ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

江戸川区葛西 左近川を往く

2024年06月21日 | TOKIOの道と川

滅多に足を踏み入れない江戸川区の散歩です。スタートは東西線西葛西駅から。
江戸川区には11の鉄道駅があります。この数は都内23区で22位。ぶびー生です。1番多いのは大田区の40駅で少ないのが目黒区の8駅です。へ~意外。
江戸川区の11の駅は都営新宿線が4つ、総武線、東西線、京成本線が各2つ、京葉線が1つです。京成本線以外は三田線と乗り換えできるので板橋からわりと便利。

駅近くに野球場がありました。

地図上では南に向かう緑地のように見える細長い土地は1980年代から90年代にかけて埋め立て地に作られたアパート群の中央を通る遊歩道でした。
右の石畳風が歩道、左のアスファルトが自転車、植栽を挟んでその右に自動車道という編成。左近川までの1km程度ですが全ての人に快適で理想的な構成に見えました。
若干うねっているので川の跡かと思っていましたが、年代別写真を見ると1960年代までここが東京湾の海岸線でした。

パーゴラの影でくつろぐきょうのにゃんこ。

かもめ橋の上から見る新左近川。このカヌーのスラローム競技場がありました。

新左近川のこの一帯1kmが新左近川親水公園カヌー場として整備されています。
オープンしたのは2019年。東京オリンピックで葛西臨海公園隣接地にカヌー競技が開催されるのを受けて、区が「カヌーのまち」を目指して作りました。
大人1時間100円、スラローム1時間貸し切り420円、カヌーレンタル1時間50円、ロッカー10円など、昭和の碑文谷公園並みの安さでカヌーを楽しめるようです。

鉄塔があるとすぐに地図を見て送電線が地図にあるかどうか確認する癖がつきました。

海岸水門の遺構。かつてはこの場所が左近川の河口でした。写真右が左近川、左が葛西沖と呼ばれる豊かな漁場でした。
昭和47年から河口部が埋め立てられ水門としての役割を終えています。

埋め立て地に作られた荒川までが新左近川、水門より上流(東)が従来からの左近川と名前が変わります。
現在水門を越えて左近川沿いの「健康の道」と名付けられた遊歩道を歩いています。

環七と交差する左近川。1年前に葛西臨海公園から西新井まで環七を塗り潰した時の序盤でこの場所でほぼ同じ写真を撮っていました。
記憶力がほぼないと言われている私ですが、見た風景、写真を撮った時のアングルなどは何年もよく覚えていて自分でも驚くことが多いです。

江戸川区オリジナルのガードパイプを見ました。白い枠に水色がハイカラです。マークは車道から見た側が正しい向きでこれは逆向きです。

とりあえずも目的地であるなぎさ公園に到着。緩やかな傾斜地に牧場があります。
この辺りもたぶん埋め立て地なんだろうと思っていましたが、江戸川区の資料など見てみると旧江戸川河口に近いこの辺りはぎりぎり自然の地形のようでした。

極上と並んだ傾斜地に昨秋オープンした魔法の文学館。「魔女の宅急便」の著者であり、江戸川区にゆかりのある児童文学作家・角野栄子さんの文学館です。
建物内部など別途書きます。隈研吾建築都市設計事務所。

丘の一番高い所かは文学館のテラスになっています。旧江戸川の河口だったところが見渡せます。

魔法の文学館の見学を終えて外に出ると馬が草の上を転がって背中を掻いていました。
日差しは強かったですが暑くて深いという天気でもなく気持ちのいい散歩コースでした。

本日のコース。画像は2019年の衛星写真。

同じ場所での1960年の航空写真。歩き始めは当時の海岸線に沿う道を歩いていたことがわかります。
旧江戸川河口から荒川にかけてくっきりしたフチドリのような白い線が見えますが、これは戦前から昭和32年ころまでの工事で完成したコンクリート製の葛西海岸堤防です。
一部、堤防よりも外に土地がありますが、この部分は地盤沈下によって水没した民有地でした。葛西の歴史、いろいろと興味深いです。
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