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ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

三重ツアー3日目・津~一身田

2025年04月12日 | たびたび旅

全国で泊まったドーミーインは今回の津で14館目。目指せ完全制覇。朝食はいつも美味しいのですが今回の松坂牛の牛鍋は本当に旨かった。もちろん食べ放題。
さらにその後名物のまむし丼(細かく切った鰻とたれをご飯に混ぜ込んだもの)も登場。朝からがっつりおかわりしました。

7時半からひとりレンタル自転車で市内散歩。津はLOOPのしかないのでちょっと不安でしたが小さな車体で実によく走りました。

津市で最も古いとされている四天王寺。飛鳥時代に聖徳太子によって建立されたと伝えられています。

空襲でほとんどのお堂を焼失しましたが、山門とこちらの鐘楼門は被災を免れました。鐘楼門はなんと梯子で登って自由に鐘を衝くことができます。もちろんやってきました。

塔世橋で安濃川を渡ります。津の市街地には北に安濃川、南に岩田川の2本の川が1.5kmほど離れて東西方向に流れていて、それを国道23号が南北に貫いています。
藤堂高虎はに2本の川を天然の外堀として利用し中央に津城を築きました。現在でも市の行政と商業の中心は2本の川の間にあります。
津駅や三重県庁は岩田川の北、いわば町外れに位置しています。川に挟まれた津城周辺の市街地にそれらを作る場所がなかったためです。
現在は駅の周辺もそれなりに反映していますが、津も城を中心にした市街地と駅周辺の市街地と2極化した街となっています。 高崎、金沢、名古屋、熊本などと同じです。

ということで安濃川を越えて津の核心部に入りました。こちらは津観音。終戦直前、7月28日の空襲で旧国宝を含む41棟の堂宇が焼失しました。

寺の周囲にいくつもの商店筋がありかつては門前町として繁栄していたことが偲ばれます。

岡三証券も津観音に近い大門西交差点付近が創業の地です。こちらのビルは屋根の上にドームシアターを設置してプラネタリウムなどを近隣に提供しています。

岡三証券の後ろに津城址のお城公園。

こちらもすごい数の桜が満開でした。これは昭和33年に建てられた観光用の模擬櫓。

津藩初代藩主の藤堂高虎像。築城の名手といわれ、従来の望楼型天主の欠点を改善するため層塔型天守を考案した武将とされています。

藤堂高虎を祀る高山神社。内堀の中には他にも市役所、裁判所、警察署など津市の中枢が集まっていました。

安濃川を渡って先ほど「町外れ」と表現した高台に三重県庁。1964年の竣工で設計は東畑建築事務所。TAKAO 599 MUSEUMや長門市本庁舎で登場しています。
この前の県庁舎は明治12年に建てられて現庁舎ができるまで使われ、その後明治村に移築されています。

三重県庁旧庁舎は2012年に明治村に行った時にけっこうしっかり見ていました。13年前の若きRさんの背後にある擬洋風の建物がそれです。

津市の中心部は津城周辺と津駅周辺の2極化と書きましたが、それに加えて駅の北西部に文化施設が固まっている地域が別にあります。
駅から800mの場所に三重県立美術館。1982年竣工。設計は富家宏泰率いる富家建築事務所。富家宏泰は1960~80年代にかけて関西、特に京都に大量の作品を残しています。
左右に長い建物で全長185mほどあります。竣工時に元々長かったものを2002年に坂倉建築研究所が中心になって行った増改築でさらに長くなりました。

そこから1kmほど北に行くと三重県総合博物館があります。初代の県立博物館が耐震基準の問題で2007年に閉鎖され跡を継ぐ形で2014年にオープンしました。愛称はMieMu。
設計は日本設計。周辺に県立図書館や大小のホールを含む三重県総合文化センターがあって、総合博物館とはデッキで連結されています。こちらも大きかった。

日本で発見された哺乳類では最大サイズの古代ゾウ「ミエゾウ」の骨格標本(レプリカ)がロビーに展示されています。
企画展は「金曜ロードショーとジブリ展」を開催中でたくさんの親子連れが朝早くから並んでいました。

市内散策の最後に昨夜、夜桜を見た偕楽公園へ。10時にホテルに戻ってチェックアウト。LOOPの自転車を使って2時間半で15kmほど中心部をぐるぐるしました。津、面白い!
津で一泊すると話したら「津⁈ あんなところに何か見るもんあるんですか?」と言った元名古屋在住の友人がいましたが、いろいろあると分かってもらえるかな。
ちなみに津のメーンイベントはまだこの後に控えているのです。

津発11時31分の紀勢本線でお隣の一身田駅。ちょうど下校する高校生の団体がいて津に戻る電車はキャメルの制服を着たJKの缶詰みたいになっていました。

趣きのある駅舎。wikipediaには駅舎については「明治24年開設」「大正12年駅舎改築」という文言しかありません。構造部分は確かに古そうでした。
ちなみに一身田駅は「いしんでん」駅。駅の近くにあるバス停は「いっしんでん」でした。地元のガイドさんは「にほんとにっぽんみたいなもの」と言っていました。なるほど。

一身田には真宗高田派本山専修寺を見学に来ました。まずは門前で100年以上続く食事処五郎太夫でデミグラソースのかつ丼を食べました。Rさんはきしめん。

事前に予約しておいたボランティアのガイドさんと合流。まずは京、江戸、伊勢の3方向に向かう交差点にあった道標を見て

一身田寺内町の館でジオラマを見ながら寺内町の成り立ちを解説。栃木県にあった高田派本山をこの地に移すために15世紀に計画に作られた街であることを理解します。

専修寺も別項目でまとめますが少しだけ。最初に行った太鼓門。長屋門の上に層塔の櫓が乗るというユニークな形。重要文化財です。

東京ドーム2個分の広さがある寺院の中心は如来堂、御影堂の二つの国宝指定の大伽藍とそれを繋ぐ渡り廊下の通天橋です。
昨年リタイアして趣味でやっているガイドさんが高速でしゃべりながら案内をしてくれましたがこちらも全然時間が足りなかったですね。素晴らしい文化遺産でした。

津駅に戻って駅ビルの居酒屋で名物らしい津餃子とビールで休憩。揚げた巨大餃子は1980年代の学校給食で生まれて市内で広まったそうです。

近鉄80000系、特急ひのとりで名古屋へ。

ラグジュアリー感漂う車内。普通車にもバックシェルタイプが採用されていてシートを倒すときの気兼ねが不要です。
行ったりシートで名古屋までの移動を楽しむ予定でしたが、津餃子の時のビールが効いて5分で爆睡してしまったようです。
帰宅ラッシュ前に品川に着いて三重県ツアー無事に終了しました。
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三重ツアー2日目・鳥羽~浦村~津

2025年04月11日 | たびたび旅
二日目、朝から快晴。昨日。6時半に起きて麻吉旅館の周囲を散歩。

朝食は上の写真に写っている渡り廊下の先の食堂でいただきます。

2016年のブラタモリ#40伊勢の会の時にタモリさんがこの橋の上で写真を撮っていました。(写真は宿にあったブラタモリ本から)

窓の外の満開の桜を見ながら朝食。玉子焼きと鯵とサラダと海苔と味噌汁。必要充分にして美味。

子供たちの声が聞こえたのでサッシを開けて外の狭いテラスに出ると高台の小学校に向かう子供たち。麻吉旅館の階段が通学路になっていました。この写真好き。

8時15分チェックアウト。2食とお酒がついて二人で3万円ほどです。五十鈴川駅までは徒歩で12分ほど。近鉄に乗って鳥羽駅まで16分。
北海道の鉄道が終点のことを「終着」と言うことは知られていますが、三重の鉄道では「次は鳥羽。この電車は次までです」という直接的な表現をするのが面白い。

鳥羽水族館まで駅から徒歩8分。今日は午前中に水族館でラッコを見て、午後は別行動の予定。私は建築見物。Rさんは鳥羽湾を巡る遊覧船に乗る予定です。

近鉄特急とその後ろに鳥羽城址公園がある城山。水族館の後はあの上まで登ります。

鳥羽水族館は9時30分開場。平日の朝なのに入場ゲート前は長蛇の列ができていました。入場と同時にその全員がラッコの展示場を目指します。
かつては日本中どこの水族館に行っても見られたラッコですが年々減少し、現在ではここ鳥羽水族館にいるメイとキラの僅か2頭を残すのみとなりました。

「ラッコのお食事タイム」は9時50分から。最前列は1分間の入れ替え制です。幸いにもラッコが飼育員さんと戯れる一番良いシーンを最前列で見ることができました。
そもそも今回の三重旅行はRさんの「ラッコを見たい」という長年の願いから企画が始まっています。これで旅の目的の9割は達成したと言えます。

鳥羽水族館は規模も大きくて見どころたくさん。月曜のあさイチなのでラッコ以外は空いていてゆっくり好きなものを見ることができました。

水族館を11時前に出て徒歩で城山に登りました。石垣に沿って桜も満開。

今年もたくさんの場所で桜を見ましたが、ベストは?と聞かれれば鳥羽城址と答えます。

一番高い所で標高40m。このTOBAのモニュメントが海岸線からも良く見えました。

鳥羽湾とミキモトの真珠島を臨む。今日、快晴になったので今年は他で多少雨に当たっても文句は言いません。

バスと遊覧船のターミナル近くの古いビルのうどん屋さんで伊勢うどんを食べました。ふわふわで箸で持ち上げると簡単にちぎれ落ちます。ここで一旦解散です。

私は小さなコミュニティバスで志摩半島のリアス海岸を南下、牡蠣の養殖で知られる浦村町の高台にある鳥羽市立海の博物館に来ました。

建物は内藤廣の設計で1992年にオープン。事前に写真で見てイメージしていたよりはるかに大きな施設でした。
ここに海女や漁、木造船、海の祭り、海の環境など、海に関する約6万点(含 国指定重要有形文化財6879点)の民俗資料を所蔵し、展示しています。
詳細は別途まとめます。

行きと同じ運転手さんが運転するかもめバスで鳥羽駅に戻ります。全然見足りなかったのですが、このバスの次が2時間後なので仕方ないです。

Rさんと鳥羽駅で再開してJRの快速みえで津へ向かいます。初日に桑名で時間を使い過ぎて行く予定だったのに断念した松坂駅でホームだけ撮影。
まつざか、じゃなくて「まつさか」なんですね。知らなかった!

遠目で見ると「?」マークにしか見えないと評判の津駅の看板。ひとつ先が「阿漕な商売」などと使われる元となった阿漕湾のある阿漕駅。

津駅から歩いて1分の場所にあるドーミーイン津にチェックイン。しばらく休憩してから夕食に鰻を食べに行きました。
戦前は市内に養鰻業者が200軒もあった津市。現在養鰻所はひとつもありませんが、鰻文化は残り鰻の消費量は全国でもトップクラスです。

駅周辺に3店舗ある大観亭の栄町本店でひつまぶし(中)を食べました。皮は炭火でカリカリに焼かれていてだし汁と合わせてちょうどいいくらいの濃い甘辛たれ。
美味しかったです。これで2900円なので都市部で食べるのより3~4割安い印象です。

食後に線路の反対側にある偕楽公園に夜桜を見に行きました。
2024年は滋賀旅行でどこに行っても桜が満開でしたが、今回の三重旅行も開花が遅れてくれたおかげでちょうど見頃のタイミングになりました。

津駅から歩いても3分程度。上野公園より駅近な場所にこれほど大きな公園があるというのはすごい。

元は津藩11代藩主藤堂高猷の別荘だった庭園です。地元のテレビ局のアナウンサーとクルーが園内回って撮影をしていました。
ということで二日目も濃度濃い目で一日楽しみました。鳥羽城址歩きが多かったので18,315歩。
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三重ツアー1日目・桑名~五十鈴川

2025年04月10日 | たびたび旅

二泊三日で三重県を旅して来ました。夫婦で三重県に行くのはにっぽん丸で行った熊野古道とバスツアーで行った伊勢神宮に続いて3度目。
今回は今まで素通りしていた三重県北部から、日本で最後のラッコが見られる鳥羽、県庁所在地の津市までをがっつり組み込んでみました。

新幹線で名古屋に来てJR東海の快速みえに乗り換えようとしてら大勢の人が規制ロープで留め置かれて地下通路からホームに上がれない異様な雰囲気。
何事かと思ったらこの日はF1GPの決勝が行われる日で、鈴鹿に行こうと世界中からファンが結集していたのでした。
私たちはF1目的ではないと説明したら優先的にホームに上がらせてもらえて予定の「みえ3号」に乗車できましたが中はご覧のような混雑。7割外国人。
駅員さんからは「鈴鹿の手前で降りるのは難しい」と言われていましたが、東京のラッシュになれた身からするとラッシュとは言わない程度のゆるい込み具合でした。

快速で一つ目の桑名で下車して八間通りで東へ。諸戸氏庭園前の堀では桜が満開でした。

旧諸戸清六邸、六華苑。大正二年に完成した山林王の邸宅の洋館部分はジョサイア・コンドルの設計です。
「いだてん」では三島邸となって、この芝生で天狗倶楽部の面々が上半身裸で踊っていたのも記憶に新しい。六華苑は写真が多いので後でまとめます。

木曽三川の揖斐川、長良川の合流地点から河口方向へ。住吉浦で住吉神社に参拝。大阪の住吉で幼少期を過ごしているのでここは必須です。

七里の渡跡の櫓とその周辺の桜。三日間の旅行から帰ったその夜に録画しておいたブラタモリを見たらいきなりこの場所から番組が始まって驚きました。
江戸時代には船を使って渡る東海道の一部だったことや伊勢路のスタートとしての鳥居の話など旅行前に聞いておきたかった話がいろいろありました。

桑名城の堀跡の九華公園を南に駅に戻ります。

旧東海道に古い街並みや建物が残っています。こちらは大正14年に建てられた旧四日市銀行桑名支店。現在は桑名石取祭の祭車行事を紹介する施設になっています。

桑名駅正面にある商業・住宅施設「桑栄メイト」。都市再開発法に基づく「日本の市街地再開発竣工の第1号」として昭和48年に建てられました。
2020年に閉館し5年間放置されていますが今後取り壊しの予定です。今、全国で盛んにやっている「再開発」も50年在り続けるのは難しいだろうな。

駅中の伊勢ノ国食堂しちりではまぐり天うどん。桑名の焼き蛤はなかった。Rさんははまぐりフライにしらす丼を食べました。

桑名から近鉄名古屋線で五十鈴川へ。近鉄の転落防止幌は適度に固いゴム製の突起でした。

五十鈴川駅からタクシーで満開の五十鈴川河畔の桜。土手の上の桜は写真の通りすごくきれいですが、土手の両側がだだっぴろい駐車場なので風情は薄いです。

駐車場脇にある赤福五十鈴川店へ。前に行ったおかげ横丁の本店から徒歩5分くらいの場所ですが本店が大行列の日でも五十鈴川店はすんなり入れます。
普段、紺色の暖簾が桜の季節だけピンク色に変わります。

父親が四日市の出身で実家と行き来する度にお土産は赤福でしたから、子供の頃は本当にしょっちゅう食べていました。この年で食べてもやっぱり美味しいです。

赤福から少し歩いて二度目の猿田彦神社に参拝。

伊勢神宮内宮まで1kmという距離まで来ていて、今回はここから真逆の外宮方向に向かって伊勢古市参宮街道を北上します。今回は神宮には行きません。

牛谷坂の下り始めに両宮常夜灯。徳川幕府の頃からお伊勢参りに向かう人に明かりを灯していました。

坂を上り切ったあたりに参宮街道資料館がありました。入場無料。
年間500万人が伊勢を訪れていた江戸時代に、外宮と内宮を繋ぐ参宮街道の中央にある古市が日本三大遊郭として如何に栄えていたかを解説してもらいました。
最盛期の天明期(18世紀後半)には妓楼70軒、遊女1000人を数え、「東海道中膝栗毛」にもその賑やかさが描かれています。

この日に宿泊する予定の麻吉旅館も江戸時代に建てられた料理旅館を現代に引き継いだ文化財の宿です。資料館に古い写真がありました。

右も左も下っている尾根の参宮街道。この街道沿いに70軒の妓楼があったと思うとさっきまでより味わい深く感じます。

猿田彦神社から1.5km歩いて麻吉旅館に到着。

麻吉旅館も写真が多いので別途まとめますが、とてもすごいのでチラ見せ。急な傾斜地に懸造りで立てられた五層六階。この階段の左右とも旅館の建物です。

通された「長寿」の間からも桜が見えました。

夕食は個室の食事処で。もずく、めかぶ、サザエ、鰤などの海鮮から最後は松坂牛で。塩分も量も控えめで美味しかった。さすが料理旅館の末裔です。
公式サイトから予約すると飲み物が1杯サービスで提供されます。伊賀の吟醸酒が回って10時前に就寝。初日の歩数は14,450歩でした。
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湯檜曽駅から伊香保温泉

2025年02月08日 | たびたび旅
水上温泉一人旅二日目。

除雪車の音で目覚めて、そのまま起きて3度目のお風呂。
上越線の運行情報を見たらやっぱり水上から長岡の間は上下線とも新潟県内の大雪で全面運休になっていました。水上辺りは大したことないんですがこの先がすごいらしい。

朝食もお膳で部屋食。全国の雪のニュースを見ながら食べる。切り干し大根とか湯豆腐のポン酢とかさりげない物がすごく美味しい。

変更後の計画では8時40分の上越線で湯檜曽駅から水上に戻る予定でしたが、それを9時37分の関越交通バスに変更したので1時間ゆっくりできました。
湯檜曽駅を使わなくなったので散歩がてら見学に行きました。
湯檜曽橋から見る上越線第一湯檜曽川橋梁(昭和6年)。すぐ左手に湯檜曽駅上り線ホーム。右に鉄道ファンに大人気のあの湯檜曽ループがあります。あの?

反対側を見ると谷川連峰。かつては湯檜曽駅を出て上越に向かう列車はこの山の中で直径1kmの輪を描きながら高度を稼いでいました。
その後、新清水トンネルができて高低差なく地下を進むことができるようになったのでループ線の意味はなくなり、現在は水上方面への下り線として使われています。

湯檜曽駅の入り口。事前に写真を見ていて公衆トイレくらいのイメージでいたら実物はけっこう大きかったです。あるある。

はいってすぐに地上にある上り線ホームと地下にある下り線ホームに行き先が分かれます。まずは上り線ホームへ。

雪のホーム。このホームから湯檜曽ループに入る列車が見えてその後山の中をぐるっと一周した列車がホームに入線して来るので鉄の人にはたまらないらしいです。
私は鉄ではありませんがこういう駅の構造や風景はなかなかぐっと来ました。

今度は地下の上り線ホームへ。ホームはこのトンネルの突き当りから左右に伸びています。

なんとホームに来るはずのない電車を待っている人がいたので運休を教えてあげました。

ホームの端まで行って土合方向を見る。

湯檜曽郵便局の前では駐車場を除雪中。除雪車なんて滅多に見ないので作業が珍しくて面白い。

再び湯檜曽川。実はこの辺り、昨日の午後に来た時にも写真を撮っていたのですが、雪が積もった後の方が面白くて昨日のは全部ボツになりました。
チェックアウトの前にもう一度温泉に浸かりました。都合4回目。

9時37分のバスに乗るために9時半に宿を出ました。「ゆびそ温泉街」のバス停は林屋旅館の目の前です。
このバスがさすがにほぼ30分遅延しました。途中、知らない間に運休になったのではと不安になりましたが関越交通を信じて待ちました。この雪なので仕方ない。

水上駅までは10分足らず。乗り換えの間に転車台のそばに展示してあったデゴイチを見たりしました。

水上から渋川まで38分。渋川から再び関越バスで22分で伊香保温泉へ。谷川岳ロープウェイが運休で二日目の予定がなくなったので温泉をハシゴすることにしたのでした。

伊香保にはゴルフ始めたての頃に一度来ていますが、その時はホテルとゴルフだけでした。なので有名なここも実は初めてです。

階段に与謝野晶子の詩が彫られていました。そういえば泊まった林屋旅館も与謝野晶子・鉄幹夫妻も投宿したと書かれていました。図らずも与謝野旅。

365段の階段の天辺に伊香保神社。上に登れば上るほど人が減って来るのは当然のことでしょうか。今、伊香保といえば普通の目的は食べ歩きです。

伊香保神社に参拝。私の目的地はさらにこの奥です。

元々2月の平日で人も少なかったのですが、神社の先はさらに静かになりました。

身体にはいいらしいのですが日本一まずいと評判の源泉を飲める飲泉所。私は飲みませんでしたが鉄の味が濃いそうです。
伊香保神社から歩いて10分で伊香保露天風呂に到着しました。昨日の旅館のお風呂は最高だったのですがそれはそれとしてやっぱり外のお風呂にも入りたかった。料金600円。

お風呂は男女別々です。脱衣所はなくて右手に見えている屋根の付いた場所で服を脱ぎます。さすがに寒いしお風呂入っている人からもよく見えます。
お風呂は仕切りで分かれていて右側が温め(38度くらい)、左が熱め(といっても40度くらい)です。源泉そのままのかけ流し。こちらも最高でした。

帰りのバスの時間まで温泉街をぶらぶら散歩。こちらは大正9年に建てられた本館が現役の横手館。2食付きで2万円以下なので行きたい候補の一つです。

階段街の入り口から見る山々。奥の白いのは谷川岳あたりでしょうか。

バス待ちの間に薄日が差してきて階段を流れるお湯の湯気がきれい。
久しぶりの一人旅。今回も上々の出来でした。
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土合駅とみなかみ18湯・湯檜曽温泉林屋旅館

2025年02月07日 | たびたび旅

高崎まで行く場合、今までは普通に大宮から新幹線に乗っていましたが今回初めて赤羽から湘南新宿ラインと高崎線で行ってみました。ちょうど90分かかりました。
運賃は新幹線だと3560円で在来線だと1690円。新幹線だと時間は45分短いけど値段は倍以上。
そんなに大きな節約ではありませんが、いくつかは名前も聞いたことのない駅に停まる90分はけっこう楽しかったので、今後も(一人旅なら)アリだなと思いました。

上越線で水上駅。水上駅で長岡行に乗り換え。うっすら雪が積もっていました。今季最大の寒気団による大雪が心配されていましたが2月4日はなんとか運行していました。

水上駅から二つ目の土合で下車。日本で一番深い地下にホームがある土合駅が今回の最初の目的地でした。

電車が去った後のホーム。1967年に完成した全長13kmの新清水トンネルの中にあります。

ホームから改札までは標高差82m、長さ338mの階段を登らなければなりません。
土合駅をブログに書くのは2度目です。2021年に谷川岳登山をした時、帰りに立ち寄ってもらって地上からこのトンネルを覗くところまでは見ていました。
登山の後だったし、さすがに用もないのにこれを降りてまた登るのは気が進まなかったので止めておきましたが、いつか登りたいとは思っていました。

家から3時間半かけて来ているので大事に登ります。階段は傾斜が緩やかで疲れにくい構造になっています。片側には溢れる地下水を流す水路が。

所々にベンチが設置してあって休憩出来ます。

登り始めて13分後。350段くらい?終端がよく見えてきました。一緒に土合で降りた客は3人いましたがみんなすたすた先に行ってしまってほぼ貸し切り状態でした。

「ようこそ土合駅へ」に迎えられて階段はひとまず終了。このかまぼこ型の屋根を覚えて置いて下さい。

カマボコ通路の窓から外に雪がたっぷりあるのが見えます。

カマボコの先で短い階段があって最終的に488段と表示してありました。カマボコの先は四角いコンクリートブロックの通路に変わります。この先が改札口。

改札を抜けて駅舎に入りました。5年前の夏に来た時は役務室がカフェになっていましたが誰もいませんでした。

駅の外は雪。
この駅から少し登った所に谷川岳ロープウェイがあってそれが昨年、星野リゾートの運営になって名前も「谷川岳ヨッホ」と変わりました。
さすが星野で、ゴンドラを貸し切りにしてランチをするとかしょもない企画があったりしますが、私もそもそもはロープウェイで雪の天神平を見るつもりでした。
ところが出発の前夜になって冬季はロープウェイが火曜と水曜は運休と分かって大ショック。そこから慌てて計画の練り直しをしたのでした。

でもとりあえず土合駅は見たかった。でも階段を488段上ったらもうここに用はありません。1時間後にやって来るバスを待つだけです。
バス停を確認しに国道まで出ました。振り返ってさっき歩いていた通路が国道を渡る歩道橋でもあったことを知りました。
左側のさび色の屋根がカマボコ通路で、その右の道路を越えている部分がコンクリートブロックの通路です。

ストリートビューで見るとバスの待合所があるのですがバス停の標識ごと雪に埋もれていました。
こんなところに本当にバスは来るんだろうか。不安になって関越交通に電話で問い合わせたました。来るというので駅の待合で40分待ちました。

ほぼ定刻にバスが来ました。終点の谷川岳ヨッホから折り返しで2停留所目なのでそんなに遅れないようです。
でもロープウェイ運休の日でも、ちゃんと休まずにバスが走るのは本当にありがたい。関越交通は神。

車窓から楽しむ雪景色。乗客はもちろん私だけ。
余談ですが、ロープウェイで登った先の天神平スキー場はその季節で一番最初にスキーができるようになるゲレンデで、若い頃何度か滑ったことがありました。
10年前に断捨離をした時に、スキーウェアから1990年代のリフト券がいろいろ出てきた話を書きましたが、残念ながら天神のはなかったです。

バスで10分ほどで「ゆびそ温泉街」下車。ゆびそというのは水上駅と土合駅の間にある湯檜曽のことです。
頼りにしている「山と温泉のきろく」ブログで2023年コスパ最強温泉宿の第6位に選ばれた林屋旅館さんへ。

まずは冷えた身体を昭和初期の姿を残すレトロタイルな温泉で温めます。

宿のすぐ脇を流れる湯檜曽川の渓流に積もる雪を見ながら。いろいろ温泉行っていますが、お風呂としての気持ち良さで言えば過去最強に思えました。

泉質とか成分とかphとかよく知らないのですが、とにかく湯舟の全ての場所がちょうどいい温度。40~41度くらいかな。ほんとうに染み渡る気持ち良さでした。
宿所有の源泉からのお湯が1分間に80リットル、24時間、常に出続けています。入浴も24時間可能。

夕食は部屋にお膳で運ばれてきます。スタートはこの状態から。味も量も文句なしです。

館内は隅々まで清掃が行き届いていてきれい。お布団の敷き方も芸術的に美しいです。一番安い道路側の6畳間で朝夕部屋食。1人泊で税込み15,400円でした。
これはわざわざこのためだけに来てもいいよな。新幹線を使わなければ都内から往復で5,280円で来られます。合わせても2万円ちょい。
私的には理想の宿でした。そのうち二人でロープウェイのリベンジ兼ねて再訪しよう。
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法師温泉長寿館 未公開写真

2025年01月26日 | たびたび旅
本編で使われなかった法師温泉の写真たち。

上毛高原駅からバスで向かっている途中にずっと見えていた白い山。地図で見て苗場山なんだろうと推測。
そして走っているこの道が国道17号であることも分かりました。板橋からこの道をひたすら(167km)ほど歩けばほぼ曲がらずに法師温泉に行けると知りました。

長寿館のホームページの「アクセス」には行き帰りに乗るバスが指定されているのですが、帰りの指定では猿ヶ京でのバス乗り換え時間が僅か4分でした。
どんなところかまったく分からないので4分の乗り換えが大丈夫なのか心配していましたが、現地に行ってみたら4分どころか4秒で乗り換えできる位置関係でした。(写真参照)

長寿館。法隆殿2階から見る本館玄関。

平成元年に建てられた法隆殿。一番新しい建物ですが外観だけだと有形登録文化財になっている棟とぱっと見はそれほど差がありません。
見えている部分は特別室と呼ばれる一番豪華な部屋。2階右端はスェーデン皇太子がお泊まりになったお部屋だそうです。

法隆殿内部。さすがに内部の木材は他と比べて真新しさを感じます。2階は廊下と部屋の玄関が渡り廊下で接続されている凝った作り。
1階の廊下が雪で埋まっても2階の廊下脇の吹き抜けから光を取り入れるためではないかと推測。

本館脇から三国峠に繋がるハイキングコース方向。

法師川を渡る橋から。右が別館。左の竹垣風が法師の湯。本館は部屋にトイレがないので次にと丸なら別館かな。

つらら萌え。

日本秘湯を守る会の提灯。1975年に33軒で始まった秘湯の会。今年で発足50年。最新版のガイドブックでは147軒に増えています。

法隆殿と渡り廊下。この部分の造形が見事で宿の人気に大きく寄与していると思われます。
これができる以前の写真を探したのですが見つからず。

法隆殿72番しゃくなげの間。部屋番号が72だったのでゴルファーなRさんは喜んでいました。

しゃくなげの間のこたつルーム。食料持ち込んでここで自炊もできるってことでしょうか。

お風呂はもちろん撮影不可ですが、他の人がいないタイミングで脱衣場の窓越しに1枚撮ってみました。急ぎ過ぎてピント合いませんでした。

1回目の風呂上りにハートランドビール。美味しかった!

夕食のスタート時の写真。この後焼き物、煮物、揚げ物の暖かいのが順次提供れされました。

しゃくなげの間から見る夜の本館。本館にはトイレはないけど2階だとテラスがあるんですね。意外と夏はいいかもな。

珍しく非常にクリアに映りました。日常は無音カメラ使いですが夜景はやはりiPhone標準のカメラがきれい。

星空。本編の写真はこの写真の一部をトリミングして使いました。

渡り廊下から見る別館と雪。

朝食の2杯目のご飯と温泉玉子。美味しかった。

長寿館入口。立ち寄り湯の客用に広い駐車場があります。

法隆殿に行くには「鹿のはく製の前で折り返して階段上る」なのですが何度も間違えて通り過ぎてしまいました。

宿泊棟ではない作業小屋とか土蔵。薪が積まれているのを見て宿の人にどこで使うのか質問して、囲炉裏のスペースがあることを知りました。

脇にお茶のセットがありましたがお湯が湧いている鉄瓶をどうやって持ち上げればいいか分からず断念。
フタとって柄杓でお湯だけ汲みだせばいいのかな。でもそれだと火の上にお湯が垂れて灰が舞い上がりそうでもあるし。
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法師温泉 長寿館

2025年01月21日 | たびたび旅

ちょっと遅めの年始旅行で群馬県みなかみ町の法師温泉に行ってきました。
板橋から埼京線と新幹線で70分で上毛高原。そこから関越交通のバス40分で猿ヶ京。水上町のコミュニティバスに乗り換えて15分という行程です。
宿は明治8年創業の長寿館ただ一軒だけ。

建物は4つの宿泊棟と3つのお風呂、食事処の建物が渡り廊下で繋がっています。なかなか複雑な形ですが出入り口はここ一か所です。

玄関入ってすぐの吹き抜け。ホテルのロビーのような場所です。鎮座する巨大な丸太のテーブルは樹齢千年の梅の樹で作られています。

その脇には囲炉裏の間。
到着からチェックインの時間まで30分あったので、先に館内を探索に行きました。こちたは本館と法隆殿を繋ぐ渡り廊下。

敷地の高さが違うので本館の2階が法隆殿の1階になります。平成元年に建て替えられた法隆殿は館内で一番新しい建物。私たちはこちらの部屋に泊まりました。

本館を挟んで法隆殿の反対側、渡り廊下で法師川を渡った先にある別館。宿泊棟では本館と別館が登録有形文化財指定を受けています。

ちょっとだけ外回りも見学。100mほど上流に向かうと小さな薬師堂がありました。

三国峠に向かうハイキングコースもあってたくさんの高山植物が見られるようですが、こんな所を進んでいく勇気はありません。

3時になってお部屋に案内されました。今回は快適さを最優先にして平成築の法隆殿。1階のしゃくなげの間。
踏み込みの先に8畳の和室。応接セットの置かれた広縁、衣装ダンスとキッチン、テレビの置かれた4畳半の掘りごたつとけっこう広かったです。
やはり狭い所が落ち着く修正なので寝る以外の時間は4畳半の掘りごたつでうだうだ過ごしました。

3つのお風呂は男子専用、女子専用・混浴とタイムテーブルが決まっているので計画的に入ります。
こちらは法師温泉の代名詞となっている法師の湯。(写真は宿の公式からお借りしました)
昭和56年に高峰三枝子上原謙が国鉄のフルムーン旅行のポスターを撮影し一躍全国に知られることとなりました。明治28年に作られた建物浴槽が現在も使われています。
20時から22時の2時間を除いて混浴なのですが、一切目隠しになるものはなくお湯も透明なので女性にとってはかなり難易度が高い混浴と言われています。
宿の口コミを見ると女性の裸を見る目的の通称「ワニ」も多いらしい。Rさんは朝5時ちょっと前に短い時間ですが混浴に成功しています。

16時40分から食事処で夕食。一番シンプルなコースで二人とも充分食べきれました。メニューもお味も大変良好でした。

食後はまたお風呂に入ったりテレビを見たり。晴天だったので星が見られるかもと思って長靴を借りて外に出て見ました。

満天の星空でした。美しい。昨年、肝心な時に吹雪いて見られなかった星空観測ツアーのリベンジができました。



翌朝も5時前からお風呂。法師の湯で少しだけ混浴してから玉城の湯へ。ゆっくりと空が明るくなっていくのをお湯の中から眺めていました。

長寿館の配置図。また違う季節に来て違う建物に泊るつもり。

朝食も美味しい。

帰りの時間は9時30分。猿ヶ京まで行くバスが午前はその時間しかないのでそれに乗るしかありません。もうちょっとゆっくりしたいけどこれは仕方ない。
最後に周辺を少し歩きました。

昨日のこの同じ場所の写真は青空の下で。今日は曇り空。雪景色の写真は意外と曇りの光がいい感じです。

最後に入り口の前で記念写真を撮ってもらいました。9時半のバスに乗ると12時には帰宅できます。

館内に飾ってあった昭和56年の国鉄ポスター。大正7年生まれの高峰さんはこの時63歳です。胸でか。いつの間にかその年齢を追い抜いてしまいました。
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きときとの富山⑥建築散歩・近代編

2024年11月02日 | たびたび旅
富山県湾岸の住宅の特徴については2021年秋の旅行の時に一通りまとめてあります
おさらいしておくと

・道に面していきなり建物。
・狭い間口に長い奥行きのうすっぺらい家
・切妻・平入り
・連結される妻と妻
・連結が切れるとトタン板
・角地は面取りされ建物もその形に追従する
・鬼瓦は1/3~半分くらいは経の巻

前回は富山県中心部の富山市と射水市の富山湾沿岸を歩きました。今回は東の魚津市、西の氷見市、内陸の五箇山などを見て回りました。

魚津の面取りハウス。好きなので面取りハウスだけでけっこう写真を何枚も取ってしまいます。

魚津中央通り商店街。

昭和31年9月10日の魚津大火で江戸時代から続く密集した商店街を含む1,600戸の建物が消失しました。
国による復興計画で再建されたコンクリートと耐火煉瓦による防火建築帯は総延長500mを越える大規模なものでした。
当時同じような防火建築帯は全国に見られましたが、魚津中央通りは60年前の姿をほぼ残している全国でも貴重な例です。
1965年に設置されたアーケードは老朽化して2019年に撤去されました。

表面上は同じデザインで一体感を出していますが全部が繋がっている訳ではありません。
築後60年を経て取り壊しや建て替えでその姿も変わりつつあります。

東山円筒分水槽の帰りに見た神社。アルミサッシでガラスで覆った寺社は富山ではとても頻繁に見かけます。

魚津漁港近く。部分的にアルミサッシ。

城端散歩中に見た変な門。この形式の屋根は中国か朝鮮半島の映像で同じようなのを見たような気もしますが詳細不明です。

昭和3年に昭和天皇即位を記念して城端織物組合事務所として建てられたもの。現在は改装されて織物体験や喫茶のできる観光施設になっています。こう見えて木造2階建て。

氷見の住宅。連棟の道路側が取り壊しになってトタンで覆った巨大な壁面が。

上のトタンの家を横から見るとこんなに薄っぺらい!

氷見市湊川沿いの美しい長屋。前回の旅行時に繋がっている家のどこまでが共通なのか悩みましたが、どうやら柱は各戸別で壁が共用になっているようです。
なので、片側だけを取り壊す際に片方の壁を壊すともう片方の壁の下地が出てきます。丁寧に作業しないと隣の家の壁も破壊して大変なことになります。

そんな苦労をして真ん中の家だけ壊した例(氷見市)
江戸時代の間口税のために幅が狭く奥行きが長い家が作られましたが、その狭い幅を目いっぱい活かす方法として壁の共有が一般化したと思われます。

もう何がどこでどう繋がっているのかさっぱり理解できない例。最高です。
経の巻に関しては魚津、氷見は富山、射水と大差なくバリバリの経の巻文化圏でした。まあそうでしょうね。
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きときとの富山⑤富山で食べたもの2024

2024年11月01日 | たびたび旅

あいの風とやま鉄道魚津駅に11時34分着。観光案内所でレンタサイクルを確保してからまずお昼ご飯にお寿司です。駅から徒歩5分の小政寿司。
漁港の町だからお寿司屋さんはよりどりみどりかと思いきや、いくつかある店は17時からの営業がほとんど。お昼にやっているのはこちら1軒くらいでした。
そのせいか11時半過ぎの入店ですでに8割席が埋まっていました。壁には焼酎のキープボトルがずらり。地元に愛される大衆酒場風なお寿司屋さんです。

ランチ寿司900円、ランチ寿司大盛り1,000円、おまかせ寿司950円とありました。こちらがおまかせ寿司9貫。
美味しくいただきましたが、さすが富山!とグルメ番組風に叫ぶ必要もなく。本当に普通でした。カニのほぐし身が2貫あったのは乗せ間違いなんじゃないか?

一日目の夜は「富山駅前御三家の一角」と幾多の酒飲みブログで称えられている大衆割烹あら川さん。

つまみの昆布〆3種とお惣菜。

ほたるイカの沖漬け。

本日の刺身盛り2人前。その他いろいろ頼みましたが海鮮以外は省略します。

〆のご飯ものに漁師飯。ご飯ひたひたにかかっている醤油とみりんのタレがかなり味が濃くてしょっぱい。食べ切るのに苦労しました。
ネットで見るこちらのお店はとても雰囲気の良い1階のカウンターと座敷席なんですが、この夜に通されたのはあまり風情のない2階席でした。
注文を取って料理を運ぶのも妙に年の若い(高校生?)アルバイト風でメニューについての会話も成り立たない。期待値が高かっただけに少々不完全燃焼の夜でした。

最後の漁師飯で口の中がからくなってしまって、それを中和させるためにコンビニに入って甘いものを購入(複数人数分です)。ホテルのロビーで初日反省会となりました。

翌朝、6時30分に朝食。料理数の少ないバイキング形式ですが、これが抜群に美味しかった。
以前、旅行中の華美な朝食は不要という話を書いたことがありますが、こちらは必要最小限にして美味。地元のおばちゃんの手料理でした。

五箇山菅沼地区のお土産屋さんあらいで食べた二日目の昼ご飯。山菜そばと五平餅。
美味しかったので美味しいというと「観光地だと皆さんハードル下げますからねえ」という謎の自虐コメントが帰ってきました。
まあ確かに五平餅など機械で大量に成形した業者用食品のように見えます。でも、実際くるみ味噌の味も良かったです。褒められたら素直にありがとうと言って。

二日目の夜はホテル近くの「越中の台所 きのか」さん。実は終盤まで写真撮り忘れてました。こちらは氷見牛ミンチカツ。

これは魚の種類忘れましたが〇〇〇の昆布〆。
こっちのお店は昨夜のあら川さんと違って前日に直前予約でした。食べログの点数やネットでの露出もあら川より少ないのですが、個人的にはこっちが上でした。
お料理も雰囲気も良かったし、お店の人も仕事に精通していてよく気がつく。お値段も安い。いい気分で過ごすことができました。お勧めです。

恒例となったロビーでの二日目反省会。実はきのかで〆を食べ忘れた結果。ファミマのおにぎり。157円でこの美味しさは異常。

三日目の朝食は前日と同じなので省略。白ご飯が本当に美味しかった。こちらは道の駅雨晴で食べたおやつ。紅茶とレモンのクローネー。

昼は氷見の湊川沿いで20分並んで食べた貪瞋癡 (とんじんち)の煮干しラーメン。極上。

最後は帰りの新幹線待ちの間に駅前のMAROOT買ったおこめぢゃやのくるみだんご。
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きときとの富山④雨晴海岸と氷見散歩

2024年10月31日 | たびたび旅

あっという間の最終日。最初に乗る予定の電車が8時20分発でしたので、6時半に朝食を食べた後1時間ほど環水公園まで散歩しました。
暑い雲の切れ目から立山連峰に注ぐ光が西洋の宗教画みたいで美しかった。写真には写りません。

富山から高岡で乗り換えて、JR西日本のローカル線氷見線で雨晴(あまはらし)。乗車したキハ40系は1977~82年に製造された気動車です。

改札を出たところに富山といえば必ず出てくる写真がありました。目の前の雨晴海岸は富山湾越しの立山連峰が見える場所として人気の場所です。

海の見える踏切。

果たしてと立山連峰は見えるのか。1ミリも見えませんでした。
写真手前の海岸には大小さまざまな漂着物が打ちあがっていました。大陸からのゴミかと思ったのですが、どうやら先日の能登豪雨の時に流れ出したものらしい。

右手の洞になった岩が義経岩。源義経が奥州下りの際にこの岩の下で家来と雨宿りをしたという伝説がありますが、100パーガセ。
たまたま地元の小学生が社会科研究に来ていました。

2018年にオープンした道の駅雨晴。船をイメージした白く細長い建物はなかなか見事でした。設計は広谷純弘+石田有作。
手前の石垣風の擁壁の上に氷見線と国道が通っています。私たちの乗った電車が到着した時に道の駅のテラスにたくさんの人がいて電車に手を振ってくれました。

道の駅の2階のカフェから。

9時2分に雨晴について10時3分の氷見線で氷見駅へ。氷見も駅周辺よりも1kmほど離れた漁港周辺が一番栄えているタイプの町でした。

氷見市立博物館。そこに地元の資料館があれば覗いて行きます。

湊川と富山湾の間の幅500mくらいが碁盤の目の街並みでした。隣と連結した棟と漆黒の瓦と経の巻。
岩瀬、魚津、氷見と富山海沿いの住宅地を見ましたがどこも個人的にはものすごく惹かれます。

港川沿いは特にきれいでした。

インバウンドとかオーバーツーリズムと無縁の世界。新日本風土記のテーマソングが頭の中で流れました。
地元の人には申し訳ないですが、観光客は金沢と京都と東京あたりに大量に囲い込んで、こういう所はそっとしておいてくれるとありがたいです。

海岸と平行だった港川が海に向かって90度向きを変える辺りにラーメン屋さんの行列。時刻は10時30分で公式の開店時刻までまだ1時間近くあります。
口コミを見ていると「行列が長いと開店時間が早まることもある」と書かれていたので並んでみました。

ラーメン貪瞋癡 (とんじんち)さん。食べログラーメンWEST百名店。店構えも最高です。

10時40分お店の人が出てきて案内を始めました。第一グループには入れませんでしたが、20分後には入店。11時12分にお目当ての煮干しラーメンと対面できました。
トッピングは別皿タイプ。煮干しは濃くてまろやか。プチプチ歯切れする麺は一番好きなタイプです。諦めなくて良かった。

ラーメン屋さんのすぐ裏手から朝日山公園に登ります。

山の上のお寺とお地蔵さん。

標高は40mくらい。ふたこぶの山の間を国道のトンネルが貫通しています。手前のこぶの上の展望台から能登半島方面を眺める。
ここから北に向かってもう鉄道はありません。氷見が富山湾川での「最果て」ということになります。

東側の山頂部は「東山公園見晴らしの丘」として平成10年から205年の歳月をかけて2021年に完成した新しい公園です。
海に面した氷見市街地の隣接した公園は災害時の避難場所として機能するように設計されました。
2024年1月の能登半島地震では氷見市も震度5強の揺れに襲われ、この公園や隣接するスポーツセンターに6,000人が避難したそうです。

さきほど「能登半島方面を眺める」なんて書きましたが、どうやら氷見市も能登半島の一部分のようです。半島って「ここから半島」みたいな協会ってあるんでしょうか。

朝日山公園の北側を沿う県道を西へ。すぐ脇にまっすぐに作られた国道415号線がありますが、1970年代まではこちらが幹線道路で、現在の国道は田んぼの中の畦道でした。

向かっていたのはこちら氷見市芸術文化館。2022年10月開館。最新設備を備えた800席のコンサートホールを中心とした市民のための文加施設。
設計は古谷誠章+NASCA。これは非常に素晴らしかったです。写真多いので別途。

氷見の滞在時間は2時間半。貪瞋癡のラーメンで50分を使ってしまったので漁港の方の見たいものをいくつも諦めなければなりませんでした。
まあ仕方ない。ラーメン美味しかったから悔いなし。
氷見氏は藤子不二雄Aこと安孫子素雄氏の出身地で、町の至る所に氏の生み出したキャラクターのオブジェが見られます。

観光名所「ハットリくんからくり時計」。橋の欄干で機械仕掛けの人形が動きます。毎時0分に大音響でショーが行われるので近隣の人には本当にお気の毒だと思いました。
ここから駆け足で氷見駅に戻り行きと反対に高岡経由で富山へ。14時10分のかがやきで富山を離れました。2泊三日の小旅行、無事に終了です。でもブログはもうちょい続きます。
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きときとの富山③小京都・南砺市城端

2024年10月30日 | たびたび旅
「城端」という町の名前は今回の富山旅行の計画を立てるまで一度も耳にしたことはありませんでした。城端と書いて「じょうはな」と読みます。
場所は富山県の最西部で金沢市と接しています。江戸初期に加賀藩への年貢支払いに窮した金沢の農民が集団で城端へ移住したような歴史もあったようです。

古くから善徳寺の門前町として栄え、16世紀からは五箇山で生産した繭を使った絹織物の生産で経済的にも発展した町には格子戸の町家や石畳の街並みが残されています。
高岡と五箇山を結ぶ世界遺産バスが、その途中に城端を通ることが分かってセットで見に行くこととなりました。

こんな通りが重伝建にもならずに残されています。左手前は絹羽二重製の造業からレーヨン、ポリエステルの薄地織物に特化した西川産業の何代目かの社長の別宅。

現在では廃業したところも多いのですが町のあちこちにかつての工場の跡が見られます。二階の連続水平窓と一階の屋根の上に明り取りのガラスがあるのが珍しい。

何の建物か不明ですが、このような和風の建物で1階屋根の中央にドーマー窓風の中二階が飛び出しているのが面白い。

大正8年に創業した城端醤油の元醸造所。現在は駅の北側に大きな工場を構え乳酸菌飲料などと共に生産を続けています。

隣にある城端醤油の倍菌室。古いレンガの壁と石造りの扉周りを残して小屋組みは近年新しく作ったように見えました。

これが私が一番見たかった風景です。川島通りの吉村絹織の工場と路地を跨ぐ渡り廊下。
観光案内マップにも川島通りは載っているので行けば見られるものと思っていましたがこれがまったく見つからない。
道を間違えたかと何度も周辺を歩き回りましたが結局ダメ。先ほどストリートビューで位置を確認したらやはり探し回った通りで間違いない。
2024年4月にここを旅した人のブログにはしっかり写っていたので、それ以降の半年の間に取り壊されてしまったようです。そういえば瓦礫が積まれた一角がありました。
ということで上の写真は南砺市観光協会のサイトhttps://www.tabi-nanto.jp/から引用させていただきました。
それにしてもこれほどユニークで価値のある建物が文化財指定も受けずに誰にも知られずに消滅してしまうなんて、、、、。まあいくらでもある話ですが。
ちょっと行くのが遅かった。今回の度で唯一の悔やみです。

川島通りのすぐ横の池川にかかる郭龍橋。

池川の対岸にはノコギリ屋根の織物工場が。

国道304号線西町通りの1本裏側の商店街。

城端のシンボル廓龍山善徳寺。さっきの郭龍橋の名前はここからか。こちらの巨大な山門は文化6年(1809)に上棟。
一層目の軒先が新しい木で支えられていますが、これは積雪対策だそう。
善徳寺境内には本堂、鐘楼堂など江戸期の建物がたくさんあって見ごたえ充分です。今回は町歩きメインなのでこちらでは省略。

柳宗悦の愛弟子・安川慶一が設計し、かつて善徳寺の研修道場であった建物が、「泊まれる民藝館 杜人舎(もりとしゃ)」として2024年にオープンしていました。
こちらは道場の門。唐破風の妻部分が溶けた飴のように垂れれがっている形が面白くて写真を撮りました。

善徳寺の外側を一周しました。城端は池川と山田川という隣接する二つの川の間にありその一番高い場所に善徳寺があります。

山田川から善徳寺に沿う坂は「ぼたもち坂」。

ぐるっと回って善徳寺山門が見えるところに戻りました。

呉服で財を成した野村家が明治36年に豪邸と共に建てた土蔵群。南砺市の観光案内に必ず出てくる有名な場所です。

土蔵を支える5色の石垣。ある程度加工した石を谷積み風に積み初めて中間部は打ち込み。最上部は下面のみ亀甲にしています。素朴に見えます手が込んでいます。

町のメインストリート、西松通り。金沢~城端~五箇山と繋ぎます。道路に面して立つ家の玄関が道路と平行でなくやや傾いているのが面白くて写真を撮りました。
狭い道が、町の中央部でクランク状に折れ曲がっていたのを平成15年頃に太い1本の道路にする際に道の方向が僅かに変わったためのようです。

城端庁舎前のバス停近くにある城端伝統芸能会館 じょうはな座。
城端といえば5月にはユネスコの無形文化遺産に登録されている曳山祭、秋には各町内や民謡団体が民謡を披露する「むぎや祭り」と伝統行事や芸能が盛んです。

城端を2時間たっぷり歩いて再び世界遺産バスの城端庁舎前バス停へ。意外なほど立派なバスの待合室に入った途端に外は土砂降りになりました。あぶねー。
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きときとの富山②五箇山合掌造り集落

2024年10月29日 | たびたび旅
富山二日目。富山駅から徒歩3分のホテルを出て7時24分のあいの風で高岡駅。駅北口の7番乗り場から加越能バスの世界遺産バスに乗車しました。
世界遺産バスというのは高岡駅から交通の便の悪い世界遺産、白川郷五箇山を回って戻る定期運航のバスです。通常一日5便出ています。
白川郷には一度行っているので今回は五箇山合掌造りの集落2か所を世界遺産バスで回って、その帰りにもう一か所越中の小京都と自称する街並みを見る計画。

8時10分に高岡を出たバスは9時43分に相倉口に到着。乗客は日本人、中国人、フランス人など10名ほど。空いています。

バス停から5分ほど歩いて相倉(あいのくら)集落に入ります。バスの待合にスーツケースを入れるロッカーがあるので大荷物の旅行者も身軽になれるのは素晴らしい。

菅沼集落に到着。広い駐車場があってバキバキの観光地ですが、これでも白川郷よりは「昔ながらの風景を残した静かな農村」と言われています。
それにしてもこんな広い場所があるなら世界遺産バスも乗り入れたらいいのに。きっと何か訳があるんでしょう。

舗装されたメインストリートを中心に合掌造りが20棟。白川郷は大小合わせて200棟の合掌造りがありますので確かにスケールも訪れる人の数も一桁違います。

天気予報は午前曇りで昼前から雨の予報でした。実際にここまでのバスも雨の中を走って来たのですがバスを降りた途端に太陽が姿を現しました。
旅行の度に毎回同じようなことを自慢げに書いて申し訳ない。

宿が6軒、食事と土産が2軒ありますがそれ以外は普通の住居として使われています。近年は都市部からの移住者も受け入れているようです。





集落の全景を撮影できるスポットへ。案内表示がこまめに出ているのですが「撮影スポットあと1分」の後が意外と長かったです。
いい眺めですね。

タイマーで記念撮影。気温は27度でしたが直射日光が暑くて汗をかきました。



子供用の自転車がひっくり返っているような生活感あふれる玄関前ですが私も含めて普通に観光客が歩いています。少し申し訳ない気持ち。
乗ってきたバスと次のバスの間は80分。合掌造りの建物を眺める以外に特にすることはないので時間としては充分です。


相倉口を10時53分に乗って11時8分に二つ目の合掌造り集落である菅沼に到着。道路は集落より30メートり下にあります。

バス停近くの坂道を歩いて下っても良いのですが100m先に駐車場と集落に下りるエレベーターがあるのでそっちを使ってみました。
エレベーターを地下3階まで降りて地下道を右に進むと菅沼集落に出ます。行きは徒歩でも知れていますが、帰りは圧倒的にエレベーターを使うのが楽です。

相倉集落よりさらに静かな雰囲気の菅沼集落。

菅沼集落の合掌造りは9棟。8棟が江戸末期から明治初期の物。1棟が大正12年に建てられたもので、ガイドブックでは新築扱いです。

建物の横に溜め池がありました。桜が咲くとこの1棟が撮影スポットになります。

11時半に土産・お休み処 あらいさんで山菜そばと五平餅を食べました。

神明社。富山地方では神明神社、神明宮がかなり多く見られました。

菅沼には1時間程度いられます。トンネルの反対側の合掌の里も見てみたかったのですが時間切れ。
エレベーターのトンネルに向かおうとしたらちょっと強い雨が降り出しました。一軒の合掌造りの軒下に椅子が出されていたのでそこで雨を見ながら雨宿り。
雨がちゃんと写真に写っています。幸い3分ほどで上がりました。

菅沼集落は庄川を堰き止めた小原ダムの上流なのでこの一帯だけ川幅が広くなっています。
帰りのバスは12時16分発。朝7時20分に富山駅を出れば午前中で五箇山観光ができるということです。
こちらに世界遺産バスの時刻表があります。
私が動いたパターンを簡単にまとめてみました。

事前にwillerのサイトで「五箇山フリーきっぷ」を買っておけばスマホを見せるだけで乗り降りできます。
今回は菅沼の帰りに高岡の手前の城端という古い町にも寄ったので合計4回乗り降りしました。別々に乗ると3500円のところ2500円のフリーきっぷ千円お得。
ちなみに今回のコースと同じタクシーでの観光があって、それだと二人で乗って5万円かかります。世界遺産バスありがたい。
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きときとの富山①魚津・東山円筒分水槽

2024年10月28日 | たびたび旅
JRの「えきねっと限定・トクだ値スペシャル21」で10月後半の北陸新幹線が30%割引で買えたので二泊三日で富山に行ってきました。

2度目の富山。前回は一人旅で2020年11月でした。その時に富山市内の主要な観光施設は見ていたので今回は富山市以外を見て回ります。
大宮から新幹線で10時46分に富山に到着して、そのまま11時10分発のあいの風とやま鉄道泊行きに乗車。

11時34分に魚津駅に到着。「うおづ」の現地発音は_/_です。「お」だけが上がる。英語のbananaとかtomatoに近い感じ。
ちなみに「とやま」は「や」と「ま」と両方上がります。「おかね」とか「たばこ」と同じ発音でした。

駅前の観光案内所で電動アシスト自転車を借りて山に向かって出発。この日の見物先は公共交通機関ではかなり困難。レンタカーはお金かかるし自転車が最善かつ唯一の策です。
旅行前にこの日だけは雨は降らないで欲しいと必死に祈っていました。太陽はほとんど見えませんでしたが気温は22度と快適。上等です。

今回の旅行での最初の神社、東山神社。4時間300円で借りた自転車と記念撮影。

魚津駅から25分ほどで到着しました。東山円筒分水槽。円筒分水槽というのは農業用水を決められた割合で分配するための装置です。
直径は9.12m。1954(昭和29)年の鉄筋コンクリート製。2020年4月に国の登録有形文化財に登録されました。完成から70年を経た現在もばりばりの現役設備です。

円筒の縁から流路迄の落差は2.9m。間近で見ると写真で見ていたより大きく感じます。

片貝川の対岸に貯めた水を片貝川の下をサイホン効果で163mの鋼管で越え、さらに135mの地下水路トンネルを使ってこの円筒の中央から噴出させています。
園の周囲に溢れる水量は円周の比率で分配されて近隣を潤す3つの用水に流れて行きます。

東山円筒分水槽の図解。

山側に用水堰のバルブがある場所まで階段で登ることができます。1枚目の写真はこの上から見下ろして撮りました。向こうに富山湾が見えます。
円筒分水は明治18年生まれの土木技師、可知貫一の発案を基に昭和の初めから30年代までに全国に作られ、現在でも200か所ほどで存続しています。
こちら東山円筒分水槽は「日本で一番美しい円筒分水」という特に根拠のない宣伝文句で有名になりましたが、確かに田園の中の幾何学模様はとても魅力的です。
富山旅行が決まった時に一番最初に行くべきところの候補になりました。

分水槽からの水が流れる田園地帯を魚津駅に戻ります。行きには気づきませんでしたが駅から5.8kmの間に100mも標高を上げていました。下りの帰りは楽ちんです。

魚津駅のやや西側で線路を越えて魚津港周辺へ。2か所目は魚津埋没林博物館。

昭和5年、魚津港改修工事で砂浜を掘削したところ地中から200株以上の樹根が出土し、そこが太古には巨木林だったことが判明しました。
魚津埋没林は、約2,000年前、片貝川の氾濫によって流れ出た土砂がスギの原生林を埋め、その後海面が上昇して現在の海面より下になったと考えられています。
埋没林にはその時代に生息していた動植物が残され、当時の様子や環境の変化を物語る貴重な資料として、昭和30年に国の特別天然記念物に指定されてました。

こちらは発見時の状態を再現している水中展示館。

乾燥させたものを展示している乾燥展示館。

発見時の場所をそのまま展示室にしたドーム展示館の3か所で埋没林を見ることができます。
正直私にはそれほど面白いものではありませんが、その筋の研究者にとっては過去にさかのぼる驚異の大発見だったようです。

円錐形のテーマ館の屋上から富山湾や魚津の町並みを眺めることができます。

魚津埋没林博物館のもう一つのテーマは蜃気楼。条件が揃えば不思議な蜃気楼の風景を見ることができるようですが、そんなに簡単ではなさそうです。

富山出身の彫刻家、大成浩によるモニュメント「風の地平線-蜃気楼」。縮尺代わりに腰かけているのは私。

味わい深い漁協の建物。

魚津神社。

1時間に1~2本しか来ない電車までの時間は3年前に特徴を把握した富山の住宅様式を再確認しながら魚津の町歩きを楽しみました。
ちょっと写真が多いのでまたいつか。

あいの風とやま鉄道金沢行き。大津のJRで見て知った転落防止幌の同じタイプのがついていました。
魚津から3時過ぎに富山に戻り。夕食の予約時間まで時間があったのでもうひとつ見たいもののために隣の呉羽駅まで往復しましたが、長くなるのでまた次回。
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はいさい沖縄2024④伊計島~瀬長島

2024年09月13日 | たびたび旅

伊計島で迎える4日目、沖縄最終日の朝。朝食が8時と遅めだったのでお散歩に。イツクマの浜は波も静か。

放し飼いのワンコに吠えられているところ。この後出て来たもう一匹と共に右の家から出てきた飼い主のお母さんに抱っこで回収されて行きました。かわいかった。
伊計島は100世帯、人口230人。家屋の数だけ見るともっと多いような気がしますが空き家も多いのかも知れません。

伊計島漁港前の堤防。自転車で釣りに来た少年のお目当てはイカだそうです。

呼ぶとすぐにやってきた美猫。

とりあえず積める物を積んで石垣に。

はなりびらの理想的な朝食。美味しかった。

宿の前で記念写真。お世話してくれたのは二日間一度も笑顔を見せなかったお兄さんでしたが、仕事は丁寧で部屋の清掃なども念入りにやっていることが分かりました。

再び海中道路で本土に戻ります。これは道の駅ならぬ「海の駅あやはし館」の歩道橋から撮影。

行きに寄れなかった安慶名城跡へ。高い石垣の下に安慶名闘牛場。闘牛が盛んな沖縄の中でも特に熱心なのがうるま市。
2005年に近代的なドーム型の闘牛場が作られた後でも、安慶名闘牛場は闘牛の聖地としてファンの心に残っています。現在でも年1~2回闘牛が開催されます。

高速道路で那覇へ。10年前に宿泊した瀬長島に来ました。当時は開発の真っ最中で島中工事中でしたが1年後にウミカジテラスが開業して一躍人気観光地になりました。
島の上の展望台には着陸直前の飛行機を撮影する人たちが集まっています。私の写真にはJALを迎撃に向かう赤とんぼが写り込んでいました。

展望台から見る瀬長島の砂浜。あの小舟はなんだろう。

レンタカーを返す豊崎へ。「那覇空港から一番近い楽園ビーチ」として2022年に開業した「豊崎美らSUNビーチ」がある豊崎海浜公園で最後の撮影。

豊崎から那覇空港まではレンタカー屋さんのバスで20分。早めに返したので那覇空港で2時間近く時間が余ってしまいました。
行きたかったところもうひとつ行けたなと後悔もありましたが、時間に焦るよりはずっといいか。なんくるないさと最後にジューシーにぎりとポテトとオリオン生。
これにて4日間の旅日記終了。

2024年沖縄夏旅のまとめです。
羽田 7:30
那覇 10:00

1日目
ニッポンレンタカー那覇空港豊埼営業所
(昼食)いしぐふー小禄具志店
沖縄平和祈念資料館
首里城公園
第一牧志公設市場
(一泊目)たびの邸宅沖縄今帰仁
(夕食)北山食堂18:00

2日目
Rさんかねひで喜瀬カントリークラブへ送り(45分)
古宇利大橋
今帰仁村中央公民館
波羅蜜
今帰仁城
備瀬のフクギ並木
(昼食)きしもと食堂
瀬底大橋
名護市市庁舎
(二泊目)AQUASENSE Hotel & Resort
(夕食)沖縄炭火料理店うむさんの庭18:00

3日目
残波岬公園残波岬灯台
やちむんの里
(昼食)金月そば
海中道路
大泊ビーチ
(三泊目・夕食)はなりびら

4日目
安慶名闘牛場
瀬永島ウミカジテラス
豊崎海浜公園
12時ニッポンレンタカー那覇空港豊埼営業所
(昼食)空港で

JAL 912
那覇 13:55
羽田 16:30
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はいさい沖縄2024③読谷村~伊計島

2024年09月12日 | たびたび旅

朝起きてからベランダのデイベッドに移動して海風を楽しんでいたら雲の高い所に短い虹が見えました。彩雲じゃなくて雲の手前に虹。きれい。

朝食は部屋でコンビニサンドイッチとヨーグルトとコーヒー。アクアセンスのレストランは中華料理。朝食も中華バイキングです。昨夜あれだけ食べて朝から中華は無理~。

2度目のジャグジーに入っていたらまた虹が見えました。今度のは部分じゃなくてフルサイズです。
手前の砂浜の電信柱の根元から虹は始まっていました。虹をこんなに近くに感じたのは初めてです。

そして虹の反対側の根元は海の中でした。虹の始まりから終わりまで全部を見たのは初めてかも。幸先良い感じのスタートになりました。

初めに向かったのが読谷村残波岬。
30年くらい前に、沖縄に初めて泊まったのは岬の先にある残波岬ロイヤルホテルでした。三日間台風で身動きできなかったその時の辛い思い出を今日の晴天で吹き飛ばす。

灯台の周辺の岩場には釣り人がたくさん。20m以上ある絶壁の縁に立って竿を振っているんですが怖くないのか。よろけて1m前に出たら確実に海に落ちます。

タイマーセットで記念写真。すでにかなり暑かった。日除け止めをたくさん塗っています。

続いて向かったのがやちむんの里。昭和49年に那覇市が薪を使った窯焼きを禁止したことで、読谷村に多くの陶芸家が集まるようになりました。
読谷村には70を超える工房がありますが、そのうちやちむんの里と呼ばれるエリアには19の工房が集まっています。
こちらは村の中央にある登り窯。年に4回火が入れられるそうです。

工房の建物も興味深い。このつっかい棒は建てた最初からあったのかな。

観光用のテーマパーク的な「村」を想像していましたが、そうではなく最初に読谷村に移住した名工・金城次郎さんの近くに自然と他の職人が集まってできた村でした。

こちらは泡ガラスの工房。陶磁器だけではありません。

お店もたくさんあってどのお店で何を買うかすごく悩ましい。

今回は7寸の鉢と小皿を2枚買いました。本当は7寸の平皿を買いたかったのですが、やちむんは普段使いするにはどれもこれも重量がありすぎます。
高齢になると重い食器って自然に手に取らなくなるんですよね。落として割りやすいし。デザインは好きなのがたくさんあったのに残念。

続いて車で10分ほど移動して金月そば(きんちちそば)。初日にいしぐふーを紹介してくれた『私の好きな沖縄そばの世界』で3番目の高得点だったお店です。

普通のそばと担々そばをいただきました。言うまでもなくどちらも美味しかったです。参考にしたサイトの主はあっさり目が評価高いようです。

東シナ海に面した読谷村の観光を終えて今度は太平洋側のうるま市方面に。沖縄本島から延長5kmの海中道路で3つの離島を次々に渡って行きます。
海中道路は堤防の上の道路なので両側はずっと海。その風景を撮ろうと助手席でRさんが頑張りましたが難しそうでした。こちらは平安座海中大橋(280m)。

途中で見えた美しい浜比嘉大橋(900m)で浜比嘉島へ渡ってすぐ戻る。

平安座島(へんざじま)、宮城島を過ぎて伊計大橋(198m)を渡って伊計島へ。島に渡って10分で大泊ビーチへ。
沖縄は今回で9度目になるんですが、来るのはたいてい秋から春でした。初めて暑い季節に来るのだから一度くらいはビーチで遊びたかった。

手作り感満載の海の家で一人500円を払ってビーチに入ります。

砂は太陽で焼かれて裸足で歩けません。とても日除けなしで過ごせそうになかったのでレンタルテントを借りました。

長さ600mの美しい砂浜。(Rさん撮影)

砂はやわらかくてすぐに足が沈んでしまいます。腰くらいまでの深さの場所でゴーグルをつけて潜ると足の周りに白い熱帯魚がたくさんいました。

資料写真。沖縄トラベルさんサイトの大泊ビーチ写真を引用。https://okinawatravel.jp/oodomaribeach 水深1mでだいたいこんな感じでした。

ウサギになって戯れる私。(Rさん撮影)日焼け怖いので長袖モンTを着ています。短い時間でしたが海水浴ちゃんと楽しみました。

大泊ビーチから10分ほどで本日の宿、「はなりびら」に到着。部屋数4つのプチホテルもしくはペンションです。

なかなか凝った建物でした。お部屋も天井が高くて海が見えて素敵。でも事前にエアコンを入れておいてくれなかったので部屋に入って2時間ほど暑くて困りました。

テラスには露店風呂。

夕食まで時間がたっぷりあったので伊計島の集落を散歩。宿から5分ですぐに小さいけれどきれいなイツクマの浜がありました。
わざわざ大泊ビーチに行かなくても宿で着替えて来ればここで充分海水浴ができたような気もします。

島の共同売店。

古そうな石垣が無数に見られます。ここは建物は無くなって石垣だけが残る場所。

はなりびらの夕食と建物内写真少々。お母さんがひとりで作っている食事が抜群に美味しいことで知られる宿です。

夜のはなりびら。三日目はここまで。
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