ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩。美味しいご飯と音楽と。
記憶の残らない新人主夫の記憶のメモ。

旧徳川松戸戸定邸

2021年09月21日 | 建築&土木見物
徳川慶喜の異母弟、徳川昭武が30歳で隠居した翌年の明治17年に松戸の高台に建てた戸定邸(とうじょうてい)を見学しました。

松戸駅から徒歩で10分ほど。江戸川の土手から300mほどの場所にある高台2.3haが戸定が丘歴史公園として整備されています。
石段の上に茅葺の門。

9時半の戸定邸開館の10分前に着いたので先に庭園をから。昭武は造園にも力を注いでいました。

日本で現存最後と言われる洋風芝生面の奥にある東屋からは江戸川越しに関東平野一帯、その奥には富士山まで見通すことができます。

水平線中央に鉄塔。そのすぐ左に見える高層マンションの左に富士山が見えています。このマンションがなければ山頂から裾野まで全貌が見えたのに。
マンションは2009年に金町駅前にできたヴィナシス金町タワーレジデンス。松戸徳川家の楽しみを奪ったマンションとして記憶しておこう。

思っていたより広い庭園でしたがこれでも昭武が住んでいたころの1/3。残りは千葉大学の松戸キャンパスなどに転用されています。

時間になったので質素な玄関より邸内へ。

中庭と蔵に挟まれた狭い廊下の先に表座敷。左側が南。奥が西。西側の樹木は短く刈られていて座敷からも富士山が見えました。

和風建築から望む芝生。13歳でパリ万博視察からの3年間のフランス留学、23歳から再び5年間のフランス留学という経歴から和風の庭園ではなく主要景観を芝生と樹木に。
純粋な武家屋敷建築と芝生の取り合わせがユニークです。

中央に中庭を配し渡り廊下で接続された離座敷、奥座敷、湯殿、使者の間など全部で9棟23部屋の造り。

床の間。

庭から見た全景。土蔵や台所の一部を除いて平屋造り。桟瓦葺き。こちらには洋風の要素は一切見られません。

広い銅葺きの裳階が南からの日光を遮ってくれます。

大正時代に追加された洗面所。

花崗岩でできた土蔵の扉。

基本的に装飾を排した質素な造りですが、所々にちょっとした遊びが見られます。

1枚の障子に数か所だけ曲線の飾り桟。

表座敷反対側から。装飾は見られませんが、要所に置かれた四方柾目の柱や、杉の1枚板の戸板など材質は吟味されています。

湯殿。

ターコイズブルーのタイルがきれい。横に2穴が開いていますがいつごろから追い炊きができるようになったんでしょうか。

徳川昭武については正直、大河ドラマ「青天を衝け」を見てからがほとんどです。
パリ万博に参加した件は別のドラマでもありますが、あそこまで充実した映像としてその様子を再現したのは初めてではないでしょうか。
ようやく駿河を足掛かりに本格的に事業家への道を歩き始めた渋沢栄一。この後再び昭武の登場シーンはあるのかないのか。
戸定邸ロケなどやってくれていたらうれしいんですけど。
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我孫子けんちく散歩

2021年09月18日 | 建築&土木見物
我孫子の本編で使われなかった写真たち。建築が好きなおじさんがどんなところを見ながら街歩きを楽しんでいるかというサンプルです。

村越材木店。材木店なのに街道に面した建物の顔と言える部分を全部ガラスブロックにしているところが面白い。正面だけでなくサイドも同じガラスです。

ある観光施設の向かいにあったコンクリートのすてきなお家。どこかで見たことがあると思い出したら西池袋のこんなお宅の前をよく通っていました。
同じような形の家と思ったのですがこうやって比べて見ると全然違いました。記憶ってそんなもん。

志賀直哉邸跡には本人が使っていた書斎が残されています。

ハケの道に面した立派な屋根のお家。微妙にむくんだ多層の屋根と昭和のマンションによくあったデザインのバルコニーの取り合わせの妙。

富桝旅館。地方都市に残っている地元の集会場的な大広間があったりする旅館。数十年前にはいろんな会合や冠婚葬祭が行われていたことでしょう。

これもハケの道沿いの邸宅なのか料亭なのか。ポイントは門に向かって勾配のついた登り塀。珍しい意匠です。

我孫子市役所の直前に何軒か並んでいる法律事務所や司法書士事務所。かつては役所や運転免許試験場の周辺でよく見た風景です。

珍しいので正面からのも残しておきます。

我孫子市役所。

1968年に建てられたということですから今年で53年目。年季が入っていますが基本的に建築時のまま。

屋上から見る議会棟もユニークな形をしています。

斜面に立っていて正面玄関のフロアから一階分下がった地下一階からも出入りできます。特徴的な形の塔屋。窪んだ部分に4つ並ぶ縦長の窓は・・・

なんということでしょう。男子トイレのひとつひとつに窓が対応していました。トイレにそんなに力入れなくても。
我孫子市役所を設計した事務所など一切不明です。というほど深追いして調べていませんが。

開館前の鳥の博物館。どっちみち月曜だったから休館日か。

手賀沼側から見た水の館。上の展望台みたいなところには行きたかったな。

最後のマンションストリートのエントランスロビーに続くと思われる階段。ここを通り抜けて住居棟に帰って行くわけです。毎日がらぐじゅありー。

産業と文化と自然と。明治期からこの3つの要素があって人が集まっていた町は面白いです。
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東板橋体育館→加賀スポーツセンター

2021年07月04日 | 建築&土木見物

2020年の2月から大規模改修工事に入り白フェンスで見えなくなっていた東板橋体育館。
再オープンまで2か月余りとなったところで久しぶりに姿を現しました。建物の外観は特に変わったところはないようなのですがすごくきれいに見えます。
初めて見る同級生の薄化粧にドキッとするみたいな感じ? いやそこまで甘酸っぱくしなくてもよいか。

一番変わったのはこれでしょうか。名前。かつて「東板橋体育館」と掲示されていた名称が「植村記念 加賀スポーツセンター」に変わっている。
なんでもカタカナにすりゃあいいってもんじゃないんだよといつも言っていますが、まあ確かにちょっと前よりかっこいいかも。
「植村記念」というのは生前板橋区にお住まいだった冒険家の植村直己さんから。
5kmほど離れた蓮根にあった植村冒険館という植村さんの資料館が、今年の暮れまでにこの建物の中に移転して来ることになっています。

プール。2019年に特に上半身の運動強化を目指してここでスイミングを始めたのですが4回ほど行ってそれっきりになってしまいました。で、半年後から大改修工事に。
この夏には間に合いませんが秋からは新しくなったプールでスイミングも再開、、、、したいとは思っています。海パンとゴーグルと水泳の入門書買ったし。
スライドして開閉しそうだったガラスの壁面は白いパテで隙間を埋めているように見えます。完全に開閉機構は放棄した模様。
大掛かりな機構を数十年という単位で維持するのは難しいということです。

プール前の桜が丸く取り囲んでいた公園は桜を何本か切って野っぱらに。ここはこれから秋までに何か工事をするんでしょう。きっと。

かつて少し左側に池と噴水があってその中央にいたマラソンマンの銅像は池がなくなって植え込みの隅に移設されていました。
コント「遭難して森の中をさまよっていたら2日後に救助隊が来てくれて喜んで駆け出す人、ここだ~助けてくれ~」

このあたり、以前はもうちょっと「鬱蒼とした」ってイメージだったんですが明るくなりました。
地面を白いタイルに変えたせいなのか、それなりに木を何本も伐採したのか、それともまだケヤキが繁りきっていないいない季節だからなのか。
前の写真と照らし合わせれば答えは出そうなんですが、そこまでするつもりはないです。9月オープン楽しみです。フィットネスも始めたい。

こちら2018年の写真です。伐採してないかも。
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立川 グリーンスプリングス

2021年07月02日 | 建築&土木見物

多摩モノレールの立川北駅から北はモノレールの支柱に沿って広い歩道が続いています。人の流れは途切れることなくこの先に向かっています。

目指していたのはこちら。2020年7月に開業した商業・ビジネス複合施設「グリーンスプリングス」。ここから階段で上へ。

階段の先には、右にも左にも様々な形のビルに挟まれた広場のような空間。地上を歩いているように錯覚しますがここも建物の屋上部分です。

X字型に作られた街路の両脇には飲食店やファッション関係のお店、仕事ができるフリースペースなどが並んでいます。

Rさん御用達のMOTHER HOUSEもありました。

MOTHER HOUSE店内。私が長年愛用のお財布を見せたらクリーニングしてオイルを塗ってメンテナンスしてくれました。うれしい。

1階部分はひとつなんだけど上の方は分かれている建物と建物の間。

階段を上がるとすぐ目の前に昭和記念公園の緑。

休憩や食事もできる東屋もあります。

一棟はホテル。公園側に張り出したルーフトッププールのあるSORANO HOTELの開業時にテレビでもよく紹介されていました。GO TOある時行けば良かったかな。

奥の方は池もある植栽。

そして一番奥にこの施設で一番ボリュームの大きな建物。2,500席の大ホールをもつ立川ステージガーデン

立川ステージガーデンの外壁に沿って空に向かって230mの坂道が続いています。

が、その前に立川ステージガーデン外観。

立川ステージガーデンホール前のロビー。

建物正面と数字の謎オブジェ。

さきほどの230mの坂道から下界を見下ろしたところ。ちょうどモノレールが来ました。一番奥に見えているのがモノレール立川北駅。

登り切った先には天空のテラス。手前が昭和記念公園の緑。奥に秩父の山並み。

眺めの良いレストランもあります。

ということで駆け足で型通りの紹介をしましたが、かなり大きなものだということはお判りいただけたかと思います。
つい最近、小田急線の車両基地の屋上を使った大きな公園を見ましたが長さ380m幅115mくらいということでほぼ同じ大きさです。
世界最大級の豪華客船、シンフォニーオブザシーズ号を2隻並べたのとも同じ大きさでした。
元々は戦前に日本で4番目の飛行機製造の会社であった立川飛行機株式会社(立飛)の所有する広大な土地の一部分でした。
戦後アメリカ軍に接収され基地となりますが徐々に日本に返還され大きい所では昭和記念公園になり、それ以外の土地は立飛グループが使用していました。

1970年代の写真と現在の写真。赤い枠で囲ったところがグリーンスプリングス。
まったく別の場所のようにも見えますがグリーンスプリングス右上の倉庫の位置が微動だにしていないところで同じ位置の同じ縮尺の航空写真だと分かります。
何も知らなかった立川のことが調べていくうちにすごく面白くなって来ました。
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漱石山房記念館

2021年06月16日 | 建築&土木見物

飯田橋から神楽坂を上って矢来町あたりに来たところで「→漱石山房記念館」と書かれた案内標識が目に入りました。
聞いたことのない施設でしたが、昨年駒込で漱石の住居跡を見たこともあり地図を見ながら進んでいくと意外にも大変立派な建物があったわけです。
開館が2017年。日本文学にも疎いのでそのニュースも記憶がありません。
それまで夏目漱石の記念館がなかったかというと、調べた限りでは赴任先の熊本、留学先のロンドン、執筆で訪れた修善寺には記念館がありました。松山にはないのか。

熊本から戻った漱石が、第一高等学校講師の職を得て矢来町の妻の実家から駒込に転居して来たのが明治36年。明治38年に吾輩は猫であるで文壇にデビュー。
2年後の明治40年にここ、牛込区早稲田南町7番地に転居し数々の名作をここで発表して9年後の大正5年に死没。住居は第二次世界大戦で焼失。
都の所有となった住居跡地に公営アパートになりましたが2015年に移転。その跡地に日本では最初の本格的な漱石記念館が建てられた、という流れです。

記念館の後ろはその前から「漱石公園」でしたが、記念館に合わせて再整備されました。漱石の作品に登場する植物が植えられています。

公園にも小さな展示室がありました。

記念館の前の漱石が毎日散歩した「だらだら坂」という坂道は漱石山房通りという通り名がつきました。

内部に漱石の暮らした家や部屋が再現されているそうですが、今回は外環見学のみで入館はせず。
設計は新宿区の公開プロポーザルで選ばれたフォルムデザイン一央株式会社。早稲田大学名誉教授の入江正之氏が代表の設計事務所です。
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千葉県立中央図書館

2021年06月08日 | 建築&土木見物

前川國男建築事務所出身の大高正人が設計した千葉県立中央図書館。1968年。
wikipediaに記載されている大高正人の代表作品は僅かに15件。このブログでは高崎建築散歩での群馬県立歴史博物館に続いて2度目の登場です。

外観の印象は年代なりに古びたもの。近代建築の流れの中で多くの重要な要素を持っている建物ですが、施設としては予算をかけられなかったことが分かります。

建築家のデザインと思しきコンクリートの案内表示も汚れと風化でレトロ感を演出。

駐輪場にはサークル状のコンクリート屋根。
建物は千葉城に続く高台の裾にあって高台の傾斜を活かして設計されています。玄関には右手の階段で1階分上がります。

軒の下に連続して突き出ている梁の先端が特徴的。これがこの建物の構造を外部に向かって示している最も特徴的な部分です。

建物が耐震基準を満たしていないことから、利用の安全を確保できない場所の使用が制限されるというお知らせ。3年前からこうなっています。

入り口入ってすぐ。低い玄関屋根の圧迫感の後で、スキップフロアの階段の上でいきなり空間が解放される仕組み。
天井のプレキャストコンクリートになる柱・格子梁は木村俊彦が考案した「プレグリッド・システム」を実現したもの。
定型のグリッドを組み合わせ、十字の断面を持つ柱で支える。自由な建築空間を作りながら将来の拡張にも備えるというメタボリズム理論を実現しています。
外部に飛び出していた梁はこのグリッドの先端でした。
青いパネルの内部が立入禁止区域。

階段を上って玄関を振り返る。

パネルで囲われた部分は現在は書庫として使用していますが、それまでは美しいロビーとして機能していました。壁に貼られたチーバ君が少し切ない。

飛び出すpcコンクリートのユニット先端部は室内でも見られます。

建築理論を実践した結果、芸術的に美しい建物になってしまったところにこの建物の価値があります。

柱やグリッドは全て同じ規格サイズで作られています。工場での作成時に、その部材が使われる場所って想定されていたのかな。

室内ではグリッドの窪みに多孔ボードが張られて天井のようになっています。コロナ対策のビニールシートがなんとなく被災感を醸し出す。
入り口で申告して住所氏名など記入してから館内の撮影が許可されます。

数種類のコンクリート仕上げで変化をつけています。外壁部分の大部分は斫り(はつり)を入れて無機質な雰囲気を和らげています。

建築的価値が高いものの図書館としての存続はかなり厳しく。日本建築学会から3年前に保存活用に関する要望書が出されていますがこの先どうなることか。



見納めになる可能性も否定できないので多めに写真載せておきます。

後に見えている高層ビルが千葉県庁。
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千葉市建築サンポ

2021年06月07日 | 建築&土木見物

山梨県庁を見に行った次の週に千葉県庁を見に行く。
千葉県千葉市。お隣の県の県庁所在地なのにどういうところなのか全く知りませんでした。埼玉県さいたま市や神奈川県横浜市と比べてあまりにも遠い存在です。
取り合えず県庁とその周辺に狙いを定めて日暮里から京成線で千葉中央という駅まで行きました。駅を降りて歩き始めてから、モノレールがある街だと知る。

「千葉市科学館」という幟が並ぶ大きなビル。Qiballと書いて「きぼーる」と読ませるビルは千葉市中央区の区役所始め複数の行政福祉施設が同居する複合ビルでした。
15階建てのビルの7~10階が千葉市科学館。入り口から10階までの吹き抜けアトリウムの上部に大きな半球がぶら下がっています。
これが実はボール型のプラネタリウムの下半分だったのでした。ビルから離れてみるとガラスの中に球体が浮いているように見えるようです。すごいので見てみ。
設計は日建設計。完成翌年の2008年にグッドデザイン賞を受賞しています。それにしてもこの球体、色といい形と言い巨大なスズメバチの巣にしか見えないんですけど。

タウンライナー県庁前駅。さっき見えたモノレールは千葉駅から県庁前駅に行くためのものでした。
それにしてもこのモノレール駅の存在感もなかなかすごい。この駅は関東の駅100選に選ばれていました。グッドデザイン賞とか駅100選とか千葉市のっけからぐいぐい来ます。

反対側にはループ型の歩道橋が。こちらからの眺めも20世紀に夢見た未来都市風です。

千葉県庁。左が20階建ての本庁舎、右が中庁舎。写ってないけどその右隣に議会棟。

1996年松田平田設計による本庁舎は特筆することはありませんでしたが19階が展望ルームになっていて四方を見渡すことができます。
西側を展望するとすぐに千葉港。東側には亥鼻城と千葉県文化会館が見えます。千葉も一番栄えているJRの駅から少し離れた城跡周辺に県庁があるという例のパターンの街でした。
路線図を見ていると千葉駅とか千葉中央駅とか本千葉駅とかがあってどこが一番千葉の中心なのか謎でしたがやはりメインは千葉駅。

県庁から城山方向に行くと最初に目に入るのが大高正人が設計した千葉県立中央図書館。DOCOMOMOの日本の近代建築選の最初の100か所の一つ。
これについては別項目で。

千葉県立中央図書館から亥鼻城方向に少し登った所に千葉県文化会館。千葉県庁の展望台からの眺めの写真中央の大きな白い建物です。
こちらも中央図書館と同じ大高正人の設計で1967年度の日本建築学会賞作品賞とBCS賞を受賞しています。大ホールの客席数は1787。

たてもの中央のピラミッドの内部はこんなことになっていました。

横側の風景。傾斜地の地形を生かしたまま横たわるように立っているので見る場所によって屋根の高さも異なって見えます。

千葉城、もしくは亥鼻城。平安時代末期から戦国時代の始めころまでの300年余りの期間、千葉市の居城として機能していた一帯が明治以降に公園となっています。
土塁や空堀が残っていはいますが写真のような天守が存在したことはなく、これは昭和40年代に郷土博物館のために建てられた模擬天守です。

博物館内部。終戦までこの地にあった1階では軍用気球に関する展示があってかなり興味深かったのですが長くなるので割愛。

模擬天守最上階が展望台になっていて千葉県文化会館を間近に少し上から眺めることができます。

亥鼻町の大半を占めているのが千葉大学亥鼻キャンパス。千葉大医学部、薬学部、看護学科などが入っています。面白いものもありましたので別途キャンパス見学として書きます。

県庁、中央図書館、文化会館、千葉大学と見たいものは一通り見て満足して帰ります。こちらは千葉大学近、旧東金街道沿いにあったザ・看板建築。

中島ふとん店はgooglemapで上から見たらこの外観からは想像できない複雑な形の建物で驚きました。
紹介しているときりがないので諦めますが、この界隈は他にもけっこう味わい深いレトロ建築がたくさん見られます。

都川。左に見える高層ビルが千葉県庁本庁。政令指定都市の県庁真横を流れる川が、これだけ元の流れのくねくねをのこしたまま護岸されているのも珍しいです。

再び千葉県庁に入って今度は20階の食堂でお昼を食べました。最初に19階の展望フロアに行ったときにお昼ご飯は絶対にここでと決めていたのです。
B定食550円。庁舎の食堂はたいていコスパ良しです。眺めも素晴らしい。

やっぱりモノレールに乗ってみたくて帰りは県庁前駅へ。
 




千葉市面白かったです。もう少しいろいろ見たいので今月もう一度行くつもり。
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空中都市 コモアしおつ

2021年06月02日 | 建築&土木見物

甲府に行く途中でどうしても見ておかなければならなかった場所に寄りました。
新宿から高尾駅で中央本線に乗り換えて20分。高尾駅と大月駅の真ん中やや大月寄りといったところに四方津とかいて「しおつ」という小さな駅があります。
10km東で堰き止められて相模湖になる桂川と奥多摩に続く山塊に挟まれたこの駅のすぐ前の山の上に、30年前のバブル期に開発された住宅地があります。

標高差105m、直線で300m離れた四方津駅と住宅地の間を一直線のエスカレーターとエレベーターで繋いだのが「こもあブリッジ」。
山腹に横たわる巨大なガラスのチューブが四方津駅のホームから見えた時はかなりの驚きがありました。(この写真は国道20号線から写しています)

googlemapの衛星写真で見るとこんな感じ。積水ハウスが30年前に原野を切り開いて80万㎡の広さの平地を山の上に作りました。
山の上に忽然と姿を現したこの街のことを人は「山梨のマチュピチュ」と呼びます。(加藤みどりの声で)

私としては日本最長と言われるエスカレーターに乗ってみたい。というのが長年の夢だったのです。
四方津駅とコモアブリッジはこもあブリッジまでは100mほど離れています。そして階段をビルで言えば4階分くらいの高さを登らされる。
間に国道20号線があって仕方なかったのかも知れませんが、これだけの開発をしながら駅と直結できなかったのは痛い。

下の駅に着きました。乗り場は更にこの上にあります。

乗り場に付きました。すげえ。中央にエスカレーター。その両側に遮光エレベーター。青い扉がエレベーターの入り口です。天国への階段が頭の中で鳴り始めます。
エスカレーターは200m繋がっているわけではなく途中に踊り場を挟んで4基が連結して上まで運んでくれます。
エレベーターは午前5時から夜中の1時過ぎまで稼働していますが、エスカレーターは5:40~10:00と16:00~1:15だけ。通勤時間帯以外の昼間は止まっています。

今回は10時までに到着できなかったのでエレベーターに乗り込みました。意外と小さくて8人乗りくらい。
ガラスチューブの中を行くのだからもう少し展望を良くすればいいのに窓として空いているのはこれだけです。ボタンは上と下の2つだけ。

200mを4分で登ります。時速で計算すると3km/h。歩くより少し遅いスピード。
登りも下りも乗り場でボタンを押せばすぐにどちらかの扉が開いたので、待機中は常に上に1機、下に1機いるようにプログラムされているのかも知れません。(根拠なし)
ちなみにエスカレーターだと6分かかるそうです。

上に到着。コモアブリッジの模型が飾ってありました。

上の駅。

駅前にはまあまあ大きなスーパーが1軒。他に山の上に店舗はほとんどありません。薬局、パン屋、美容院が1軒あるくらい。
山腹に「桜扇」という日本料理店がありますが、ちょっと前の芸能人が飲食店を求めて徒歩で彷徨う番組で香川照之が行ってましたね。見てた見てた。ここかあ。

住宅地はほぼ全体を取り囲む外周道路と、その中の小径、1丁目から4丁目までの4ブロックを直線で結ぶ公園の道で構成されています。これは外周道路。

その中の小径。

1丁目から4丁目までの4ブロックを直線で結ぶ公園の道。

住宅案内図。この外周道路の形ってどう見ても、、やめとこ。

山の上と下界はこもあブリッジの他に2か所の道路でも繋がれています。これは西のはずれでその道路にショートカットできる階段の入り口。天動説における世界の果て。

宮ヶ瀬ダムの階段を思い出してしまいました。もしも午前1時までに四方津駅に帰って来れなかったらこの階段で帰宅するわけです。

町ができてから30年間。全体の半周ほど散歩した感じでは落ち着いたきれいな住宅地でした。秩序良く保たれているという印象です。
この先の高齢化や過疎化への心配、それに伴うこもあブリッジの維持費の問題など不安要素はいろいろ見られますが、今はそんなことはいいか。
面白かったです。無料で珍しいエレベーターに乗らせてもらって感謝します。
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世田谷区立 きたみふれあい広場(小田急電鉄 喜多見電車基地上)

2021年05月28日 | 建築&土木見物

時間は昨日の成城学園駅を出てから野川歩きの前に戻ります。
小田急線の野川橋梁。上り複線+下り複線+これから行く車両基地への引き込み線2本という大掛かりなもの。

本線から離れて住宅地方向に吸い込まれていく2本の線路。

引き込み線は小田急電鉄株式会社喜多見電車基地と表札のある敷地内に入って行きました。

電車基地は野川の遊歩道に面していますが、その反対側を敷地に沿って歩いて行くとスロープが登場。
建物の上にこんもりと茂る樹々。今回の目的地はこの建物の屋根の上です。

緩やかな傾斜。私の前にはベビーカーを押した若いお母さんがいました。高さはおよそ10m。3階建ての屋上くらいです。

敷地に入って最初に見た風景。

こちらが世田谷区立 きたみふれあい広場という公園です。これだけみたらとても人工地盤の上に作られた公園だとは思えません。

周縁部から富士山方向。今日は富士山見えませんでしたが霞んでいなければ丹沢山の向こうに頭を出す富士山が良く見えます。

小田急線側の端から覗くとさっきの引き込み線から広がる無数の線路、整備工場が見えます。
線路上にびっしりと組まれた白い格子はなんなんでしょうか。教えて鉄の人。
無数の線路は今いるきたみふれあい広場の足元に広がっています。そこには初代のロマンスカーなど小田急線の歴代の車両が保管されているそうです。

土の表面に樹木の根が広がって露出しているのは下の方には伸ばせないため。
この公園ができたのは1994年とけっこう昔のことです。屋根の上に3種類の土壌材が合わせて1.2mの厚さで敷き詰められていると施工会社のサイトに説明がありました。

野川方向の端は植栽が厚くて近づけず。住宅の屋根の向こうの緑が昨日のブログで書いたみつ池特別保護区の森。

それにしても広い。全体としては細長い形をしていて長い辺が約370m、短い辺が長いところで110mほどです。そこらにある児童遊園より遥かに広い。
1994年にこれだけのことをやっていたとは驚きです。
大規模な屋上緑化はいろいろと見てきました。豊洲のがすてなーに大橋ジャンクションの天空庭園新宿高島屋の屋上、豊島区役所や玉川高島屋の屋上もそうか。
でもここと比べるとスケールがまるで違います。大橋の天空庭園は長さは同じく350m以上ありますが幅が1/3程度の30mくらいです。
植樹から30年近く経って木々も大きく太くなりました。平日の午前中にこんなに空いているのはもったいないです。

蓮の咲く池までありました。

GoogleMapで見る全体図。

こうやって外から見ればやっぱり屋上なんですよね。

登り口は5か所に作られています。野川に面した出口から下りました。
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板橋区立中央図書館

2021年05月23日 | 建築&土木見物

完成を楽しみに見守っていた板橋区立中央図書館が令和3年3月28日にオープンしました。
オープン直後の混雑や、再びの緊急事態宣言による休館などのために2か月近くも待つことになりましたがようやく見ることができました。
こちらがときわ通りに面している南サイド。長方形の建物の短編側で右手に地下駐車場への入り口があります。

平和公園の入り口から正面入り口方法へ。

昨年9月に見に来た時には母子像の向こうが白いフェンスで塞がれていました。

外壁に取り付けられた日除けのフィンの直線と1階に張り出している瓢箪型のガラスと白い軒が作る曲線の対比が特徴的です。

エントランス上部。図書館のシンボルマークはどういう意味なんだろう。

1階ホール部。1階は児童書。板橋本町の小学校の中にあったボローニャ絵本館もこちらに移転して来ました。エレベーター周囲は吹き抜け。

インフォメーションカウンター。

児童書コーナー。

ちしきの泉と名付けられた児童用学習スペース。

吹き抜け中央の階段。

2階の開架式書庫。旧中央図書館の延べ床面積が2,907㎡、新しい図書館では5,516㎡と2倍近くの大きさになっているので現時点では非常にゆとりがあります。

3階の書庫。どの方向にも公園の緑が見えて気持ちがいい。
色々な場所に様々な機能を持った学習スペースが設けられているのですが現在は椅子類は撤去されていて図書館内で本を読んだり調べものをすることはできません。

窓際の読書スペースや屋外テラスも閉鎖中。

たくさんのアイデアを形にしているのですが、この図書館の本来の姿を見るにはしばらく待たなければならないようです。



貸出機。

有料の地下駐車場がけっこう立派でした。
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富岡製糸場

2021年05月07日 | 建築&土木見物

高崎と下仁田を結ぶ上信鉄道で目指すは上州富岡駅。富岡製糸場に行くのなら往復の乗車券と富岡製糸場の入場がセットになった割引きっぷが絶対にお得。

世界遺産登録に合わせて新築した上州富岡駅(右の大屋根)と左手に群馬県立世界遺産センター。

駅から徒歩10分ほどで富岡製糸場正門前に到着。

正面に東置繭所(ひがしちけんじょ)。中央のアーチのキーストーンには「明治5年」と彫り込まれています。

最初期に機械の動力を担っていたブリュナエンジンを復元して動体展示中。

東置繭所と広場を挟んで向かい合う西置繭所は、6年を費やした保存修理と耐震補強工事を終えて昨年公開が始まりました。

西置繭所外観。

従来の構造の内側に鉄骨とガラスで新たな構造を作りギャラリーとしての活用しながら建物自体の保存ができるようになりました。

なかなか美しい仕上がりですが、国宝にここまで大胆に手を加えるのも珍しい。

建物としては木骨煉瓦造。後年貼られた新聞紙の目的はなんだったか。

建築部材についてもかなり丁寧に展示が作られていて面白い。

使用された主に和釘のコレクション。

壁や柱に書かれたたくさんのメモや計算。

小屋組み。梁に日本の仕口が見られます。

製糸場の心臓部、操糸場へ。

繰糸所、西置繭所、東置繭所の3棟が2017年に「国宝」に指定されました。近代建築としては赤坂の迎賓館、松本の旧開智学校と合わせて3か所のみ。

繰糸所内部。

洋小屋。中央に湯気抜きの口が空いています。

日産製の自動繰糸機。

創業当初の機械は最後の物よりかなりシンプルだったようです。

診療所、女工館、検査人館、社宅など。敷地内で小さな町が形成されています。

フランス人指導者 ポール・ブリュナと家族の住居。コロニアル様式の大規模な建物ですが住んでいたのは5年ほど。
ちなみに一般の大工の年収が80円だった頃に9,000円の年俸を得ていました。

寄宿舎。

世界遺産登録のプレート。この場所に来て富岡製糸場が川沿いの崖の上に立地していることを知りました。

ということで2年ぶりの群馬県、前橋と富岡を楽しく見学してまいりました。
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前橋 臨江閣

2021年05月06日 | 建築&土木見物

群馬県庁の北側の利根川沿い、かつて前橋城の二の丸、三の丸だったところが現在では前橋公園となっています。
前橋公園の北西の高台の上に群馬の迎賓館として明治17年に建てられた臨江閣があります。

低地側からアクセスしたので一旦日本庭園を通って建物に近づきます。

庭園から見上げる別館。Rさんは鎌倉山の擂亭を連想していました。大きさ的にはこちらの方が2倍ほど大きくなっています。

別館と渡り廊下で繋がっている本館。年代的には本館が明治17年、別館が明治42年の建築です。
縁側全面が足元からガラスで覆われているのがすごい。明治の和風建築では見たことがない造りでしたがパンフレットには明治時代には雨戸だったと書かれていました。
建物の反対側にある玄関に行くには渡り廊下の脇に半地下に掘り下げられているトンネルをくぐります。

別館の玄関。堂々たる寺社建築の様式。

臨江閣は群馬県令・楫取素彦の発案で建てられました。楫取素彦の名前を見るのは2015年の大河ドラマで大沢たかおが演じて以来久しぶりです。
明治天皇の行幸の際の御在所になったほか皇族も多数滞在しています。戦後は焼失した市庁舎の代わりの仮庁舎として、その後は公民館として結婚式などにも利用されました。
別館は明治43年に開催された博覧会に先立ち貴賓館として建設されました。

別館の60畳の西洋間から見る庭園。

二階に上がる階段。途中で振り分けになっている階段室は玄関の上に建物本体から飛び出して作られています。

二階は180畳の大広間1つだけ。格式の高い造りになっていますが装飾は最低限に抑えられて近代的な雰囲気。

広間の外側の長い廊下。外のガラス戸も後付けと思われますがそれでも歪みのある板ガラスが多数見受けられました。



大広間を逆側から。奥の30畳分は舞台として使う板敷になっています。

振り分けのある階段を上から。
今回は見られませんでしたが、他に茶室があって本館、別館と合わせて国の重要文化財に指定されています。
入場無料でとても見ごたえのある臨江閣でした。
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大倉山記念館

2021年04月28日 | 建築&土木見物

東横線大倉山駅初下車。その名の示すように駅の真横から大倉山登山が始まります。

山の頂上にある大倉山記念館を見に来ました。来る前に想像していたより5割ほど大きくて重厚感もある。

ギリシャ神殿風のエントランス。

大扉上部の飾り。

正面階段の奥にホール。

階段上の回廊と吹き抜け。黄色いのは照明です。

階段側面の装飾。鳴門渦巻と正三角形のモチーフ。

ホールのドアの脇柱につけられた立体渦巻。



入って右手は大蔵精神文化研究所附属図書館。
大蔵精神文化研究所は、実業家として成功したのちに招聘を受けて東洋大学の学長を務めた大倉邦彦が1932年の設立した研究団体でこの建物はその本部施設でした。
昭和7年に古典主義建築の第一人者である長野宇平治の設計で「東西文化の融合」をテーマにしています。
1980年代に土地を横浜市に売却し建物は寄贈。市による大改修を経て横浜市大倉山記念館として市民の文化活動の場として公開されています。

本館の背面は中庭を囲むようにギャラリーが。回廊のような空間はかつては座禅研修の場でした。この日は市民グループの陶芸絵画展が開かれていました。

正面玄関から。

左右側面にも階段と1回への入り口。上部に正三角形の小窓。

建物周辺は公園になっていて標高40mほどの高台からかなり遠方まで見渡せます。

丘陵はかなり急峻な斜面で、記念館のある所まで上る道筋は1枚目の写真の記念館坂の他には350m北西のオリーブ坂の2か所しかありません。こちらがオリーブ坂。

大倉山駅前の商店街は記念館を模して列柱や窓の上の破風、正三角形などを使った「ギリシャ風」の建物がずらりと並んでいます。
30年ほど前から商店会が「建築デザイン協定」を作って統一感のある街並みを作っているんだとか。ギリシャアテネ市と姉妹都市となったエルム通り商店街。面白いです。
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清砂橋

2021年04月21日 | 建築&土木見物

豊洲をぐるりと一周した後で、レンタサイクルを返却。すぐにその場で少しでも程度が良さそうな自転車を探して借り直しました。
しかしこいつがやっぱりダメなやつで走っている間ずっとがしゃがしゃ煩い。5kmほど走った新砂のセブンイレブンでこの日3台目の自転車を借りました。
そしてなんとなく予想していた通り3台目の自転車も満足できる状態ではありませんでした。
都心部のバイクシェアリングは2016年から2018年にスタートしているのですが、その頃に導入された自転車がそろそろ耐用年数外に近づいているのかも知れません。
その点ではsoftbankがやっているハローサイクリングが後発である分、自転車の個体も新しいものが多いような気がします。断言はできませんが。
いずれにしても借りた自転車がダメなやつだった場合に、すぐ乗り換えられるよう少なくとも在庫が5台くらいはあるポートを起点にしないと危ないと感じました。

豊洲から埋め立て地の運河をいくつも越えて荒川に近づいて来ました。目の前は江東区の新砂と清新町をつなぐ清砂大橋の入り口。
中央に片側2車線の車道、その左のスロープが自転車と歩道のため、その左の水色のトラスは東西線の南砂町と西葛西の間の鉄橋です。

はじめにうっかり車道の方を走って行ったら自転車は通行禁止で。自転車道へ戻ろうとしても柵があって戻れず。仕方なく中央の側道方向へ行って戻って来ました。
でもそのおかげで3つの線を下から見上げるこんな面白い写真が撮れたので結果オーライです。

改めてスロープを登ります。ボロとは言えやはりこういう時に電動アシストは頼もしい。

かなり登った所で記念写真。なんか最近立て続けにいろんな橋で荒川を横断しています。

最上部に向かっていくと途中で東西線の鉄橋の高さを越えます。

鉄橋のトラスの上と同じ高さになりました。

トラスの隙間から見る荒川放水路。この後、一つ上流側の葛西橋を使って戻って来ます。

左の荒川と右の中川を分ける背割堤。荒川と中川はふたつが接する新小岩のあたりから7kmに渡って背割堤を挟んで並走するのですがどうしてなのか。
本当の合流地点はここから1.2km河口に近いところ。背割堤に荒川河口0kmの標識があります。そこも一度行ってみたいです。

車道と別れて下りのスロープ。自転車がかっとんでいかないようにこれでもかという数の柵が立てられています。

人と自転車にとって清砂大橋はここでおしまい。車道はカーブしながらもうちょい先に行きます。

少し北上して、葛西橋で元来た方に戻ります。一見すると色も似ている清澄橋と同じ吊り橋に見ますが特に吊っている訳ではなく縦の線は補剛材。

木場公園で右折して現代美術館にやって来ました。ずいぶん寄り道をしましたが今日の目的はここです。

ライゾマティクス展。いろいろすごいことをやっていますが一番有名なのはperfumeの独創的なステージの演出。
アートとテクノロジーの最先端が見られます。あまりにもハイテク過ぎてそれが「最」先端なのかどうかも正直分かっていませんが。面白かった。

コメント (2)
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大塚駅北口の五行思想 完結編

2021年04月11日 | 建築&土木見物
昨年5月から3回ほどレポートしてきた大塚駅北口前広場のリニューアル工事。
いつのまにか無事に完成していました。
過去ログ
大塚駅北口の五行思想 「火」の巻
大塚駅北口の五行思想 「水」の巻
大塚駅北口の五行思想 「金」の巻・「木」の巻

完成した「火の巻」(笑)  特に立ち入り制限も見られず、ここで寛いでもいいのかな。
そのうち上に登りだす奴とか、渦巻のところをスケートボードで滑る奴なんかが出てくる予感しかない。

タクシー乗り場。

ホープ軒、小うさぎの前もこぎれいになって、まるで「あえて」レトロな店構えにしているようです。

タクシー乗り場の内側から駅を眺める。

都電荒川線からJRへの連絡通路も新設されました。

ただ通り過ぎるだけだった駅前に少しづつ人が留まって集まるようになりました。

昔の薄暗くてごちゃごちゃざわざわした大塚駅。駅前がこんなことになってこれからどう変わって行くのか。ゆるく見守りましょう。
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