駅から歩いた天文台通りの終端付近です。

境橋交差点。玉川上水がここで分水して右に玉川上水、左が千川上水となります。千川上水はここから杉並区、練馬区、豊島区経て板橋駅踏切の通って西巣鴨に至ります。
区内はほぼ全部暗渠ですが、その上をしょっちゅう歩いているお馴染みの用水です。

西東京市と武蔵野市の境界となっている場所では清流復活事業で高度処理水が流され、周辺は遊歩道が整備されています。

2023年に開園したMUFGパークの入り口。

レンガで覆われた重厚な建物は武蔵野市立千川小学校。ただものでない雰囲気でしたが岡田新一設計事務所によるものでした。公立小学校にしては豪勢です。

本日のメインの目的地はこちら、NTT技術史料館でした。

地階から3階までの大きな吹き抜け空間。

地階に下りる螺旋階段。

日本の電信電話の歴史は江戸時代末期から始まります。そこから現代までNTTグループが培った通信技術の歴史的資産を余すところなく見せてくれます。

いろいろな電話交換機。

公衆電話の変遷。

とにかく展示スペースが広い広い。一通り見るだけでも数時間は必要なスペースと物量ですが、展示の内容も難しいのでどんどん飛ばして進みます。

1984年に発生した世田谷電信電話局付近のケーブル火災事故が当時の電電公社にとって大きな打撃だったようで、それを契機に回線の不燃化が進みます。
けっこうその近所に住んでいたのに全く事故の記憶がありません。

見学のお土産に完成すればこんな電話機ができるペーパークラフトをもらいました。
外側だけでなく内部の機構も全て作るようで、完成に1時間以上を要するそうです。なんとなく作らないまま終わる予感。

武蔵野市役所。1980年。日建設計。

本日のルート。武蔵境駅から歴史ある用水や新旧の公園を見ながら建築散歩ができるなかなかのコースです。約9km。
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都立滝山公園・滝山城址(都立公園71/72)

2024年06月13日 | TOKIO散歩

八王子駅から秋川行の西東京バスで20分。滝川城址下バス停で降りると目の前に「滝川城入口」の大きな看板が迎えてくれます。

1分歩くと大手口と言われる天野坂の入り口。

小さなお稲荷さんに参拝してから奥に進みます。

都立滝山公園の標識が。ここは続日本百名城に含まれる城山城址がそのまま東京都の自然公園になっています。
平山城址公園、練馬城址公園、赤塚公園(赤塚城)など戦国時代の城が都立公園になっている所はありますが、城跡感が最も濃いのが滝山公園です。

三の丸を下から見る。滝山城は空堀や虎口、土橋や馬出などの遺構が比較的きちんと残っているということでお城ファンの人気が高いようです。

それが堀切だ、桝形だと言われても、自然の地形と人が作ったものとの区別がつきにくいので残念ながらマニアの人ほどは喜べません。
土の城は、堀が埋まり土塁が崩れる前の現役だった頃の姿が、石垣の城と比べていまひとつイメージしにくいです。

千畳敷と呼ばれる城主等の居住空間。

中の丸(右)と本丸(左)を分ける堀底道に架かる木橋。引橋。危急の際には橋を引き込んで通行できなくします。

本丸。ご夫婦の奥様が草むらから出て来た蛇に驚いて大絶叫。たまたま追い抜こうとして2m後ろ歩いていた私の心臓が止まるかと思いました。

国指定の史跡の碑。

本丸には井戸も残されています。覗いてみましたが底は見えませんでした。

本丸奥から北側を見る。滝山城がある加住丘陵の北側は多摩川に削られた70mほどの崖になっています。
バス停のある南側との標高差は35mほどなので、北側に進んで本丸から見る視界の開け方には驚きました。

本丸の奥から長い階段でに堀底道に降りて、さっきとは逆方向から引橋を見ている所。

中丸。こちらが千畳敷と書かれている資料もあります。清潔なトイレがありますが都立公園には必ずあるサービスセンターはありません。(小宮公園が兼務)

中丸からの眺め。

引橋を渡ってもう一度本丸へ。

千畳敷でおにぎり。コンビニおにぎりも安いので170円。こないだまで安いのは120円で、170円出すとちょっと高級なやつが買えてました。
それでも値段と味と腹持ちを考えれば地球上でもっとも優秀な食品だということに変わりはありませんが。

とりあえずこれで離島を除いて72か所ある都立公園の71か所まで終了しました。
帰りは八王子に戻るのはつまらないので拝島行きのバスに時間を合わせて乗ったのですが、バスの中で地図を見ていたら残りラストの都立公園である秋留台公園が目に入りました。
気がついたときには秋留台公園を背にしてどんどん離れて行く途中だったのですが、もし事前にそれが分かっていれば曲がり角近くで降りて、最後の都立公園にも行けたのに。
惜しいことをした。

とりまのこりあと一つ。
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井の頭自然文化園

2024年06月10日 | TOKIO散歩
吉祥寺駅から井の頭公園に行く時は、丸井の角を曲がって「いせや」の前の階段で降りて行くのが一般的です。左右にお店も多い。
公園への侵入口はそこだけではなく、いせや周辺200mの間に公園と外界は5が所で接続されています。

今日は今まで通っていないコースで出入りすることにしました。こちらは武蔵野公会堂の前を通る道の先にある階段。

井の頭公園の中にある井の頭自然文化園。象のハナ子がいたことで有名な動物園が「本園」で、離れた場所にあるこちらの水生物園が「分園」という扱いです。
大人1人400円の入園チケットでどちらも行き来することができます。

yの字の形の井の頭池の二股に挟まれた三角形の部分が水生物園。動物園と比較すると地味な存在で、多くの人は動物園には行ってもこちらには寄らないで帰ります。

小さなゴム筏に乗った人たちが水質か藻か何かの調査中でした。一人掛けのソファの形をしていてなかなか機動性が良さそうでした。

のどかな園内。

タンチョウとトキ。あらゆる種類のカモたちもいました。

水生物館。水の周辺(水中・水面・水辺)に生きる生物のことを「水生生物」と言います。こちらは「生」ひとつ足りない「水生物」。wkioediaにも辞書にもない言葉です。
言葉の違いに何か意味があるのかいろいろ検索してみましたが特に答えは見つかりませんでした。

カイツブリ。水鳥の水面下と水面上を同時に見られるのは面白い。

小さな水族館。保育園の散歩隊が何組か来ていました。中学生以下は入場無料です。先生はチケット買ってるのかな。年パスかも。

身を寄せ合うトウキョウサンショウウオ。絶滅危惧種II類です。

アカミミガメとアメリカザリガニは、2023年6月1日より「条件付特定外来生物」に指定されました。野外に放したり、逃がしたりすることは法律違反になります。
今まではなってなかったんかいって感じです。現在飼っている物に関しては届け出不要で買い続けることが許されます。これが「条件付」の意味。
この条件がないと現在飼っている人が大量にそれらを野外に放してしまい、かえって生態系に多大な影響を与える恐れがあるためです。ほんと、ろくなやつらじゃない。

池畔の静かな散歩道なんですが、びっしりと木にツタが絡まっているのは不気味です。除去されていないということは日本の葛なのかな。

水生物園を見てから5つの内の別の出口から公園の外に出ました。こんなところで出入りするのはこの道の近所の住人くらいでしょう。
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東京都民の「横浜」散歩

2024年06月08日 | TOKIO散歩

みなとみらいから桜木町の方へ。コロナ以降に完成した2棟の高層ビルを見学します。写真右側が横浜市役所新庁舎。左側がザ・タワー横浜北仲。

横浜球場の隣に村野東吾の設計で1959年に建てられた旧横浜市庁舎は名建築として知られています。
今回は50年ぶりに建て替えとなり、市内20か所に分散していた市役所機能を一か所で集約できるようになりました。デザイン監修が槇文彦、設計施工が竹中工務店。
こちらは隣接する別棟(ビル手前の白い建物)のアトリウム。横浜市が主催する様々なイベントの会場となります。

タワー棟の市役所はフロントで受付をしてから名札をもらって中に入るスタイル。見学だけでも入らせてくれますが、展望台も何もなく見どころはありません。
最上階まで上がりましたが、窓のは薄いシェードがかかっていて景色は望めません。

なので無料展望台のあるお隣のザ・タワー横浜仲町へ。1,174戸の分譲マンション、175室のホテル、商業施設の入る都市型複合ビルです。2020年完成。鹿島建設。

分譲マンションには珍しく最上階に誰でも行くことができる展望台があります。展望台専用エレベーターであっという間に58階へ。
ここよりちょっとだけ高いランドマークタワーの展望台は料金1,000円ですから圧倒的にこちらがお薦めです。

ベイブリッジ、赤レンガ倉庫、大桟橋と全て見渡せます。ちょっとAPAホテルが邪魔だけど。反対の街側の眺望も素晴らしいです。
素敵なソファも置かれていますが、そのコーナーは宿泊者専用。身分の差を感じられます。

現在第8回の横浜トリエンナーレが開催中。こちらは会場の一つである旧第一銀行横浜支店。
2017年の時に見に行ってなかなか面白かった印象です。今回の展示は社会派に寄り過ぎていてアートとして全く面白くないとネットでは不評です。

神奈川県立歴史博物館へ。

1階が特別展スペース、2階~3階に古代から現代まで5つのゾーン充実した展示が見られます。

この建物自体が、明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、重要文化財に指定されている日本を代表する近代建築です。

ボランティアガイドの方が銀行時代の建物内部が見れらる部分を案内してくれました。

第一営業室だった部分の窓。

大正時代に取られた写真で、当時吹き抜けだった部分に床が張られていることが分かります。
横浜正金銀行は大正8年で資金が1億円。世界三大為替銀行の一つと称される大銀行でした。その後、東京銀行、三菱東京銀行を経て現・三菱UFJ銀行。

こちらが本来の建物正面。(先ほど入場した階段があるのは戦後増築された新館部分でした)設計は明治時代を代表する建築家、妻木頼黄。重要文化財。
創建時のドームは関東大震災で焼失。現在のドームは昭和42年に博物館として改装の際に復元された物。近年「エースの塔」の愛称をつけて横浜三塔の仲間になるべく画策中。

現存する最も重厚な明治の西洋建築の代表です。

馬車道を越えて新港へ。

サークルウォーク。2015年にカップヌードルミュージアムに行った際に見てブログのネタにしています。

9年前には素通りしたJICA国際協力機構のビルを目指しています。

3階に国際色豊かなメニューのレストランがあります。広い。空いてる。眺めが良い。安い。

パパコンカルネ・サルサでトマトというコスタリカの豆とジャガイモの煮物を食べました。じゃがいもちょっと固めでしたが美味しかった。目の前にダイヤモンドプリンセス。

食後に海外移住資料館で日本人の海外移住の歴史を学びました。海外での一攫千金を夢見て、戦前だけで77万人の日本人が主に南米に移住していきました。

赤レンガ倉庫へ。この場所はいつもビール祭りなどのテントが並んでいるイメージですが、何もない時は大桟橋まですっきり見通せます。

ダイヤモンドプリンセス。コロナの最初期にものすごい不幸な運命に翻弄された豪華客船。ほんの4年前のことです。なんとなく手を合わせて拝んでしまいました。

象の鼻パークへ。

横浜税関 (クイーンの塔)

久しぶりに横浜をゆっくり散歩しました。古いものと新しいものがちゃんぽんになった面白い街です。
神奈川県民に言わせると「横浜で遊ぶ」といえば横浜駅西側周辺の繁華街のことで、私が今日歩いたのは横浜ではなくみなとみらいと新港、桜木町を歩いただけになるそうです。

本日のルート。神奈川県民の「横浜」はおよそ赤丸の範囲。

その一方で、「横浜市」というと今度は他の市を圧倒する巨大面積だということが分かります。
横浜市の西側の市を10個合併させてもまだ横浜市の方が大きいくらい。
極端に狭い「横浜」と無駄に広すぎる「横浜市」。都民から見ると分かりにくい謎地帯です。
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みなとみらいさんぽ

2024年06月07日 | TOKIO散歩

横浜駅で改札から出たという記憶がありません。ブログ内で「横浜駅」で検索してもヒットなし。
乗り換えたことはけっこうありますが、下車するのはひょっとすると人生初だったかも知れません。
1980年代から延々と工事が続いて「日本のサクラダファミリア」と言われていた横浜駅ですが、2020年頃一応の完了を見たそうです。

横浜駅の東口からみなとみらいのどこかに行くには2009年に完成したはまみらいウォークという橋で帷子川を渡ります。
撮影時の時間は午前9時半。切れ目ない人の流れが川を渡って職場に向かいます。
この橋ができる以前は170m上流の首都高沿いを渡っていたわけですが、そもそも橋ができる前は見えているビルもほとんど存在しなかったので困る人も少なかったのです。

はまみらいウォークの先は日産グローバル株式会社の本社ビルの中に入って行きます。ビル内が公道になっているような感じでほぼ全ての人がビル内を通過します。
人が無差別にビルの内部を歩くというのは珍しい。日産のギャラリーが見えて通路自体が日産の宣伝にもなっているようです。
さすがに本当の公道ではなく、ストリートビューもビル内部まで線で繋がってはいません。

日産を抜けた先で再び広いペデストリアンデッキが再開し、デッキは交差点の上て三方向に分かれます。
デッキはそれぞれの先にあるビルとも直結しています。交差点角にある3つのビルが勤務先の人は地下道を出てから400mの間、雨に濡れることなく通勤できる訳です。
毎日見ている人には当たり前の風景ですが、私からすればとても物珍しいものでした。

3方向に分かれるデッキを地上レベルから見たところ。今、渋谷でやろうとしていることの先駆けのようです。

左から富士フィルム、SONY、YAMAHA。その他日本を代表する企業のロゴが高い所に並んでいます。

ここからはおのぼりさんとしてみなとみらい観光。アンパンマンミュージアム。そういえば今度やなせたかしが朝ドラになるんでした。

Kアリーナ横浜から、昨日ブログのブリッジとは反対にみなとみらい南、桜木町方向に抜ける場所。
左の方は2000年代初頭に最初に開発されたマンション群。右奥にランドマークタワーの上部が見えます。

中央はさっき見てたYAMAHA他5社の建てた複合ビル。こちらから見るとけっこうゴツゴツ系でした。

みなとみらいの標準的な風景。何もなかった埋め立て地に30年かけて大きな街が生まれました。有明、豊洲にも似てるけどこちらの方が街としての完成度は高い。

みなとみらいに来たのはみなとみらいホールにコンサートを聞きに行ったのと横浜美術館くらい。みなとみらい駅から目的地に行って戻るだけでした。

ランドマークタワーと手前のぐるぐる。

ドックヤード。

日本丸。

ワールドポーターズとコスモワールド。コスモワールド付近は歩いたことがあります。カップヌードルミュージアムの時かな。

2021年に開業したロープウェイ、横浜エアキャビン。桜木町駅の横からワールドポーターズまで600mを5分で繋ぎます。
楽しそうですが、個人的には鉄道廃線跡をプロムナードにした汽車道を10分歩く方が好ましいです。

初めての横浜観光まだ続きます。
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板橋北部リアス 前野町5丁目台地

2024年05月25日 | TOKIO散歩

都営三田線志村三丁目駅から。23区内の電車の駅を降りてすぐにこんな登山口みたいな急坂がある場所も珍しいです。
志村から小豆沢、赤羽台へスパッと直線に見える段丘崖のとっかかりの場所。

今日は崖の上には上がらないでフチに沿って南に下って行きます。上に見えるマンションがある部分が戦国時代まで志村城があったところ。

首都高五号線の下を潜って南へ。高速の下につけられた吊り通路を歩いている人がいました。これはなんの通路?

5号線の志村料金所の下に繋がっていました。料金所で働く人がすぐ横の志村パーキングエリアを通って通勤しているようです。

地図で見ると2本の道が平行にあるように書かれている場所。なるほどこういうことだったか。

暗渠になっている川筋の道。右を見ても左を見てもこんもり緑の茂った斜面が見えます。
緑が残されたのではなく、斜面が急すぎて造成されずに残った斜面の緑です。

この場所は記憶があります。中台の台地を歩いている時に向こうの台地の上の駐車場からこっちを見下ろした写真を撮っていました。

暗渠から離れて東側の斜面に入って行きます。「左方向は行き止まり」という看板がありますが、

美しい階段で一気に崖の上に登ることができます。今日はこの上の前野町5丁目~6丁目が目的地。

子供の頃、よく見たようなイメージの昭和マンション。カーサ常盤台。この場所で「常盤台」とは?

公園の木々の隙間から見る下界。

地形に沿ったこの辺りの道筋は、戦前の田んぼだったころにできた道がほぼそのまま残っています。

前野町5丁目は淑徳学園の施設がかなりの面積を占めています。

高級マンションの入り口みたいな正門。仏教系の学校らしいんですが詳しくは知りません。

そのまま南下して歩くと板橋中央図書館の横の道に繋がりました。

本日のルート。板橋北リアスの一番東の一帯です。

去年作った板橋北部リアス全体図の中ではこの白丸の場所です。
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西巣鴨橋2024年5月

2024年05月21日 | TOKIO散歩

池袋ハレザたわー。我が家に年に4回、奇跡の光を送る奇跡のビル。奇跡という言葉のありがたみがほとんどなくなりつつあります。

久しぶりに西巣鴨橋の工事現場を見ました。
なぜ大塚よりもさらに池袋寄りの場所に巣鴨と名がつく橋があるんだと疑問に感じて調べて書いたのが2018年の「西巣鴨帝国の繁栄と没落」という日記。
アマチュア郷土史家として第一歩を踏み出した作品でした。ということもありませんが、調べると何か答えが出てくる喜びを知ったのは事実。

JRを背にして春日通り方向を見たところ。最初の写真の橋の入り口にあたる所まで40mほどの場所ですが橋は5mほどの高さがあります。
ここから40mで地上まで下るとなるとけっこうな傾斜になりそうです。

工事前、以前の橋があった2014年の写真。高さ的にはそんなに変わらないのかな。遠近法と相まって分かりにくいけど、自転車でここ登るのはきつかったな。

橋長115m。山手線と湘南新宿ラインをまたぐ主間長50mです。完成予想は当初予定から1年遅れて2026年3月です。

工事パネルに書かれた鳥の絵。ん?どうなってんだ?と近くまで見に行ったら額縁の外の影も含めて書かれたトリックアートでした。こういうのはだまされてうれしい。

東池袋あたりは日本の主要ターミナル駅から近いのに普通に墨田区みたいな風景が見られます。

都電荒川線沿いはバラ祭り中。こういうのって地元有志が組織的にお世話してるのかな。

荒川線の先に桜並木が。ずっと歩いて行ったら桜の定点観測で必ず見に行く南大塚3丁目の交差点まで繋がっていました。けっこう長かったの知りませんでした。

2023年6月30日に閉店した大塚バッティングセンター跡地。日本最古のバッティングセンターと言われていました。じゃあ、今日本最古はどこになったんだろう。
日本最古から2番目だったところがこれで日本最古に「格上げ」になったはずですが、意外と2番目って認識してるものは少ないです。
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ガードパイプの都道・区道接続についての研究まとめ

2024年05月20日 | TOKIO散歩

丸の内線新高円寺駅の近く。都道である青梅街道から区道である高南通りが始まる交差点の区道側の場所です。
右側の緑色がお馴染みのイチョウの葉がデザインされた都道ガードパイプ。その左に「並」の字がデザインされたスチールグレーの杉並区ガードパイプが並んでいます。
4年間、東京都内を隈なく歩くことを趣味としている私ですが、なかなか見ることのない珍しい風景と思って写真を撮りました。

国土地理院の標準地図で見るとこの場所です。右側の太い縦が環七(都道)、左右に青梅街道(都道)、交差点から斜め左下に向かって五日市街道(都道)があります。
都道は地理院地図では黄色に塗られます。交差点の場所に郵便局のマークがあって、交差点がどうなっているか見えません。

mapionの地図で見るとこんな感じ。都道と区道のガードレールが並んでいたのは区道の始まっている場所です。

各自治体の道路台帳というものがあって、主に建設業や土木関係の人に道路の情報を提供しています。東京都の道路台帳である都道検索閲覧システムによる同じ場所を見てみます。
こちらでは都道が緑色です。交差点部分を見るとmapionの地図と同じように都道と区道の境界は直線で仕切られています。
ところが交差点部分を拡大すると違うものが見えてきます。

地図から都道以外の道路が消えて都道だけが青で表示されます。この青い部分が東京都建設局が管理している道路の範囲ということです。
交差点部分では、道路の幅を越えて交差点全体まで管理する部分の面積が膨らんでいます。

これが都道と区道のガードレールが並ぶ理由でした。この交差点では北側にガードパイプが必要になれば、それが青の範囲であれば東京都が設置することになります。
同じ理由で歩道の路面舗装も青の範囲まで東京都が行います。

交差点部分の管理領域が膨らむのは決して珍しくなく、むしろある程度大きめの交差点であればほぼ全ての交差点が膨らんでいます。
それほど幅員のない道路との交差の場合は、膨らむ箇所はまちまちです。(たぶん役所的には明確な理由があるんだと思いますが)

ただ、交差点内はガードレールが大きく省かれるか、もしくは白の標準パイプに変わることが多いので、最初の例様な都道区道パイプの並びはやはり珍しいです。
写真は豊島区上池袋交差点。区道に都道パイプが11mの長さに渡って5基も設置されていますが区道側が汎用パイプなので盛り上がりに欠けます。
都道検索とGooglemapで15分ほど探してみましたが、これ!という例はなかなか見つかりません。

そんな中でまあまあ良かったのがこちら。東京ドームの東の壱岐坂下交差点です。

都道パイプと文京区パイプが仲良く並んでいます。
ここも昔は頻繁に自転車で通る場所だったのにそんなことを気にしたこともありませんでした。歳をとって時間があると本当にいろいろ余計なことを考えるものです。
ということで、都道パイプと区道パイプが並ぶことは道路管理上は基本的にあり得ます。しかし実際の例となるとやはり稀だということが分かりました。

余談です。最後の壱岐坂下の写真を見ていると、ガードレールの境目と歩道舗装の境目が一致していないことに気づきました。
都道部分がレンガ舗装、文京区道がアスファルト舗装ですが、文京区のガードレールがレンガ舗装の部分に食い込んでいる。これも珍しいです。
調べてみました。

都道検索システムからブルーの範囲をコピーしてgooglemapの衛星写真に貼って見ました。
これで見るとレンガ舗装の範囲が東京都の管理区域の外側まで来ていることが分かります。
東京都の管理境界は歩道に対して斜めなのですが、実際の舗装工事は歩道に対して垂直な線まで拡大しておこなったんですね。
ということで、この場合は文京区ガードパイプの位置が道路台帳上は正しい教会の位置だということでした。
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国分寺市散歩 国分寺崖線のはじまりの地へ

2024年05月19日 | TOKIO散歩
国分寺市の中央線より北で武蔵野線より西の一帯を歩きました。

国分寺散歩ですが西側を歩くとなるとスタートは国立駅からになります。こちらはあまり注目されない旧駅舎の横姿。
駅を出て北に1分で国立市と国分寺市の境界を越えます。国立駅って国立市のすごーく端っこにあるんですね。

光町通りを北へ。光商店街。

こちらは昭和レトロな光ショッピングセンター。ショッピングセンターなんて名前ですが10件ほどの個人商店が並んでいるだけの小さな商店街です。
その割に立派過ぎる入り口のアーチ。同じものが突き当りを左に曲がった先にもう一つあります。

光町通り、光商店街、光ショッピングセンターと光で推してくるこの一帯の住所は国分寺市光町。
1966年の町名整理の際、地域内に東海道新幹線の開発研究を行なった鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)があったことから「ひかり」が町名になりました。

地図で見ると光町の総面積の4分の1以上が鉄道総合技術研究所で占められています。

昭和44年に製造され、開通前の山陽新幹線西明石から姫路間で時速286キロの当時世界最高記録をだした記念すべき車両が保存されています。

鉄道総研から国分寺崖線に沿って北へ。すぐに顕著な高低差が見えますが右奥が崖線の上(武蔵野面)、こちらが崖線の下(立川面)になります。

崖線が参道になっている福壽山観世音寺。階段上にある山門は八王子の滝山城の城門を移築したものです。
観音寺は滝山城の鬼門の守りとして現在の武蔵村山市中藤付近に創建され、その後江戸時代の新田開発でこの地に移転しました。
そのうちに都立公園巡りで残っている滝山公園に行くつもりですが、そこにある滝山城址にあった山門だけを先に見てしまうことになりました。

隣の神明社の参道付近も古来からの形をよく残しています。

3つ目の国分寺崖線スポット。第8小学校前の坂道。
国分寺崖線スポットは東京都のウォーキングマップ「武蔵野新田・五日市街道コース」を参考にしています。

国分寺崖線スポット、市域最北端。国分寺市における崖線の始まりの地です。

崖の上と下。

顕著に目に見える国分寺崖線の始まりの地、立川市立若葉台小学校西側が立川市と国分寺市との境界にもなっています。

始まりの地を折り返して今度は崖の上、武蔵野面を歩いて東へ。

昭和40年代初頭に建てられた住宅公団のけやき台団地横を通過。入居するには数十倍の抽選を勝ち抜かなければならない憧れの団地でした。

五日市街道脇の鳳林院境内にある毘沙門堂、お堂が巨大な樽でできています。

五日市街道沿いにあった古民家うどん、のらやさん。開店を5分待って1番客として入店。

かつ丼と盛りうどんのセット。美味しかったです。こんな場所にあるので武蔵野うどんかと思ったら大阪に本社がある会社の経営でした。

五日市街道を往くで見た釜めし六左衛門。1年前はこの道を拝島に向かって歩いていました。
お店の前の緑の木が3月には桜が満開で、写真をブログでも使ったのでよく覚えています。

国立市役所横を通過。都下の市役所をたくさん見ていますがこれほどまでに質素な本庁舎を見るのは初めてです。
ものすごい倹約する市なのかと思いましたが、現在新庁舎を西国分寺駅南の武蔵国分寺公園横に建設中で、来年1月に移転するそうです。
8kmほど歩いて第一庁舎近くの西武線恋ヶ窪駅から帰りました。行けばまあまあなんかあった感じ。

本日のルート

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御成門から周回サンポ

2024年05月17日 | TOKIO散歩

仕事でよく来ていた御成門駅ですが、打ち合わせをする森ビルと駅との往復以外に余り歩いた記憶がありません。
駅のA5出口の目の前にあるこの公園にもわざわざ入った記憶がありませんし、ドラマでよく見るこの公園が芝公園4号地という名前だったことも今回初めて知りました。

園内にある「こども平和塔」。昭和29年に人類永遠の平和を願って建てられた塔ですが、人類は永遠に戦争を続ける道を選んだように見えます。
後に見えている先端の細くなったビルが会社員時代に時々打ち合わせで来ていた愛宕MORIタワー。
余談ですが、先日TVで鑑定団を見ていたら当時、一緒に打ち合わせをしていたNHKの人が出場していてびっくりしたことがあります。

港区役所本庁舎。1987年日建設計。2019年に石本建築事務所の設計により大規模修繕が行われて庁舎内は新築の様な雰囲気でした。

本庁舎の食堂からの眺め。麻布台ヒルズと東京タワーが近い。
御成門駅の由来となった増上寺の将軍専用御成門は写真右手の東京プリンスホテルの右手の緑の辺りに保管されています。

増上寺。節分の豆まきや箱根駅伝の応援で何度か見ていますが相変わらず大きい。

増上寺を西に抜けて東京タワーの足元の芝公園19号地もみじ谷。飛鳥山公園の改修なども手掛けた日本人初の公園デザイナー長岡安平明治41年の設計。

東京タワー。アジア、中東系旅行者多し。

昨年オープンした麻布台ヒルズの森JPタワーは高さ325m。ほとんど東京タワーと同じ高さです。タワーのガラスに東京タワーが写り込んでいます。

明治29年に竣工した旧芝給水所遺構。淀橋浄水場の水を受けて飲料水を送りました。

浄水池の上部は芝給水所公園として開放されています。

その隣にオランダ大使館と大使館公邸。

芝中学・高校の講堂。1966年竣工。清水建設一級建築事務所。
客席の下が空間として空いている大胆でユニークな形。ストリートビューで見ると2020年以前は白く塗装されていましたが今は赤っぽい。

神谷町の方に降りてきて高本製麺所。立ち食いうどん屋さん。豚うまネギうどん450円。食べログで2013年の写真を見ても450円変わらず。これはものすごいことです。

神谷町から愛宕方面にかけての寺社町。寺のマークは20個以上あります。

あまちゃんでアキが「おらアイドルになりでえ~~~~っ」と叫んだトンネル。トンネルの上は愛宕山。

愛宕神社の出世の階段。仕事の打ち合わせ場所がこの階段の上にあるNHK放送博物館の中だった時期があり、行く度にこの階段を上り下りしなければなりませんでした。
という話はここで23年前に同じことを書いていましたね。23年経っても文章って変わらない。けど、じじいになっておしゃべりになって文字数と写真が増えました。

そのNHK放送博物館。階段上りましたよ。

大河ドラマの歴史展をやっていました。左が篤姫の着物。右が八重の着物。どちらも懐かしい。
5km歩いて再び御成門に戻り。家のリフォーム工事の音とホコリから逃げるための午後散歩でした。
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芝公園から外苑前 首都高環状線の下

2024年05月11日 | TOKIO散歩
東京の主要道路をなるべく全部歩くという活動をしていて、どうしても地図上に線が引けずに残ってしまうのが首都高速。
高速の下に道路があればいいのですが、オリンピックのために急遽建設された首都高は川の上に建設せざるを得なかった部分が多く下に道がないことが多い。

赤羽橋から芝公園付近もそんなどうしても塗り潰せない場所の一つです。1960年代の首都高ってあまりにも低くて驚きます。

芝公園駅から将監橋まで下って橋を渡って首都高と平行に青山方向に行きます。
将監橋はしょうかんばしではなくてしょうげんばし。戦国武将岡田将監の屋敷に由来します。

芝周辺は都心部でありながらなぜか都市開発から逃れられた街並みが多く残っています。

何気ない交差点が実は首都高の出口だったりします。芝公園出口。信号すらなくて危なくないのかな。
2016年にここから酔っぱらった歩行者が誤って首都高に侵入してしまい本線に入る前にタクシーにはねられて死亡するという事故があったそうです。
学生時代から運転はしてきましたが、東名、中央、関越などの接続部分以外で首都高を運転したことがほとんどありません。なんか怖くて近づけなかった。

赤羽橋南を通過。

凝った形の庇がついたビル。こういうのを見るだけで「行けば何かある」と思ってしまうわけですがビルに興味がなければ「行っても何もない」となるわけです。
このビルは住友不動産麻布十番ビル。似たようなのを去年見ていました。内幸町の銀泉西新橋ビル。二方向とも派手庇をつけて邪悪さが増しています(笑)
予想した通り設計は同じ日建設計。もうこのタイプは他でやったらパクリって言われちゃうでしょうね。

中央環状線と2号線の分岐部分。2010年から古川の地下調節池を建設するために閉鎖された一の橋公園が、2023年6月に13年ぶりにリニューアルオープンしました。

川に向けて放出される水。古川の環境改善的なアレかと思ったら扱いとしては公園の噴水なんだそうです。虹~。

この前後でもユニークなビルの写真をいくつか撮りましたが割愛。

芸能人が大好きな麻布十番商店街。

麻布十番から外苑東通り。都道319号線。近年だと都が環状三号線という呼び方を広めようとしている風潮を感じます。

テレビ朝日。今期は多めにドラマを見ていますがテレ朝のはひとつもありません。

ニュースステーションでおなじみ毛利庭園。奥の六本木ヒルズから眺めたことは何度もありますが実際にその場所に立つのは初めてかも。

六本木ヒルズアリーナの屋根。屋根に貼られた幕が開閉します。

六本木トンネルに入る前にひとつ谷を越えています。

階段で谷へ降りたところ。「都立青山公園」の案内図がありました。

なぜこの場所に?と不思議だったのですが、青山公園南地区は2023年2月に拡張工事が完成して環状3号線の東側、国立美術館の前まで園が拡大していたのでした。
で、その拡大したエリアからヘリポートに沿って細い園路を通じて六本木側にこの新しい入り口が作られていました。(現在はまだ非公開)
以前、青山公園については公園協会のやる気のなさを非難めいて書きましたが、実はけっこうちゃんと活用しようとしていたようです。

米軍赤坂プレスセンターの前を通過。

かおたんラーメン前から青山霊園へ。最後は霊園を抜けて外苑まで約6.0km。90分のお散歩でした。

今回の散歩コース。
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八芳園

2024年04月30日 | TOKIO散歩

都内で日本庭園のきれいな結婚式場というと椿山荘、雅叙園、八芳園の3つが思い浮かびます。(大きなホテルは除く)
この中で椿山荘、雅叙園は馴染みがありますが八芳園は横は通りますが中まで入った記憶がない。
庭園美術館に行くことになったので少し早く行って新緑の回遊式庭園を歩いて来ましたが、本当にきれいでした。

お庭の入り口は苔の生えた小さな木戸門から。

数メートル進んだだけで濃厚な緑に包まれます。奥に見える十三層塔は伊賀から運んできたもの。

傾斜地の庭園の一番高い所にある園路に盆栽ロード。

こちら樹齢230年の黒松。ごりごりの樹皮の迫力がすごい。でも230年程度はここでは序の口。500年超えの大物もいくつもありました。

6階建ての本館から離れて庭園の脇に立つ白鳳館。

日本建築の粋を集めた建物ですが内部は現代風の設え。144畳の大広間の天井は鳳凰が飛び立つところをイメージして作られているそうです。

園内には眺めの良い要所に東屋があります。桜は終わって今はツツジがまだ見頃。

東屋の丸窓越しに見る新緑。都立9庭園をはじめ都内の庭園はかなり見ていますが、庭木手入れの完成度ではトップクラスに見えました。

一番低い所に池。見える全ての樹木の枝ぶりが華麗です。奥に見えるのが本館。

敷地は明治学院大学と隣り合わせです。境界となる部分には松の木の食い込んだ築地塀。
八芳園は薩摩藩、後に島津藩の江戸屋敷でした。この石垣も江戸時代のものでしょうか。

ウエディングドレスの撮影が行われていました。よくある前撮りかとも思ったのですが、それにしてはスタッフが多過ぎる?
もしかするとカタログや広告など商業用の撮影だったかも知れません。

ガーデンチャペル。別にキリスト教以外でも利用できるオリエンタルチャペルも入り口近くにありました。

滝の前の池には錦鯉。

時計回りにぐるーっと回遊して中庭に戻って来ました。
奥の高いのがパークハウス白金2丁目タワー、右の白いのがシェラトン都ホテル東京、左の茶色がヴィンテージマンション、ホーマットキャピタル。

初めての八芳園ですが庭園はコンパクトですが本当に素晴らしかった。
うちから三田線1本で行けて、駅近で、無料で、空いてて、きれい。周辺には他に見どころもいくらでもあるし。
こういう所は観光客に知られないように秘密にしておかねばならぬ。
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瑞穂町郷土資料館と瑞穂町役場

2024年04月25日 | TOKIO散歩

瑞穂町郷土資料館 けやき館。

都下の資料館は比較的気合が入ったものが多く見られますがこちら瑞穂町の資料館も人口3万人の町にしては立派過ぎるくらいでした。

まず吹き抜けロビーの衛星写真の巨大地図。住宅一軒一軒がはっきり分かる解像度の高さで、かつて自分が歩いて来た羽村、福生まで鳥になった気分で俯瞰できます。
こちらの資料館は2014年の開館と新しいので使用した衛星データのレベルが他館の同類の地図を圧倒している感じ。

常設の展示も瑞穂町の歴史や文化、自然をバランスよく見せています。

立体地図にプロジェクトマッピングで見せる瑞穂町の歴史も面白い。先月、東大和市立郷土博物館でも同じようなものを映像で見ましたがこっちの方が分かりやすい。
「緑の孤島」多摩丘陵の成り立ちや、高崎=八王子・青梅=江戸との交差点として栄えた町が昭和にできた福生基地で分断される様が特に興味深いです。

奥の企画展示室では近代制服図鑑展が開催中。毎日朝ドラのオープニングで寅子が来ている弁護士の法廷服が入り口に飾ってありました。

「制服図鑑」と聞くと、中年以上の日本人は女子高生の制服が並んでいる絵柄を最初に思い浮かべますが、展示されているのはそういうのではありませんでした。

郷土資料館と同じ敷地内にある耕心館。江戸後期の郷農の屋敷で、平成時代にはフランス料理の名店として使われましたが現在は瑞穂町の社会教育施設になっています。

構造材は江戸時代のものがそのままですが、内部はレストランになる際にぐっと洋風に作り変えられています。2階はコンサートなどイベントで使用。

1階はきれいな庭を眺めながら食事やお茶ができます。

そんなところで食事ができるとは知らなかったので耕心館の緑を見ながら持参したお弁当を食べました。

屋敷の持ち主は明治以降は醤油醸造業、養蚕業、製茶業、煉瓦製造業が営み繁栄しました。この煙突はレンガを製造する窯の煙突でした。

資料館からお散歩続けます。こちらはさやま花多来里の郷。カタクリの群生地を保存公開しています。

3月中旬から4月にかけて毎年20万株のカタクリが斜面一面に咲くらしいですが、さすがに終わっていました。

狭山丘陵の縁を往く。八重桜が見頃でした。

この階段を登るとジュンサイ池と呼ばれるきれいなところがあるのですが、登る元気はありませんでした。

最後の目的地は瑞穂町役場。2020年安井建築設計事務所。
筐体はごく普通のL字型の建物なんですが、L字の一辺の屋根の端をもう一辺に沿わせてダラーっと垂れ下げています。
垂れ屋根の傾斜に合わせて壁面に太陽電池パネルを縦長のルーバー状に張り付けています。
仕掛けが分かるとどうということもないのですが、最初に見た時には片側の建物にもう一方が食い込んで見えるような錯覚が生まれてびっくりします。

2階の高さにある部分は庇として機能するんですが、それより向こうに行くと高すぎてほとんど雨は除けてくれません。あくまでもデザインの産物です。

箱根ヶ崎駅に向かいます。駅の東400mほどの場所の二股は右が青梅街道、左が青梅街道ができる以前の古青梅街道。瑞穂町ないでもかつての道筋で残っている唯一の場所です。

箱根ヶ崎駅。昨年秋に新青梅街道を歩くためにここからスタートした時は反対側に降りたので建物の形が逆でした。
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