ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

庭園美術館 A to Z展

2024年05月02日 | 美術館と博物館

久しぶりの庭園美術館。

青空の下、新緑に囲まれて憩う人たち。私もテーブルの一つを使ってサンドイッチを食べました。

美術館では「開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z展」が5月12日まで開催中。
普段の展覧会では、展示ケースや仮設の壁で見えなくなっている部分をすべてとっぱらい、素のままの旧朝香宮邸を見ようという企画です。

展示室として使わない部屋は通常は施錠されていますが、現在は見られ得る全ての部屋に立ち入って見ることができます。
正面玄関のラリックの脇にある第一応接も過去には入った記憶のない部屋です。
宮内省が設計し国内の高級洋家具店が制作した当時の調度品が見られます。

通常はカーペットで保護されている寄せ木張りの床も見どころ。
長い年月を経ているのに傷や汚れがほとんどなく、木材自体の収縮も極めて少ない。材質の高さがよく分かります。

素の建物だけでは足りないと考えたのか現代作家によるインスタレーションも各所に置かれています。

アンリ・ラパンの香水塔の足元にうっかり芽吹いてしまったような小さな葉っぱも作品の一つ。須田悦弘による木彫の作品です。

妃殿下寝室からベランダに出たところ。

2階書斎。アールデコ調のデスクは最下部にレールと車輪が埋め込まれていて360度回転するそうです。

若宮寝室。正面から見て玄関右側の円筒形に見える部分です。

3階に上がる階段。

ウィンターガーデンに上がるのは2回目。マルセル・ブロイヤーの深紅のガーデンセットは今日は仕舞われていました。

ウィンターガーデンから見る新館。レストラン部分の屋根の上に植栽が施されていたとは知りませんでした。

新館も引き続き旧朝香宮邸を読み解く A to Z展。超巨大な「間取り図」が素敵でした。

チケットは過去にこちらの職員をしていた友人からいただきました。いつもあざす。
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琵琶湖西南2024春④ミホミュージアム

2024年04月12日 | 美術館と博物館
信楽町でもうひとつ見たかったMIHO MUSEUM。信楽駅から車で15分ほど行った山中にあります。
公共交通機関だとJR石山駅から9時から13時まで1時間に1本直通バスが出ています。乗車時間は50分ほど。過去に行った美術館の中でも最も辺鄙な場所です。

大きな立体駐車場に車を停めてガラス張りのバスの待合室のモニターに「美術館まで歩いて10分」と表示されていたので驚いてしまいました。

駐車場から3分ほど歩くと石の門柱があってそこから美術館に繋がる桜並木の遊歩道が始まります。

やがてトンネルの入り口。トンネル前の紅白のシダレザクラはほぼ見ごろを迎えていて美しかった。

トンネルの中壁は光沢のあるパンチングメタルが間接照明に照らされてなかなかきれい。

トンネルの出口から。ワイヤーの向こうにようやく美術館本体が見えました。

巨大な彫刻作品のようなアーチとワイヤー。

橋の山側は斜めのアーチを主塔とする斜張橋。一番長いワイヤーは橋の下に伸びて、対岸から出たワイヤーと合わせて逆Vの中央でキングポストを支えます。
主桁自体は立体のトラス構造。一つの橋にたくさんの要素が混在しており土木学会の論文では「逆斜張ケーブルを持つ三角立体トラス斜張橋」と表現されていました。
駐車場から徒歩10分と聞いてがっかりしましたが、実際に来てみるとその10分は濃厚な建築と美術の体験の始まりでした。

橋の先の広場の先に美術館本体。ガラス屋根の入母屋ということですが、ここまでの演出と比較すると意外と地味な印象です。小さなお寺みたいじゃない?

ところが中に入るとアトリウムの向こうには雄大な景色が待っていました。二度目の圧縮と開放。

入口から北館、南館の二つの独立した展示室に分かれます。まずは北館。

北館が企画展で南館が常設コレクション展を展示しています。現在の特別展は「古代ガラス =輝く意匠と技法=」展。
古代エジプトからメソポタミア文明、、古代中国、ローマ帝国以降ササン朝ペルシャ時代まで3000年に亘る宝石としてのガラス作品が大量に見られます。

プリツカー賞建築家イオ・ミン・ペイの美術館もすごいのですが、所蔵品もそれに負けないくらいすごくて圧倒されました。

この美術館の母体は神慈秀明会という宗教団体です。熱海のMOA美術館の母体である世界救済教から独立した宗派ですが教祖としているのは同じ人です。
ミュージアムからさらに500mほど山奥に巨大な教団施設があって、それは美術館アトリウムからも頭だけ見えています。
この写真は美術館のスタッフに見せてもらった礼拝堂の写真ですが左のベルタワーはMIHO MUSEUMと同じくイオ・ミン・ペイによる設計です。
日本の至るところにある新興宗教団体の巨大で豪華な施設や所有する美術品を見るたびにどのような経済で成り立っているのか考えてしまいます。

南館の常設展示もすごかった。基本的に創始者である一人の女性が蒐集したものです。
2018年にはルイ・ヴィトンがあの橋の上でショーを行っています。世界的ブランドとカルトとの関係も実に不思議です。深追いはしないけど。

帰りも橋とトンネルを通って。行きに見た桜は帰りも素敵でした。
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群馬県立舘林美術館

2024年03月05日 | 美術館と博物館

それまで高崎の近代美術館しかなかった群馬県に2つ目の県立美術館として「自然と人間」をテーマに2001年にオープンした群馬県立舘林美術館。

多々良沼の低湿地帯の田んぼが広がっていた場所に県立多々良沼公園の整備と共にランドスケープデザインが進められました。
雑木林に繋がる川のように見える部分も美術館と共に建設された人工の池です。

館林市内からの交通手段は、伊勢崎線で一駅の多々良駅から徒歩20分、もしくは1時間に1本の循環バス。赤城おろしが吹きすさぶ田園地帯を20分歩いて行きました。

カスケードに沿ってアプローチへ。白い真っすぐな建物とカーブしたガラスの通路と右に見える赤いレンガの様な平べったい円柱と。
全体の構成がさっぱり分からないままワクワクしながら奥に進んでいきます。

太陽に反射して白く輝く建物は長さが177mありました。正方形の升目のデザインは明らかに磯崎新の群馬県立近代美術館のモチーフのオマージュです。

フロントでチケットを買ってロビーのガラス越しに歩いて来たところを振り返ります。

ロビーに建築模型がありました。ようやく全体の構成が理解できました。

ギャラリーと呼ばれる美しい円弧を描くガラス張りのアプローチで2~4展示室へ。
1月から4月まで「ヒューマンビーイング-藤野天光、北村西望から三輪途道のさわれる彫刻まで」を開催中。
三輪途道さんの作品は初めて見ましたが、そこら辺にいそうな普通の子供たちがまっすぐこちらを見ているリアルな像はインパクトがありました。
高崎の近代美術館が「近代」で舘林が「古典」なのかと思っていましたが、新しく生まれた美術館で20世紀以前の作品はほとんど所蔵していません。
なので、2つ目の近代美術館、もしくは現代美術館に近い立ち位置のようです。いずれにせよヒューマンビーイング展は大変面白かった。

芝生のベンチ越しに第一展示室を見る。芝生部分、ギャラリー、ロビー、この後紹介する別館までは無料で公開されています。

庭園部分も含めて設計は故が代表を務めた第一工房。
ブログでは初登場の設計事務所ですが東京都立中央図書館、東京電力電力館(現ニトリ) 、首都大学東京の南大沢キャンパスなどお馴染みの建物がたくさんありました。

ギャラリーの突き当りを外に出た雑木林の中に別館「彫刻家のアトリエ」があります。

つるんとした動物彫刻作品で知られるフランソワ・ポンポンの故郷のフランス、ブルゴーニュの納屋を模した建物にポンポンの晩年のアトリエが再現されています。

納屋もアトリエも実在の物をリアルに再現しているものではありませんが、周囲の散歩道と合わせてとても雰囲気の良い空間となっています。

別館を出て芝生広場から第一展示室を見る。

第一展示室ではさきほどリアルな像を見た三輪途道が失明した後も手の感触だけで製作したブロンズ作品が畳の上に展示されています。
ほぼ全ての作品を触って味わうことができます。コロナの時にはできなかった企画です。

ギャラリーの一部にレストラン。なかなか素敵な場所ですが私が食べたいのはこういう所じゃないんです。

バスの時間に合わなかったので館林駅に戻るためにタクシーに来てもらいました。国道から美術館まで800mの長さで桜並木が作られています。
舘林美術館に行くのなら4月の上旬が絶対にお勧めです。
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アドミュージアム東京

2024年02月14日 | 美術館と博物館

Panasonic汐留美術館でフランク・ロイド・ライト展を見た後、お隣のカレッタ汐留にある広告の博物館、アド・ミュージアムに行きました。

入口で白いカードをもらって、それに会場内を回りながらスタンプを押し重ねて行くと最後に作品が完成するという仕掛け。

江戸時代からの広告の変遷を辿ります。名作中の名作だけを集めているので見ているだけで楽しい。



昨年、掛川のアートハウスで見た資生堂の広告の歴史が素晴らしく面白かったのですが、それを全業種に広げて面白さも格別です。

入口から見えた雲形のオブジェみたいのは内側のモニターでテレビCMを鑑賞できます。

「プール、冷えてます」「不思議、大好き」「バザールでゴザール」「hungry?」などなど。
糸井重里の萬流コピー塾でコピーライターという職業があることが世間に知られて、トッププレイヤーは一気にスターになったあの頃。

けっこう広い場内ですが2階もあります。

2階は広告に関連する書籍や雑誌の資料室。館外貸し出しはできませんが自由に読むことができます。

昭和2年に刊行した広告ポスターの図案について研究する月刊誌。思っていたより早くからアカデミックな取り組みがあったんですね。

大正から昭和にかけて最も一般的だった広告媒体の一つ、マッチ箱。

真っ白だった紙が最後にはこうなりました。
入場無料。汐留に来たら一度立ち寄ってみてください。
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URまちとくらしのミュージアム

2024年02月08日 | 美術館と博物館

旧赤羽台団地に2023年9月にオープンしたURまちとくらしのミュージアム。ようやく見に行くことができました。
この建物は新たに建てたミュージアム棟。歴史的に価値の高い旧住宅公団の集合住宅を「空間標本」として内部に保存しています。
ガラスに周辺の建物が写り込んでいますが、よく見るとその奥にいくつかの団地が復元されているのが見えます。

ミュージアム棟を取り囲むように赤羽台団地41棟「板状階段室型」とスターハウス42、43、44棟が保存されています。
ブログで赤羽台団地を取り上げたのは2019年3月。前年に建築学会が保存の要望書を出していますが、たぶん壊されてしまうんだろうという予測下でブログを書いていました。
その4か月後に本当に有形文化財として登録されて驚きました。この時点で新しい情報発信施設が作られるとレポートしていますが予定通り4年後に完成しました。

前庭に置かれている彫刻のようなファニチャーは流政之によるもの。旧東鳩ヶ谷団地からの移設保存です。流政之は鳥取の東光園の作庭者として一度ブログに登場済み。

ミュージアム見学は一日3回の完全予約制。1回20人程度。無料です。直近は埋まっていることが多いのですが3週間ほど先なら予約できます。
1階のシアターを見てから4階に上がり、ガイドさんの案内で初期の団地の配置などの説明を聞いている所。

4階には日本初の本格的な鉄筋コンクリートの集合住宅である同潤会代官山アパートの単身用住戸と世帯用住戸が展示されています。

代官山アパート世帯住居。展示されているものの多くは昨年まで八王子にあった集合住宅歴史館から移設したものです。

左が代官山アパートの床構造。湿気対策でコルクに畳表を敷いていました。右はダストシューター。

蓮根団地。建物のベランダまで復元されています。

2DKという間取りはここから一般に定着していきました。間仕切りを兼ねた作り付けの家具。下半分は下駄箱になっています。

4階から見下ろす41棟と42棟。スターハウスは近年のカラリーングで塗装されていました。

前川國男の設計による公団初となる10階建て高層集合住宅、晴海高層アパートの模型。建物の前に円筒形にものが7本あることに注目。これの実物を最後に見ます。

晴海団地には1956年の建設当時としては珍しいエレベーターがありましたが、乗り降りできるのは10階の内の3,6,9階の3か所だけでした。
4階に行くにはエレベーターを3階で降りて専用の階段で一階分上る。8階に行くには9階で降りてひとつ下がるという方法。
同じ階で横移動ができる外廊下はエレベーターがある3,6,9階だけで他の階では隣の部屋に行くには一度廊下のある階まで行って上り下りする必要がありました。
今考えれば不合理極まりないような設計ですが、これによって外廊下のない階の住居スペースが広く取れるというメリットがありました。

ギャラリー棟には外廊下のある階の住戸と、ない階の住戸2戸が縦に保存されています。こちらは外廊下のある階の玄関部分。
廊下の幅は広く作られ、住民のコミュニケーションスペースという意味合いもありました。扉は引き戸になっています。上下3戸で利用する電話も設置されていました。
この上の階と下の階ではこのスペースも室内の一部として使われています。

晴海アパートのダイニングキッチン。壁が構造でなくブロックを積んだだけなのは必要に応じて間取りを変更するというメタボリズム思想によるもの。

配管が室内にむき出しなのもメタボリズムの一環。しかし食事中に真横をトイレの下水が流れる音がするというのはさすがに不評だったようです。
晴海高層アパートは1997年に解体されました。

その隣の多摩平団地テラスハウス。昭和30年代の郊外で庭付き2階建てのテラスハウスは人気でした。写真画面には入りませんがちゃんと2階建てで展示されています。

2階の展示室。集合住宅の時代ごとの変遷を年表や使用された住宅部品で振り返ります。

時代ごとのコンセントやブレーカー、ドアの錠前など美しく飾られています。

最後はこれまでUR都市機構が手掛けてきた都市再生、ニュータウン、震災復興支援などのまちづくりの事業を壁3面のスクリーンで一望して終わります。

赤羽駅から桜並木を歩いて、こちらが正面入り口。4年前から完成を楽しみにしていたミュージアムですが期待以上の施設で楽しめました。
ガイドツアーで2時間たっぷりかかります。いわゆる団地マニアでなくても充分面白いんじゃないかと思います。どうかな。

晴海高層アパートの模型前面に並んでいた円筒。
2階に行くにはエレベーターで3階に上がってひとつ下らならなかったのですが、さすがに面倒だということで2階専用の階段が後付けされました。
こんなものを実物大で展示しようと考えるURの人たちが一番の団地マニアのようでした。
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岡本太郎記念館

2024年01月30日 | 美術館と博物館
岡本太郎が1954年から没する1996年まで、42年間に亘り制作に打ち込んだ青山のアトリエ兼住居が1998年に記念館として公開されました。25年目にして漸くの初訪問。

南青山6丁目のお洒落な表通りから1本入った高級住宅地の一角。南国風の植物が茂る庭とお馴染みの作品たちを見ながら奥のエントランスへ。

足の形のドアハンドル。

右手入口入ってすぐの受付で入場料650円を支払って室内へ。室内では靴からスリッパに履き替えます。
中央の背の低い鉄のドアの向こうの旧館へ。

庭に面して応接、打ち合わせに使われていたサロン。

岡本太郎のマネキンはご本人がシリコンに埋まって作られた型から作ったもの。

北側に擦りガラスの入った主に絵画のアトリエ。

旧館から展示棟に戻って2階の展示室へ。

1962年、岡本太郎が制作した「メリーポール」と名付けられたアルミ製のツリーが池袋駅前に立てられました。大阪万博の8年前のことです。
仮設建造物の扱いだったので僅か一か月で取り壊されたそうです。実物の高さは16m。これは当時の写真を元に復元したミニチュア。

太陽の塔の内部模型。

腕の中ってこんな風に歩けるようになっていたんですね。

2つの展示室は吹き抜けの玄関ホールの上のブリッジで繋がれています。

井の頭線渋谷駅連絡口の上に飾られてる「明日の神話」の原画が何種類か展示されています。

太陽の塔のアイデアスケッチ。顔が多い!

南米のホテルのために制作した幅30mの巨大壁画と、大阪万博のための高さ70mのタワーが1967年からわずか3年の間で同時に完成しています。
自由奔放で芸術を爆発させていた奇人というイメージですが、人並外れた実務能力を持っていたことも証明されています。

巨大な作品の制作現場ともなった芝生の庭は今は南米の植物が生い茂っています。

2階のベランダから下を除く太陽の塔がキュート。

坂倉準三が設計した旧館と同じく、目の形の鉄骨の棟がそのまま屋根構造となる展示棟。
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林亮太展 5色で描く色鉛筆画のふしぎ

2023年11月06日 | 美術館と博物館
10月最終週に放送された新美の巨人たちで色鉛筆画家の林亮太さんのことを知りました。
現在西新宿の画廊で個展を開催中ということだったので散歩の帰りに見に行ってきました。

会場のアートビーンズ。間口一間の小さな画廊です。

壁の片側に20枚ほどの作品が飾られていました。見に来ている人は例外なく「美の巨人たちを見て」という人ばかり。

全ての絵が「撮影OK SNS掲載OK」

「写真のようにリアルな絵」という紹介もありましたが、この方の 場合はそれ以前に制作技法が極めて特殊です。
使用する色鉛筆は5本だけ。シアン、マゼンタ、イエローと黒と白。基本部分はCMYで決めてそれに黒と白でシャドウとハイライトをつけるという手法。

番組の公式Twitterから。
まず最初にシアンを塗って、マゼンタを塗って、イエローを塗って、これを2周してから白黒を入れたり、ブレンダーという無色のペンで表面を整えたり。
驚くべきは書き始めの最初からCMYの配分が脳内でほぼ出来上がっていること。
印刷では最初に原稿をスキャナーという装置でを使ってその中にある青成分、赤成分、黄成分を取りだしていきますが、それを人力で行っています。
私も長く印刷に関わってきたので、目の前の色のCMYの配分がある程度は分かりますが、この方が行っていることとはレベルが違います。
そしてその配分のに従って今度は白い紙の上に原色別に色を乗せていくというのですからあまりに特殊な技能です。

必ずしも印刷と同じではなく、例えばCの成分がある場所でも一度目の塗りの時には白のままで、一度MYを乗せてから改めて上からCを塗ったりもしている。
(上の例の桜の木の葉の影の部分などです)
印刷インキは網点で印刷されて、印刷する順番が変わっても出来上がりは同じようになりますが、色鉛筆だとかなり上になったの色の成分が強く見えます。
なのでCの上にYを塗るのと、Yの上にCを塗るのとで使い分けされています。影の部分などCMYの混色で書くか、黒の鉛筆に頼るかも異なります。
そうしていろいろな効果を考えながら出来上がった絵は、決して「写真のよう」ではなく現実と非現実の中間のような不思議な世界観が現れます。
三原色を重ねて色を組み立てていくとスーラの技法が思い浮かびますが、でも私はなぜかアンリ・ルソーの熱帯が連想されました。なんでかな。
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浜松市楽器博物館

2023年09月24日 | 美術館と博物館

楽器の街、浜松にある日本で唯一の公立の楽器博物館。アクトシティの1エリアとして1995年に開館しました。まもなく開館30年。やっと来ることができました。

「世界の楽器と音楽を平等に扱う」が博物館のコンセプト。2フロアある展示室はアジア、アセアニア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパとエリア分けされています。
入り口入ってすぐのミャンマーの巨大楽器セット。中に7人ほどが入って打楽器を中心に演奏します。中央の円筒形の中だけで20以上の太鼓が吊り下げられています。

アジアのコーナーだけでこんな感じ。全部で1,500点以上の楽器が常設展示されているのでいちいち見ていたら日がくれます。
今回は形だけ見て目についた写真をずらり並べますが、国や楽器名までいちいち記録もしなかったのでなぜ撮影したのかなど一言コメントだけ書いておきます。

青銅製の釣り鐘。入り口で無料!でイヤホンガイドを貸し出していて、展示の横の番号を押すと音を聞かせてくれます。

インドの擦弦楽器。内部に共鳴弦付き。弦に角度がほとんどついていないので単音で弾くのは難しそう。

トルコの楽器群。写真とは関係ありませんが、トルコの軍楽隊の音楽は向田邦子の「阿修羅のごとく」のおかげで我々世代の日本人には馴染みがあるものとなりました。

イランの2枚リード楽器ナルメナイ。リードの先にカバーが付けられているのが気になりました。原始的な楽器なのにそこだけ妙に神経質な感じで面白い。

アフガニスタンのラバーブ。フレット付きの撥弦楽器。胴が大きくくびれているので擦弦(弓でこする)なのかと思ったら弦ははじくだけでした。じゃあくびれ要らないじゃん。

インドネシアの円筒形の琴の一種。音を反射させる植物性の碗型が面白い。

モンゴルの2枚リードの管楽器。年代が書かれていないのですが右のにはクラリネット並みのキーが全ホールにあって面白い。

モンゴルの琴。琴柱(ことじ)の形を見てHISの「日本の人」のアルバムジャケットを思い出す人はそんなには多くないでしょう。

1階を半分見て地下に降りてきたところ。奥のハープの前にRさんがいた。私の方がはるかに時間がかかるので別行動して休憩時間にしてもらってました。

西洋楽器コーナーの弦楽器の部。バリトンとビオラ・ダモーレ。10代の頃からバロックは良く演奏していたのでこのあたりは馴染みがあるのですが。

こんな風に共鳴弦の周辺をじっくり見たことは少ないので面白かった。私はチューニングが嫌いなので共鳴弦がある楽器は弾きたくないです。

ストローヴィオル。1900年代初頭。電気的に音を拡声出来ない時代。バイオリンの駒から金属製の針をつけて振動版を震わせてホーンで大きな音を取りだすというもの。

クイントン。「1767パリ」と記載あります。なで肩の5弦ヴィオール属でガンバのようですがフレットはなし。左のは復元でヘッド部分が謎の形状。

18世紀後半。打弦鍵盤付イングリッシュ・ギター。白い鍵盤を押すと弦を叩いて音を出す仕組み。ギターですがハンマーダルシマーの仲間という事です。

この楽器のヘッド部分がさっきみたヴィオール属のクイントンの謎のヘッドと同じ構造でした。裏側も見たんですが特に何もなくて。どうやってチューニングしたのか謎です。

管楽器コーナーへ。こっちもカオスでした。17~19世紀のイングランドやベルギーの金管楽器。左と右のは胴は木製ですがそれでも金管楽器。
金管のマウスピースで吹く楽器でこんなにホールやキーの多い楽器は初めて知りました。

ホーンが7つある金管楽器。ヤマタノオロチ型もしくは武田丸@明和電機型。バルブがあるのだから1つのホーンで共用できるのにそうしないのが男らしい。

オカリナ発祥の地イタリアの名器。F管のようです。その後、日本の明田川氏が昭和20年代に半音階演奏の自由度を高める現代式12穴オカリナを開発、現在に繋がります。

リコーダー。中央のは18世紀フランスのダブルリコーダー。吹き口の位置と菅の全長は同じで、発音するエッジの位置をずらせたところが天才。

クラリネットコーナー。昔はとにかく管を折り曲げてコンパクトにするのが流行っていたようです。

19世紀の様々なキーのクラリネット。19世紀でこれならモーツァルトが五重奏を書いたころのクラリネットってどんなんだったんだろうか。

ピアノのコーナー。二重奏用のピアノ。下から3オクターブ付近まで行くとその右から再び低音に戻ります。低い弦が2台分張られているので相当ボディには強度が必要。
鍵盤のスプリットの境目になにも印がない。左の人が高い音のつもりでうっかり右の人の鍵盤をたたいてゴーンとか低い音が出て驚きそうです。

鍵盤コーナーもその進化や紆余曲折ぶりが沼でした。私は鍵盤楽器が弾けないのでここは高速でスルー。

昔のピアノには燭台が欠かせなかったんですね。

日本のコーナーにて。日本にも自然の小枝をそのまま使った琴柱があるようです。音の伝達素材としてはあまり期待できません。

滞在時間は1時間程度。この後石松餃子に並ばないと行けないので11時15分に博物館を出ました。
まだまだ見てない所もあるので3度目の浜松があればまた寄りたいところです。
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セゾン現代美術館

2023年08月12日 | 美術館と博物館

北軽井沢の宿から軽井沢駅までの送迎バスに乗って、途中の千ヶ滝温泉付近で運転手さんに声をかけて途中下車させてもらいました。ありがたや。

セゾン現代美術館はそこから徒歩7分ほど。
始めはこの寂しげな場所がメインの入り口だとは思えませんでしたが、よく見れば門扉や塀から鉄の作品が始まっています。

木々の中の小径を下って行くと庭園の中に川が流れていて、美術館にはこの鉄の橋(若林奮「五角形の鉄橋」)を渡って向かいます。
雨に濡れた鉄板に木立と空が映って晴れの日には見られない美しい眺めが見られました。

川からの傾斜の上に美術館。

建物の設計は菊竹清訓。ここ数年、旅行の行く先々で菊竹作品が旅の目玉となっています。
かなり大きな低層の建物ですが、自然との共生をコンセプトにしていて木々に囲まれた全体像は眺めることはできません。
東光園や萩市民館のような押しの強い建物を見た後ではどこが菊竹なのかと逆に特徴をさがしてしまう落ち着いた和の佇まい。

美術館の中は撮影できないので写真はここまで。巧みな空間構成で外の自然を感じつつ、回遊しやすい美術館になっていました。

4月から10月までの期間で開催されていたのが荒川修作+マドリン・ギンズ《意味のメカニズム》展。あの三鷹天命反転住宅を設計した二人です。
《意味のメカニズム》は二人の代表作と言われているもので高さ2mの大型パネル81枚にステンシルによる文字と様々な素材で意味についての考察が表現されています。
正直なところ「《意味のメカニズム》の意味」はほとんど理解できないのですが、プレゼンテーションとして作られたパネルは一つ一つが美術品としても面白い物です。
上の写真は2階に上がるスロープの途中にある唯一の撮影可能な場所だったのですが、飾るべき作品はこれじゃないだろ~と思いました。
常設の展示もなかなかの物で、特にジャン・ティンゲリー《地獄の首都 No.1》という機械仕掛けで音が出る巨大な作品は面白かった。

彫刻作品が展示されている庭園へ。これだけでも1枚の絵のようです。

庭にもうひとつ若林奮の鉄の橋がありました。

森の中の庭園美術館ということでポーラ美術館と似ているところも多いです。

他の作品とはちょっと異質なこの雰囲気。篠田守男の「コール・マイン TC5102」という作品です。
篠田守男は明和電機の土佐信道社長が筑波大学大学院芸術研究科の学生だった頃の指導教官で、以前不思議な浮遊する金属加工作品を見ています。
この作品もTension and Compressionのシリーズですから中央部分が浮いているはずなのですが、展示角度と距離のせいで仕掛けがよく分かりませんでした。

この日はご覧のお天気でしたが、いい感じの霧も出ていて森の中の彫刻作品がとても幻想的に見えました。

美術館併設のカフェ・ヤマアラシでお昼を食べて、最後にもう一度館内を一周して帰りました。午前中ここだけで終ってしまいましたがとても満足です。
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「知られざる文具アートの世界」展

2023年05月08日 | 美術館と博物館

日本橋高島屋で5月8日(今日か!)まで開催中の「知られざる文具アートの世界」展を見てきました。

1本の鉛筆の芯から削り出して40ピースのチェーン状に仕上げたもの。
昔からある日本料理の「輪違い大根」の技術を使ったものですが細かさ、仕上がりの美しさが尋常でない。

北斎の赤富士をマスキングテープで再現した物。

裾野部分の拡大。技法的にはちぎり絵そのものなんですが、テープの絵柄選択と貼り方が素晴らしい。

ホチキスの針を組み上げたオブジェ。

大量の色鉛筆を束ねて樹脂で一塊に固めてから削り出した燭台。これと同じ手法でギターを製作する動画をかなり前に見たことがあります。あった、これこれ

黄土色のドレス。ボレロ付き。

材料は輪ゴムです。輪ゴムを長く繋いだことはありますが、あれを左右にも展開するとこういうことができるのか。
途方もない時間がかかると思いますが、芸術家と言うのは単純な作業を永遠に繰り返せるものなのでしょう。その繰り返しの重さが人に感動を与えます。

新聞紙でできたドレスやジャケット。

セロテープでできた馬。

段ボールの腕時計。実物大ではなくて文字盤部分の直径が20cmくらいです。

段ボールのジープ。

「知られざる文房具アート」という展覧会ですが、複数の作家さんはSNSで見てフォローしていたので「知っている文房具アート」でした。
段ボールアートの大野萌菜美さんなども作品の制作過程を随時アップしているのでジープのタイヤを作るところなどもずっと見ていました。
鉛筆の芯の彫刻もよく見ていた作品でしたが、やはり現物が目の前にあるのと画像を見るのとでは印象がまるで違います。

そんなに混んでいないのですごく近くからじっくり見ることができました。

ハンコで描いたベートーヴェン。

「ふうふむ」というハンコでできています。なんでベートーヴェンがふむふむだったのかな。
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原宿デザインフェスタギャラリー

2023年02月13日 | 美術館と博物館

原宿竹下通りから明治通りを越えた住宅地の中で黄色の鉄パイプが何かを主張している建物。

この中に大小様々なサイズの20を超える展示室があって、一日数千円からのコストで誰でもアート作品を展示することができます。
数年前から注目している一人の若い油絵作家の2度目の個展を見に来ました。

小さな部屋に20枚程度の油絵が展示されたささやかな個展でしたが、今回もなかなか面白かった。
2年前の初の個展では食べ物を中心とした静物画中心でしたが、今回は恋人の日常を独特のタッチで描いた絵が20枚ほど並んでいます。

光や質感の表現が巧み。対象物への深い愛情も表現されているのですが、それでいてどこか現実の世界と少し乖離しているような不思議な空気感を感じます。

ちなみにこちらが2021年に新宿で行われた個展の写真ですが、この中から1枚絵を購入していました。

現在の私のデスク周りの写真。買った絵がひっそりと飾られています。

うさぎの絵でした。作者はまだ20代前半なのですがこれからどんな風に変わっていくのか変わらないのか楽しみに遠くで見守っていたいと思っています。
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新宿御苑ミュージアム

2023年01月30日 | 美術館と博物館

日本中が10年に一度の寒波に覆われて凍り付いた日。新宿駅東南口から新宿御苑までのわずかな距離でも歩いていると顔や手が痛くなるほどでした。でも子供は元気。
新宿御苑は昨年から交通系ICカードで入苑できるようになりました。便利。もっといろんな施設もそうなって欲しい。紅葉の季節の六義園とか。

2022年12月3日に開館した新宿御苑ミュージアムを見に来ました。場所は玉藻池を見下ろす大木戸休憩所の並び。少し鬱蒼した木々のあった一角を切り開きました。

建物は長さ35mほどの切妻。池側のこちらが裏側に当たります。屋根には太陽光発電用のパネルがびっしり。

妻側は全面ガラスウォールで中央がくの字に飛び出した形。

温室に面した側面中央に入り口があります。左側の木目の部分が自動ドアなんですが入口に何も表示がないのでちょっとまごつきます。

中は木の香りにあふれる明るい空間でした。集成材を多用していますが見る限りでは木造の平屋建て。

西北西向きのガラスウォール。桜と芝生に面していて気持ちが良い。夕方にはがっつり西日が入りそうですが、それを防ぐスクリーンはあるのかな。あるだろう。

屋根部分の構造が変わっていました。太い集成材の斜め梁から垂直に短い横棒が6本出ていて、細い垂木がそれに乗っている。通常の母屋にあたるものがありません。
縦・横・縦・横と木材が重なって屋根を支えているのがまるで大きな斗供のようにも見えます。
設計は宇建築設計事務所。2013年に千葉大出身の森雅氏と岡本治子氏が設立した事務所です。サイトにはこの屋根のことを「格子梁による屋根架構」と書かれていました。

メイン展示室は8台のマルチプロジェクターが新宿御苑の歴史を投影します。手前の入り口から見る人が映像を追いながら徐々に出口に近づいていく方法。

その奥の展示室。丸いテーブルの上に手をかざす手でポインタを移動させてみたい映像を選ぶ仕組み。非接触型なのが今どき風。

苑内にある20種ほどの桜のサンプルがアクリルのキューブで展示されています。手に取って表裏じっくり見られて面白い。

実現はしませんでしたが、明治時代に立てられた計画では西洋式庭園に向かってルネサンス様式の2階建ての宮殿が建つ予定でした。
外苑西通り側の門から馬車に乗ってバラ園を回り込んで宮殿に近づいていくというCG映像が見られます。

大きなガラス窓に面して休憩所。背後の格子の向こうはトイレです。御苑内の無料の休憩施設としてはおそらく唯一の室内休憩所。快適な場所なので覚えておきましょう。

新宿御苑が所蔵する膨大な資料を閲覧できるデジタルアーカイブ。明治期の日誌などかなりの文書がアーカイブされています。
コンパクトなミュージアムですが充分面白い。御苑に行く機会があれば、ここで一通りの歴史を学びつつ一休みしてください。

ミュージアムを出て気温0度近い苑内を散策。池は凍っています。

最近どこに行っても外国人観光客が少しずつ戻ってきているのを感じます。

今日のもう一つの目的はここ。環状5ノ1号線を歩いたときに外から御苑を眺めた場所を中から見ること。この辺りが道路が一番高くなっている場所です。

珍しいこの植生を護るために片側の車線が地下に埋められたという。

歩いているうちにお昼近くになりました。みんな大好きスターバックスは今日も盛況です。でも私は入りません。

極寒のベンチで食べる熱々のシーフードヌードルが美味しい。3分待ってフタを剥がして大量の湯気に包まれた時が幸せでした。寒さでお箸をちゃんと持てなかった。
いつ来ても御苑は楽しいです。次はお花見に行こう。
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区制90周年特別展「豊島大博覧会」

2023年01月15日 | 美術館と博物館

東京23区の歴史資料館的な施設は半分以上は訪問済みです。豊島区の資料館は専用の建物もなく見てきた中では最も地味な施設でした。(展示は悪くない)
そのマイナーな資料館が昨年秋から珍しく派手なポスターをあちこちに貼って、ビッグな展示をしているようなのでちょっと覗いて来ました。

常設展示の戦後闇市ジオラマはどこを切り取って見ても生き生きとした人々の営みが見えて飽きずに見ていられます。

戦前~戦後に複数の芸術家村が存在した豊島区。ゆかりの画家たちの作品が多く張り出されていたのですが、展示の仕方がちょっと変わっていました。
掲示されているひとつひとつの絵には作者や作品名のプレートがついていなくて、

ここにまとめて箇条書きに書いてある。限られた壁面に可能な限りたくさんの作品を掲示するために止む無くこうなったのかもしれません。
ここのように常に見学者が数人しかいない施設ならなんとかなりますが、混んでいる展覧会ではこの方式は人が一か所に集中して厳しいでしょうね。

以前来た時には展示室は小さな一部屋でしたが、その奥の企画展示用のもう一部屋も使っていました。それでもあの豊島区の資料館としては小さいですけど。

昭和30年代の池袋西口のジオラマ。現在の芸術劇場前の広場と東武デパートの間の区画のようです。

昭和40年代の池袋区役所周辺。左が区役所で中央が豊島公会堂。現在区役所部分はハレザタワーに、公会堂はブリリアホールに変わりました。
ジオラマの説明を見ると制作者はなんと!山本高樹さんでした。朝ドラの梅ちゃん先生のタイトルバックのジオラマを制作した人です。

これは愛宕の放送博物館に展示されていた梅ちゃん先生のジオラマ。こちらが本来の作風ですのでビルの建築模型のような無機質なお仕事は珍しいです。

そして同じ場所の現在のジオラマ。かなりの規模の再開発でしたが区割りは一切変わっていません。

2015年に撮影した取り壊し直前の旧豊島区役所の写真です。たった7年で町は簡単に変わってしまいます。

展示室ではなくトイレの前の廊下まで企画展御スペースとして活用していました。
IKEBUSをデザインした水戸岡鋭治さんが制作したイケちゃんランド。今回、かなり有名どころに展示制作を依頼していて、豊島区なりの気合を感じます。

そして未来の池袋の構想模型。とりあえず東武側に何本かの高層ビルを建てたいようです。渋谷がそろそろ終盤で、現在新宿がやり始めたところ。その後ということになるのかな。
どっちにしても私が池袋の再開発の完成を見ることはたぶんないんじゃないかと思います。

サンシャイン側の駅前。現在明治通りが駅前を通過していますが、この模型を見ると完全にその通行を遮断するようです。
池袋駅東口駅前広場(クルドサック)という文字が見えます。このやり方は上野駅公園口の駅前と同じです。上野では特にクルドサックなんて言ってなかったけど。

渋谷の再開発はある程度興味を持って見守っていましたが、これほどあちこちで盛大にやられると正直うんざりします。そんなに一気に変えようとしないで。
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樫尾俊雄発明記念館

2022年11月02日 | 美術館と博物館
昭和32年にカシオ計算機を創業した樫尾家の四兄弟のうち主に開発を担当したのが次男の樫尾俊雄です。
会社の基礎となった世界初の小型純機械式計算機「14-A」を始め生涯を通じて計算機、時計、楽器などの分野で数々の発明品を世に送り出して来ました。
2012年に87歳で没した後に、その住まいであった成城の自宅の一部分を「樫尾俊雄発明記念館」として公開しています。
個人的にカシオの製品は馴染みがありましたし、成城の豪邸の内部を見られるという両面で強く興味を惹かれる施設でした。

成城学園前駅から西に15分ほど行ったところ。野川に面した国分寺崖線の際にその建物はありました。
崖部分を含めて800坪を越える敷地のうち、約300坪分の住居回りを除く庭園部分は「発明の森市民緑地」公園として公開されています。

こちらが樫尾俊雄邸の母屋の玄関部分。ドーマー窓風の小屋根はステンドグラスを配した玄関の明かり取り窓。

発明記念館はネットからの完全予約制です。指定の時刻にチャイムを鳴らして中に入れてもらいます。
公開は週に火曜~金曜の4日。一日に午前と午後の二組だけなので、申し込めるのはだいたい一か月後です。(ちなみに現時点だと最短で11月30日)

玄関内部。私は一人で申し込んだので案内をしてくれる方と私のマンツーマンです。
誰に遠慮することなく質問できるので非常に快適。この玄関周りの造作と邸宅の話だけでこの場所で30分も話してしまいました。

玄関に置かれている建築模型。右側半分が母屋で昭和47年に竣工。ターコイズブルーの屋根の六角形はクオーツ時計の水晶の形なんだとか。(諸説あり)
左側の人工芝の屋上部分がご家族のための増築棟。増築棟の左側が急峻な崖地で下ったその少し先が野川です。

見学はお住まいだった部屋をそのまま活かして展示される5つのコーナーを番号の順に回ります。

「発明の部屋」の、というよりこの記念館のメインの展示物、世界初の小型純機械式計算機「14-A」。1957(昭和32)年。
歯車式計算機の時代に俊雄が発明した341個のリレーで動く計算機は世界的に見ても群を抜く性能でした。

14-Aは国立科学博物館やアメリカのスミソニアン博物館にも収蔵されていますが、ここの個体は現在でも完全に動作するよう調整されています。
一般向けの計算機で、数字の入力をテンキーでできるようにしたのも初。(それまでの計算機は桁ごとに0~9まで10個のボタンを並べていた)
まだ数字を表現するデバイスがなかったので、計算結果は桁ごとに数字を光らせて表しました。

14-Aのキーデバイス「リレー」。計算中の音も小さな「シャカシャカ」というくらいで静かです。

科学技術計算機の元祖、AL-1。1962年。個体歯車式の「プログラム」を差し替えることで様々な科学計算ができました。

CASIOの基盤となった電子卓上計算機が並ぶ「数の部屋」の展示。
左の1967年のAL-1000が右のAS-8(1971)の大きさになるまでわずか4年です。集積回路の急激な進化によるもの。

そしてその翌年1972年。1台1万円の価格で、一人が一台の電卓を持つことを当たり前にしたカシオミニが発売されます。
発売10か月で100万台売れたそうです。そういえばこの邸宅が竣工したのもその年でした。儲かったんですね。

母屋の展示室から見る増築棟の屋上。樹がこんなに大きくなる前は余裕で富士山が見えたそうです。

楽器の部屋。俊雄は音楽にも関心が深かったようで奥の電子楽器類の開発にも積極的に取り組みました。
1980年代のデジタルシンセ発展期にYAMAHA、KORG、Rolandと並んで(実際は並ぶというよりちょっと下)にCASIOのCZシリーズがありました。
デジタルギターやデジタルホンなどプロ用と言うより誰でも気軽に演奏を楽しめるためという目的が顕著だったので、楽器玩具に近い商品が目立ちました。
アイデアも機能も素晴らしかったのにその分プロの使用は少なかったという印象です。
1986年に発売された小型のサンプリングキーボードSK-1は16,000円という低価格で大ヒットしました。私が初めて買った電子楽器がCASIO SK-1でした。

「時の部屋」の腕時計の展示。世界初のオートカレンダー機能から、電卓、住所録、万歩計、方位、気圧計など次々と腕時計に機能を追加行きます。
展示を見ながら、「この時代にここまで思いついて、どうしてそこからスマートフォンを発明できなかったか」と思ってしまいました。

見学コースの最後は俊雄の発明のための書斎だった部屋。アキュフェーズを中心にした立派なオーディオ装置がありました。
13時に入館してここまでマンツーマンでほぼ2時間かかりました。(随所でビデオなどを見ている時間も含む)
見学に行かれる方はある程度時間に余裕をもって行かれることをお勧めします。

最後は邸宅の庭だった「発明の杜市民緑地」へ。さっき見ていた展示室を外から眺めます。

庭園の一部である崖線を下りて下から見上げる旧樫尾邸。喜多見駅から来るならこちらから入る方が近いです。
とても面白かった樫尾俊雄発明記念館。とても書ききれない数々の逸話から、一人の天才の姿を充分に想像することができる施設です。
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【低解像度版】イッタラ展と万華鏡展

2022年10月02日 | 美術館と博物館

今回も手違いによるちいちゃな写真でお届けします。がっかりその2。
つや子にもらった株主優待チケットを持って渋谷へ。東急本店は来年1月いっぱいで営業を終了して取り壊されます。
そしてその場所にできるのが地上36階、高さ156mの高層ビル。また渋谷に高層ビルが増えるのか。竣工は2027年。私の年齢で67歳。元気にしてるかな、私。

ザ・ミュージアムで始まったイッタラ展を見に来ました。

入り口入ってすぐの写真撮ってもいいですよスペースその1。

アルヴァ・アアルトのアアルト・ベース。これが吹きガラスでできていると製作風景の動画を見て驚きました。
30cmくらいの大きなものも人間が全力で息で吹いて木型の中で成型して最後に吹き口側をざっくりカット。ひとつひとつが職人の作品です。

食器ブランドなんて知らなかった私にイッタラはじめ、北欧食器のことを教えてくれたのはインテリアと雑貨好きな会社の後輩女子でした。
どういうのがおしゃれでテーブルが映えるかをいろいろ聞かされて、最初はアラビアのAVEC24のお皿、そこから少しづつイッタラの商品を使うようになりました。
毎朝のコーヒーカップやパン皿、サラダボウル、ガラス皿や小鉢などいくつかのイッタラ製品を楽しんで使っています。

写真撮ってもいいですよスペースその2。ガラスのバードのシリーズ。夫婦とも置物を飾る趣味がないので全く無縁です。

イッタラの歴史や哲学、多くの専属デザイナーのことを知ってやっぱりイッタラはよいなーと思いました。
ニトリのよりだいぶ高価ですが手が庶民で出ないほどでもない。ただ、最近は和食器以外は要らなくなったので新しいものは買っていません。


ザ・ミュージアムを出て帰ろうとしたら向かいのギャラリーが賑わっていたので興味本位で覗きに行きました。

開催されていたのは万華鏡展。

筒の中にガラスが三角に向かい合って置かれていてその先に色とりどりの小さな破片があってそれを除いてくるくる回して見る。
というのが万華鏡だと思っていたのですが。

万華鏡の沼に制作者たちは独自の世界観と技術で万華鏡を思わぬ方向に進化させていたのでした。

美しいガラスのゴジラも万華鏡です。

お腹の部分に円筒が埋め込まれていて、背びれから覗き込んでこの円筒をくるくる回して見ます。
鎌倉にある専門店のスタッフが素人の私に万華鏡のいろいろをレクチャーしてくれたので短い時間でしたがかなり技術的な部分への理解が広がりました。
面白かった。残念ながら9月27日で終わってしまいましたが。

仕事で日々往復したセンター街の一本裏の道。4年間でずいぶん変わってしまった区画もあれば以前のままの場所もあり。
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