ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

姫路城(姫路・淡路・鳴門ツアー1)

2018年07月07日 | 現存天守めぐり
2011年の松江城から始まった現存天守巡り。この度12城目となる姫路城を訪問してめでたくコンプリートとなりました。
2014年に訪ねた11城目の丸岡城から4年間停滞しましたが、それは最後となる姫路城が足掛け7年に亘る平成の大修理中であり2015年の工事完了後も相当の混雑と聞いていたので。
混雑の解消と白漆喰が少し落ち着くのを待っていたらいつのまにかこんなに遅くなってしまいました。

姫路駅の北口を出ると一直線の目抜き通りの先に天守が小さく見えて驚きます。日本海上を台風が通過していたこの頃、姫路は厚い雲に覆われて、時おり雨がぱらついていました。

















石垣以外の建造物がこれだけ充実して残っている城はないです。現存の中では高知城がすごいと思いましたが、それを超えるタイムスリップ感を味わえます。
終戦直前の空襲で姫路の町は燃えてしまったのに姫路城が残ったのは米軍の方針でもなんでもなく単なる偶然というのがすごい。見つからないようにカモフラージュはしていたとはいえ。



天守内を見終わって備前丸の広場で記念写真を撮るのが定番のようです。こうしてみると横にも縦にも本当に大きい。調べたら現存の中では最も高い天守でした。



雨の心配もあって、傘をもって歩いていましたがお城を出るころには青空も見え気温も30度を超えていました。

facebookにアップした12天守コンプリートを報告するコラージュ写真。こちらにも貼っておきます。51歳から57歳までの写真です。
写真左上から、
松江城、松山城、宇和島城
松本城、犬山城、備中松山城
彦根城、弘前城、丸亀城
高知城、丸岡城、姫路城。
40歳過ぎまで旅行に行っても「お寺とかお城とか別に見なくてもいいよね」派でした。古くて質の良いものを味わうにはある程度の精神的な成長が必要かと思いますが、
私の場合それがちょっと遅かったようですね。
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丸岡城

2014年07月20日 | 現存天守めぐり
江戸以前に建てられて現在もその姿を残している日本のお城巡り。12城のうちの11城目となりました。
今回は諸説様々な意見がある中で、犬山城と並んで「日本最古の現存天守」を主張している丸岡城です。


永平寺から東尋坊行のバスに乗ること36分で城入口バス停。そこから3分ほど歩いてこの長めですが、今まで見てきたお城の中でも「観光臭くない度」ではナンバーワンです。
普通の田舎の住宅地や田んぼの中に、まるで古い神社かお寺かというくらいのさりげなさ。参道はおろかお土産屋さんの一件すらありません。


最初に目を引くのは天守本体に対してかなり高さのある石垣と階段。古さを競うだけあって見事な野面積みの石垣ですが保存状態は良好です。


入口への階段、長いです。石垣の内部は特に構造物はなく純粋な盛土のようでした。




縄に頼らなければ登れないほぼハシゴな階段を登って2層3階の最上階へ。下層から貫く通し柱はありません。




日光以来気になって仕方ない釘隠し。

後世の城のように先細りの角錐になっていない狭間。その先に丸岡城の特徴の一つである石の瓦が見えます。

この丸岡城、1979年の角川映画「戦国自衛隊」では、春日城であるという設定で合戦シーンの舞台にもなっているんだそうです。

ヘリコプター、なんと合成ではありません。凄腕のパイロットが実際にここでホバリングして長尾景虎役の夏八木勲さんがヘリコプターから下した縄梯子に飛び移ったとか。
重要文化財を使ってなんという無茶なことを。ほとんど記憶がないので今度ツタヤに行って見なければ。


「戦国自衛隊」から遡ること30年の1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒、福井県はマグニチュード7.1の巨大地震に襲われます。その時の震源地が丸岡町でした。
死者・行方不明者 3769名、全壊 3万6184戸という大被害をもたらしたこの地震で丸岡城は倒壊します。ほぼ震源地の真上にあり、建物の構造も強靭ではありません。

丸岡町の偉かったところは、倒壊した城の材や瓦をできるだけ多く町で保存たところです。その材を使って7年後に城を再建してしまいます。

ということで、材や瓦の多くの部分が16世紀~17世紀のものをそのまま使用しているということで「現存天守」12の中に数えられているわけですが
上の倒壊した写真を見てしまうと「現存」と朗らかに言い切ってしまうのはちょっと苦しい部分もあるなあと思ったりもしましたが、、、、ま、いっか。


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高知城

2013年11月17日 | 現存天守めぐり
現存天守巡りもいよいよ十城目。高知城といえばとにかく保存状態が良いという事で楽しみにしていたお城です。
創建は1601年ですが1727年に一度ほぼ全焼していて、今残っている多くは1749年に再建されたもの。
高知城のすごいところは本丸にあるほぼすべての建物が壊されずに残っているというその一点に尽きます。


追手門。奥に天守も見えてよい景色になっています。


石樋。高知県は非常に雨が多いためお城の排水が重要です。ここは三の丸の雨水をまとめて落とす樋。水が石垣を伝わないよう外に張り出して作られます。


下から見上げる天守。


石垣は野面積みが主体です。乱暴に見えますが実は積むために高度な計算と技術を必要とし強度、排水にも優れています。(ただし防御の面では登られやすい)


二の丸から本丸に渡る詰門。その先の廊下門を経て本丸に入ります。今見えているすべてが現存物。


本丸。手前が本丸御殿。今まで見てきた他の天守の前ががらんとした広場になっていたのとすごく違いますね。


重なって見える破風と屋根の連続。この眺めは江戸時代に侍達が見ていたものと同じと考えます。


天守1階にあった築城の様子の模型。手の込んだユーモラスなもので見ごたえありました。


天守最上階から黒鉄門(写真右上角)方向を見下ろす。
最上階には外に出られる周り廊下があります。犬山城と違って元々ある木製の手すりより高い位置に金属製の手すりがあるので、高所恐怖症でも歩けました。

昔の姿の本丸を見て、他の城の往年の姿も多少は想像しやすくなりました。
ただ、逆に本丸だけでなく二の丸、三の丸まですべて揃って建物が残った城が一つでもあって欲しかったという虚しい願いも芽生えたりします。

こういうところが屋根瓦で埋めつくされた風景が見たいの。
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丸亀城

2013年11月13日 | 現存天守めぐり

寂寞の商店街を北に突き抜けると公園越しに平山城の全景が目に飛び込んできます。
小山のてっぺんに天守が見えているというと、今まで見た中で近いのは宇和島や犬山ですが、本丸を取り囲む積層の石垣が地上からこれほど一度に見渡せるというのは珍しい。
なんか結婚式で使われる三段重ねのデコレーションケーキみたい!というのが第一印象でした。



大手門を抜けすぐの急坂が見返り坂。高石垣の下まで来るとなかなかの威容。


そのまま二の丸は上がらないでこの層で一回りして見ます。「扇の勾配」と呼ばれる隅の稜線。


1597年の築城以来、何度かの大きな改修があり石垣が拡張された跡があちこちで見られました。




御三階櫓として1660年に完成した天守は「日本一小さい天守」として知られています。


玄関は脇に小さな入口があるのみ。瀬戸内海の見晴らしがいいです。


天守は三層三階。一層目の天井がやけに高かった。写真は最上階の小屋組。簡素です。


本丸で戯れるタイ人の若者たち。ちなみにタイにも丸亀製麺があって大人気だそうですが、丸亀製麺は兵庫県の会社です。


搦め手門方面への坂道から飯野山(別名讃岐富士)を臨む。

大手門からJRの駅までは歩いて10分程度。次は琴平に移動します。





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弘前城

2013年08月24日 | 現存天守めぐり
旅のプランは料理の献立を考えるのに似ています。
メインがこれだとこんな前菜にこんなスープにこんなワインでと考えるように、回る場所や見る場所を組み合わせて1本のプランにまとめます。
我が家では私がそのプランを考えて決めてそれをRさんに提示すると、あとはRさんがそれを実現するための実務を担当します。いいコンビだね。

さて今回は青森です。現存十二天守巡りをひとつでも片付けつつ、近代建築と自然の神秘と海辺の温泉を組み合わせて見ました。
まずは弘前城から。


弘前城のある弘前公園と言えばなんといっても桜の名所として有名です。

今回、追手門を入ったところに男性のガイドさんがいらっしゃったので案内を乞う事にしました。
やはり短い時間で多くの情報を得るには専門の人の知識に頼るのが一番です。
二人ボッチで歩いていたら絵葉書を見たような感覚で過ぎてしまうところの歴史的背景など興味深く聞きました。

で、弘前の桜の話、やはりガイドさんも一番熱の入るところです。
弘前の桜の何がすごいかというと、高い能力のある専属の樹木医の指導の下で、日本で最も行き届いた手入れをしているんだそうです。
桜の寿命は60年とか80年とかいわれますが、弘前公園には100年を超えるものが○百本(忘れた)あり、その全てがあと100年は大丈夫。なんだそうです。
まあ実際ちょっと他では見られないような年季の入った極太の桜がごろごろ立っていました。桜は一度は見ておきたいですね。


下乗橋から「天守」を臨む。三層三階。一~二層に2個づつ千鳥破風がありますが装飾的なものはそれだけ。とても簡素ですね。
弘前城の天守は、三層の櫓(御三階櫓)を後から天守と呼びならわしたものでいわゆる代用天守なのでこのように質素な外観となっています。


本丸の内側から反対側を眺めたところ。どう見てもただの倉庫か見張り台です。


本丸東角にある今の天守の反対側、西の角にあるかつての五層の天守閣があった場所。1609年頃に建てられてわずか18年後に落雷による火災で焼失。
中にあった火薬庫が大爆発を起こし、周囲2kmにその残骸が飛び散ったとか。ちなみにこの頃には弘前と言う名称はまだなく鷹岡城です。


鷹岡城焼失から200年後、もともと東角にあった辰巳櫓を改修する許可を幕府から得て、ようやく「天守」が復活。
瓦葺の屋根を更に銅板で覆って、豪雪対応としています。


本丸を構成する内堀の石垣。中央部分がかなり膨らんでいるのが見えるでしょうか。
このままではいずれ崩壊するのが明らかという事で2年後に石垣の大改修が行われます。完成は2030年の予定。
石垣を修理するために、上に立っている天守も70mほど内側に移動させるんだとか。大変な工事ですね。

ということでお城編はこんな感じで。ほとんどのネタはボランティアガイドさんから提供いただきました。お世話になりました!


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彦根城

2013年02月13日 | 現存天守めぐり
12天守巡りの7つ目です。2010年から1年にふたつづつ、ちまちまと回っております。


表門から登って天秤櫓に着きましたが、右の櫓に入るには一度左の「鐘の丸」に上がりそこからこの橋を渡ります。
敵に攻め込まれそうになった場合にはこの橋を落としてしまえば天秤櫓からの侵入は困難になるという作戦。


天秤櫓の屋根に積もった雪が気温が上がってぼとぼと落ちてきます。次はどこが落ちるかと狙いをつけて待つことしばし。
決定的瞬間をばっちり写すことができました。


太鼓櫓をくぐって振り向けば天守。
現存の、しかも国宝の天守をつかまえて言うのもあれですが、彦根の天守ってダースベイダーっぽくないですか?


絵葉書的な1枚。2層目、3層目の窓が花頭窓のオンパレード。天守や櫓に花頭窓ってちょっとひ弱な印象になります。
唐破風の懸魚とその横の飾りも変わってます。当時としての装飾性重視型。石垣も妙に黄色いんですが、懸魚の黄色とコーディネイトしてんのかな。


天守の小屋組み。これだけ曲がった木材を同じ個所にまとめて使用しているのを見るのは初めてです。よくもまあ、、、。
このような材しかなくやむを得ず、という感じではないです。大工が技術力を誇示しているように思えました。よくもまあ(2回目)。


三層目のまどから見える玄宮園。まさにザ・ミニチュアって感じです。さっきまであっちからこっちを見ていたわけです。


花頭窓から琵琶湖を臨む。ついついこういう自己満足的な写真を撮ってしまう今日この頃。でもかっこよくね?


大堀切裏の登り石垣。これがあることで中にある堀切が防御ラインとして意味を持つわけです。

天守はちょっとアンバランスな意匠でしたが(他所から移築で高さも縮めてるせいです)、城郭全体は大変気に入りました。
ぐるりと一周して2kmくらいとほどよい大きさ。山の高さも程よく城下の町並みとの繋がりが素敵です。
ここの難点は車の多さかな。外堀と内堀の間に駐車場が複数あるんですが、歩行者の横を猛スピードで走る車が多い。危ないです。

そういえば、彦根と言うとみんなにひこにゃん、ひこにゃんと言われますが結局会えませんでした。
一日に数回、決まった時間に城下の博物館の中だけに現れるんです。出し惜しみしますね。今回はまったくタイミングが合わず。

そうそう。たまたま今朝のテレビ番組で見たのですが、ひこにゃんに年賀状を出すと必ずお返事がもらえるんだそうです。
で、そのお返事のハガキが彦根城の入場券になるんですって。すごいね。
入場券は600円ですからお城に行く人は是非とも年賀状を出してひこにゃんからお返事をもらって下さい。お得です。
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備中松山城

2012年06月30日 | 現存天守めぐり


















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犬山城

2012年01月10日 | 現存天守めぐり
明治村の見学を終えてバスで名鉄犬山駅に戻り。
そこから今夜の宿までは城下町の商店街を歩いて20分程度です。


木曽川の流れ。中央にはもう犬山城が見えています。
町に近い小山の上にあって、いつでもふもとから見えるお城っていいですね。
お城との手前の建物が迎帆楼という今夜の旅館です。


ホテルの前には木曽川鵜飼いを見るための屋形船。今はオフシーズンなのでやっていません。

創業80年。飛びぬけて豪華でも洗練されてもいませんが、抜群のロケーションと
落ち着いて行き届いたサービスでコストパフォーマンスは良かったです。
冬会席 【飛騨牛 寒鰤 名古屋コーチン】というコースの夕食で17500円くらい。充分ですね。

元々、料理旅館だったそうで美味しい夕食でした。

で、翌朝はゆっくり目に朝散歩+朝風呂+朝飯を済ませて犬山城へ。
ありがたいことにこの日も好天に恵まれました。
近いので9時のオープンにも楽々間に合います。



3層4階地下2階の望楼型。
江戸時代に作られて現存する12の天守の一つで、かつ4つある国宝指定の城郭の一つ。

7年ほど前まで旧藩主であった成瀬家の個人所有という珍しい管理形態でしたが
現在では財団法人化。成瀬家の12代目にあたる成瀬淳子さんが理事長を務めています。


梅がほころび始めていました。




最上階には周り回廊が作られていて、周囲をぐるりと歩けるのですが、、、

柵が低い! Rさんだと腰くらいですが私には太腿の途中くらいです。
万一倒れたらくるっと回転して頭から真っ逆さまですわ。

Rさんはまったく平気ですたすた歩きますが、


軽い高所恐怖症の私には歩ける限界ぎりぎり。
とりあえず壁に触っていないと失神しそうになります。


いい眺め。昨夜泊まった旅館も見下ろせます。
写真を撮るために壁から手を放すのはけっこう怖いです。


旅行中はなぜかキャロウェイのペアルックになっておりました。


お城見学は冬がおすすめです。
なぜなら、木に葉がないからこんな角度でもちゃんとお城が見られます。
これ、夏だったらただの木の写真です。

犬山城を2時間ほど見学してから名古屋に向かいます。





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松本城

2011年05月09日 | 現存天守めぐり

7日 正午の松本城



7日 午後9時の松本城



8日 午前9時の松本城。流行の左右800で。


松本城は平城です。
傾斜のない都市部。駅から徒歩15分のところにいきなりでーんと建っている。

松山城はロープウェイであがる山の上だし、
宇和島城、松江城も大手門は生活している高さにあっても、
そこからは少々の山登りが必要でした。

でも、このお城に行くのには何の障害もありません。
コンビニに食パンを買いに行くついでに、そこに行けてしまいます。

ですので一泊二日の旅行で、昼、夜、朝と3回も写真を撮ることができました。

外観としては文句のつけようのない美しい四角錐。
いろいろ凝ったアングルの写真も撮りましたが、この全景に勝るものはないかと。











天守から見下ろす朱塗りの埋の橋。

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宇和島城

2011年02月06日 | 現存天守めぐり














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松山城

2011年02月04日 | 現存天守めぐり
















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松江城

2011年01月11日 | 現存天守めぐり








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