千葉街道で江戸川を越えて千葉へ。そこから北上して切り通しの道を10分ほど歩いた森の中に一軒の洋館がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/82/19f93cce0f41c99f0efc337ac7c14e58.jpg)
明治から大正にかけて貴族医院議員や京都府知事を勤めた千葉県出身の政治家、木内重四郎が国府台の1万坪の土地に建てた別邸の一部が復元保存されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/7b/e12a4df5044444d9c203f00f9c7b9c3a.jpg)
大正3年に竣工した邸宅は和洋瀬中様式で建てられ、玄関部分を含む全体の1/4が洋館、3/4が和館になっています。
スレート葺きの張り出し屋根の下は格天井に組み物風のデザイン。エンボスの付いた石膏ボードとここだけでも甚だしく和洋が混在しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b2/42db90d75b58341f22ed11f40d3b2c76.jpg)
室内への最初のドア。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/e8/b4df58083bfb079cab1427c191fa975e.jpg)
1万坪あった別邸は戦後不動産企業の所有となり、平成初頭まで鹿島建設の社宅として利用されました。
1999年に住民による保存活動も空しく取り壊され、敷地には低層の高級マンションが建てられました。
その際、マンション開発業者である株式会社サンウッドが洋館部分の木材や建具などをできる限り保管し、敷地の隅に場所を移して復元されました。
復元した洋館は市川市に寄贈され、当時の建築用式を公開し文化活動施設として使用されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f4/5ccceff86bfd7e2c27fc14be003c57f3.jpg)
書斎。飾られている作者不明の風景画も当時の物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/f7/4f13403f58cb760447d93949b0ebae2a.jpg)
建物自体は鉄筋コンクリート造りで文化財的価値は薄いのですが、蝶番のネジに至るまで使えるものはできるだけ使用しています。(右側は当時のネジ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/a6/77a7f1b7ec6e770be95060c0583c76cf.jpg)
サンルームになった旧ベランダ部分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/6b/e0a25411a1bcd9cb35f1299552154324.jpg)
建築模型。赤線で囲った部分が復元された洋館部分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/64/9b40a3c9f5038d60fb046f034a11f091.jpg)
取り壊し時に見つかった棟札。和館部を設計した保岡勝也、洋館部を設計した鹿島貞房始め棟梁、大工、石工、瓦師、ペンキ職人までびっしりと名前が残されています。
木内重四郎が招集した当時のドリームチームによる作品であったことが伺えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/51/ca8ba33ceaae2a618cdfe2154f845a64.jpg)
書斎出窓部分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/aa/c425c696624aa9bfc9b04a3b7d5524ad.jpg)
入口の反対側外観。1階部分はもともと壁ではなく和館と接続していた部分です。2階3階にハーフティンバー様式が見られます。
3階部分の望楼は明治末期としては珍しい鉄骨の軸組で作られていました。元々あった場所からは江戸川と市川橋が見下ろせたそうです。
コンクリート造りの復元洋館ということで、ほとんど期待せずに立ち寄りましたが係の女性の詳細な説明のおかげで実のある見学となりました。
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明治から大正にかけて貴族医院議員や京都府知事を勤めた千葉県出身の政治家、木内重四郎が国府台の1万坪の土地に建てた別邸の一部が復元保存されています。
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大正3年に竣工した邸宅は和洋瀬中様式で建てられ、玄関部分を含む全体の1/4が洋館、3/4が和館になっています。
スレート葺きの張り出し屋根の下は格天井に組み物風のデザイン。エンボスの付いた石膏ボードとここだけでも甚だしく和洋が混在しています。
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室内への最初のドア。
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1万坪あった別邸は戦後不動産企業の所有となり、平成初頭まで鹿島建設の社宅として利用されました。
1999年に住民による保存活動も空しく取り壊され、敷地には低層の高級マンションが建てられました。
その際、マンション開発業者である株式会社サンウッドが洋館部分の木材や建具などをできる限り保管し、敷地の隅に場所を移して復元されました。
復元した洋館は市川市に寄贈され、当時の建築用式を公開し文化活動施設として使用されています。
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書斎。飾られている作者不明の風景画も当時の物。
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建物自体は鉄筋コンクリート造りで文化財的価値は薄いのですが、蝶番のネジに至るまで使えるものはできるだけ使用しています。(右側は当時のネジ)
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サンルームになった旧ベランダ部分。
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建築模型。赤線で囲った部分が復元された洋館部分。
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取り壊し時に見つかった棟札。和館部を設計した保岡勝也、洋館部を設計した鹿島貞房始め棟梁、大工、石工、瓦師、ペンキ職人までびっしりと名前が残されています。
木内重四郎が招集した当時のドリームチームによる作品であったことが伺えます。
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書斎出窓部分。
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入口の反対側外観。1階部分はもともと壁ではなく和館と接続していた部分です。2階3階にハーフティンバー様式が見られます。
3階部分の望楼は明治末期としては珍しい鉄骨の軸組で作られていました。元々あった場所からは江戸川と市川橋が見下ろせたそうです。
コンクリート造りの復元洋館ということで、ほとんど期待せずに立ち寄りましたが係の女性の詳細な説明のおかげで実のある見学となりました。