ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

香川県・小豆島から瀬戸大橋

2024年05月31日 | たびたび旅

小豆島古江の民宿で4時半に起床。別に旅行中に限らず4時半にはたいてい目が覚めてしまう還暦夫婦。
日の出の時間を調べたら30分後と分かったので見に行くことに。碁石山の半島を越えて東が見渡せる海まで車で10分。小さな岬の先に播磨灘を見渡せる展望台がありました。
頭上には薄い雲がありましたが日の出方向はばっちり抜けていて真っ赤な日の出を拝むことができました。

朝5時の小さな港町。どんな暮らしをしているのかな。

田植えが終わった田んぼ。高齢化の進むでは米と麦の二毛作などが進められています。朝日を見た海岸はあの山の向こう。

こちらも醤油蔵。

民宿の近くの坂手港へ。この港からも高松行のフェリーが出ていますが土庄港より本数がぐっと少なくなります。
岡山、香川の瀬戸内海に面した町と瀬戸内の島では3年に1度瀬戸内国際芸術祭が開催されている関係で島のあちこちにアート作品が残されています。
この壁画は2013年の第2回で製作された「小豆島縁起絵巻」という作品。港の待合所の四方の壁に細密な絵が描かれています。

その先にはヤノベケンジの彫刻作品が。タイトルは「スター・アンガー」。そういえばさっきの壁画もヤノベケンジのキャラクターが描かれています。ドラゴンの鼻先に鷹?
後で調べたら車で2分の場所にビートたけしとの共作になるアンガー・フロム・ザ・ボトムもあったそうです。見たかった。

坂手港でまだ5時半。8時の朝食までまだ2時間あったので田浦の半島の先にある「二十四の瞳映画村」まで行きました。
1987年に田中裕子主演で製作された映画のオープンセットを活用したテーマパークですが、その後も映画、ドラマ、CMのロケ地としてレトロな空間が使われています。

民宿に戻って朝食を食べ8時半にチェックアウト。帰りのフェリーまでの時間で昨日も行ったエンジェルロードにもう一度寄りました。
昨日、砂の道を見たのでそれが水没しているところを見たかったのですが、この時も砂の道はありました。潮見表を見ると一日の内半分は見られるのでした。ありがたみ薄。
ちなみにラベンダー色の衣装の女性は周りに誰もいない所でひたすら踊り続けていて、近くにいた関西弁のおばちゃんに大丈夫かと心配されていました。
しばらくすると、男性が出てきて、実はかなり遠くから望遠レンズで撮影し続けていたことがわかりました。

22軒の醤油蔵の商品はどのくらい島内で流通しているのか知りたかった。民宿のお母さんは「うちはずっとマルキン」と言っていました。
でも近くのセブンイレブンにはキッコーマンとヤマサしか置いてありません。それで土庄港の近くの大きなスーパーのお醤油売り場へ行ってみたらあるある。
家で使う用にマルキンの醤油と、ヤマロク醤油の再仕込み醤油「鶴醤」、それといりこ出汁のつゆの素を買いました。お土産は地元スーパーに限る。
帰った翌日に豆腐、豚肉、野菜を鶴醤だけで食べる夕食にしました。見かけは色が濃いのですが、味はさっぱりしてて強いコク。美味しかったです。

11時20分、フェリーで高松港へ。12年前に直島からの船で見た風景が蘇りました。

そこから帰りの徳島空港とは反対方向に45分走って東山魁夷せとうち美術館へ。今回もいろいろ諦めた旅でしたが、谷口吉生のこの作品ははずせません。

スレートで覆われた2枚の壁に挟まれた空間が展示室というシンプルな構成。奥に見えているのは瀬戸大橋。いかにも谷口吉生という端正でストイックな建築でした。
ちょっと驚いたのは展示されている東山魁夷の作品のほぼ全部が複製(版画、リトグラフ、その他最新の印刷技術による)だったことでした。
私ごときに肉眼で原画と複製の区別がつくわけでもないのですが、肉筆じゃないんだ!と思ってしまったのは事実です。

美術館のカフェ。まさに絶景。軽食でも食べるつもりでしたがお菓子しかなかったのでショートケーキを食べて空港までもたせることに。

美術館と同じく瀬戸大橋記念公園にある瀬戸大橋タワー。ドーナツ型の座席が105mの高さまで上がる回転式展望台です。

約5分で最上部まで。ここでゆっくりと3回転します。次は絶対に瀬戸大橋を電車で渡って来ようということになりました。

こちらは香川県内陸側。海中に建つ主塔とワイヤーもすごいのですが、個人的には重量感ある陸上の橋脚に惹かれます。右下にさっき見た東山魁夷せとうち美術館。

瀬戸大橋記念館。1988年に瀬戸大橋竣工記念で開催された瀬戸大橋架橋記念博覧会のパヴィリオンを展示施設として活用したものです。

設計は香川県建築課の山本忠司。昨日見た香川県庁本館・東棟の実務設計を公務員として指揮をしたことでも知られます。この記念館は建築家として独立後の作品です。
大きな本体キューブの周囲に4つの小キューブがあって、それぞれの屋上部分が階段で繋がれているデザイン。バブリーポストモダンの名作でした。

階段を登り継いで最上部の展望台から見た記念公園。

外観もすごいのですが、内部もこだわりの造形です。この休憩所部分もコンクリート打ちっぱなしですが、この型枠をきっちり作るのは大変だったろうな。

無料で公開されているとは思えない様々な施設と仕掛けのある瀬戸大橋記念公園。

瀬戸大橋の下から車で約100km。ひたすら高速を走って90分で徳島空港に帰って来ました。
時刻は16時。お昼を食べ損ねていたのですごく空腹でした。串カツ、肉すい、追加で唐揚げ。ハイボールと缶ビール。

〆にラーメン。徳島ラーメンは社会人の頃、早稲田のうだつ食堂で何度か食べていましたが、それとはかなり別物でした。
早稲田のは上の肉の甘辛さが全体を支配していますが、こちらのはあくまでも豚骨スープと面が主役の感じ。甘辛はアクセントです。美味しかった。

以上で徳島~香川旅行終了。三日で書き切ったぞ。総走行距離は450kmでした。今回も何度か危険なことはありましたがなんとか無事に帰れてよかった。

2018年にyamapで記録し始めてから初の四国上陸でした。
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徳島県 かずら橋から香川県小豆島

2024年05月30日 | たびたび旅

祖谷ホテルの朝食。和か洋か選べてこちらは洋です。パン美味しかったのに昨夜の夕食がまだ響いて全部食べられず残念。

二度目の露天風呂。帰りにケーブルカーが去っていくタイミングだったので上り5分、下り5分の合計10分以上待って、また5分かけて上に戻ります。

今回も一週間前の天気予報では雨マークありだったのですが結局最後まで晴れていました。これ、毎回旅行の度に同じこと書いています。ありがたいことです。
時間の関係で行きたいのに行けなかった伝建地区、東祖谷山村落合集落。ドライブ中に似たような風景があったのでそこの写真を撮って満足することにしました。
写真に写っている緑の日産デイズに三日間お世話になりました。軽自動車ですが学生時代に乗っていた1600ccの車と遜色ない走りでした。

祖谷のかずら橋へ。2018年のクルーズ旅行で高知港に停泊してオプショナルツアーでやって来たのが祖谷のかずら橋と大歩危、小歩危でした。
一度行ってるからもういいかなーという考えもあったのですが、やっぱりもう一度行って薄れかけた記憶に上書きすることにしました。結果、行って良かった。

6年前は高所恐怖症の私の方が渡るのがタイヘンだったのですが、今回私はわりと平気で、は足元の感覚が以前と変わっているRさんの方がおそるおそる渡りました。

6年前も同じアングルで写真を撮りました。見比べると二人ともちょっと大人になったね。

川原にも降りました。ここは初めて。その横にある琵琶の滝も初めて。前回は渋滞と行列でゆっくりしている時間がなかったのです。

車で90分。香川県観音寺市にある銭形砂絵を見る展望台へ。 直径122mの巨大な寛永通宝の砂のオブジェなんですが、お天気良すぎて陰影なくてよく分かりませんね。
江戸時代初期に生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたんだそうです。400年近くずっと存在してるって本当なのかな。
銭形平次のオープニングで1:00あたりから砂絵の中でチャンバラをやって最後に砂絵全体が大写しになるのを覚えている人はそこそこの高齢者です。

山頂へは車で登れて、上に20台近く停められる駐車場もあります。

砂絵の真横。絵柄を作っている土手の高さは1.5mくらい。春と秋の年に2回、400人のボランティアが砂絵を修復しているそうです。2回でいいんだ。

観音寺市から高速に乗って高松へ。丹下健三の設計で1958年に竣工した香川県庁旧本館と東館。
2021年に戦後の庁舎建築として初めて重要文化財に選定されました。前年に重文指定を受けた国立競技場代々木第一体育館と2年連続でということになります。

コルビジュエのフォーマットに従った巨大なピロティ。こういう部分の天井に木材が見えるのが意外でした。

建物だけでなく庁舎内に設置している猪熊弦一郎の壁画、剣持勇の椅子などの家具類など計57点も重要文化財の附に指定されたのはかなり珍しいことです。
今回、休日でドアは閉まっていたので外観しか見られませんでしたが、写真で見るのとはまったく違う強い存在感は充分に伝わりました。

香川県庁から高松港へ到着した途端に、数分後に出るフェリーに乗船できると言われて慌てふためいて手続き。すぐに出航となりました。

車でフェリーに乗るのは人生2度目。瀬戸内海の島を眺めながら1時間のクルーズでした。

初めて見る小豆島。ブログを書きながら、12年前に訪れた直島、犬島との位置関係をようやく理解しました。(2012年には地理という概念を持っていませんでした)

土庄港で小豆島に上陸して最初に向かったのがエンジェルロードと呼ばれる砂洲。一日に2回、干潮時のみ現れる砂の道です。
潮見表では水没している時間はずのでしたが、行ってみると道がありました。あれ?

エンジェルロードの付け根付近にあった巨大なゴルフボール。土台となる塔の部分も見れば見るほど樹脂製のティーのようです。
間違いなくゴルフボールの形をしたオブジェか何かと思っていましたが、実際はムーンタワーと呼ばれるアート作品で、ゴルフは関係ないようです。
球体の表面がハニカムLEDディスプレイになっていて、夜になると球体スクリーンに映像が映されます。

続いて訪ねたのが「迷路の町」と呼ばれる入り組んだ細い路地が集まった古い港町の一部。飲食店や妖怪美術館などもある観光地でした。

外敵の襲来に備えてわざわざ分かりにくい道筋に作った町です。スマホがあると迷いたくても迷えません。

すぐ近くにあった水路の上のアーチ。これは一体なんでしょう。

実はここ、ギネスにも認定されている世界一狭い「海峡」でした。海峡は陸と陸とのあいだにはさまれて海の幅の狭くなったところ。だからこれは水路ではなく海です。

小豆島というと最初にオリーブを連想する人が多かった。確かに国道のすぐ近くでもたくさんのオリーブ畑を見ました。
ここは道の駅 小豆島オリーブ公園。旅行に来る前にNHKの街角ピアノでこの木の下のピアノが弾かれる映像を見ました。今はピアノはなくて残念。

オリーブ公演のギリシャ風車。無料でほうきを貸し出していて、それにまたがって撮影するのが人気でした。うまく行くとこんな写真が撮れます。
私も全然知らない女子旅の人たちがイチニのサンでジャンプする瞬間にシャッターを押しました。宙に浮いてるの分かりますか。

小豆島と言えばオリーブの他に醤油。明治時代には400軒の醤油蔵があったそうです。現在では22軒にまで減ってしまいましたが、それでも全国3位の生産量を誇ります。

特に島の東側、内海湾周辺にたくさんありました。撮影のために車を下りると醤油の良い香りに包まれます。

本日の宿。「田舎の迎賓館みさき」さん。海の近くで宿泊する時は好んで民宿を探します。

民宿が好きなのはたいてい面白いおばちゃんがいて楽しいから。そしてなんと言っても地元の食材を使った食事の充実。今回もその両方がアタリの宿でした。
今回はカレイの唐揚げが絶品でした。しましまの煮魚はイシダイ。ハマチはこりっこりの食感が新鮮さの証です。

宿の隣の小豆島霊場第4番札所古江庵。ここは終戦直前に特殊潜航艇基地があった場所で記念碑も立っています。ここで訓練をした人の貴重な回想記がありました。
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徳島県・うだつの町脇町から祖谷渓へ

2024年05月29日 | たびたび旅

二泊三日で徳島空港から徳島県、香川県をぐるっと回って来ました。徳島の地を踏むのはなんと2013年以来です。羽田7時発→徳島阿波踊り空港8時10分。

空港でレンタカーを受け取って最初に見に行ったのが吉野川橋。
徳島県は県公で「橋の博物館とくしま」サイトを運営する橋大国です。特に県を東西一直線に貫く吉野川に名橋がたくさんあります。
17の単純曲弦鋼ワーレントラス橋が連なり、総延長1,017mになる吉野川橋は河口の上流4kmの地点、眉山を背景に昭和3年に架けられました。
設計は増田淳。当時では東洋一の長大橋として評判でした。築後90年経過しましたが今でも補修をしながら幹線道路としての大役を果たしています。
実際に渡ると、ブルーのトラスが連続で17回両サイドの至近距離に見えて非常に興奮しました。

橋を渡って向かったのが徳島城址。現在は徳島中央公園として整備されています。60mほど登って広い本丸まで行けますが、階段はコンクリートの現代の階段。
山を形成している青石の岩肌と石垣の組み合わせなどが面白かった。眺めの良い場所なので、展望台でもあれば良いかも。Rさんは鳥と花を見ていました。

今夜は徳島県の西の端まで往くので徳島市でゆっくりできません。高速で50km走って重伝建を見に美馬市脇町へ。その前にセルフうどんの和ぁさんへ。

かけうどん。竹輪天とごぼ天。Rさんはとり天。美味しかった。この後三日間いろいろ美味しい物を食べるんですが、一番はと聞かれると初日に食べたこれでした。
でもきっと徳島、香川だとこれが普通のレベルなのかもな。でもこれ以上美味しくても私にはそれを判別する味覚もない気がします。

少し道に迷いつつ本楽寺へ。吉野川の作る段丘の上にあるんですが、カーナビが案内したのは段丘の下の国道沿いの場所でした。

ここの見どころは(一般には)吉野川を借景にした枯山水です。枯山水の奥が崖になっていてその下に国道とJRの線路があります。
枯山水庭園を造ったのは先代の住職で、しばらくは奥に普通に塀があったそうです。
ある時の台風で塀が壊されて、奥が見通せるようになったら「これ、いいじゃん!」ということになったそうです。確かにイイ。

客殿の川側の円に座って庭を眺めます。他に人もいなかったので掃除中の住職さん(話好き)にいろいろ話を聞けました。
インバウンドの大陸の人が砂の中に入っちゃうとか、徳島県人は悪い人が多くて比率で言うと6割は悪い人だとか。関西弁で面白かった。

お寺自体は巨大な一つの岩の上に建っています。頂点部分が客殿と茶室の間に露頭していますが、これが敷地全体の下に繋がっています。

一般の人には枯山水の寺ですが、私の主目的は阿弥陀堂と護摩堂の縣造り。今回も絶壁建築巡りのお世話になりました。
どちらも平成期に建てられた新しい物ですが、造りも姿も立派なお堂でした。
こちらの話好きの住職さんはご自身で重機も操り、造成から建築まで関わっておられます。現在は鐘楼堂の基礎工事の途中でした。

本楽寺のある穴吹町から脇町潜水橋で脇町へ。この沈下橋も今回見るべき橋の一つでした。橋長207m、昭和36年に作られたコンクリート製の橋。増水時は水没します。

渡っている最中に反対側から車が来たら怖いと思っていましたが、広くなった袂部分から対岸が良く見えるので、きちんと交互に通行できました。

橋を渡った先に伝統的建築群保存地区であるうだつの町脇町。脇城 の城下町として成立し、藍の集散地として発展しました。

藍で栄えた豪商たちが隣家との境に作った袖壁が「うだつ」です。防火壁ですが家の繁栄の象徴でもあってその大きさを競いました。

住民の高齢化が著しく、建物の保存のために貸し出して観光に利用されています。
こちら、たくさんのBromptonが外から見えました。Bromptonを使ったサイクリングツアーを行う会社でした。
この周辺はもちろん、鳴門、祖谷渓、直島、小豆島あたりでも開催されて、集合場所まで手ぶらで行ってBromptonサイクリングができるそうです。いいなー。

85棟の伝統的建造物が並ぶメインストリートから川を挟んだはずれに古い芝居小屋があります。昭和8年に建てられた回り舞台、奈落などを備えた本格的な芝居小屋です。
戦後、映画館に改装されましたが映画の斜陽と人口減少で取り壊されることに。
しかし、1996年に山田洋二監督の映画「虹をつかむ男」の舞台となったことで町指定文化財として存続されることになりました。

一般公開される際に映画館から創建時の芝居小屋の姿に戻されました。トラボルタなRさんを探せ。舞台下の石垣も見学できます。



うだつの町並みから祖谷渓へ。吉野川沿いの一般道ですがほとんど信号がないので快適ドライブ。途中三好大橋、池田大橋、祖谷口橋の3つを渡りました。
祖谷口から先は渓谷のかなり高い所をくねくね進む一車線の道。ほとんどの場所ですれ違えない感じで対向車が来ないことを祈るのみ。
ホテルの近くの小便小僧まで到達するまでハンドルを持つ手に汗をかきました。

ホテル祖谷温泉にチェックイン。今回、徳島に行くきっかけは2月に旅番組でこのホテルのケーブルカーで行く温泉を見たことでした。

ケーブルカーにはフロントのある階から。乗り場は祖谷渓谷の山なみを一望する展望テラスになっています。奥に見える川の高さまでこれから下ります。

高低差170m、線路長50m。傾斜角度は驚異の42度。片道5分ほどで川原の近くの露天風呂に到達します。
日本一急勾配のケーブルカーは高尾山のケーブルカーで最大勾配は31度18分と言われていますが、祖谷ホテルのケーブルカーは驚異の42度です。

この座席の角度を見ても高尾山ケーブルカーの傾斜とはレベルが違います。

露天風呂は加水、加温なしの源泉そのままかけ流し。ぬるぬる感あり。38度とお風呂とぬるいのですが、いつまで入っていてものぼせません。(写真はネットの拾い物です)
ケーブルカーに乗らなくても本館2階にある展望風呂も素晴らしい物です。

夕食も渓谷に面したレストランで。地元の食材をあれこれと、なんとか完食できる量で美味しかったです。
山奥のホテルでも刺身や魚介の天ぷらを出すところもありますが、こちらは潔く山の物だけで構成されていたのが好感が持てました。
テーブルは8卓のうち5卓がインバウンドのお客さん。こんな交通の便の悪い僻地でも今は外国人旅行者の方が多いのです。

2020年に160ポイント、12の未宿泊県があった経県値。この夜、徳島県に宿泊したことでついに全県制覇となりました。
次なる目標は、夫婦二人で行った経県値。こちらは奈良・大阪・宮崎の3県がまだ残っています。
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琵琶湖西南2024春⑦安土城跡

2024年04月15日 | たびたび旅

最初にして最も豪華絢爛だったという安土城とその天主(一般には天守ですが安土城のみ天主と表記されます)。
歴史に疎い私でも時代劇で何度となく見ていますがいまひとつスケール的なイメージが掴めなかった城に行ってきました。
入場料700円を支払い、まずは一直線に山頂に向かう大手道の階段。画面中央で両手を樋ロケているのが私。撮影は地上で待機のRさん。

現在では石の角も崩れて踏面はコンクリートで固められていますが、完成当初の隅々までピシーっとしてた姿はどれほどの威容だったことか。
最初の直線部分が長さ80m。京都駅の大階段より長い。

3分登って振り返るともうこんな眺め。今、田んぼになっているところも城下町があって楽市が開かれていたのかな。
今回はほとんど調べないで描いているので疑問形で終わる文章が多い。

石仏が材料として使われているところには案内板があってすぐに分かるようになっています。

大手道の途中に秀吉の屋敷もあったんですね。他に家康邸、前田利家の屋敷が同じ程度の面積であります。
眺めも良く立地の良い場所のようですが、本丸までは20分くらい登らないといけないのでけっこう通勤は大変だったかも。

直線80mの後はジグザグしたり折れ曲がったりしながら110mの高低差を登ります。

二の丸への入り口、黒金門跡。

石垣の石もぐんと大きくなります。ここまでが家臣の屋敷、この先が信長の居城。

黒金門跡の先は防御態勢が高まりいくつもの桝形を通って開けた本丸に入ります。

天主への階段。

四方を1.5mほどの石垣で囲まれた天主跡。礎石の並ぶこの部分は天守穴倉。地下室です。

意外にコンパクトに見えますが、周囲の石垣は現在残っている数倍の幅があり、見えている穴倉部分の二倍半の広さがあった、と説明板に書かれていました。

左側が崩れてなくなってしまった天主石垣の外側部分。

石垣の上からの眺め。

一通り見てから無事に下って来ました。帰りは摠見寺を通って下りるのが正式のルートですが遠回りになるので上りと同じ大手道で下りてきました。
ここも桜がきれいで良かった。

駐車場の桜の下で、二日間お世話になった日産のレンタカーと記念写真。
シフトレバーが電子制御だったり、バックミラーが液晶モニターだったり、いろいろと令和を感じさせる車でした。
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琵琶湖西南2024春⑥近江八幡

2024年04月14日 | たびたび旅

ラコリーナから近江八幡の伝統的建造物群保存地区までは車で5分の距離でした。

八幡堀に面して建つ黒造りの建物が本日の宿。古い商家を一棟貸しのゲストハウスに改装しました。ゲストハウス澪。赤い暖簾に「澪」の字が目印。
目の前に堀と桜が見えて立地は最高。

石が敷かれた玄関。

路に面した部屋はソファやTVが置かれた快適な居間です。格子のすぐ横を観光客が歩いて行きますが気にしない。

奥の部屋に布団が敷かれています。清潔なキッチンにバスルームも完備。食料品も売っているドラッグストアまで徒歩5分。充分暮らせます。
荷物を置いてから夕食まで八幡堀を散歩します。

黒板塀の商家が並ぶ道筋から江戸から明治にかけて大量の商品を積んだ船が行き来した八幡堀の辺りは本当に佇まいが素晴らしい。
濠が大きくカーブするところに作られた船着き場は時代劇やドラマでしばしばロケ地として使われています。

堀巡りの手漕ぎ舟を出している店で、今日の最後の船のお客がキャンセルしたので5分後に出る船に乗れるということでしたので乗って来ました。
6人乗りの船を2人で貸し切りです。

さきほどまで歩きながら船の写真を撮っていましたが、今度は自分たちが被写体になってしまいました。水面から見上げる桜も佳き。

近江発祥の起業は色々あります。伊藤忠商事とか。この蔵の家は布団の西川の創業者、西川甚五郎邸。
きれいに見える八幡堀ですが、高度成長期から1980年代初頭まではゴミとヘドロだらけの荒れ果てた風景だったそうです。
昭和の終盤に「八幡掘を守る会」が発足し、有志、企業、行政が力を合わせて現在の美しい風景を再生しました。

40分の短い堀巡りを終えて、さっき船でくぐった橋から改めて川と桜を眺める。夕食まで徒歩で見どころを回ります。

明治10年に八幡東学校として建築された白雲館は擬洋風建造物。現在は観光案内所やギャラリーに使われています。

瓦工場跡地に作られたかわらミュージアム。閉館の30分前に行ったのですがもう中には入れてもらえませんでした。

日牟禮八幡宮。近江八幡という地名の由来になった八幡様。こちらも境内の中心は神楽殿でした。

1740年に建て替えられた三間社流造りの本殿に明治時代に入母屋の幣殿を増築した物。4月14-15日(今夜だ!)に行われる火祭りは国の無形民俗文化財。

京町屋風の建物を改装した地元の食堂で夕食に。私は近江牛のハンバーグ、Rさんは素晴らしく美味しい鍋焼きうどんを食べました。
建物を見まわしていたら食後に店主から町家の中をご覧になりますかとありがたいお声がけ。箪笥階段から虫籠窓の嵌った厨子二階を見せてもらいました。

一番驚かされたのがこちら。入り口の扉は通常奥への開き戸なんですが、必要な場合には扉の枠ごと蔀戸(しとみど)としてがばっと上に跳ね上がります。
写真上が通常のドアとしての開閉、中と下の写真がドアと枠ごと上に跳ね上がっていく様子。
跳ね上がった状態では外と室内の間に敷居もなくなるため、大きな荷物を積んだ大八車がそのまま奥に入って行くことができます。これは珍しい。
他にも、狭い間口を有効に使うためにシャッターのように上から下ろす雨戸も実演してくれたり、大サービスの店主でした。

夜になって雰囲気も良くなるゲストハウス。部屋の奥まで丸見えね。1階の右側は地元で評判のケーキ屋さんです。

夜は窓に向かった2階のソファで夜桜を見ながらサントリーのタコハイを飲んでいました。ゲストハウスのサイトはこちら。お勧めです。

近江八幡と言えばヴォーリズ。事前にヴォーリズの生涯や建築の本も読んで予習してきました。
宿から徒歩圏内の範囲でもたくさん見たのですが、長くなるので最終日に車で見に行った豊郷小学校旧校舎群のの話とまとめて後で紹介します。

翌朝。6時にスギドラッグで買っておいたパンとコーンスープ、宿のエスプレッソマシンで淹れたコーヒーで朝食を食べてから最後の散歩。
全体的に薄曇りのお天気でしたが、一週間前までは雨マークだったんですよね。充分です。
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琵琶湖西南2024春③信楽散歩

2024年04月11日 | たびたび旅

琵琶湖大津の朝。朝食後にホテルの送迎バスで大津駅に送ってもらいJRで草津駅へ。草津温泉以外に草津があるって知らなかった。
草津以外にも大津、吾妻、渋川、伊香保といった地名が滋賀と群馬の両方に存在しています。その理由は検索すると出てきます。

草津駅でレンタカーを借りました。ここからは車で動きます。
まずRさんを琵琶湖カントリークラブまで送ります。そもそもこの週末に滋賀に来ることになったのはRさんのゴルフ観戦がきっかけでした。
琵琶湖CCから30分、途中狭い山道をドキドキしながら越えてやって来たのは焼き物の町、信楽駅でした。

信楽駅でレンタサイクルを借りて探索開始。とりあえず駅前から街道沿いは焼き物のお店だらけです。
旅行者のために「窯元散策路」というコースがいくつかあって効率的に窯元とギャラリーを見て回ることができます。

新宮神社。奈良時代創建の由緒正しき神社です。

狛犬も陶器です。

ちゃんと調べた訳ではありませんが、関東より西の方の神社で拝殿の前、境内の中央に神楽殿があることが多いように感じています。

陶房、ギャラリーは声をかければ中を見せてもらえることが多いです。商売ですから当然なんですが。でもあまりお店っぽくない所は入りづらい。

大型の工房。表の看板に「見学可」とあったので奥に行ってみました。

大きなものから小さなものまで。陶器の傘立てとか昔はよく見かけましたね。

ろくろ坂、明山窯。今はもう使われていない登り窯。

釜の向かい側の作業小屋がおしゃれなカフェになっています。

大きなレンガ煙突に導かれて、散策路からちょっと坂を入った奥にある谷寛窯へ。
こちらは朝ドラ「スカーレット」で大島優子演じる照子の家業である丸熊陶業のロケ地になった場所でした。

1階が製造工場。

1966年に築炉された重油釜は展示室として使われています。

現在はこちらの大きな電気釜で焼成しています。

2階がギャラリー「ほうざん」さん。この建物は明治時代に大津にあった師範学校の講堂を移築して創業されたそうです。
窯元のおかみさんに信楽焼のあれこれを説明していただきました。大津もそうですが信楽の言葉も関東耳にはほとんど京言葉に聞こえます。

名残り惜しかったのですがゆっくりする時間もなく、お猪口をひとつ買ってお暇しました。
引き続き窯元散策路で。こちらは近代化産業遺産になっている丸又窯。昭和3年から35年ほど使われていた登り窯です。

ぐるっと回って駅に通じる信楽川。土色の水が流れていました。
信楽滞在時間はわずか90分ほど。あまりにも短すぎましたが、ここだけのために来ようと思ってもなかなか実現は難しいから仕方ありません。

ほうざんで手に入れた谷寛窯製作のお猪口。しのぎの粉引で信楽焼ではないのですが、足つきがかわいかったのと先日買ったご飯茶碗に似合いそうだったので。
使うのが楽しみです。
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琵琶湖西南2024春②大津市内散歩

2024年04月10日 | たびたび旅

三井寺の観月舞台から南に階段を下って大津市内を歩いて今日の宿に向かいます。古都の住宅地はどことなくそれ風の香り。

旧東海道。東海道の沼津から西のルートをほとんど認識していませんでした。大津が最後の宿場であと11kmでゴールの三条大橋です。

滋賀に来る前の夜にNHK「歴史探偵」で明治24年に起きたロシア皇太子ニコライ襲撃事件のことをテレビでなんとなく見ていました。
翌日の大津市内の旧東海道を散歩中にその事件の発生現場を通りかかりました。奇遇ってあるものです。

旧東海道より1本琵琶湖寄りにあるアーケード商店街。丸屋町・菱屋町・長等町の3商店街をまとめて「ナカマチ商店街」と呼んでいます。
大正時代にはすでにここにアーケード商店ができていたそうです。

京阪電気鉄道の京津線。路面電車で3両もあるのは初めて見ました。さきほど乗った石山坂本線もそうですが中心部では路面で、少し離れると専用線の軌道を走ります。
日本に20しかない路面電車(宇都宮開業でひとつ増えた)にまたひとつ乗車することができました。残りは福井、京都、岡山、宇都宮の4つです。

一日目の宿は琵琶湖ホテル。1998年竣工。デザイン監修はアルゼンチンの建築家シーザー・ペリ。あべのハルカスのデザインも担当しています。
曲線はさざ波、丸窓は客船、青は琵琶湖、緑は山をイメージしたということですが、当初は古都の景観を乱すということで批判も多かったようです。さもありなん。

湖側から見ると全く違うイメージです。全室レイクビュー。3km離れた場所で昭和9年から営業していましたが1998年にこの地に移転しました。

部屋から眺める琵琶湖。まじまじと琵琶湖を見るのは初めてかも知れません。東京23区を全部合わせたより更に大きいらしいです。
琵琶湖があったから鳥人間コンテストが生まれたと言っても過言ではありません。
いきなり山寺を2つがしがし歩いたのでRさんはここで休息。私はホテルのレンタル自転車で市内の建築散策に出かけました。

まずは大津駅を見てから滋賀県庁本館。1939年。登録有形文化財。
早稲田大学理工学部建築学科の創始者である佐藤功一の設計。佐藤功一は大隈講堂、旧群馬県庁や津田塾大学などを紹介済み。
現役の庁舎で中も端正できれいでした。中には「びわ湖○○課」という部屋がやたらたくさんあります。

4階の廊下から見えた中庭のしだれ桜がきれいだったので近くで見ようとしたのですが中庭に出る方法が分からず、県庁受付のお姉さんに案内してもらいました。
この写真を撮った後で受付に戻ってお礼を言って「きれいでした!」というと満面の笑顔で「おおきに」と言われました。これで滋賀がさらに好きになりました。

桜の名所、天孫神社。

日本基督教団大津教会。W.M.ヴォーリズ。1928(昭和3)年。滋賀に来たのでこの後たくさんのヴォーリズ建築を見ますがこれが最初の一棟でした。

昼に三井寺駅のすぐ横の場所で琵琶湖第一疎水の入り口と書きましたが、この場所はそこより300m湖に近い本当の入り口の場所。
見えている施設は琵琶湖第一疎水揚水機場。琵琶湖の水位が低くなったときに取水量確保のためにポンプ揚水する施設です。
背後の山の中腹に桜がもりもり咲いている場所が見えますが、そこが三井寺。

びわ湖大津館。昭和9年に建てられた初代琵琶湖ホテル。1989年に現在の琵琶湖ホテルの場所に移転後は滋賀県により保存活用されています。
設計は岡田信一郎となっていますが、信一郎は和風の外観意匠がまとまった段階で死去。実質設計は弟の捷五郎が行いました。

湖側から見た旧琵琶湖ホテル。滋賀県最初の国際ホテルとして昭和天皇やヘレン・ケラー、ジョン・ウェインなどの著名人が宿泊しました。

2階のテラスから見る琵琶湖。対岸の矢印の建物が現在の琵琶湖ホテル。部屋で休んでいるRさんにLINEしてこちらを見てもらったら、双眼鏡で私の姿が確認できたそうです。

夕食はホテル近くの浜大津やおとらさんで。予約の上、5時半に行ったらすでに満席近く、地元の人気店のようでした。
海鮮ユッケ、近江牛の串焼き、近江牛コロッケ、茄子とニシンの炊いたん、〆のざるそばなど。美味しかったです。

割と早めの夕食にしたのは琵琶湖名物の噴水を見たかったので。この時期だと18時~19時しかやっていません。
大津港マリーナのきれいな公園で見たのですが、私たち以外に見ている人は誰もいませんでした。そんなもんなの⁈

気温も下がって来たのでホテルに戻って部屋から眺めていました。やっぱり暗さが増してからの方が鮮やかです。
こんな感じで一日目終了です。
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琵琶湖西南2024春①石山寺・三井寺と琵琶湖疎水

2024年04月09日 | たびたび旅
2013年の彦根城と八景亭(2017年廃業)以来、11年ぶりの滋賀県旅行でした。
二泊三日で大津=信楽=近江八幡=安土と琵琶湖の南から西を電車とレンタカーで回りました。
今回も建築見物を軸に濃厚な計画を立てて行きました。開花が遅れたおかげで偶然にもどこも桜が見頃。お天気にも恵まれた佳き旅となりました。

朝の新幹線で京都へ。京都からJR琵琶湖線米原行きで石山、石山から京阪石山坂本線で終点の石山寺駅へ。
紫式部が石山寺に七日間参籠している間に琵琶湖に移る名月を見て源氏物語の着想を得たという言い伝えから、駅も紫に塗装されていました。

境内にある硅灰石からなる石灰石岩ホルンフェルスの奇岩は国の天然記念物。上に見える日本最古の多宝塔は国宝。

こちらも国宝である本堂。内陣(正堂)は1078年の消失の後、1096年に再建された滋賀県最古の木造建造物。外陣は1602年に淀殿から寄進されたもの。

本堂の一角にある源氏の間は紫式部が源氏物語を起草したと伝えられる部屋。
前回の「光る君」の予告編で石山寺という単語が聞こえました。次回にはこの辺りがドラマで描かれるのかも知れません。

一番下の東大門から階段や坂で60mほどの登った月見亭の脇から見る琵琶湖方面。桜きれい。
見えている水面は瀬田川で琵琶湖との境界は2kmほど先の国道1号線付近です。写真中央に見える橋の下から3つ目くらい。

2008年に東レ(石山が発祥の地)の寄進で建てられた光堂。懸造りですが束柱は階段状に整地されたコンクリートの上の礎石に立っています。
石山寺に来た目的は紫式部の大河ドラマのためではなく、3堂ある懸造りの建造物を見ることでした。

こちらが崖下から見る国宝の本堂。横に並ぶ蓮如堂も規模は小さいのですが懸造り。今回も「絶壁建築巡り」が参考になりました。

足腰の丈夫なうちに行っておかねばならぬ場所がたくさんあります。今日はRさんも元気に同行中。

東大門(重要文化財)から見る境内。こちらの桜はもうちょっと先のようでした。

石山寺を終えて、石山坂本線で大津を通り過ぎて三井寺駅へ。すぐそばに琵琶湖第1疎水の大津水門。

琵琶湖疎水に沿う道が三井寺へのルート。

途中の橋の上から撮影する疎水両岸の桜が滋賀県の観光ポスターの定番です。

奥に見えるのが明治23年に完成した第一疎水第一トンネル入り口。全長2436m。
京都南禅寺で琵琶湖疎水を見たのが2008年のこと。16年かかってようやく取水部を見ることができました。

三井寺駅から坂道を10分登って三井寺。門前の茶店で天丼を食べてから仁王門(重文)を通って広大な境内へ。

天台宗寺門宗総本山園城寺が正式名称。寺の湧水を天智・天武・持統の三天皇の産湯としたことから御井寺(みいのてら)と呼ばれ三井寺に繋がります。
こちらの総本堂であった金堂は国宝。他に8つの建造物が重要文化財指定を受けています。



西国十四番札所観音堂に続く階段。

観月舞台から見る桜と奥にうっすらと琵琶湖のブルー。

桜の季節の観月舞台は一組5分間を2,500円(6名迄)で貸し切り公開を行っていました。予約制ですが前後数日間は満杯でした。
並んで待っている家族連れ、友人グループがが多い中、こちらの女性は一人で5分間の撮影を満喫していました。

舞台に反射する素材が敷かれていて、夜間ライトアップ中だとこんな写真が撮れるようです。

私たちはこういう普通の眺めで充分です。というかこっちの方がいい。
滋賀県についていきなりヘビー級のお寺を二つ見学しました。これから大津市内をぶらぶら歩いて行ったんホテルに入ります。
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金山城跡

2024年03月08日 | たびたび旅

金山城跡には太田駅の観光案内所で自転車(1日300円)をレンタルして城下の谷津にある隈研吾設計のガイダンス施設から登りました。簡単です。
金山一帯はハイキングコースが整備されているので時間と体力があればもっと麓の高山神社、もしくは大光院の背後から尾根歩きをしていく人も多いようです。

ガイダンス施設の裏から山道に入って10分も登れば最初の東屋から展望が開けます。麓に広がっているのはスバルの工場。

100mほど登った先に翁駐車場と展望台があって、その先に金山城跡の石碑があります。

西矢倉台西堀切手前の分岐。

堀切の底に石畳が敷かれています。ガイドマップではこの先で西矢倉台に登り返せるはずでしたが降りてみたらロープが張られて行き止まりでした。

堅掘の石垣。戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はないという従来の定説が金山城の発掘調査で覆されてしまいました。
ということは金山城だけが関東の山城の中で突然変異みたいな存在なのかな。

金山城には大きな水場が2か所あります。こちらは月の池。
谷斜面からの漂流水や浸透水が溜まることで池ができるそうですが、周囲で最も標高の高いこの場所にこれほど大きな水たまりがあるって信じられません。

大手虎口。1994年から行われた復元工事で蘇った石垣が幾重にも重なって迫力があります。どんな状態から復元したのかはこちらのパンフレットに少し写真がありました。
雨水を集めてまとめて月の池に送る排水溝も見事です。それにしてもこの復元ってどこまで信じていいのかと不安になるくらいの見事な石垣です。

突き当りで左右に分かれます。大きな木が石垣を破壊するのではと心配になります。

南曲輪からの眺望は関東の冨士見百景に選出されています。

そしてもう一つの日の池。金山城が築城される以前からこの場所にあって雨乞いなどを行う神聖な場所でした。パイロンのある所に昔の石敷が残っています。

金山城実城下にある推定樹齢が800年の大ケヤキ。

山頂部には明治8年に建立された新田義貞を祀る新田神社があります。

新田神社の裏に一部だけ残る現存石垣。説明する物件のこれだけ真正面に看板を立てなくてもいいと思うのですが。写真撮りにくいです。

山頂から見えるのはやっぱりスバルの大工場。

金山城の石垣には間詰石に河原で拾うような丸い石が使われているのが珍しく、特徴であるとガイダンス施設に説明がありました。

帰り道も堀切を見ながら。
歴史に疎いのでこの城の戦略的な意味や攻防の遍歴について思いを馳せることができないのは残念ですが、それでも一見の価値はありました。
以前見た八王子城址と似ている部分も多くありましたが、時代的には100年ほど早いようです。
他に手近なところで総石垣の遺構が見られるところはないかと探していたら小田原に石垣山城というのがありました。ああ、あの一夜城か。そのうち行ってみようかな。
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群馬建築散歩=太田編

2024年03月03日 | たびたび旅

7時半に舘林グランドホテルをチェックアウト。朝食付きの予約ができなかったので、早めに館林駅に行ってご飯を食べねば。

ホテルのある城跡近辺から館林駅までの間に歴史的構造物を繋ぐ散策路があるので、いくつか文化遺産を覗きながら歩きます。
これは徳川綱吉が舘林城主だった時代に湧きだしたという伝説が残る青龍の井戸。

旧二業見番組合事務所。二業(芸者さんの置屋と料亭)の取り次ぎと管理を行っていたところ。2階は芸者さんの稽古場であった舞台付き36畳の大広間。

用水路沿いを歩いていると突然2本の電柱で車両が通れない所が。その前後にも普通に道があるのになぜここだけこうなったのか考えています。

コメダ珈琲で無事に朝食を食べてから館林駅。昭和12年に建てられた東口駅舎。2009年に隣接地に新しく橋上駅舎が完成しましたがこちらの駅舎も存続しています。

館林駅で最後に見たのもやっぱりタヌキ。昭和11年プロ野球黎明期に読売巨人軍が舘林キャンプで猛特訓し、その年に初優勝したことを記念してのタヌキだそうです。

伊勢崎線で30分。舘林から太田にやってきました。最初に撮った写真は太田市美術館・図書館。
今回の群馬旅の主目的となる建築です。開館時刻前なので一通り外観を見てから最後に戻って来ます。今日は風も昨日ほどではないので観光案内所で自転車を借りました。

テクノプラザおおた。2009年。長谷川逸子の設計によるもの。群馬大学大学院の太田キャンパスです。これも写真多いので別記事にします。

旧金山図書館。大正11年に個人の実業家の私財で建てられた図書館。明治・大正期の物としては市内に現存する唯一の木造公共洋風建築。

新田パン。大正6年創業。今年で108年を迎える超老舗のパン屋さん。

創業時から販売しているという栄養パンは生地に自社製の黒蜜を練り込み甘納豆とレーズンが入っています。この後の山歩き用にバナナマフィンを買いました。

新田パンの真向かいにある太田市立太田小学校のグラウンド脇にあった木造の洋館。昭和4年。「資料館」とのことですが詳細分からず。

春日神社。

金山城跡に向かう県道321号線にあった謎の構造物。いくら調べても何なのか全く分かりません。右側は広い空き地、左側は地元の集会場があるのみです。
神社の千木や堅魚木を模した部材がが見えるので神社関係の物のようですが、こんな風に県道にまたがってあるというのは不思議です。

太田のシンボル、呑龍様大光院。始祖新田義重を追善供養するために徳川家康によって開かれた浄土宗の寺。
左の回廊に見える人の大きさから、伽藍の大きさを想像してみてください。でかいです。

金龍寺。この後で行く金山城城主横瀬氏の菩提寺。山城の麓に寺社がわらわらあるのでキリがありません。でもこの本堂は美しかった。

金山城ガイダンス施設。背後の金山山頂付近にある山城金山城関連の博物館コミュニティーセンターの複合施設。2009年隈研吾。

外観は石垣のモチーフ。

金山城大手虎口付近の模型。

傾斜地を利用して1階にミュージアム入り口、2階に地域コミュニティセンターの入り口が設けられています。
立派な博物館でその意義は認めますが、ちょっと遺跡と比較して施設が大き過ぎる印象でした。高尾山くらい集客力がないと無駄になりそうです。

金山城へはちょっとしたハイキングです。

さきほど模型で見た大手虎口。素晴らしい。金山城跡も別記事で。

金山から下山。自転車なので下りはすごく楽でした。

太田市庁舎。1998年久米設計。

設計準備段階がバブル終盤にかかっている公共施設はコストに余裕があって今では見られない面白さがあります。

タワー棟の最上階が展望デッキ。屋根はあるんですが周囲は金網で赤城おろしを全身で受けながらの見物でした。
この後で最初に外観を見た太田市美術館・図書館をたっぷり見学して二日間の群馬建築は終了。
行程としてはここまで。うちから交通費1,110円で行ける土地でこんなにも楽しい散歩ができるとは思いませんでした。東群馬最高。

全行程17kmの移動でした。太田駅の観光案内所で貸し出している電動アシスト自転車は整備も完璧です。時間制限なしでわずか300円。便利です。
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群馬建築散歩=舘林編

2024年03月02日 | たびたび旅
上毛かるたの「鶴舞うかたちの群馬県」という札は群馬県民でなくとも聞いたことが多いと思います。
今回はその鶴の頭の部分である館林市と、鶴の首の付け根になる太田市の有名建築を一人で巡って来ました。まずは初日の行程から。

久喜から東武伊勢崎線で利根川を越えれば群馬県。この辺り(羽生市上川俣)で会の川を締め切るところから利根川東遷工事が始まりました。

下車したのは群馬県に入って2つ目の茂林寺前駅。タヌキの置物がお出迎えしてくれるのはここが民話の「文福茶釜」の舞台となった茂林寺の最寄り駅だからです。

駅から茂林寺までは歩いて10分足らず。文福茶釜のストーリーが15枚のイラストが数十メートルおきに掲示されていて楽しく読みながら目的地に向かえます。

参道から総門を抜けると中門前の両側に21体のタヌキ像がお出迎え。

応仁の乱の翌年(1468年)に建立され江戸の享保年間に改修されて現在に至る、と公式サイトには記されています。

境内には至る所に信楽焼のタヌキが。偶然ですが来月、信楽に行く予定です。

茂林寺にはもうひとつ、日本遺産の構成要素になった舘林の里沼のひとつ、「茂林寺沼及び低地湿原」があります。

湿原には木道が整備されていて30分ほどで回って来られるのですが、この日は8mを超える強風、瞬間最大風速25mということで奥まで行くのは諦めました。
そもそも予定では伊勢崎線で館林駅で降りて、そこでレンタサイクルを借りて少し離れた茂林寺と舘林美術館を回るという計画でした。
しかし、この風の中、自転車は無理と判断して東武線を活用することにして予定を組み替えたのでした。

ということで舘林の一つ手前の茂林寺駅から、館林駅のひとつ先の多々良駅へ。1日の乗降者数500人。伊勢崎線の駅で2番目に少ない数値です。
このクラスの駅になると「駅前に何もない」と言えば誇張でも何でもなく本当に何もありません。駅の目の前に太陽光発電パネルが広がっていたりします。

しかし多々良駅から田んぼの中を20分歩いて行くとそこには群馬県立舘林美術館があるのでした。

それまで高崎の近代美術館しか県立の美術館がなかった群馬県が多々良沼の畔の田園地帯の中に2001年にオープンした新しい美術館。
設計は第一工房。こちらは写真も多いので後で記事にまとめます。

舘林美術館からはローカルな循環バスで館林駅に戻る予定でしたが間に合わずタクシーで館林駅に。風がなければ自転車で移動する程度(4km)の距離です。
知らなかったけど舘林はカルピスと日清製粉の街でした。

舘林のお目当て2つ目は菊竹清訓の旧舘林市役所。2023年度に16件追加されたDOCOMOMO「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」のひとつ。

現在は館林市民センターとしてお年寄りの集会場として使われています。入り口は中二階にあってそこから渡り廊下で1階と2階に。ここも別記事に。

江戸以前から度々の繁栄を迎えた舘林市街地。1.2km離れた館林駅と舘林城址の間には有名無名いろいろ面白い建物が見られます。

松の湯は2015年に廃業した銭湯ですが、建物自体は手入れが行き届いていてとてもきれい。玄関前の飾り松も営業時の写真と変わりありません。

舘林城跡へ。かつては城沼を堀とた広大な縄張りでしたが明治後期に上毛モスリンに土地が売却された後は繊維工場用地としてほぼ全ての遺構が消滅してしまいました。
ここはかすかに残る本丸土塁の裏手。吹き飛ばされる噴水の水でこの日の強風を想像してみてください。

縄張りだったところは館林市役所、県立舘林女子高など県関係の施設になりました。こちらの向井千秋記念こども科学館もさきほどの本丸土塁のすぐ横です。

1991年桂設計。建てられた3年後に舘林出身の向井千秋さんが宇宙に行ったことでその名を冠するようになりました。

現在の舘林市役所。1982年。こちらも桂設計。なかなかよくできた庁舎ですが舘林市役所で検索しても菊竹清訓の旧庁舎ばかりがヒットします。

館林市第二資料館としてこちらの旧上毛モスリン事務所の洋館と田山花袋旧居が移築保存されています。

ちょっと足を伸ばして城沼。南側がつつじヶ丘公園として憩いの場所となっています。

かつて館山城の堀であった運河もわずかに残っています。

館林市立図書館。日建設計(1974)

舘林文化会館。日建設計(1974) 主だった市の施設が城跡にあり、1km離れた鉄道の駅周辺に別の繁華街があるという地方都市あるあるの街でした。

館林市内の移動マップ。全部で20kmほどの行程でした。茂林寺駅から多々良駅を伊勢崎線、舘林美術館から舘林駅がタクシーです。手段としては正解だったかな。

宿泊は城跡近くの舘林グランドホテル。渋い昭和感満載。一人旅ならこういう部屋が一番落ち着きます。布団ラブ。ビジネスホテルの草臥れたベッドが一番苦手です。
素泊まり4,500円。大浴場は男性用しかありません。さすが昭和の不適切。
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新春御殿場・2

2024年01月08日 | たびたび旅

御殿場の朝6時50分。朝日が当たる富士山を見ようと屋上の足湯に行ったら同じことを考えて先に来ていた人が10人以上いました。

背後には乙女峠から金時山の山並みがあって日の出時刻は過ぎていても直接太陽は見えません。

でも富士山の上の方はすでに朝日で照らされていて薄いピンク色に輝いています。光っている部分が徐々に下に広がる様をみんなで見ていました。

屋上で冷えた身体を朝風呂で温めてから朝ご飯を食べに徒歩3分のティーグルブランへ。

パンケーキのお店です。朝8時からやっていてモーニングセットもあります。
ドーミーインの予約時に部屋は取れたのですが朝食付きの予約ができず、近くを探して見つけたお店ですがとても良かったです。

御殿場のドーミーインにはレンタサイクルが4台ありました。けっこうドーミー歴は長いのですが初めて見た気がします。1台だけ借りました。

初めに向かったのは秩父宮記念公園。昭和天皇の弟宮である秩父宮が昭和16年から10年間お住まいになられた別邸がご遺言により御殿場市に寄贈され公園となりました。

母屋の前には富士山を愛した秩父宮の銅像が。

東京ドーム1.5個分の広さがある庭園の一番高い場所に茅葺の母屋。母屋は享保8年(1723年)に庄屋宅として建てられたものを昭和6年にこの地に移築。
その後昭和16年、肺結核を患い闘病生活を送られていた秩父宮の移転療養先としてこの地が選ばれました。
右側の新しい建物は秩父宮のご逝去の後に勢津子妃殿下が住まわれた新館。

宮様のための防空壕。一時期埋め戻されていましたが近年発掘して公開されています。

新館の一部を改装した秩父宮記念館。秩父宮家の御遺品などが展示されています。

記念館の2階からそのまま母屋の内部が見学できます。江戸時代には庄屋の土間だった場所が改装され、英国製の家具が並ぶリビングになっていました。

300年前の面影を残す囲炉裏の間。

左側の新館の2階が右側の高台に建つ母屋の1階と繋がっています。母屋の周りには桜の巨木が何本もあって花の季節は見事だそうです。

秩父宮公園の見た後、Rさんは隣のホテルに戻り休憩、私は1台だけ借りた自転車で背後の丘陵にある平和公園を見に行きました。

御殿場出身でスーパー三徳の創業者である堀内定良氏が私財1億円を投じて開設した私設の公園です。

シンボルである白亜の仏舎利塔と桜と富士山の取り合わせが見事で、静岡を代表する富士絶景ポイントでありお花見絶景ポイントとして内外に人気です。

下界のホテル周辺からも見えた仏舎利塔。近くに来てその大きさに驚きました。

塔の東西南北にはそれぞれ異なるポースの仏様がおられます。

確かになかなかの風景でした。この日もタイやインドネシアからの旅行者で賑わっていました。
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新春御殿場・1

2024年01月07日 | たびたび旅
今年最初のお出かけは御殿場でした。
ほとんど縁のない場所でしたが「なるべく楽に行ける場所で温泉があって富士山が見える」という条件で探していて御殿場が浮上しました。
お昼に新宿バスタから小田急高速バスに乗って2時前には到着。運賃は片道たったの1500円です。

東名御殿場のバス停に降りたらちょうど目の前来たタクシーで最初の目的地、東山旧岸邸ととらや工房に行くことができました。
最悪の場合30分歩くことも想定していたのでこのタクシーは本当にありがたかった。

1969年に建てられた東山旧岸邸の隣接地に2007年にとらや工房ができました。二つの施設は美しい竹林や自然林の中を通る遊歩道で繋がっています。

とらや工房。長さ55mの棟が湾曲した建物に和菓子の工房と売店、喫茶室があります。
建物の設計は内藤廣。カーブに沿った屋根付きの廊下が同じく内藤が設計した練馬と高知の牧野富太郎関連施設と共通しています。

ガラスの建具で囲まれた室内空間と、風の通る半屋外テラスが交互にあります。

地元産の木材を使った小屋組みはレーモンドの教会タイプのX型トラス架構。

湾曲棟の外にもテラス席と別棟の喫茶室。別棟は余りの人気と混雑に対応するために2017年に増築したもの。

Rさんのお腹がどら焼きひとつも入りそうもないという感じだったので、先に旧岸邸を見学しました。

1969年岸信介の自邸として吉田五十八の設計で建てられたモダン数寄屋。素晴らしかった。写真が多いので別記事にします。

再びとらや工房。

どら焼きと和菓子でしばしほっこり。和菓子は種類色々あるんですがほぼ売り切れていました。

ホテルまでは徒歩で1km弱。途中にこんなゴルフ練習場があります。
旅行前に御殿場周辺をストリートビューで見ていて偶然見つけたのですが、この眺めをRさんに見せたいというのも御殿場に行くと決めた理由の一つでした。

せっかくなんで少し見学させてもらいました。富士山に向かって打てればいいのですが、残念ながら打席は富士山を背にして立ちます。

ドーミーインEXPRESS富士山御殿場。2022年開業。私たちが泊る13か所目のドーミーイン。推しのドーミーインコグッズに見入るRさん。

フロント前のロビーから富士山は良く見えます。(見えにくいけど左側の窓に富士山)

部屋からも富士山がどーんと見えます。

大浴場「富士桜の湯」は1階で眺望がないのですが、その代わりに屋上にこんな眺めの足湯があります。
Rさんが富士山好きなので富士山の見える宿をいろいろ見ていますが、今のところここ御殿場がベストかも。こちら側からの形が一番きれいです。

夕食は10分ほど歩いて手打そば 金太郎さん。車があれば別ですが徒歩で行ける飲食店はほとんどこの店一択です。

大きな活気あるお店で蕎麦御膳をつまみに赤星を飲んでいました。美味しかった。
帰りは東京では見られない星空を見ながらぶらぶらと歩きました。車だったら3分で着いてしまう所ですが歩きだから見られる星でした。
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秋の諏訪旅④高島城と近代建築

2023年11月23日 | たびたび旅
四社巡りを終えて駅前の蕎麦屋で昼食を済ませたら、Rさんと別れて一人で高島城に向かいます。
城下町と諏訪盆地の田園地帯を潤していたであろういくつかの用水を越えて、町並みを見ながらぶらぶらと10分少々で高島城に到着しました。

3重5階の望楼型天守は明治8年に破却。現在の天守は1970年に建てられた鉄筋コンクリートの復興天守です。明治初期の写真を元にある程度似せてはいます。

城が建てられた16世紀前後にはこの辺りまで諏訪湖が続いていて、高島城は湖に突き出した湖畔に建ち、「諏訪の浮城」と称される水城でした。
その後城の周辺の低湿地帯が灌漑で埋め立てられ城は湖から遠ざかりました。現在は諏訪湖まで約600mほど距離があります。

えらい立派な「冠木門」と冠木橋。

湿地帯の軟弱な地盤の上に大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいます。それでも沈下は避けられず、頻繁に石垣の修復が必要だったそうです。

冠木門から入って天守下。天守台に上がる階段は1970年の復元工事で作られた物。それ以前の城への侵入経路はよく分かりません。

内部は資料館になっています。今回は中までは入りませんでした。

16世紀から残っている石垣と復興時に積み直された石垣と色や風合いがまったく違います。

本丸の中で天守と向かい合わせにある諏訪護国神社。明治33年建立。

建造物の破却の翌年(明治9年)から本丸は高島公園として公開されていました。

石垣の上端から道を挟んだ諏訪市役所に向かって直接歩道橋が掛けられています。堀は道路を作る際に埋め立てられて半分程度の幅になりました。

この辺りは一番古い石垣がよく残っています。

最初の冠木門の方に戻って来ました。角櫓は公園の茶室として建てられたなんちゃって櫓。


上諏訪駅までの帰りは城下町や甲州街道沿いに残る古い建物を見ながら。狭い範囲に5軒の酒蔵が集まっている一帯もあります。写真が多いのでまとめてしまいます。

上諏訪駅で休憩していたRさんと合流。駅に到着して10分もしないうちに空に厚い雲がかかっていきなり強い風と雪。
Twitterを見ていたら「お土産屋さんで犬を見てたらものすごい雪が降ってきたりした」というコメントと共に猛吹雪の写真を投稿した人が。
写真は上社本宮の御柱前です。午前中にはそこにおりました。危なかったなー。
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秋の諏訪旅③諏訪大社四社巡り

2023年11月22日 | たびたび旅
二日目は宿泊したホテルがサービスとして提供している諏訪大社四社巡りのバスツアーに参加。
諏訪湖畔にホテルはたくさんありますがこんなサービスがあるのは「しんゆ」さんだけです。それでいて2食付きの宿泊費も決して高くはありません。おすすめ。
マイクロバスは通常座席21に補助席の6つもフルに使って満席。「ツアー始まって以来の満席」だそうです。

ホテルから25分かけて最初に来たのが上社前宮。諏訪大社の4か所の社の中で最も古くに創建されたことになっています。諏訪大社発祥の地。
諏訪大社の他の3つの社には「本殿がない」という特徴がありますが、ここ前宮だけは拝殿の後ろに本殿があります。現在の社は昭和7年に伊勢神宮の御用材で建てられたもの。

手水社はなく、脇を流れる清流で手を清めます。

4つの社にはそれぞれに4本の御柱が建っています。柵で囲われていますが、手を伸ばして触れると何やらご利益があるようです。

参道から駐車場に下る。駐車場からここを登って来て参拝するのが本来のルートですが、濡れた落ち葉で危険ということでバスが拝殿すぐ近くまで登ってくれました。

銀杏の絨毯。

全国的に知られる神社なのに上社前宮の周辺は売店もなく静かです。

再びバスに乗って2社目の上社本宮まではわずか5分。
諏訪4社を自力で回るのは大変と聞いていましたが、上社2社は最寄りの茅野駅から徒歩で往復して8km、下社2社は下諏訪駅から往復して3kmです。JRと徒歩で充分回れます。

祈祷殿に架けられた御幕に梶の葉の神紋(神社の家紋)。根の部分が4本です。これが後で行く下社では5本に変わります。

上社本宮一の御柱。2022年の御柱祭りで人の手によって山を下り川を越えて運ばれてきたもの。次回は2028年だそうです。

昭和に建て替えた上社前宮以外の3社には江戸以前に建てられて重要文化財指定になっているものが多数あります。上社本宮はこの神楽殿はじめ6つの社殿が重文です。

駐車場に近い石鳥居ではなく写真奥に見える銅の鳥居から入るのが正式ルート。巨木に圧倒されるRさんを探せ。

こちらも重文の布橋を通って拝殿に向かいます。

上社本宮弊拝殿。本殿はなく背後の山がご神体(神体山)。

本宮の駐車場前には何軒かの仲見世がありました。美味しいぜんざいを食べてから諏訪湖を通り越して下社二社に向かいます。
諏訪湖の北西から南東に15kmほどの長さで広がる諏訪盆地。その一番低い部分に溜まった水が諏訪湖です。

30分走って下社春宮。上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮という組み合わせです。

正中に神楽殿。鳥居から拝殿を塞ぐような位置に神楽殿があるのを見た記憶がありませんが調べると「境内の中心に建てられることが多く」という記述もあります。
私は年間で50~100近くの神社を参拝していると思いますが、出雲大社みたいに神楽殿が拝殿を兼ねているのを除いてこの配置の神社は思い浮かびません。

神楽殿を回り込んで背後の幣拝殿へ。

境内から4分ほど歩いて万治の石仏。石鳥居を作るために石材にノミを打ったら石から血が出たので恐れおののいて鳥居を作るのを止めて阿弥陀仏を刻んだという伝説の石仏。
仏様を彫っている時は石から血は出なかったのかという疑問は残りますが、顔がかわいいので許す。周囲を3周してお参りします。

春宮と石仏の間も紅葉がきれいでした。

春宮からバスで5分で最後の秋宮へ。鳥居の先の参道が左右に分かれていて正中を歩かない造りになっています。
神社では中央を歩いてはダメ、端を歩きなさいというのは戦後、特に平成期に多く作られた嘘マナーのひとつですが、往復の人が左右に分かれた方が流れは良くなりますね。

春宮と同様に正中に神楽殿。春宮と秋宮は同時期に同じ図面から別々の棟梁が仕事を請け負い、技とスピードを競いながら建てられました。なので配置も同じなのは当然です。
神楽殿両脇の後ろに皮が剥かれて白っぽく見えるのが一の御柱と二の御柱。

幣拝殿。同じ図面からなのに屋根の形などに春宮との違いがあります。

神紋。上社本宮では4本だった根が5本になっています。

2年前に新車になったバスしんゆ号と運転手兼ガイドさんと記念写真。ガイドさんは赤い蝶ネクタイでビビる大木さんにそっくりでした。たぶん意識して寄せてる(笑)
9時20分にホテルを出て12時30分に上諏訪駅で解散でした。駆け足での参拝ですが充分に楽しめました。

白い線が本日のルート。諏訪大社4社の位置関係はこんな感じです。
コメント (2)
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