ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

市川市木内ギャラリー(木内重四郎別邸洋館)

2024年07月09日 | 建築&土木見物
千葉街道で江戸川を越えて千葉へ。そこから北上して切り通しの道を10分ほど歩いた森の中に一軒の洋館がありました。

明治から大正にかけて貴族医院議員や京都府知事を勤めた千葉県出身の政治家、木内重四郎が国府台の1万坪の土地に建てた別邸の一部が復元保存されています。

大正3年に竣工した邸宅は和洋瀬中様式で建てられ、玄関部分を含む全体の1/4が洋館、3/4が和館になっています。
スレート葺きの張り出し屋根の下は格天井に組み物風のデザイン。エンボスの付いた石膏ボードとここだけでも甚だしく和洋が混在しています。

室内への最初のドア。

1万坪あった別邸は戦後不動産企業の所有となり、平成初頭まで鹿島建設の社宅として利用されました。
1999年に住民による保存活動も空しく取り壊され、敷地には低層の高級マンションが建てられました。
その際、マンション開発業者である株式会社サンウッドが洋館部分の木材や建具などをできる限り保管し、敷地の隅に場所を移して復元されました。
復元した洋館は市川市に寄贈され、当時の建築用式を公開し文化活動施設として使用されています。

書斎。飾られている作者不明の風景画も当時の物。

建物自体は鉄筋コンクリート造りで文化財的価値は薄いのですが、蝶番のネジに至るまで使えるものはできるだけ使用しています。(右側は当時のネジ)

サンルームになった旧ベランダ部分。

建築模型。赤線で囲った部分が復元された洋館部分。

取り壊し時に見つかった棟札。和館部を設計した保岡勝也、洋館部を設計した鹿島貞房始め棟梁、大工、石工、瓦師、ペンキ職人までびっしりと名前が残されています。
木内重四郎が招集した当時のドリームチームによる作品であったことが伺えます。

書斎出窓部分。

入口の反対側外観。1階部分はもともと壁ではなく和館と接続していた部分です。2階3階にハーフティンバー様式が見られます。
3階部分の望楼は明治末期としては珍しい鉄骨の軸組で作られていました。元々あった場所からは江戸川と市川橋が見下ろせたそうです。
コンクリート造りの復元洋館ということで、ほとんど期待せずに立ち寄りましたが係の女性の詳細な説明のおかげで実のある見学となりました。
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相似形

2024年06月26日 | 建築&土木見物

都内某所をサンポ途中に見かけた住宅。4階建ての堂々たる建物ですが玄関がひとつなので個人宅でしょうか。なかなかの邸宅です。
これを見ていたら似た建物を思い出しました。

角川武蔵野ミュージアム。似てる。
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魔法の文学館(江戸川区角野栄子児童文学館)

2024年06月22日 | 建築&土木見物

江戸川区南葛西のなぎさ公園内に昨年11月にオープンした魔法の文学館。「魔女の宅急便」の作者である童話作家、角野栄子さんの名を冠した児童文学館です。

白い壁とピンク色の窓。建物周囲を見て回りましたがこの建物がどういう形をしているのか全体像は分かりませんでした。

高さ12mほどの小さな丘に建つ文学館。入り口は1階ですが3階のカフェテラスと丘の天辺が繋がっていました。
身持ちの良いテラスですが細い鎖で仕切られていて、文学館を利用した人のみ入ることができます。

1階に戻って700円のチケットを買って入場。区の文学館にしてはちょっと高い。

入ってすぐに大きな階段。通路でもありますし両脇に置かれたクッションを使ってここで絵本を読むこともできます。
内部はご覧の通りの赤1色。文学館ではこのテーマカラーのことを「いちご色」と称しています。濃いめのショッキングピンクぐらい。
カラーチャートで似た色を探したら「世界の伝統色」の中にそのものずばりでストロベリーという色がありました。C:10+M:90+Y:45。シアンの暗さが効いてます。

館内には館長でもある角野栄子さんと選書委員会が選んだ児童書が約10000冊ほど。

さっき外から建物の写真を撮っていた場所を室内から見るとこんな感じ。

絵本に出てくる小さな家がいろいろな方向に放射状に接続されているという作りでした。繋がった屋根を花弁に例えて「フラワールーフ」と名付けられています。

建設前の完成予想図。なるほど確かに花弁っぽい。

内装、展示は角野洋子氏の娘であるアートディレクター・くぼしまりお氏と隈事務所の下で実施設計と施工は乃村工芸社が担当しました。
乃村工芸社は江戸川区の委託を受けて指定管理者となって運営にも当たっています。

角野洋子氏の書斎をイメージしたコーナー。

3階のカフェ。ガラスの外に見えているのが旧江戸川です。
昨日のブログでこの丘のことを「自然の地形」と書きましたが、年代別写真で検討するとやはり1990年頃公園をつくる時点で造成した人工の丘のようです。

カフェから丘の上のテラスへ。

トイレもぬかりなく白といちご色でした。

毎時20分と40分に階段の下の「黒猫シアター」で映像が上映されます。
何も知らないで見に行ったのですが、プログラムがインタラクティブなやつで、物語の進行途中で観客もガイドのお姉さんの指示に合わせて声を出したり踊ったりします。
平日午前中で観客は数人のお母さんと子供だけ。その中で私も「りんごちゃんだーいすき~~!」と大きな声で言わなければならずかなり恥ずかしかったです。
がんばりましたよ。
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武蔵野クリーンセンター・むさしのエコreゾート

2024年06月17日 | 建築&土木見物

武蔵野市の北側。武蔵野市役所の隣接地で見た奇妙なデザインの建物。
壁面にMUSASHINO ECO RESORTの文字が見えます。

外壁の斜めのこれなに。

中はこんな感じでした。よくある市民講座とか児童館のような感じ。

壁際に飾られていた写真で斜めのアレが何だったのかを知りました。
ここはゴミ焼却場だった施設です。斜めの鉄の壁はゴミ収集車が集めてきたゴミを焼却所前のピットに落とすためのゲートドアでした。

こちらがかつての焼却場の建築模型。平成28年まで使われていた焼却場を取り壊す際に、赤線の部分で切って右側だけを残しました。
赤線の左側部分は最初の写真の芝生に変わりました。だから最初に「外壁」と見えた部分も元は室内の障壁だったのです。

建築模型で見える天窓がそのまま天窓として残っています。(この写真は模型と180度反対向き)
「むさしのエコreゾート」と名付けられたこちらの施設は2020年にオープン。市民が環境問題を学べる環境啓発施設として利用されています。
デザイン設計監修は水谷俊博建築設計事務所。実施設計・施工は鹿島建設です。

1980年代に建てられた鉄筋コンクリートの建物の断面と知って見るとなかなか味わいが深い。

窓やドアなどはリフォームでつけられたものです。
ゲートの手前に深いピットがあって、今立っているこの場所の地下で毎日ゴミが燃やされていたのか。面白いものを見ました。

芝生の反対側にある2017年にオープンした新しい焼却場も見学していきます。

外壁周りにのテラコッタのルーバーと壁面緑化によって建物全体を武蔵野の森のように見せています。

現在、収集車はこのゲートから出入りします。

収集車の妨げにならないよう2階レベルのデッキが周囲に巡らされています。

今どきの焼却場は見学されることを最初から想定して作られることが多い。
谷口吉生が設計した広島の清掃工場はそのうち見に行くと決めています。

ゴミ焼却で生まれた熱を発電に回すボイラー部分。

従来のゴミ焼却場のイメージからかけ離れています。

可燃ごみピット。幅11m、長さ19m。 ピットの底までは23mあります。

左がコントロールセンター。右が焼却炉への投入口です。

コントロールセンターもガラス張り。

小型のゴジラ対策本部みたいでかっこいい。意外と若い職員さんたちは見られることに慣れている感じでした。
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MUFG PARK まちライブラリー

2024年06月16日 | 建築&土木見物

五日市街道を挟んで向きあっている三鷹市と西東京市。その境界線上の西東京側に2023年に新しい公園が生まれました。
MUFGパーク。70年以上、三菱UFJフィナンシャル・グループの運動場だった広大な土地ををリニューアルして一般に開放した施設です。
南北350m、東西220mほどの変形の5角形。一企業がこれほどの面積の公園を一般に公開するのは極めて稀です。

メインパークエリアと名付けられた芝生の奥に見えるのが目的のライブラリー棟。

大きな庇の屋根とデッキの間に全面ガラス張りの図書館。

芝生の反対側は重厚なコンクリートが屋根を支えています。

こちらは「地域に働き、住み、訪ねる人々が本を通してお互いを知り関係を創ろう」という運動を行っているまちライブラリーという団体が運営する図書館です。
本は全て融資の寄贈によるもの。ここのように規模の大きなものもありますが、喫茶店や寺社や病院など様々な場所で活動が広がっています。

上はタイムカプセル本箱。写真や手紙、子どもの成長記録、仲間との思い出など「“生活(いとなみ)” の記憶」を本型のタイムカプセルに入れて保管します。

季節に関係なく1/3程度の人はテラスでの時間を楽しむそうです。

児童書のコーナー前にはフロアクッション。
人が集まり交流することが目的の一つなので、普通の図書館のようにルールで静寂を求めることはありません。

訪ねたのは平日の昼過ぎ。スペース的には充分なゆとりがありました。

とても快適で居心地の良い場所ですが、今後どのように秩序を保っていけるかちょっと心配になりました。

トイレ回り。

設計は三菱地所設計/大森晃+髙橋祐太。
大屋根には落ち葉対策で樋をつけていません。雨の日には軒先から広く落ちる雨水が白糸の滝のようになるそうです。見たいな。

高原のコテージのようにも見えるライブラリー。駅から20~30分の不便な場所ですが近所の人にとっては素晴らしいプレゼントになりました。
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Kアリーナ横浜の歩行者デッキ

2024年06月06日 | 建築&土木見物

何年かぶりに横浜に来ました。JRの改札を出てそごうの地下から日産の本社まで帷子川を「はまみらいウォーク」とい橋で渡ります。
その橋の上から河口の方向にK-Arenaという昨年秋にできたばかりの日本最大級のコンサートホールが見えます。最初の目的地はそちら。
と言っても何かのコンサートに来たのではなく目的はその手前に見えている白い歩道橋。

日産本社を通り抜けて歩道橋に近づきました。写真中央右にKアリーナの屋根がちらっと見えます。
その辺りからカーブしながら線路を越えてこちらに向かってくるのが問題の歩道橋。

Kアリーナとみなとみらい大橋を繋いで、横浜駅へのアクセスを改善するこの歩道橋は、本来ならば6月1日から供用が開始される予定でした。
↓5月29日付の神奈川新聞です


「Kアリーナの来場者による周辺道路の混雑を一定程度、緩和できるとみている」と書かれています。
Kアリーナは昨年のオープン以来、終演後の駅までの道路混雑が問題になっていました。
距離で言えば10分程度の場所ですが、2万人の観客が会場から吐き出される終演時には会場を出るまでに50分、出てから横浜駅までが1時間というような状況でした。
その混雑の原因のひとつが、本来は昨年のアリーナのオープンと同時に開通するはずだった歩道橋の完成が大きく遅れたことです。
それがようやく9か月遅れで6月1日から暫定使用できるということで、大きな期待をされていたのですが、、、、、、、


そのわずか2日後に「橋台に大きなひびが入ったことから設計ミスが判明し、開通が延期になった」というニュースが流れました。
私は正直Kアリーナもそこに架かる歩道橋もまったく知らなかったのですが、設計ミスで歩道橋が使えなくなるというニュースには大いに興味をひかれました。

それで、のこのこと横浜まで現場を見にやって来たわけです。こちらが不具合の発覚した橋台。
太い円柱部分が大半の荷重を担っているようですがそこから左に張り出した部分が鉄筋不足により強度が足りなくなっているとのことでした。
現在はフェンスで囲った部分を仮設の束で下から支えています。

多少表面にひびが見えますが、それほどひどいようには思えません。

でも、反対側から見るとまあまあヤバい感じが伝わってきました。人道橋ですから橋桁の重量は多くありませんが、開通前からこれでは手前が徐々に下がってきそうです。

カーブしながら線路を越えるので最初のスパンは50m越え。橋台への荷重もひびの入った外側(右側)が大きくなります。

階段を登って2階レベルから見る歩道橋。

完成予想図。アリーナが左手前。横浜駅が右上方向です。
地上レベルで歩く場合、右側には線路と帷子川があるので歩道橋を使わない場合は行きたい方向の逆に進むしかありません。

Kアリーナ正面。右にヒルトン横浜とオフィスビルの2棟のタワーが建っています。この広場部分は比較的広々していますが。

アリーナ側から歩道橋方向を見ると左右からの建物で先が漏斗(ろうと)状に狭くなっています。歩道橋は正面の狭い穴の先にあります。
終演時にはこの部分が文字通りボトルネックとなって退場する人を堰き止めることになります。

昨年行われたコンサートの終演後の様子。出口は正面の細い所の他に左右にも逃げ道はありますが、ここに来てしまったらもう自分の行きたい方向には進むのは困難です。
日本初の2万人収容の音楽専用ホール。体験してみたい気持ちはありますが老人が行くには少々危険を覚悟しなければならなさそうです。
問題の橋脚はどう補修するのかな。今後の展開に注目です。
それにしてもここ数年の日本の建設・土木業界。昔では考えられなかったミスや不祥事が頻発していて不安です。
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地蔵通りの歩道境界

2024年05月27日 | 建築&土木見物

巣鴨地蔵通り商店街の風景が変わっていました。
車道も歩道も白っぽい舗装で、その境界に黒い筋が入っている。全体的にすっきりして今どき風の明るく軽い風景に感じました。

黒い筋は側溝でした。観光地の商店街などで見たことがあるタイプ。でも記憶にあるのは路面がV字になっていて道の中央にこの排水溝があるタイプ。
地蔵通り商店街は元々車道と歩道との段差が少ないバリアフリー商店街でした。じいちゃんばあちゃんが多いからね。
この舗装はさらにそれを進化させたタイプに見えます。

2021年の写真ですが以前はこんな感じでした。お店の前に段差を解消する鉄板が置かれていました。

これは少し巣鴨駅から離れた場所。新しい舗装は商店街の巣鴨寄りの一部分だけで奥に進むと以前の状態がまだ見られます。
車道の段差は少ないのですがあります。僅かな段差ですが車いすや足の不自由な人には障壁となります。自転車で侵入する時にもタイヤを取られることがあります。

今回の工事内容が書かれた地元民用の道路工事説明会用資料がありました。
そこにあった工事前と麹後の道路断面図を並べたのがこちら。
バリアフリー化の改善とともに雨天時の排水もスムースになるように見えます。

高次の目的は①防災力の強化、②景観の向上、③安全で快適な歩行空間の創出の3つが上げられています。
商店街を3区域に分けて令和17年まで。この後まだ12年もかけて庚申堂交差点までの全部が完成する予定だそうです。



無電柱化による景観の変化をストリートビューで見てみます。同じ場所で上が2021年、下が2022年。無電中化は平成30年から工事が始まっていました。

何度か書いていますが、無電柱化にもろ手を挙げて賛成ではありません。
子供の頃から慣れ親しんできた風景には必ず電線と電柱がありました。それが良いとか悪いとか考えてもいませんでした。あるのが当たり前だったので。
いつの頃からか頭上でランダムに交錯する電線類を「日本の醜い風景」「後進国的風景」と評する輩が増えてきました。欧米にはあんなのはないんだよと。
そういう浅い発想で日本が今まで多くのことを手放して来た歴史を残念に思うことが多くあります。
電線地中化は様々なメリットがあるので必要に応じてそれを進めて行くことはやぶさかではありません。
ただその国独自の「伝統的風景」を醜悪としか感じられない人とは近づきたくない気がします。
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練馬区美術館・図書館

2024年05月23日 | 建築&土木見物
練馬区立美術館が建て替えになるそうです。
昨年12月に基本設計候補者選定プロポーザルの結果が発表になっていますのでニュースとしては少々古いのですが、私が知ったのは5月になってからでした。
提出された22提案の中から山本理顕や藤本壮介のプランを抑えて見事選ばれたのは平田晃久建築設計事務所のプランでした。

画像は練馬区サイト練馬区立美術館・貫井図書館改築等基本設計業務委託の受託事業者の選定ページより。
現在は実施設計を進めている段階でこれがそのまま完成予想図になる訳ではありませんが、23区の図書館としてはなかなかの大型案件です。
平田晃久建築設計事務所といえば群馬県太田市美術館・図書館。私も遅ればせながら3月に見てきましたがとても素晴らしい建物でした。
練馬区の案件も太田市と同じく図書館との複合施設。様々なレベルにフリースペース的なテラスが並ぶ外観も太田市と共通点が多いようです。
建設も始まっていないのにブログで取り上げるのは珍しいのですが、今回のはそれだけちょっと期待が大きいということです。近いし。

俯瞰図。太田市のには随所に空中庭園がありましたが練馬では屋上以外は緑化はしない計画のようです。
練馬の場合、美術館前に「美術の森緑地」という庭園スペースがあるのであえて建物内部の緑化する必要がないんでしょう。

建物の中心にShelterと呼ばれる収蔵庫や展示室の機能をもった空間。その周囲に落ち着いて読書ができる空間や創作活動を行うスペースなどが入る包むShelf。
さらに、それらを階段状の屋根のようなものが幾重にも重なるShadeが覆うという三重構造が基本構想。
太田市の図書館部分で余りにも本棚に日が当たり過ぎることを批判しましたが、今回は重要部分は一番奥のShelterに収まるようです。

練馬区立美術館に行ったのは2015年の小林清親展を見に行ったのが最後でした。
1985年にオープンした建物はその時代らしい重厚さがあって素敵でしたが今はもう少し人々を迎え入れて交流が生まれる軽快さが求められています。
取り壊しになる前にもう一度見に行こうと展覧会の予定を調べたら7月から平田晃久の建築世界を紹介する展覧会があるようです。ではそれに行こう。
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紫雲山瑞聖寺

2024年05月01日 | 建築&土木見物

目白台駅の三田寄りの出口を出て、すぐ横の歩道橋で目黒通りの反対側に渡った所に寺の所在を示す石碑が立っています。
ビルとビルの隙間の道の奥に冠木門が見えますがほとんどの人は気に留めることもなく通り過ぎてしまうそんな場所に瑞聖寺はあります。

禅宗の一派である黄檗宗の東京の中心寺院として江戸時代には複数の伽藍を構えた巨刹でしたが多くを文政年間の火災で焼失。
こちらの大雄宝殿は 宝暦7(1757)年の上棟で、重要文化財に指定されています。

2018年に創建350年記念事業として老朽化した庫裏を建て替えました。設計は隈研吾建築都市設計事務所。

元々は植栽があった中庭部分を水盤に作り変え中央にステージを置きました。

木製のルーバーと根津美術館を連想する深い軒。

ベースとなる構造は鉄骨のようです。



墓地へは高さを抑え圧迫感のあるゲートで自然に頭を下げて奥に進む形になります。

大雄宝殿の前は1mほどの高さで作られた月台。行事の際に出席者の席が設けられる場所です。
ちなみに中国で月台と言えば一般には駅のプラットフォームのことです。

二層にも見えますが下の屋根は裳階。禅宗なので扇垂木。

江戸の名刹と現代建築が比較的うまく融合できた一例でした。
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京都駅 空中経路と大階段

2024年04月29日 | 建築&土木見物

滋賀旅行の最後に見た京都駅。
国内外を問わずニッポンの一番人気の京都ですが、物心ついてからの記憶では中学3年の修学旅行と2008年のRさんの会社の社員旅行の2度しか記憶がありません。
いい所なんだと思いますがやっぱり人が多過ぎるイメージで避け続けてきました。
そして修学旅行も社員旅行も移動はバスだったので京都駅を見るのはおそらく今回が初めてのことです。
原広司の代表作として知られる京都駅。それが見たくて近江八幡からの帰りに乗る予定の新幹線の出発1時間半前には駅についていました。

アトリウムが大きいというのは何度も映像で見て分かっていましたが、その中にいると本当にその巨大さを実感します。
東西470m、南北60m、高さ60mの直方体の内側約7割をくり抜き、北側に長さ150mものガラスの大屋根をつけてアトリウムを作りました。

使用されているガラスは4,000枚。仮受け構台を順次移動させながらトラスを組み上げる「移動ベント工法」を用いて大林組が1総重量,250トンの鉄骨を組み上げました。

アトリウム最上部(11階建ての10階部分)には空中径路と名付けられた渡り廊下が通っています。目指すのはそこだ。

エスカレーターでいくつもの広場を通り抜けながら11階を目指します。今、7階の東広場まで来たところ。空中経路はまだ頭上高くにあります。

最後の長いエスカレータを登って空中経路に到着。大屋根の頂点部分のアーチを作っているトラスが間近に見えて美しい。
改札を出て15分ほどで行ける京都の名所ですが、それほど人は多くありません。

中間部分の見晴らしのいい窓越しに京都タワーを見る。

西側の大階段を上から見下ろします。毎年この階段で駆け上がりレースが開催されて300人の脚自慢が20秒ほどで駆け上がるそうです。

上から見下ろす大階段。

Rさんはエスカレーターで、私は歩いて下りました。

駅全体の概念図。
1997年の開業ですからもうできて27年も経っています。駅舎としては4代目。初代から3代目までは37~45年で建て替えられていますから、しばらくはこのままかな。
原広司の建築物というと東京モノレールから見えるヤマト・インターナショナルや梅田スカイビル、札幌ドームなどその地域を代表する大物が並びます。
逆にそれ以外の作品は広く一般に知られるものはありません。京都駅の後も設計の注文はそれほど多くなかったかな。やっぱりちょっとクセ強だからか。
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琵琶湖西南2024春⑧近江ヴォーリズ巡りと豊郷小学校

2024年04月16日 | 建築&土木見物
この旅行に行くまで建築家としてのヴォーリズのことはほとんど知りませんでした。
このブログで登場したのは明治学院大学の礼拝堂、早稲田奉仕園スコットホール、東芝高輪倶楽部の3件だけです。
なので出発する前にヴォーリズの生涯と、建築作品に関する書籍を図書館で借りて最低限の予習をして臨みました。

ヴォーリズは学生時代に建築家を学んでいる途中でキリスト教の伝道師として生きる決意を持ち生涯の目標を転換します。
明治38年、25歳の時に英語教師として近江に赴任しますが生徒への伝道活動をがんばりすぎて周囲から反発を受けて2年で失職。
数年間の無職生活の後、日本で伝道を続けるための生活の糧としてかつて学んでいた建築設計の仕事を始めます。
たくさんの建築に関わりますがやはり生活の中心は伝道ですし、何度か病に倒れて母国で療養しているうちにメンソレータムの製造販売も始めます。
情熱とマルチな才能を併せ持っていた人のようですが、こと建築に関しては片手間のうえ、建築科として完全なプロではありません。
一言で「ヴォーリズ建築」と言っても大正時代の作品以外は「ヴォーリズ建築事務所」の作品であってもどこまでヴォーリズ本人が関わったかは定かではありません。
昭和32年にクモ膜下出血で実業家ら遠ざかった後も、現在に至るまで60年以上もヴォーリズ建築事務所は多くのすぐれた仕事を継続しています。
なので「ヴォーリズが設計した建物」と「ヴォーリズ建築事務所が設計した建物」の判別がなかなか困難で近づきにくかったです。

ヴォーリズは明治に赴任し、昭和16年に日本国籍を取得後も昭和39年に亡くなるまで近江八幡で暮らしました。本当に好きだったんですね。
近江八幡にはたくさんのヴォーリズ作品が残されており小一時間の散歩でずいぶんたくさんの建物を見ることができます。
今回は名前の紹介のみに留めます。まずはヴォーリズ自邸(現:ヴォーリズ記念館)。この2階で83年の生涯を閉じました。

村岡邸・旧岩瀬医院

旧八幡郵便局 昭和期に失われていた玄関部分は2004年にヴォーリズ建築保存再生運動を目指すNPO「一粒の会」によって再生されました。

アンドリュー図記念館 ヴォーリズが設計した最初の建物です。

旧近江兄弟社 地塩寮 こうなると普通の日本のアパートです。ときわ荘を連想してしまいました。

日本基督教団 近江八幡教会

池田町洋館街①ダブルハウス

大正3年から10年にかけて池田町に4棟建てられた住居のうち3棟がそのまま残されているというのは本当に驚きです。
ヴォーリズ作品が、かなり早い段階から地元で文化財として認識されてきた証です。この中央が膨らんだレンガ面白い。

池田町洋館街②旧ウォーターハウス邸 植物に覆われたwikipediaの写真とずいぶん違うと思ったら2023年にリフォームされて宿泊できる施設になっていました。

池田町洋館街③吉田悦蔵邸 14歳で英語教師だったヴォーリズに出会い感化されてキリスト教信者となり生涯をパートナーとして過ごした吉田悦蔵の自邸。

いくつかの建物は有料で内部見学もできたりカフェだったりするのですが、なんせ見ていたのが朝7時過ぎでしたのですべて外観見学のみでした。
まあ、それで私には充分でしたが。そこから安土城に登って、さらに西北に車を走らせて彦根のお隣、豊郷町に行きました。

最後に見たかったのがこちら。ヴォーリズ建築事務所の設計、竹中工務店の施工で1937(昭和12)年に建てられた豊郷小学校校舎。
近江商人の一人で当時の丸紅の専務であった古川鉄治郎の全額寄付に拠るもので、当時の小学校として鉄筋コンクリートは珍しい物でした。
水洗トイレや暖房設備、内線電話などの最先端の設備を備えていたことから「東洋一の小学校」「白亜の教育殿堂」などと称されていたそうです。

校舎向かって左手に旧豊郷小学校酬徳記念図書館。

吹き抜け二層の館内。奥には鉄製三層の本棚が組み込まれています。

豊郷小学校校舎は私には「カムカムエブリバディ」の岡山駅ですが、広く一般にはアニメ「けいおん」の高校設定として知られています。
人気アニメの聖地としての活用が最も集客も見込めるので、校舎内も全面的に「けいおん」の世界が展開されていました。
アニメの登場人物が使用していたと同タイプの楽器がたくさん。奥に見える螺旋階段の上の部屋にはさらに20本以上置いてありました。
校舎本体の音楽室にもさらに数本。これらの楽器はどういう経緯でここに置かれたんでしょう。

校舎中央の階段室。緩やかに湾曲した壁、小学生の身体に合わせた階段。

階段の手すりには「うさぎとかめ」をモチーフにしたブロンズ像が設置されています。これは建築当初からあるらしい。



20年ほど前には校舎取り壊しを進める町長と反対派の間で裁判や傷害事件も起きる大もめの事態になっていたそうです。 
2009年に改修して一般公開を開始。2013年に有形登録文化財に登録されました。残しておく力があるなら残せてよかったです。

こちらは右翼側にある行動。この日は地元の人たちが踊りのお稽古で使用中で中には入れませんでした。

豊郷小学校見学を終えて、草津に車を返しに行く途中で東近江市五個荘金堂伝統的建造物群保存地区も見学。
これで2024春の滋賀旅行の全行程を終了しました。行こうと思っていたところの9割くらいは完遂できたかな。
滋賀県いいところです。やはり京都のお隣というのはなかなかすごいことだと知りました。
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琵琶湖西南2024春⑤ラ コリーナ近江八幡

2024年04月13日 | 建築&土木見物
MIHO MUSEUMから琵琶湖に向かって1時間15分ほどでラ コリーナ近江八幡へ。

藤森照信設計の「草屋根(2016)」。
ずっとこの建物がラコリーナ近江八幡なんだと思っていましたが、これはラコリーナ近江八幡を構成する建物一つである「草屋根」が正式な名前でした。

青い空に映えるグリーンの屋根が見たかったけど、4月の頭ではまだほとんど枯草色でした。

手塗りの土壁、自然のままの形を残した木材が多用されて建物に入る前から藤森的メルヘンな世界が広がります。

屋根の上から全体に流している井戸水が軒先から滴り落ちています。自然景観を壊さないように作られた草の屋根ですがその維持管理は非常に手間がかかります。

中央部分は天井のない吹き抜け空間。室内反響を軽減させる目的で漆喰の上に安土で焼かれた炭が張り付けられています。

ラ コリーナ近江八幡という施設が近江八幡に明治初頭に開業した「たねや」という菓子製造業社の本社兼アンテナショップであることを行きの新幹線の中で知りました。
建物のことはできた当初から知っていましたが、それまでは図書館や市民センターなどの公共施設くらいに思っていました。
10年以上前からデパ地下でいつも行列になっているバームクーヘン屋さんがあることはなんとなく認識していましたが、それとラコリーナが結びつかなくて。

草屋根を抜けると直径100mを越える円形の原っぱ。それをぐるり取り囲む草回廊。
原っぱは時期が来れば水田になって毎年お米を収穫します。

子供たちが遊ぶ場所もたくさん。ラコリーナは滋賀県内で最も多くの観光客を集める施設なんだそうです。我が家的にはディズニーランド並みに縁遠い世界ですが。

私たちが行った日の二日前にリニューアルオープンした「バームファクトリー」。バームクーヘンの製造現場をガラス越しに見られます。
こちらも大半はバームクーヘンのショップ。会社のお土産を買おうとしていたRさんがたくさん買うには高すぎると断念していました。

バームファクトリーの2階はバームクーヘンカフェ。

お隣のたねやの本社「銅屋根」。ジブリに出てくる飛行船かロボットの頭に見えます。あの窓の内側はどんな部屋なんだろう。一般の人は入れません。

最後にもう一度草屋根を見上げて帰りました。大量のお客さんに圧倒されて少々くたびれました。
観光スポットとしても、建築物としても超人気の物件ですが個人的には藤森建築って建築というより「立体化した童話」という印象です。
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多摩美術大学図書館 =伊東豊雄=

2024年03月21日 | 建築&土木見物



多摩美術大学図書館。2007年竣工。伊東豊雄。

変型の四角形の2面が緩やかな凹カーブを描いています。本当は4方とも曲線で仕上げたかったが予算の関係で2面に留まりました。
各面のアーチ型の窓が特徴的ですが、単なる窓の形としてのではなくこの建物の構造そのものが連続したアーチで成り立っています。
外壁の曲面と窓ガラスの曲面が完全に同一面であることも大きな特徴。窓ガラスは連続した直線ではなく壁と一体化するよう曲面ガラスで作られています。

中に入ると交差するアーチの連続が奥まで続いています。始めに芯となる鉄板を組み上げてその外側に型枠を張ってコンクリートを流し込んで成型しました。
丘陵地にある多摩美は敷地全体が1/20勾配のスロープになっています。傾斜地に建つ図書館は1階の床が地形と同じ傾斜で奥に向かって上り坂になっています。

床が傾斜した建築というのはかなり特殊です。このブログで登場した建物でも西沢立衛の軽井沢千住博美術館くらいしか思い出せません。
この写真で見ると床面に連続した表情が見えますが、傾斜した床をモルタルで仕上げる時に施した何らかの流れ止めを結果かも知れません。

1階はオープンスペースであるアーケードキャラリーと図書館エリアがガラスで仕切られています。一般人はギャラリー部のみ見学が許されています。
ガラスの向こうに見える事務エリアはさすがに床が水平なようでギャラリーより低い所に床が見えました。

黒い改札の向こうが図書館エリア。1階はラウンジや雑誌・映像閲覧ルーム。図書館本体は2階。図書館に来て本棚を見られないのは実に無念です。

空調システム。暖気や冷機はスラブと床の間の25cmの隙間を通って足元の小穴から静かに吹き出るようになっています。

お団子型の椅子はつい先日太田市美術館・図書館で見たものと同じです。流行ってるのかな。

設計の始まりは「あるボリュームから空間をえぐったドームの連続体のような空間」と設計家本人の解説に書かれていました。私には教会のヴォールトに見えます。

敷地の一番低いところにある正門を入ってすぐの「彫刻の森」の前に立つ図書館。向かいに見えるのは本部棟。敷地の1/20勾配がかなりのきつさであることが分かります。

コンクリートとガラスがこれほど一体化した面に見えるというのはすごいです。

窓ガラスに映り込む彫刻の森の木々と空。曲面ガラスといっても両端と中央部分の差は僅か4mmしかありません。それでも折れ曲がった平面ガラスとはまったく違います。

古い話ですが、東京オリンピックの時の国立競技場の設計案が隈研吾と伊東豊雄の2案に絞られた時、伊東豊雄案の方を押していました。
今、この図書館の前に立ってやっぱり伊東豊雄の国立競技場も見たかったとしみじみ思います。

Googleマップで見る図書館の形。

図書館断面図。1階アーケードギャラリーの床が傾斜しているのは前述の通りですがこれを見ると建物の天井が敷地の傾斜と逆方向に傾いています。(赤い水平線参照)
なぜわざわざ敷地の高い方の天井を下げているのか、これに関しては今のところどこにも記述が見つからず謎です。
この図をずっと見ていると建物の左右の外壁の線が右に傾斜しているように見えてきました。

でも垂直の補助線(青い線)を引いて見ると全然傾斜しておらず単なる目の錯覚のようです。
参考までに図の右端の壁面をコピーして一番左端に床の高さを揃えて置いて見ました。高さが25%くらい違うことが分かります。面白いですね。意味はわかんないけど。

余談ですが、かっこいい大学図書館というと、日本女子大武蔵野美術大学成蹊大学、そしてこの多摩美術大学が東京での四天王かと思います。
日本女子大、武蔵美の図書館は事前申し込みで見学は可能ですが内部撮影は不可、成蹊は非公開。1階だけでも写真を撮らせてくれた多摩美は実はけっこう優しい。
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太田市美術館・図書館

2024年03月09日 | 建築&土木見物
群馬県太田市を知ったのは建築雑誌の「日本の美しい図書館特集」に掲載されていた太田市美術館・図書館のことを知った時でした。
あれこれ調べているうちに隣の館林市の県立舘林美術館と菊竹清訓の旧舘林市庁舎、金山城とルートが繋がって今回の群馬小旅行が実現しました。
ということで行ってから一週間かかってようやくメインのネタです。

太田市美術館・図書館は2017年にオープンした公共施設で美術館と図書館が同じ建物の中に共存しているところが珍しいスタイルです。
設計は1971年生まれの平田晃久。まったく初めて見る名前です。
何か知った作品はないかと本人公式サイトの作品リストを見ていたら一つだけありました。2022年浅草野乃に泊った翌朝の散歩のブログ一枚目の写真右の建物です。
インパクト大の建物があったので写真を撮ったのですがこれが平田晃久設計の浅草ナインアワーズというカプセルホテルでした。

北側外観。ガラスと白い部材だけなんですが形が複雑過ぎて把握できません。早く中に入って探検したい気持ちになります。

建物南側。平野篤史デザインのロゴがかわいい。1階部分に3方向のエントランスが合って、それ以外にも階段で上の階からも中に入れるようです。
建物の外側のデッキを回転しながら登って屋外の植栽だけを楽しむこともできるようです。

駅に面したカフェスペース。

雑誌や新聞のコーナー。ちょっとしたホテルのロビーみたい。

スロープや渡り廊下の様な通路であちらこちらが繋がっているのですが、とりあえず訳も分からずにうろうろしています。

2階に上がるスロープであり、図書室の一つであり。ボール状の物は意外と座り心地の良い椅子でした。

天井と床を兼ねた部分は鉄骨と筋状に折り曲げた金属板でできています。スロープ下は天井が低く穴倉のように感じる場所もあります。
鉄板の床ですが剛性は高く、足音もほとんど目立たないようでした。

中心にある螺旋階段が美しい。すぐ目の前の場所でも間に吹き抜けが合ってそこにまっすぐ行くことはできません。



このあたりで種明かし。
この建物は大きさの異なる5つのコンクリートの「BOX」が置かれていて、ボックスとボックスの間をLIMBと呼ばれるスロープが繋いでいる構造なのでした。

太田市美術館・図書館公式サイトの施設概要https://www.artmuseumlibraryota.jp/facilities/より引用
ただこれは後で図を見ては~そうなんやとは思いますが、現地で中を歩いている時にはまったく分かりませんでした。
BOXといっても概念図のように全部が壁で囲まれた箱になっている訳でないく、開口部も大きいのでLIMB(通路)との境界がそんなに明確でないのです。
設計プロポーザルでのコンセプトは花びらの形の一つの街という提案でした。スバルの全身である中島飛行機のプロペラや金山などもイメージの一部になっています。

あちこちに突然に色合いの異なるスペースが登場します。それぞれの人にとってお気に入りの場所が生まれそうです。



靴を脱いで上がるキッズスペース。

この辺りが5つのボックスに囲まれた建物の中心部分です。

鉄板を曲げて作った螺旋階段。武蔵野市の図書館、武蔵野プレイスの地階にあった螺旋階段を思い出します。

アート関係のコーナーは黒い壁にフローリングで落ち着いた雰囲気。

ミニチュアの街のような。



建物の外の通路や屋上植栽も重要な要素なのに内部に夢中でまったく外に出なかったことが悔やまれています。

独特な照明があるレファレンスルーム。

とても明るく気持ちの良い図書館なのですが、気になったことが。書棚と外壁ガラスが近いので、南東面のスロープに置かれた本の褪色(色あせ)が顕著でした。
この本の並びを見て紫外線に強い青系の色ばかりが見えて、黄色と赤の成分がすでにほとんど失われていることが分かりますか。
明るく開放的な図書館を目指せばこうなるのは避けられないことではあるのですが。少々悩ましい眺めでした。

図書館の後は美術館スペースへ。展示室は1~3階にありますが、美術館専用のBOXがあるのではなく各フロアで3つの異なるBOXを移動しながら見ます。
図書館スペースとの分離も緩やかで3階の展示室3などは図書館とまったく区別されていません。(展示室3だけはフリーで見学できます)

2階展示スペース2。天井が半透明の膜なので天井裏の配管類がすべて見えます。照明は配管の隙間にあって天井全体がやわらかく室内を照らしています。

平田晃久の太田市美術館・図書館。期待通りに大変面白かったです。
愛用のリュックサックに貼ってあるのが館内撮影許可のシール。受付で申請すれば撮影がフリーになります。これは本当に珍しくありがたい仕組みでした。
群馬東部の旅、これにて終了。交通費・宿泊費・食費・レジャー見学費用全部合わせて一泊二日で1万5千円のリーズナブル旅行でした。イイね!
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テクノプラザおおた

2024年03月07日 | 建築&土木見物

太田駅から徒歩10分。新田パンや旧金町図書館と至近距離にあるので短時間でいろいろ見られて楽しい地域です。
こちらの建物は太田市がモノづくりの街としての発展のために設立したテクノプラザに群馬大学理工学部の一部を誘致した私設。
モノづくりに必要な知識を学生に習得させる事で、日本の科学技術発展に貢献する人材の育成を行う他、産学官連携による共同研究開発が行われています。

オープンは2008年。設計は菊竹清訓事務所出身の長谷川逸子。
甲府建築散歩で見た笛吹川フルーツ公園の3つの温室やすみだ生涯学習センター ユートリヤに続いての登場です。

建物の反対側。L字型の建物の左側が群馬大学理工学部の研究棟。Lに囲われた部分は広場になっていて地元の人がゲートボールを楽しんでいました、

市民と学生と研究者が共存し新しいアイデアを生み出せるよう開放的な施設として設計されており、出入り、見学は自由にできます。

建物の外皮となっているのは長谷川逸子が1980年からこだわって使用しているパンチングメタル。
建物自体はただの直方体で、その表面に自由な形の「膜」を纏わせることで個性的な風貌を生み出しています。
隈研吾の国際交流留学生プラザところざわサクラタウンで見られる手法。外皮型または厚化粧型と名付けよう。隈研吾事務所の設計の何割かはこのタイプです。
外観のインパクトに対して構造的にはこれといった面白みはないのですが、外観の印象に対して建設費がかからないので手法として否定するものではありません。

エントランス部。

上層階のバルコニー。各階のバルコニーの幅が変化しており、上下で異なる幅のバルコニーを鉄骨で繋いだ上にパンチングメタルが張られて、建物の表情が生み出されています。

中央奥の方に雪を冠した赤城山が見えます。

南面には鉄骨の階段が通っています。

ここかっこいい。壁面とバルコニー下面を単色のイエローで塗装し、どこから見てもメタルとイエローだけが見えるのは素敵です。
さっきリンクを貼る時にすみだ学習センターの写真を見返していたらほぼ近いイエローが渡り廊下や階段下で使われていました。「長谷川イエロー」なのかな。

メインエントランスの吹き抜け。左手のギャラリーの壁に開いた窓の形が湾曲したベランダのモチーフ。たぶん。

黄色とパンチングメタル以外で唯一の色彩が郵便ポストの赤。

西面の眺め。桜が咲くころも良さそうです。
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